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日々礼讃日日是好日!

まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

国道246号線大山山麓伊勢原行き

2018年02月15日 | 日記
 きさらぎ立春がすぎても、寒さは厳しい日々だ。ここしばらくは、冬の日の晴天が続き、空気が澄んで高くぬけていくようななかに梅の花がほころび、ほんのすこしづつ春への気配が潜んでいるのだろう。

 晴れ渡った日曜日が仕事休み、自宅から県道を下って伊勢原まで向かう。その道中聴いていたのは前日に手にした、パット・メセニー・クインテットの二枚組CD「80/81」(1980年リリース、ECM)を聴きながらの一時間余りのドライブ。北欧オスロのスタジオで収録された透明感のあるスリリングな演奏がいまの季節にふさわしい。これがもう三十八年前の演奏となってしまったなんて、時の流れを思うととても不思議な気がする。大学生時代にその音楽に触れて以来、ずっと好きなアーチストであって、来日のたびに演奏会場に足を運び続け、同時代の空気を吸って生きてこられたことを幸せに思う。

 相模川を渡り、厚木市街を通り抜けると国道246号線へと合流する。すぐに東名高速高架をくぐり、愛甲石田からはぐんと丹沢の山並みが迫ってきて、駅前あたりではアマダ・フォーラム246の特異な黒々とした姿が目立つ。しばらく進んだ歌川地区ではロードサイドにあるスターバックスコーヒーの背後、新東名高速の建設工事がすすんで、圏央道からの高架が連なって西へとのびている。
 前方上り坂の右手方向に白亜の東海大学病院棟がみえてくると、もう目的地の伊勢原市民文化会館前だ。手前の市役所前には、ご当地ゆかり室町時代の武将太田道灌像がたち、会館前広場では、集まって開場を待っている観客の前で、甲冑をまとった野武士姿の一団がほら貝の音を鳴らし、ときの声を上げていた。う~ん、なるほど、これは予想以上に開場前から力がはいっているなあ。
 この日、ここでイラストレーター、キン・シオタニと落語家立川晴の輔のライブトークがあって、今回のテーマはもちろん大山街道・大山阿夫利神社・大山講の歴史。ふたりのテンポのいい街の話題を盛り込んだ脱線トークとスライド、ライブドローイングそして落語高座「大山詣り」、ご当地道中もので盛り上げてくれたのだった。
 はじめて茅ヶ崎でこの舞台を見て以来、次が昨年の町田市民ホールときて今回は三度目、ニット帽にスニーカー姿のキン・シオタニと着物姿の晴の輔師匠が、その土地土地の生きた魅力とトピックスを的確に切れ味鋭く俎上にのっけて、旅人視点からおおいに楽しませてくれる。

 終演後、せっかくなので地名縁の伊勢原大神宮まで歩いて訪れてみた。江戸時代のはじめ、開拓地として人が棲みつくうちに、その土地の鎮守として伊勢の国より勧請され奉ったことから、ここが「伊勢原」と呼ばれるようになったそうで、そのルーツの社なのだ。
境内には神木の大楠をはさんで外宮と内宮が並んでたち、天照大御神と豊受姫大神が祀られているのだから、お伊勢様とまったく同じ、境内には神宮遥拝所もあり初めてのときはびっくりした。
 ここから駅までの大通りは大山街道のひとつ、古くからの商店街であってちらほらと気になる老舗も点在している。のどかなローカルタウンで、すぐさきに大山を望み時間の流れがゆったりとしているように感じられる。
 しばらく歩いた農協の物産販売所でようやくみつけた、地元大山山麓子易の特産「おおやま菜漬け」を買って帰る。今年は不作で生産量が少ないと聞いていたのできょうはラッキー、野趣あふれるの地野菜のからし菜を塩漬けしたもので、ピリリときてこの寒さの季節になると食べたくなるのである。


聖と俗もあわせての現代風景、国道246号沿いのレストランから大山を仰ぎ見る。(2018/02/11)


都心皇居桜田堀から始まる246号大山街道はこの地点が都心から55km!

平成三十戊戌年、空は青く見通しの良い年に

2018年01月12日 | 日記
 新年があけてからは、澄んできりりと冷えた空気を浄化するようにくっりと青空が広がっている。この季節、こちらが晴れていれば、日本海側は寒波で大雪の苦難の日々だ。
 このところは目覚めてしばらくすると東方がうっすらと輝きだし、七時ごろにはみるみる明るくなってきて、やがて朝日の光に中庭のケヤキの梢がマンションの壁をスクリーンにして、大きく広がった枝々の影を映し出していた。すまいの近くの公園脇に残された雑木林へ、咲きだしたばかりのスイセンを花束にしようと出かける。一面に熊笹の茂る斜面をかけあがって高台にでれば公園のグランドとマンション越しに、群青色の丹沢大山の山並みが連なっている。その連なりの合間にほんの少し、コンニチワといった感じで冠雪の富士山が頂をのぞかせていた。
 すこし背筋を伸ばして深呼吸をする。明るい陽光に映えて、黄色い盃を抱いた水仙の香しい花々と新春の霊峰不二の取り合わせは、なかなかいいものだと思った。その花束は住まい玄関に生けて、地元の鈴鹿明神社でいただいた戌歳縁起の陶器物とならべて飾っている。

