師走冬至前後の頃、淡海でのその日々は、遠くに比叡山を望む湖畔の点々と連なる夜景に、夜明け方から朝方に眺めた山あいにたなびく霧もや、天空と湖面の境目が薄墨から薄紫色そして淡いブルーへと刻々と変化する様子で記憶されるだろう。
名古屋駅六番ホームからJR東海道線に乗り込む。関ヶ原の山間をぬけると米原駅、そこで乗り換えてしばらく下り、思い出の近江八幡へ30数年ぶりで降り立つ。あいにくの小雨模様、ここ近江八幡は小さな町だ。この地にある、W.M.ヴォーリズの面影と生きた建築を目指して、駅前のロータリーから路線バスに乗ろうとするときに、ちょうどヴォ―リズ記念病院行のマイクロバスが停まっていることに気がついた。わたしたちも訪問者の一員に違いはないので、遠慮しながらも運転手の方に伺うと、こころよく乗車させてもらえてうれしくもなんだか得をした気分になる。
病院行きのバスは駅前通りを真っ直ぐと進み、やがて低い町屋が立ち並ぶ旧市街地に入っていく。日牟礼八幡参道前をすぎて、右手奥ににオレンジ色の瓦屋根が特徴的なヴォーリズ学園(近江兄弟社学園)校舎群が見えてくるが、どうも最近の建築のようだ。その角を左折して、県道右手方向にずうと平原が続くなかをさらに進む。しばらくすると住宅地を左手に折れてすぐに病院敷地本館前のロータリーに到着した。
見回す周囲の建物は、ここ十数年くらいで鉄筋コンクリートの現代建築へ建て替えられたようで、さすがに以前とはすっかり変わってしまっている。当時の建物は残っているのだろうか、すこし不安になりながら本館内に入ってみる。こじんまりとした空間、ヴォーリズのモノクロ写真が掲げられ、全体にアットホームなホスピタリティ精神は受け継がれている感じがする。あの山麓をすこし階段で上った先の小さな礼拝堂は残っているのだろうか、受付で尋ねると親切に案内図を渡してくれた。
外に出て本館の奥、「希望館」と名付けられたホスピス棟の脇をのぼると、左手に古びた見覚えのある三階建ての建物、旧本館である。記憶よりもずいぶんと小さい印象、現在は使用されていない様子で、大正期か昭和初期の建物に違いない。その先の最も奥まった位置に、あの礼拝堂はやはり残っていた!左右対称の三角屋根、丸みのある正面扉のアーチへと至る年季の入った石階段は思いのほか急で、これは当時のままに近いだろう。建物全体はきれいに化粧直しされて、左側部分のアプローチが増築されている。
そうっと、左手の玄関で靴を脱いで入ってみる。礼拝室の木の扉をあけて中に入れさせていただくと、ほんとうに小さな数十人ほどの静謐な祈りの空間。正面には薄あかりの中にステンドグラスの輝き、振り返った背後の壁一面には、青い制服をつけいたイエス・キリストがたたずむ絵画が掲げてある。ここが大正時代にヴォ―リズが開いた医療と福祉のユートピアの精神的中心が宿った場所だと思うと、自然と神聖な気持ちになってくる。
礼拝室を出たところで、奥の部屋の扉が突然ひらいて牧師と思しき男性が出てきてびっくり。一瞬緊張したが、たまには私たちの様な物好きなヴォーリズ建築ファンも訪れるのだろうか、思いのほか寛容な表情で建物に関しての会話を交わしてくれた。この礼拝堂の裏手左の奥には、大正期創立当時の結核病棟が残されていて、ナースステーション室を中心に五弁の花びらが広がるような様な病室の配置に、患者を配慮した設計となっていることが伺える。
旧本館を回り込み、ホスピス棟から老健センターの横を下ると、そのすぐ隣の広い敷地の中に横長の芝で覆われた山型草屋根を抱く特徴ある建物が望める。地元の老舗和菓子の「たねや」グループの洋菓子ブランド「クラブハリエ」フラッグ・ショップのラ・コリーナ、その日のもう一つの目的の建物である。ルーツは和にあるからなのか、「ハリエ」とは“貼り絵”からきていると伺った。かつての滋賀厚生年金休暇センター跡地にできた、というか自然と共生した食と農とお菓子の壮大な全体プロジェクトは現在進行中である。初めて近江八幡を訪れたときは、できてすぐのこの旧センターに宿泊してヴォーリズ建築を巡ったのだと思うとなんとも感慨深い。まさか、フジモリ建築にここヴォ―リズ建築の故郷で出会うなんて!思ってもみなかった。
