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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

江之浦からの相模湾、そのむこうには丹沢山

2018年02月07日 | 旅行
 一月の週末午前中、JR根府川駅ホームへと降りたつと、そこからはもう眼前にあっけないくらい圧倒的な相模湾が広がっていた。ホームから跨線橋を渡って熱海からの切符を小さな箱にいれ、改札を通り抜けて小さな水色に塗られた木造駅舎駅舎へとすすむ。若き日の茨木のり子が、終戦後の帰省で通りかかり、
 「東海道の小駅 赤いカンナの咲いている駅 たっぷり栄養のある大きな花の向こうに いつもまっさおな海がひろがっていた」(根府川の海)
と青春のかがやきを記した、まさしくその海の見える駅舎だ。
 もちろん、冬の季節にカンナの花はなく、駅舎前の広場の向こうの土手には、いまが盛り水仙の花の群生が目に入ってくる。そして夏になれば、いまもホーム脇にカンナの花は咲く。

 迎えのシャトルバスに乗りこんで、曲がりくねった旧道135号線を左手に海をみながら、ゆるゆると真鶴方面へとしばらく進むと、やがて目的地の小田原文化財団“江之浦測候所”へ到着する。
 バスを降りてゆるやかな坂道をのぼると室町時代に鎌倉に建てられたあと、幾度かの変遷をへてここに移築された明月門が目に入ってくる。その先がガラス張りの待合棟、右手相模湾方向に突き出すように、直線で百メートルあるという、ギャラリー棟がまっすぐに伸びていた。

 そこの高台からは、相模湾の広大な蒼い海原が澄んだ碧い冬空のもとに望める。目線のさきの海岸線の続くむこうに小さく小田原市街が見えていて、その背後には低く東方向に曽我丘陵、そして相模湾へ流れ込むように三浦半島が伸びていた。小田原市街地のさきの曽我丘陵を抱くように、大きく左手に連なってるのは、大山と丹沢の山並みだ。冬の季節にふさわしく、黒い山肌に鮮やかな白雪模様を交えていた。いつも自宅から眺めている方向からは、百八十度移動して廻り込んでいて、逆方向に連なっていく山並みのパノラマ風景が不思議なくらい新鮮に見える。はるか遠くまで視界がさえぎられることがなく、澄み切った大気の中をすうっと気持ちよく伸びていく解放感と壮快さは得難いものがある。そうだ、かつてはここに一面のミカン畑がひろがっていたのだ。

 ここになんと思いがけず、といった感じの京都市電の軌道敷石を敷き詰めた(廃止前に乗った記憶がある)という庭園をぬけて、茶室「雨聴天」へとすすむ。あの京都大山崎、待庵の寸法を写し取ったつくり。床の間掛け軸には「日々是口実」とあり、そこは庵主杉本博司らしい過剰な諧謔趣味とウイットを感じる。このすぐ近くには天正18年(1590)小田原合戦の際に、豊臣秀吉の命で野点を献じた千利休ゆかりの天正庵跡があって、この茶室の屋根は地元の古びたミカン小屋のトタン屋根が使われている。雨の日にはトタン屋根をたたく雨音を聴きながら、お茶を喫すことが風流だとばかりの“有頂天”な庵主の顔が浮かぶ。にじり口の踏み石は、割れ目の入った厚みのある光硝子で、四季の移り変わりを取り込み、春分秋分の日の出には組石造りの鳥居を通して陽光が輝くのだそうだ。
 杉本流現代侘び寂びの世界、利休そしてM.デュシャンへのオマージュなのか。草庵の手前両脇には、ほころびはじめた白梅と紅梅が対になって植えられてあってその構図は、熱海MOA美術館で昨日見てきたばかりの尾形光琳「紅白梅図屏風」を思い起こさせた。

 ここの野外舞台石畳の客席からは、海面がまぶしく光ってみえていて、その洋上には初島や伊豆大島、そして真鶴半島も望める。冬の空、晴れ渡った太陽のひかりは明るく、海から吹く風は野外にたたずむ身にはまだ冷たい。
 こんなとき日本海側の故郷の新潟は大雪だろう。こうしていてもしんしんとふり続くふるさとの雪とそこに暮らす生活を思う。


 江之浦からの相模湾。遥か先には白雪まだら模様、大山丹沢の山並みがみえる。(2018.01.27)


 “冬至光遥拝隧道”と命名された寂びた鋼鉄製通路の先端のさきに相模湾の水平線が切り取られ、ふた筋の潮のみちがうねる。