 年末年始にかけては、二冊新書を読んですごした。その一冊目は、建築史家井上章一氏による「京都ぎらい 官能編」、ベストセラーの続編である。師走初旬、京都へ二泊三日の旅をしていたこともあり、店頭で派手な帯言葉が踊る平置き本を見かけて、すぐに手に取る。いわゆる柳の下の二匹目のドジョウものだが、ややお遊びがすぎている感もある反面、異色の京都の歴史文学と都市論になっていてなかなか愉しい。井上氏は1955年嵯峨野生まれだから世代がちかい。ひろく名が知られることになった「つくられた桂離宮神話」は、来日したブルーノ・タウトの権威をひいて、当時の建築学派の面々がいかにして桂離宮を日本建築の清華として崇めていったかを自明のものとしていて、そのユニークな日本文化論にいたく喝采をした記憶がある。
 今回もまた本書を読んでいるうちに、嵐山や嵯峨野をふたたび訪れてみたくさせられる。元祖アンノン族、ディスカバージャパンの掛け声にのった京都観光の側面、渚ゆう子やデューク・エイセスによって歌われた歌謡曲の中に描かれた大衆における京都幻想の考察など、笑いながらもうなずいてしまうこと多し。渚ゆう子の「京都の恋」「京都慕情」はともに1970年、作詞は「サザエさん」の林春生、作曲がなんとベンチャーズというのがユニークであり、うまく日本人心性における京都イメージのツボを押さえつつも、不思議とエキゾチックに聴こえる。
 最後はいささか尻切れトンボの感がありだが、これは何よりも京都の田舎人を自認する著者自身の青春回想録でもあると思えばすんなり納得するだろう。

 もう一冊は、赤瀬川原平「千利休 無言の前衛」(岩波新書)。読み通したのは、2014年金沢行きの後以来、通算四度目になる。何度繰り返し読んでも、お茶をめぐる世界とその中心の利休を語って無意識の世界を覗き込むような、そのたびに新しい発見がある。とても不思議な本だ。
 何よりも楕円の茶室という着想がおもしろいが、ふたつの中心が等距離に描く軌跡の世界の中に無限の宇宙が想像されることが赤瀬川さんならではの発想、直観だと思った。利休にデュシャン、路上観察トマソン物件が結びつき、建築家の原広司、美術家の河原温、パウル・クレーの名がでてきてスリリングである。利休とデュシャンの対比について、杉本博司氏も同様に語っているのは、まったくの偶然ではないだろう。侘び寂びとシュールリアリズムがつながり、建築において桂離宮はモダニズムのさきがけとして位置づけられる。もちろん、利休となれば京都山崎の妙喜庵の茶室待庵との対面エピソードもでてきて、著者の描くイラストも掲載されているので、先月にそこに身を運んだ体験をもったばかりの身としては、思わずうなってしまう。
 なにげない古新聞包みの安らぎのエピソードも、おやっと思わせて、その行為の底にあるのは「不安を優しく包んだリズムなのだ」という心情にうなずく。この本の結びは「他力の思想」である。おのれが人事をつくしたあとは「自然に身を預けて」あるがままにということか。本文の最後は、つぎの文章でひとまず終わっている。
 
 “偶然も無意識も、それは自然が成すことである。それに添って歩くことは、自然に体を預けることだ。他力思想とは、そうやって自分を自然の中に預けて自然大に拡大しながら、人間を超えようとすることではないかと思う。私もそうやって拡大した自分の体の自然の中で、拡大した利休に出合ったのだった。”

 このあとに短いあとがきがあって、その日づけが 1989.12.19 とあり、著者52歳の冬のこと。言葉と意識、偶然と無意識、そして人智をこえたところの自然。

(2018.01.07書出し、01.12初校)

オリオン座三連星、ラ・コリーナのこと

2017年11月12日 | 日記
 立冬がすぎて木枯らしの吹く中、いっそう日暮れの早さを感じる今日この頃である。昨夜、仕事で遅くなり家路に急いで向かう途中、ふと見上げた夜空には冴え冴えといくつかの星が輝いている。その東の空の方向に、この季節はじめてのオリオン座三連星を見つけた。毎年十一月に入って夜の冷え込みが増してくるこの時期に、この星座を見上げるたびにそうか、もうそんな季節になったんだとしみじみ思う。だからこの日の夜は、ことしのオリオン座三連星天体観測記念日ということにしようか。

 そしてきょうはよく晴れた青空のもと、都内北区赤羽まででかける。公営住宅建て替えのため、この秋に引っ越ししたばかりの叔母の新居を訪問することにしていたからで、新宿までまっすぐ出るのはすいぶんと久しぶりだ。相模大野から小田急線の快速急行に乗リ合わせ、午前十時前には新宿に到着。改札をでてすぐ、しばらくの間デパートの開店を待つ。やがてエスカレータが動きだし、地階の食品売り場へと移動する。まったく都会とは便利にできているものだ。日曜日だからか開店早々の売り場は早くも来場の人々でにぎわって華々しい。
 まずは、手土産にカステラと日本茶を買い求める。それぞれ長崎と京都の老舗、まあお祝いだからすこし日常から飛躍した、ささやかな高揚感をあたえてくれるものがいいという消費者心理をくすぐる都市装置がデパートという空間だと実感する。
 それからすこし歩きすすんだ一番奥には、滋賀県近江八幡の老舗和菓子屋「たねや」のショーケースが目に入る。季節柄、栗を材料としたきんとん、羊羹、どらやきなど価格はそれなりのものだが、洗練されたしつらえと包装デザインがおいしさをひきたてている。ここでは、和菓子の味覚は素材に季節感と雰囲気が決定的に大事な要素なのだと教えてくれている。