そんなわけでアメリカのカンザス州出身の一キリスト教信者の青年により大正期に開設された結核患者のサナトリウムを発祥とする医療福祉のユートピアから、近江八幡の老舗和菓子屋がいまに描く里山再生と食・お菓子のユートピアへ移動することにした。途中の道路沿いの石垣と植生は、旧厚生年金休暇センターであった当時の面影をわずかに残している。
背後も含むと全体で三万五千坪におよぶ敷地は、前庭が広く取ってあってクマザサが植えられている。一文字のタタキ銅板屋根でつないだ洋風長屋門のような入口に「La Collina」の手書きロゴを鋳物で造形して浮き上がらせている。イタリア語で「丘」の意味なんだそうで、背後の八幡山をはじめとする水郷周囲の丘の連なりからきているのだろう。正面には、その山々を模したような芝屋根のユニークな水平に横長のメインショップの姿。昨年2014年秋の竣工、藤森照信氏の基本設計、中世の城郭のようでもあり、軒先には無垢の栗の木の庇柱が等間隔に並ぶ。なんだか、田舎屋のような雰囲気もあるなつかしい感情を呼び起こす姿だ。木枠の屋根窓がリズミカルに並び、屋根の端々のとんがりにはちょこんと落葉樹が植えられていて愛嬌のあるアクセントとなっている。小雨がそぼ降る中、手前の一本足の東屋にしばし佇んで、建物越しに北ノ庄と呼ばれる周囲のたおやかな景観の眺めを愉しむ。気がつくと同行者は、傘を並べてその先の建物を記念に撮っている、これって和気相合傘?
そこでいま思ったのだが、この外観はあきらかに同じフジモリ建築の伊豆大島ツバキ城や秋野不矩美術館の姉妹形であるといっていいのではないだろうか、写真上での印象だけれども。草屋根の連なりと土色の壁の軒先の栗の木柱、全体が土から生え出したような、いってみればキノコの変種。これはやはり、浜松市天竜の二俣町へもいってみて実際を確かめてみたくなった。
さて建物に近づくと、ベージュ色の壁は藁クズを練り込んだ漆喰で、風土をとりこんだような土俗性がおもしろい。芝屋根一面には噴水用スプリンクラーとおぼしき配管、メンテナンス用の段々も仕込まれている。ここまでの複数のアプローチを振り返って俯瞰してみれば、大きな落葉樹型あるいは木の葉の葉脈を模しているのに気がつく。あとでここのお菓子カタログを見ていておもったのだが、リーフパイの模様をデザインしているのかもしれないと思えば、まあ合点がいく。
次に中に入ってふきぬけの白のしっくい天井を見上げると、なんとも不思議なごま塩のような模様が広がる。外から三階建てに見えたが、実はふきぬけの二階建てだった。天上に近づいて見れば、炭(備長炭だそう)を社員がひとつひとつ埋め込んで作り上げたのだそう。これって、消臭などの実用効果もあるだろうが、視覚的にはなんだろう、と考えてはたと思い当たったことがある。“ありんこ”=蟻、なのではあるまいか。美味しいお菓子に群がるアリの姿と思えば、これまた、なるほどと合点がいくだろう、真偽のほどは確かめてはいないけれど。内装も手触り感満載で楽しいが、建物本体はやはり鉄筋コンクリートだろう。外見を含む表面は土俗的をまとっているけれども、躯体そのものや設備はしっかりと現代建築である。
と、まあアプローチの門から始まって建物外観と内面に至るまで、フジモリワールドのオンパレードを満喫、である。なんとも余裕のあるゆったりした造りの店内でどら焼きをいただきながら一服しようとすると、目の前の壁を飾る不思議な木片群が目に入った。シャレた演出のインテリアなのかと思って近づいてみると、落雁木型枠をコラージュしたもの。道具をもって仕事の記憶が刻まれていることに、和菓子老舗点ならではの矜持をみた思いがする。二階の喫茶コーナーをひとめぐりして、次の目的地である日牟禮ビレッジ、ヴォーリズ建築の旧忠田邸をリニューアルしたカフェを目指して、八幡堀通りを歩み出す。
歩みながら思ったのは、ヴォーリズとフジモリ建築が五十年の時を経て和洋の「お菓子」を媒介にここ近江八幡で遭遇して、その事実を市井のアマチュア建築愛好家が目の当たりに、しかとの心象のなかで結びついたのが2015年の師走であり、そのはしりは三十数年前のひとり旅にあったということである。これってひととの出逢いに似ていて、じつに偶然の必然だけれど、建築的にはヴォ―リズとフジモリ建築における有機的要素やアマチュア精神の内在といったいくつかの和洋の共鳴点、共振性を考えるうえでなかなか面白い!のではないか?
