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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

初夏新緑、湘南大磯へ

2017年05月26日 | 日記
 平日の昼過ぎ、小田急線で藤沢まで下り、JR東海道線に乗って大磯へ。

 改札を出た駅前ロータリーは、変わらず落ち着いた雰囲気でゆったり広々としていた。ウコン色の三角瓦屋根の駅舎は、ほどのよい品のよさと風格があって、かつての避暑地で別荘地でもあったまちの歴史を感じさせてくれる。
 ここに降り立つのは、昨年十二月初め以来になる。駅前ロータリー正面の丘には、こんもり木々のみどりに覆われたエリザベス・サンダース・ホームの敷地が広がっていて、この東海道沿線にあるまちの印象を特徴づけているものひとつとなっている。かつて三菱財閥岩崎家の別荘地であった地だ。

 まだ、昼食を取っていなかったので、その旧別荘地に沿って右手に緩く下っていった先の鳥料理「杉本」へ歩き出す。そこがまだ営業中なのを確かめ、ほっとした気持ちで店名が染め抜かれた暖簾をくぐる。落ち着いた店先、茶室のようなしつらえの店内は高級すぎることもなく、ふつうの市民がちょっと気の利いたお昼のひと時を過ごすには、うってつけの料理屋なのだ。鶏肉づくしの昼定食を注文し、しばし待つ時間をくつろいで、この地の空気になじんでいく時間を過ごす。この店の娘さんだろうか、ジーンズ姿の若い女性が甲斐甲斐しく注文取りやお茶のサービスに気を配ってくれる。そのポニーテールの髪型に清潔感が漂い、何気ないしぐさと口調に清々しさを感じる。やがて出された料理は、その女性や店内の印象そのままのじつに新鮮で好ましいものだった。

 その店を出てすこし歩けば、国道1号線につきあたる。ここが正真正銘の日本橋から始まる1号線、上下2車線のみちである。その海側にある小さな沢を渡ったさきの木立に囲まれた場所は、西行ゆかりとされる「鴫立庵」で、江戸時代以降は俳諧の道場としていまに名を遺す。
 入口受付には、女性職員が二名いて案内をしている。どうやら、いまはこの建物は町の管理となっているようだ。受付のある茅葺の母屋が道場、さほど広いとは言えない境内には、歴代庵主の俳句碑がところせましと遺されている。それなりの風流さを感じさせはするが、当時の面影からは周囲がかなり変わってきてしまって、庵のほうが戸惑いを隠せない、といったところだろうか。
 
 清流とは言い難い鴫立沢のむこうには、旧樺山邸敷地が相模湾にのぞむように広がっている。かつて白洲正子も幼少の頃、鴫立沢のそばのその祖父宅をよく訪れていたときく。いまは、大手分譲会社がその初期に建設した旧いLマンションとなってしまって、容赦のない時の流れを感じる。おそらく旧邸当時からのものは、海側に回って見える一本の大きなクロマツだけだろうか。初夏の砂地には、ハマヒルガオが薄いピンク色の花々を咲かせていた。
 薄曇りの西湘バイパス側の西方向を眺めば、弧を描いたクロマツの海岸線先に小田原、真鶴方面、そして箱根の山々が望める。この時間帯はもう水蒸気が上がってしまって、富士山はみることができないのは仕方ないが、それでも十分に素晴らしい光景が広がる。
 
 
 ここから、レトロな旧街なかをぬけてふたたび国道1号まで歩く。同志社を創立した新島襄終焉の地(ここ大磯で亡くなっていたなんて!)にこころの中で手を合わせてから、大磯に残された唯一の旅館大内館の敷地内、蔵を改装したレトロな喫茶店でひと休みする。そのカウンターの席に座って、持参した新作長編小説の頁をひらく。その舞台の中心は、このすぐさきの小田原郊外なのだ。その近くで読んでみたいという衝動にかられてここまで来てしまったのかもしれない、まあそれもいいか。作者の村上春樹氏はここ大磯在住、小説刊行後にでたインタヴュー集「みみずく」対談の最終回は、その作者の自宅で行われたとあるから、私の気分はすっかり入れ込んででしまっている。

 蔵の喫茶店をでて、国道を渡って歩くとすぐに真言宗地福寺があり、ここには島崎藤村夫妻の墓がある。案内を確かめると、建築家谷口吉郎の設計、黒御影石の端正な造りだ。このあたりが岩崎別邸の裏手になっていて、旧財閥家の財力の大きさを思い知らされる。ここの裏路の両側はいい感じの石組だ。駅に向かって右手に水色グレーの洋館がみえてくる。そこがいまはレストランの旧山口邸宅、入口とその先の庭園に薔薇が咲き誇る。よくできすぎた風景かもしれないが、大磯の地にはよく似合っている。
 
 夕方近く、駅前に戻ってひとめぐりしたことになる。最後のしめくくりは、駅前の丘の木立に囲まれた沢田美喜記念館で、隠れキリシタンのコレクションを拝見することにした。小高い丘を登っていくと記念館のコンクリート打ち放しのモダンな建物。さほど広くはない展示室には、沈黙のときがながれていた。その二階にあがると。日本聖公会の礼拝堂となっていた。ここは緑の高台の静かな祈りの空間である。時計は午後四時過ぎ、久しぶりの大磯へのお出かけの午後のひとときだった。

 さあ、暗くなる前にまた東海道線にのって、家へ帰ろう。

追記:翌日夜のテレビを見ていたら、冒頭あのウコン色の三角屋根の駅舎の映像。大磯在住の日本唯一の手作りばれん工房「菊英」ご主人の職人仕事ぶりが、フランス人の目を通して紹介されいた。ご夫妻の気取らない姿がとても興味深かった。じつにいろんな人が町には住んでいるものだ。