 一昨年その近江八幡にある、たねやグループのフラッグショップ「ラ・コリーナ近江八幡」を訪れたことを憶い出す。駅からしばらくバスにのっていった、八幡山と呼ばれるたおやかな丘のふもとにひろがる北之庄町の広大な敷地に、そのユニークな横長の草屋根をのせた白壁の外観をみせていた。緑の屋根のかたちは、背景の八幡山の風景の連なりと呼応し、そこに溶け込んでいるかのようで、実物の建物をみるのは初めてなのに不思議と懐かしい感情を抱かせる。縄文あたりか中世中東にある砦を彷彿とさせるような、あのフジモリ建築の魅力全開である。

 わたしが三十年ほど前、W.M.ヴォーリズの残した建築を目にするため、はじめてこの地を訪れた時、ここは滋賀厚生年金休暇センターと呼ばれた公共の宿泊とスポーツ施設があって、敷地面積は12万平方メートルもあったという。そのときに宿泊した記憶は、いまでも周囲の外溝や生け垣にかすかな片鱗として残っているように見えた。その先には、いまもヴォーリズ記念病院と小さな教会堂が健在で、こちらの新旧のたたずまいもひたすら懐かしかった。
 そのセンター施設は、今世紀に入ってからの行政改革のあおりであえなく廃止、その後の紆余曲折をへて、ほぼ全域が現在のたねやグループの所有となったわけだ。かつてのヴォーリズが目にした当時は、水田を中心にのどかな里山の風景が拡がっていたと思われるから、ラ・コリーナが目指そうとしている姿は、もともとこの地にあった風土の遺伝子を内包して、大地に潜んでいた種子が発芽し、成長しているかのように思えるのだ。

 日曜日、新宿駅すぐのデパートの地下食品売場を巡る中で、そして赤羽から帰ってきてこうしてパソコンに向かいながら、さまざまな思い出が浮かびあがってくる。また、琵琶湖周辺と近江八幡を訪れてみたい。

霜降前、碧空が恋しい

2017年10月22日 | 日記
 季節外れの台風21号が近づいている影響で、きょうも目覚めのときからの雨が降りつづく。今朝、起きてからの話題は、やはりきょうが投票日の国政選挙についてひとしきり。

 昨日の出がけ途中、まほろ駅前街頭で現職都知事が代表を務める政党が午後からの演説会を行う準備中だった。そのスタッフが選挙ビラを配っていたのを受け取り持ち帰っていたままだったので、その紙面をあらためて眺めてみる。
 緑色がシンボルカラーのこの政党、女性党首が広告塔であちこち顔を売っている活躍ぶり、中間層有権者へのアピールと比例代表得票にかけているのだろう、顔写真が掲載されたそのビラのレイアウト・配色は目につきやすくて効果的、最後に黒と赤文字が効果的に使われている。盛られた公約の表現は周到に練られているようでソツがなくツルリとして、どこかのよそ事のようにも読める。そして現政権への直接的な批判は、巧妙にカモフラージュされている。その真意や是非はともかく、総体として聴こえがよくわかりやすいことは確かだ。はたして、この政党は信頼に価するのだろうか。
 リビングのテーブルのうえにはもうひとつ、選挙PRハガキが届いていた。こちらも表面は緑がイメージカラーとなっていて「くらしを支え、いのちを守る〇〇党」とあり、裏面をみると赤色文字で「憲法を活かす政治 比例区は〇〇党」と書かれていて、現党首は男性のはずなのだがにこやかに前代表の女性の姿が映っていた。党名は黄色の大きな太ゴシックで目立つ。こちらは、印象としてはずっとストレートな表現でオーソドックスではある。
 いまの社会、暮らしに閉塞感を感じて暮らしているひとが大部分だろうと思う。さて、今回与えらえた状況のなかで大きな転換期とはいかなくとも、よりまっとうな現実としての政治を選択するためにはどうしたものだろう。

 食事を早めにすませたあと、車で投票所まで行き、家族で投票をすませたあと、アルバイトにでかける娘をちかくの駅まで送る。これから、雨はひどくなっていくようで明日まで続く。この二日間はお休みだから、ゆっくり読書の続きをして、明日の午後は週末の帰省の準備にあてよう。

 ふたたび家に戻ってから、初冬の関西行きのことについてあれこれ考えてみることにした。
 
 まずは旅程と宿泊先の予約だけれど、京都大山崎町にある聴竹居と大山崎美術館を訪れるのがおおきな目的のひとつ、それから都ホテル別館佳水園と井上武吉の作庭による“哲学の庭”への再訪、その幾何学的に構成された姿の再確認だ。
 昭和三十五年に竣工した佳水園全体が、小川白楊による自然石に琵琶湖疏水からの流水を配した庭園と、村野藤吾による近代数寄屋建築および庭園のコラボレーションなら、人工池に滝を配した近代彫刻のような“哲学の庭”は、井上と村野建築の静かな極上の対峙空間である。
 聴竹居の見学のほうは、土曜がお休みなので翌日の日曜午前の時間帯を予約することにした。そうすると二泊三日の旅は、初日早めに大津に着いて荷物を解いた後に、すぐ前のなぎさ公園をぶらぶら歩きしながら大津港までいって、井上武吉の遺作「水面への回廊 琵琶湖」を眺めてから、その足で前回行けなかった三井寺までいってみようと思う。
 それのあと、こんどは京阪電車で蹴上に移動して、東山都ホテル周辺から岡崎、円山公園周辺をじっくり巡ろうか。それから四条通へ、ここで立ち寄りたい個人美術館、何必館がある。
 ふたたび電車で大津へ戻ったら、琵琶湖畔のすぐ前の宿で湖面に映る夜景のゆらめきを眺めながら、あとうはもうひたすらゆっくりと過ごせばいい。