名古屋駅六番ホームからJR東海道線に乗り込む。関ヶ原の山間をぬけると米原駅、そこで乗り換えてしばらく下り、思い出の近江八幡へ30数年ぶりで降り立つ。あいにくの小雨模様、ここ近江八幡は小さな町だ。この地にある、W.M.ヴォーリズの面影と生きた建築を目指して、駅前のロータリーから路線バスに乗ろうとするときに、ちょうどヴォ―リズ記念病院行のマイクロバスが停まっていることに気がついた。わたしたちも訪問者の一員に違いはないので、遠慮しながらも運転手の方に伺うと、こころよく乗車させてもらえてうれしくもなんだか得をした気分になる。
病院行きのバスは駅前通りを真っ直ぐと進み、やがて低い町屋が立ち並ぶ旧市街地に入っていく。日牟礼八幡参道前をすぎて、右手奥ににオレンジ色の瓦屋根が特徴的なヴォーリズ学園(近江兄弟社学園)校舎群が見えてくるが、どうも最近の建築のようだ。その角を左折して、県道右手方向にずうと平原が続くなかをさらに進む。しばらくすると住宅地を左手に折れてすぐに病院敷地本館前のロータリーに到着した。
見回す周囲の建物は、ここ十数年くらいで鉄筋コンクリートの現代建築へ建て替えられたようで、さすがに以前とはすっかり変わってしまっている。当時の建物は残っているのだろうか、すこし不安になりながら本館内に入ってみる。こじんまりとした空間、ヴォーリズのモノクロ写真が掲げられ、全体にアットホームなホスピタリティ精神は受け継がれている感じがする。あの山麓をすこし階段で上った先の小さな礼拝堂は残っているのだろうか、受付で尋ねると親切に案内図を渡してくれた。
外に出て本館の奥、「希望館」と名付けられたホスピス棟の脇をのぼると、左手に古びた見覚えのある三階建ての建物、旧本館である。記憶よりもずいぶんと小さい印象、現在は使用されていない様子で、大正期か昭和初期の建物に違いない。その先の最も奥まった位置に、あの礼拝堂はやはり残っていた!左右対称の三角屋根、丸みのある正面扉のアーチへと至る年季の入った石階段は思いのほか急で、これは当時のままに近いだろう。建物全体はきれいに化粧直しされて、左側部分のアプローチが増築されている。
そうっと、左手の玄関で靴を脱いで入ってみる。礼拝室の木の扉をあけて中に入れさせていただくと、ほんとうに小さな数十人ほどの静謐な祈りの空間。正面には薄あかりの中にステンドグラスの輝き、振り返った背後の壁一面には、青い制服をつけいたイエス・キリストがたたずむ絵画が掲げてある。ここが大正時代にヴォ―リズが開いた医療と福祉のユートピアの精神的中心が宿った場所だと思うと、自然と神聖な気持ちになってくる。
礼拝室を出たところで、奥の部屋の扉が突然ひらいて牧師と思しき男性が出てきてびっくり。一瞬緊張したが、たまには私たちの様な物好きなヴォーリズ建築ファンも訪れるのだろうか、思いのほか寛容な表情で建物に関しての会話を交わしてくれた。この礼拝堂の裏手左の奥には、大正期創立当時の結核病棟が残されていて、ナースステーション室を中心に五弁の花びらが広がるような様な病室の配置に、患者を配慮した設計となっていることが伺える。
旧本館を回り込み、ホスピス棟から老健センターの横を下ると、そのすぐ隣の広い敷地の中に横長の芝で覆われた山型草屋根を抱く特徴ある建物が望める。地元の老舗和菓子の「たねや」グループの洋菓子ブランド「クラブハリエ」フラッグ・ショップのラ・コリーナ、その日のもう一つの目的の建物である。ルーツは和にあるからなのか、「ハリエ」とは“貼り絵”からきていると伺った。かつての滋賀厚生年金休暇センター跡地にできた、というか自然と共生した食と農とお菓子の壮大な全体プロジェクトは現在進行中である。初めて近江八幡を訪れたときは、できてすぐのこの旧センターに宿泊してヴォーリズ建築を巡ったのだと思うとなんとも感慨深い。まさか、フジモリ建築にここヴォ―リズ建築の故郷で出会うなんて!思ってもみなかった。
そんなわけでアメリカのカンザス州出身の一キリスト教信者の青年により大正期に開設された結核患者のサナトリウムを発祥とする医療福祉のユートピアから、近江八幡の老舗和菓子屋がいまに描く里山再生と食・お菓子のユートピアへ移動することにした。途中の道路沿いの石垣と植生は、旧厚生年金休暇センターであった当時の面影をわずかに残している。