 二日目の朝目覚めたら、朝の光で比叡山方向がしだいに白み始めて、やがて淡海の名にふさわしく、よせる波のない静かな湖面の水面に蒼く澄んだ姿が映し出されるまで、その風景をあきることなく眺めていよう。
 お昼前、大津から東海道線で京都をすぎて天王山のふもと、大山崎町へと移動する。まずは駅前すぐの妙喜庵茶室と、坂道を上って大山崎美術館をおとずれよう。民芸運動の余韻を残す室内の調度、しつらえと睡蓮を描いたモネの絵画が飾られた安藤忠雄によるコンクリート建築地中空間の取り合わせ、ここの二階のベランダからの雄大な淀川方面の眺めが楽しみ。
 
 最終日には、いよいよ数年越しの念願、近代和風モダニズム建築の傑作“聴竹居”へ初訪問だ。もうイロハモミジの紅葉はすっかり散ってしまっているだろうが、手前のドウダンツツジのほうは赤い葉っぱが残っているかもしれない。
 いずれにしても素顔のままの藤井厚二建築との対面ということになるだろうから、ほんとうに楽しみ。ここからは、いまも淀川や対岸の大パノラマ風景は眺められるのだろうか。

 
 庭先のサンシュユが赤い実をつけた。アキグミ、アキサンゴとも呼ばれる。(2017.10.21撮影)




小田原城は小雨降り

2017年09月16日 | 日記
 週末の朝、台風の影響で雨が降り出していた。小雨降りのうちに小田原まで出かけることにして、家をでたのが九時過ぎ。小田急江ノ島線で藤沢乗換え、JR東海道線で相模湾沿いを一路、西方へと移動する。途中相模川の鉄橋を渡り、大磯の手前あたりから高麗山、湘南平と続く緑がグンと迫ってきて、海と山の距離が近くなってくる。二宮、国府津、鴨宮と過ぎて酒匂川手前あたりからは新幹線と並行して走り、このあたり小田原市街が近くなる。アマゾンの巨大な物流倉庫が川べりのすぐ脇、旧日本たばこ工場跡地に見えている。インターネットで注文した品物は、ここから届けられるのかと思うとちょっとため息が出る。

 小田原駅北口を出るとおなじみの二宮金次郎像、その右手の先に小雨に降られた小田原城が見える。雨の城下町風情、すこし湿った懐かしい匂い、新しくなった天守閣もしっとりとしていいものだ。お堀端通りを歩いて市民会館へ向かう。この通りを歩きながら、故郷高田城のお濠端の眺めを想い出していた。現在に見る小田原城を築き、小田原藩政を確立したといわれる稲葉氏は、1685年に越後高田藩主に転封されているから、両市は歴史的なつながりがあるとうれしく思う。

 午前11時すぎ、市民会館食堂で早目の昼食をとってから、新市民ホール整備プロポーザル公開プレゼンテーション会場へ入ると、最後の事業者提案の最中だった。この新市民ホールの整備計画は二転三転として、ようやく実施設計までいったものの、建設工事入札が不調におわり、振りだしに戻ったかたちとなっていた。こんどは、設計・施工一括発注方式へ仕切り直しての公募提案で、規模は異なるがあの新国立競技場と似たような経緯を辿ってしまっている。はたして今後どうなるのか、立地計画地が小田原城を正面にのぞむお堀端に面した三の丸地区という一等地だけに、広場的要素も備えた周囲の景観と調和した城下町のにぎわいと活性化に寄与する文化ホール施設となってほしいものだ。

 会館を出て駅前通りを、唐破風に瓦屋根が豪勢な割烹「だるま」の先まで歩く。探していた「平井書店」はすっきりとした構え、広々とした売場の地元老舗書店だった。入口の平台には、店長の見識なのか、南方熊楠MOOKと関連した文庫・書籍がおかれていて、いいぞこれはと、一瞬期待が高まる。
 ここで小田原を舞台としている村上春樹「騎士団長殺し」がどのように置かれているのか、興味があったのだ。しばらく店内を探すと見つかったが、書棚に上下二冊のみで、平置きではなく、ポップ書きもなしというシンプルさである。いたって普通、少々肩すかし、でもまあご当地の関心はこんなものか。小田原関連本も意外に少ないのではないか、もうすこし町の文化センター的店舗を期待していたのに残念、立地はいいのでカフェなどを併設して引き続きがんばってほしいな。

 まち中の建物のあいだに城郭遺構の土塁が残っていて、通り抜けられるようになっている。土塁には曼珠沙華の赤い鮮やかな花がいくつも咲いている。そこを歩いて、ふたたびお堀端から天守閣をまわりこみ、かなりの年季をへた中央図書館で、入生田にアトリエを構えた画家井上三綱(1899-1981)の画集と資料を探す。小田原関係者のなかでは、ひそかにあの雨田具彦のモデルと目される、いまとなっては一般には忘れられてしまった福岡八女出身の画家である。小田原では酒匂尋常小学校で美術を教えていたこともあり、戦後箱根湯本早雲寺から入生田に移り住んだとある。記録には、帝国ホテルでベン・シャーンと対談したり、イサム・ノグチの来訪も受けたことがあったとあるから、それなりに高名な画家であったようだ。
 その作風は具象から抽象へと変遷しているけれども、そのデッサン力は確かで、馬や牛を描いたものはどこかラスコー洞窟の壁画を思い起こさせるし、天平時代の美人を描いた肖像画もあって、どこかミステリアスな感じがする。もうすこし全貌が知れたらいいが状況から想像するに、まあ雨田具彦のモデルといっても、著者に真偽の確認の必要もないだろうから許容の範囲だろうか。これまた昭和の香りの濃厚な古びた隣接の郷土文化館で、平成24年8月開催特別展の図録を求める。
 
 郷土文化館をでた西側堀には、咲き終わったハスの実が茶色に枯れて幾本も立ちすくんでいた。夏の極楽浄土世界から、いまは秋枯れの侘しい情景である。ああ、栄枯盛衰、いろはにほへどちりぬるは。
 ここから、報徳二宮神社はすぐで、境内の「きんじろうカフェ」で片浦レモンサイダーを飲んでひと休み、天守閣を右手に見ながら、レトロなこども遊園地の脇を通って駅まで戻り、小田急線改札前の土産物屋で箱根ちもと「湯もち」と小田原銘菓「ういろう」を買って帰ることにする。
 
 小田原駅をでて蛍田、栢山あたりにくると両側にはあたり一面に黄金色の稲穂が実って広がっていく。ああ、懐かしくて心安らぐ風景、また何度も来よう、のんびりとこの城下まちに面影さがしと散歩しに。


 報徳二宮神社“きんじろうカフェ”から、雨空の小田原城天守閣を望む

 お彼岸近し、幸田門まえの土塁に咲く (2017/09/16 初校・撮影、09/17改定)

文学館・美術館と版画工房めぐり

2017年06月21日 | 日記
 ようやく、という感じで梅雨らしい空模様となった休日の午前、大学生の娘のパソコンを購入するため、親子三人そろって車に乗り、となり町の大型家電店へでかける。
 国道16号線を超えてしばらく下り、新しくできたスーパーマーケットをすこし先に進むと、ターミナル駅に隣接した大型家電店だ。ここの立体駐車場への連絡通路は、ループ状となっていてグルグル旋回して昇っていく。パソコン売り場のなかでも良く目立つアップル社製品展示コーナーで、さっそく若いスタッフがさりげなく説明をしてくれる。いまの若者のお目当てはやっぱりアップル、娘は少し考えてから、もっともベーシックな「マックブック・エア」を選び、いっしょに携帯用カバーと周辺アクセサリを購入する。ほう、これでもってめでたく我が家にもアップルPC、娘のおかげで我が家のパソコンも三台目でようやく世間並み?になったみたい。
 お昼、その大学生のご希望でお気に入りのラーメン屋へ行き、すこし並んで待ち、看板メニューの鳥肉入り塩ラーメンをいただく。わたしたち二人組はカフェでひと休みすることにして、娘は約束があるらしく、ここでお別れ。

 いったん家に戻ってから、前から行こうと思っていた展覧会のハシゴをするため、ひとり車を走らせる。雨が降り出してきた中、市街地のはずれにある公園入口脇に車を止めて、まほろ市民文学館「ことばらんど」で開催中の『本の雑誌 厄よけ展』へ。ことし創刊42周年を迎えたユニークな書評誌の草分け「本の雑誌」の歩みとそこをめぐる様々な有名無名人物ネットワーク模様が紹介されている。
 思い起こせば学生時代に本屋で時々手にしたことがあった気になる雑誌のひとつで、編集長の椎名誠は知られているけれど、ヘタウマ表紙絵を描いていたイラストレーターと発行人がまほろ在住ということで実現した展覧会、毎年話題になる本屋大賞の事務局がこの本の雑誌社というのも初めて知った。当時はユニークすぎてあまり深入りすることもなく過ぎてしまい、すっかり忘れてしまっていた。そのことを我ながら残念に思ったけれど、こんなところで再び出会うなんてね。

 傘を差しながら公園入口まで戻り、雨に濡れた森の小道をくだって、横尾忠則「HANGA JUNGLE」展を開催中の版画美術館へ到着。なにやら入口に人だかりがあって混雑しているので、さて講演会でもあったのかなと思っていると、ご本人のサイン会が終了したばかりだった。エントランスの垂れ幕には極彩色のポップな絵柄がこれでもかというばかりに並ぶ。このエネルギー、今の自分に受け止めきれるかなあと思いながらも、半分わいもの見たさ?で館内をめぐる。
 
 途中に黒暖簾が下がったコーナーがあり、アダルトグッズかアダルトビデオコーナーみたいだなと思って入ると、まさに性風俗ショットをポップなシルクスクリーンの手法で写し取ったもの。入口の暖簾の片方が微妙にめくられて、ちらりと中を覗いて見れるようになっているのが妙におかしかった。これがもし意図なくて行われていたとしたら、皮肉ともいえるそのあまりに素直な欲望の誘導に拍手を贈りたいし、意図されているとしたら、そのパロディまがいの凡庸さにため息がでる。
 ここの一連の作品は、男女が絡まる画像のリアルな生々しさが消えてしまって、浮世絵の春画のように情感あふれる精緻さとも異なり、表情なしに本能を謳歌する性愛の記号となっている。