背後も含むと全体で三万五千坪におよぶ敷地は、前庭が広く取ってあってクマザサが植えられている。一文字のタタキ銅板屋根でつないだ洋風長屋門のような入口に「La Collina」の手書きロゴを鋳物で造形して浮き上がらせている。イタリア語で「丘」の意味なんだそうで、背後の八幡山をはじめとする水郷周囲の丘の連なりからきているのだろう。正面には、その山々を模したような芝屋根のユニークな水平に横長のメインショップの姿。昨年2014年秋の竣工、藤森照信氏の基本設計、中世の城郭のようでもあり、軒先には無垢の栗の木の庇柱が等間隔に並ぶ。なんだか、田舎屋のような雰囲気もあるなつかしい感情を呼び起こす姿だ。木枠の屋根窓がリズミカルに並び、屋根の端々のとんがりにはちょこんと落葉樹が植えられていて愛嬌のあるアクセントとなっている。小雨がそぼ降る中、手前の一本足の東屋にしばし佇んで、建物越しに北ノ庄と呼ばれる周囲のたおやかな景観の眺めを愉しむ。気がつくと同行者は、傘を並べてその先の建物を記念に撮っている、これって和気相合傘?
そこでいま思ったのだが、この外観はあきらかに同じフジモリ建築の伊豆大島ツバキ城や秋野不矩美術館の姉妹形であるといっていいのではないだろうか、写真上での印象だけれども。草屋根の連なりと土色の壁の軒先の栗の木柱、全体が土から生え出したような、いってみればキノコの変種。これはやはり、浜松市天竜の二俣町へもいってみて実際を確かめてみたくなった。
さて建物に近づくと、ベージュ色の壁は藁クズを練り込んだ漆喰で、風土をとりこんだような土俗性がおもしろい。芝屋根一面には噴水用スプリンクラーとおぼしき配管、メンテナンス用の段々も仕込まれている。ここまでの複数のアプローチを振り返って俯瞰してみれば、大きな落葉樹型あるいは木の葉の葉脈を模しているのに気がつく。あとでここのお菓子カタログを見ていておもったのだが、リーフパイの模様をデザインしているのかもしれないと思えば、まあ合点がいく。
次に中に入ってふきぬけの白のしっくい天井を見上げると、なんとも不思議なごま塩のような模様が広がる。外から三階建てに見えたが、実はふきぬけの二階建てだった。天上に近づいて見れば、炭(備長炭だそう)を社員がひとつひとつ埋め込んで作り上げたのだそう。これって、消臭などの実用効果もあるだろうが、視覚的にはなんだろう、と考えてはたと思い当たったことがある。“ありんこ”=蟻、なのではあるまいか。美味しいお菓子に群がるアリの姿と思えば、これまた、なるほどと合点がいくだろう、真偽のほどは確かめてはいないけれど。内装も手触り感満載で楽しいが、建物本体はやはり鉄筋コンクリートだろう。外見を含む表面は土俗的をまとっているけれども、躯体そのものや設備はしっかりと現代建築である。
と、まあアプローチの門から始まって建物外観と内面に至るまで、フジモリワールドのオンパレードを満喫、である。なんとも余裕のあるゆったりした造りの店内でどら焼きをいただきながら一服しようとすると、目の前の壁を飾る不思議な木片群が目に入った。シャレた演出のインテリアなのかと思って近づいてみると、落雁木型枠をコラージュしたもの。道具をもって仕事の記憶が刻まれていることに、和菓子老舗点ならではの矜持をみた思いがする。二階の喫茶コーナーをひとめぐりして、次の目的地である日牟禮ビレッジ、ヴォーリズ建築の旧忠田邸をリニューアルしたカフェを目指して、八幡堀通りを歩み出す。
歩みながら思ったのは、ヴォーリズとフジモリ建築が五十年の時を経て和洋の「お菓子」を媒介にここ近江八幡で遭遇して、その事実を市井のアマチュア建築愛好家が目の当たりに、しかとの心象のなかで結びついたのが2015年の師走であり、そのはしりは三十数年前のひとり旅にあったということである。これってひととの出逢いに似ていて、じつに偶然の必然だけれど、建築的にはヴォ―リズとフジモリ建築における有機的要素やアマチュア精神の内在といったいくつかの和洋の共鳴点、共振性を考えるうえでなかなか面白い!のではないか?