 さて、帰ろうかと思って入口に戻ると背中の方向から呼び止められる。その思わぬ声の主は、美術作家のMさん、ここの市民ギャラリー展示会に作品を提供しているとのこと。それではと拝見すると、一点はブルーのプリント紙篇のコラージュ、もう一点が思い出せないのは、Mさんの明晰な創作話に聴き入ってしまたからだろうか。その創作過程のエピソードは生き生きと豊かであって、元気な生命力をあたえてくれるかのようだ。
 しばらくして美術館を後にして、木々の緑あるれる小路をめぐりながらの近況よもやま話は続き、公園脇に停めたグリーンデミオまで戻る。ご自宅の最寄り駅までお送りする途中、この機会にぜひとのことで、版画工房KAWARABOへはじめて立ち寄り、プレス機の並ぶ工房を見学させてもらう。インクの匂いがする独特の空間、ここから様々な版画プリントが生まれていく様子を想像してみるのは楽しい。壁にかけられた展示チラシ、棚の工具類やオブジェなど眺めているだけで、モノが自然と語り出すような想像力が刺激されて不思議な気がした。

 ふたたび駅まで向かう車中の話、Mさんは今月下旬に京都へ行かれるという。行きつけのレストランに作品を展示してもらおうしている話や京都暮らしの娘さんのフランス行きの話、その間猫との留守番役をするために京都へおでかけすると伺って、その気兼ねなさがうらやましくなった。
 駅近くでお別れする前に、その娘さんがフランスの友人へプレゼントするために依頼され制作した、絵巻ものと和紙折りの作品をそっと見せていただく。そこには墨で般若心経の文字と数羽の行き来した雀の姿が描かれていた。心経の文字が宇宙の真理を表わしているかのよう、雀は自然の世界そのものだろう。はたしてフランス人にはどのように映るのだろうか。 

穏やかで平凡な休日がいい

2017年06月14日 | 日記
 ウイークデーの中日にあたる振替休日は、さわやかな陽光で晴れ晴れとして気持ちのいい朝となった。こんな日はゆったりと気分よく過ごそう。目覚めに野菜ジュース、そしてオープンサンドの朝食、あたたかい緑茶をいただく。

 きょうは、午前中の通院と夕方の歯科検診の予定がある。その間は何をしてもいい自由時間だから、久しぶりに車を運転して、お昼はどこかで外食をとり、すこし離れた展望塔のある大きな公園へ行こう。そう決めて、これから目を通したい本と見たい映画情報について確認をすることに。
 インターネットで平凡社からでているコロナブックスのシリーズ、二年前に出版された「聴竹居 藤井厚二の木造モダニズム建築」を探す。京都と大阪の境目、大山崎町の丘の中腹の森の中にある。かつてすぐ近くまで辿り着きながらも眺めてみることが叶わなかった住宅建築、その立地そのものが大変に展望が開けて素晴らしい。入ることのできなかった大広間のガラス窓からの眺めはすばらしいだろう。いつかふたたび訪れて中に入ってみたいと思っているけれど、すぐには難しそうだ。まずはそのたたずまいと空間を本で確認をしておきたいと思う。
 ついでながら眺めると、このコロナシリーズ、内外の旅への誘い、日本歳時記や重森三玲、茨木のり子、パウル・クレーを巡る冊子など、ほかにもなかなか魅力的なタイトルが並ぶ。きっといつか手に取ることになるだろう。本の世界の次は「午前十時の映画祭」の上映予定ラインナップを確認して、見たい作品をピックアップ、今後のスケジュールの見当をつける。これからの梅雨の時期の午前中のお楽しみの過ごし方になるだろう。

 予約時間が近くなったので、読みかけの本「奇跡の自然 三浦半島小網代の谷を“流域思考”で守る」を持ってちかくの病院へ、待合い時間中に目を通す。受診後にいったん支度に戻ってから車で移動して公園とむかう途中、お目当てのオリエンタルレストランへ。お店の前の駐車スペースはいっぱい、それではと迂回して反対側の駐車場へ入れるために前を通りかかると様子がいつもと違う。なんとそのレストランは閉店してしまっていて、別のお店に変わっていたのだった。ベトナム・タイ料理のメニューはもちろん、インテリアもスタッフの接客も丁寧、お気に入りで何度も通ったレストランだったのに、なんとまあ、茫然自失とはこのことだろうか。行きつけのお店が移転ではなく無くなってしまうのは、本当に哀しい思いがする。

 しばらく郊外へ走って公園へ到着。駐車場を進んでいくと同じデミオグリーンが停まっていて、そのすぐ横がちょうど空いている。並んで停めて車のエンジンをきる。同じ相模ナンバーで、番号四ケタの並びも三ケタまでいっしょ、こんなおもしろい偶然もあるものだ。
 公園の緑陰広場ベンチで、アイスカフェを飲みながらさきの読書の続き。ひんやりとした空気、周囲の紫陽花が色づいて見ごろとなっている。しばらく読み進めるうちに、久しく訪れていない小網代の森と干潟の自然にまた触れてみたくなった。
 せっかくなので公園を横切る水道みちを三百メートルほど歩いて、水無月園と呼ばれている花ショウブ田圃を眺めにいく。ちょうど見頃の時期を迎えていてあたり一面の紫、白、そしてすこしの黄色の花々。たしかに見事ではあるけれど、年々ほころびが目につきだしているのが残念だ。何事も日頃の手入れが大事なのはいっしょで、せめて開花の時期、田圃の給水だけでも行き届かないものかと願う。

 夕方、戻っての一年ぶりの歯科検診、歯石をとってもらいすっきり。終わって向かいの陶器店に立ち寄り、いつも見かける老主人とさりげない話をしながら、すこし深めの飯茶碗ひとつと瀬戸焼の湯のみをふたつ求める。地元商店での陶器買いはほんとうに久しぶりだ。この小さな商店街も代替わりしてテナント貸しが増えてそのまま商売を続けているのは、こちらの陶器店と日本茶専門店、靴屋に畳屋、少し離れた和菓子、八百屋くらいだろうか。お隣の南林間が本店の欧風菓子クドウは学生時代からのおなじみで健在だ。いついっても気持ちが良くて上品な店内の雰囲気、ケーキならここだ。


もとめた湯飲み茶碗、有田焼の粉引仕上げ


 帰り道、踏切を渡って病院の裏手を通るとそこはぐるり無粋なフェンスで囲まれ、敷地内の豊かだった木々はすっかり伐採、整地されてしまって、まもなく高層マンションの建設がはじまろうとしている。はりつくように新しい小さな提供公園が整備されて、そこには名残りの桜とケヤキの大木がそれぞれ一本づつ残されいた。
 ここも大きく変わってしまって、変わらぬものは一直線に伸びる小田急線線路(昭和4年開通)と水道みち(明治20年導水)の新旧ライフラインか。その「よこはま水道みち」は、このさきの旧津久井郡の道志川まで伸びる。

 この季節、陽は長くなってもう夕方六時になろうとするのにまだ空は明るい。
 

時の記念日とスローライフ

2017年06月10日 | 日記
 水無月十日は「時の記念日」。前日の九日の仕事帰りに見上げた南の空の方向は雲が切れていて、くっきりとした満月が望めた。その月明かりは、翌日のからりと晴れた暑い一日への予兆だった。時の記念日にまつわるエピソードをしらべてみたら、制定は意外と新しく1920年の大正時代のこと、文部省国立天文台の旗振りで、日本書紀の中の天智天皇にかかわる水時計の記述にもとづいて定められたのだそうだ。たしかに天文学と時の流れには結びつきがあるよなあ。

 この日と重なる今年で22回目のメモリアルデーは、梅雨の合間にからりと晴れた気持ちのよい真夏日の一日となった。何をして過ごそうかと昼前、思い立ってささやかな昼食会と映画を見に行くことにした。自宅から続く緑道の木陰を自転車で走るときに、さわやかな風が流れていくのを感じる。つきみ野駅近くの蕎麦屋へ到着、ここは店名「ほりのうち」にあるように、経営者が新潟ゆかりのお店だ。入口の壁面には、淡い青緑色の大谷石が貼られていて、ガラス窓には簾が下がり、落ち着いた雰囲気の店内。中央には電動の石臼が回っていて、その場でそば粉をひいている様子を小さい子供が「がんばれー、かんばれ」といいながら眺めている。ふたりでかき揚と天ぷら盛り合わせに蕎麦の昼食をいただく。蕎麦は冷たくほんのりと青緑色に締まっていて、さきほどの大谷石の色を連想させるのがいい。お会計はちょうどの三千円なり。ささやかな記念の会食のひととき、いまの身の程に見合っている。

 ふたたび、自転車で五分のショッピングセンター内映画館へ。ちょうどここで上映中の「ターシャ・チューダー 静かな水の物語」(2017年、配給:KADOKWAWA)を見る。絵本作家として知られるターシャへの10年間の取材をもとに、とても丁寧に作られた映像詩のようなドキュメンタリーである。昨年は、ターシャの生誕101年目にあたり、まほろデパート催事場での巡回展覧会が開催されているのを見ることができた。そこではじめてその名を知り、彼女の確固とした生き方と旧くて新しい暮らしぶりにいたく興味を抱かされたのだ。どこか郷愁を誘うようなまっとうな田舎暮らし、それは私自身の田舎の小さいころの暮らしを思い出させるところがあったからだろう。

 スクリーンいっぱいに映し出されるのは、アメリカバーモンド州の山奥にある平屋建て木造民家の周囲にあふれる豊かな緑の木々と花花の風景。18世紀築の友人宅を模したという家のたたずまいは美しく、その家屋の庭園は野草と園芸植物が適度にまじりあって、とても満ち足りた豊かな生活感があふれていた。新鮮な食材で作られた食事、完熟したリンゴを絞って流れだすジュース、蜜蝋に浸してつくる天然ローソク作り、クリスマスのしつらえ、暖炉の前で手作りの人形によるマリオネット劇場を楽しむファミリーの姿。そこに添えられた音楽は、繊細かつ控えめであり、映像をいっそうひきたたせる。
 劇中、ターシャの生い立ちが紹介される中で、H.D.ソロー(1817.7.12-1862.5.6)のことばが引用されていて、ああなるほどねって感じ入ってしまった。やはり、このふたりの生き方には時代を超えて共鳴し合うものがあると思っていた。つぎのソローのことばは、自然に寄り添って暮らしたターシャにこそふさわしい。

 「この広い花園を歩き、自然の穏やかな力と荘厳なもろもろの啓示を深く感受するために」
 
 ターシャの父親がマルチな才能を発揮するヨット・船舶・飛行機などの製造技師で、母親は「肖像画家」というのもおもしろい。その遺伝子は、絵本作家としての才能として受け継がれていっただろうし、なによりもターシャの暮らし方そのものが真実であり、創造性にあふれていた。彼女が“サイレント・ウオーター教”と呼んだその生き方の信条は「静かな水のように穏やかであること。周りに流されず自分の早さで進むこと。」

 人生は短いのだから自分のこころの真実の声に耳を澄ませ、良く考えて選択をし、人生を存分に楽しむことが大切と。ターシャは問いかける、「忙しすぎて(余裕を失い)こころが迷子になっていない?」って。


 
 ミミズク対談はここで行われた? 大磯鴫立庵のちかくで。

みみずくは黄昏に飛び立ち、夜明け前に舞い戻る

2017年05月30日 | 日記
 五月晴れの一日。ここしばらく気になっているいくつかのことについて記そう。

 まずは、ムラカミハルキ氏の新作長編小説について。
 
 冒頭、2011年に発生した東日本大震災から数年後の主人公回想から始まる。主人公の私(僕や彼ではなく)は三十六歳のもう若くはない、かといって中年というほどでもない世代の男、本編中最後まで私の姓名は書かれることがない。「顔のない男」とは、じつは主人公あるいはその投影であろう作者自身なのかもしれない。
 その一方、フィックションでありながら小田原や伊豆伊東、都内広尾、四谷、新宿御苑といった実在の地名が登場する。その地名はたしかに現実とまったく無関係というわけではなく、作者の実体験から出てきたものではあろう。だだし、その地理空間の風景はくわしく記述されることはなく、ひとつの記号として読者の自由な想像にゆだねられているから、各人の現実の地理感覚の程度によって、大きく印象の幅の違いを生じるだろう。実在の地名をおもしろがって深読みになってしまうと本質からはずれてしまうことになるかもしれない。
 
 主人公は、離婚の危機を抱えていて妻から別居を言い渡され、小田原郊外の山の上の一軒家に仮住まいすることになる。そこで様々な不思議なできごとが次々と展開していくなか、例によってさまざまな女性たちが登場し、主人公と出逢いを重ねて、程度の差こそあれ。いとも簡単?に男女関係を結ぶことになる。そんなに世の中、うまくいくのだろうかと疑問を抱かせつつ、まあムラカミワールドであれば予想どおりかもしれない。
 それにしても妻の不倫、ありていにいえば別の男に妻を寝取られてしまい、傷心と喪失感で旅に出るというのに、自分のほうはたちまち複数の女といともたやすく?懇意になってしまうのは、あまりにもご都合主義というか、ムシが良すぎる気もするが、誰にでも可能性はひらかれている。建前だけではすまされない人間心理のありようをそのまま受け入れることにしよう。
 そして普通の友人関係と肌を重ねた男女関係では、心の在り方におおきな違いが生じてくるのはごく自然のこと。そのあたりのきわどいところをたんたんと即物的にあっさりと記述しているところが絶妙であり、かえってそれぞれに生々しくさえ感じられてしまう。

 さまざまな無意識下の象徴と比喩(メタファー)で埋め尽くされた物語。冒頭のペンギンのフィギアがついたストラップ、屋根裏に住みついているみみずくの存在。ペンギンはこれまでも脱力系のユニークな形態から作者のお気に入りであり、冒頭にふと思い浮かんだお守り、守護札のような存在の象徴を担っている。みみずくは夜行性の鳥、深い森の謎解きの象徴かな。

 ユズという名の主人公の妻は、建築事務所で働いている。そんなわけでこんどは建築の話。
 
 この長編を読んでいた前後に、京都府大山崎町にある戦前の木造モダニズム住宅「聴竹居」(1928年)が重要文化財に指定されるというトピックスがあった。
 京都帝大教授だった藤井厚二の設計による和風と幾何学的デザインが調和した現代数寄屋で、環境共生住宅のはしりとされる。なによりもその立地、山中の敷地をとりまく緑の豊かさが素晴らしい。写真では家の正面にイロハモミジが枝を伸ばしていて、秋は素晴らしい眺めだろう。名の通り、竹林を薫風が吹き抜けるのだろうか。建物全体は、通風にはい慮した構造と空間構成になっていて、その機能性がこの住宅の価値を高めているときく。数年前に駅から坂道を上り、入口階段のある途中までいって覗き込んでみたが、残念ながら本体はほとんど見ることができなかった、私にとっては「まぼろしの住宅」であることがいっそうの興味を掻き立てる。
 ここを天皇・皇后両陛下も訪れたことがニュースとなったのは、やはり数年前のこと。環境との調和に配慮された戦前のモダン住宅というあたりに関心をもたれたのだろうか。そのお忍び訪問は、この住宅のステータスを高めたことだろう。

 その天皇陛下は、一週間ほど前にお住まいのある!皇居で恒例の田植え作業、いや儀式だろうか、をなさったそうだ。この大都会のど真ん中で、みずほの国を象徴する行為が今年の春も繰り返されている不思議さ。皇居には田圃があるのだ。
 長靴に開襟シャツ姿でおおよそ八十株を丁寧に植えられたというから、伝統的な農作業とは異なる近代の所作だろう。この田植え作業、少なくとも都が東京に移った明治維新以降のことになるわけで、そもそもそれ以前は行なわれていたのだろうか?どうも、その格好からすると昭和天皇以降のような気がするのだ。

 また、同日皇后さまは、皇居内御養蚕所でカイコに桑の葉を与えておられたのだそうだ。その様子を伝える小さな記事には、つぎのように書かれていた。
「在来種のカイコ約700~800頭に桑の葉を丁寧に載せていき、カイコが葉を食べる音に耳を澄ませた」

 うん、これはひとつのファンタジー、なんてすてきなことだろう。この季節、皇居のひとつの建物のなかでそのかすかな音は、澄ませた耳にどのように聴こえてくるのだろうか。カイコが桑の葉を食べる音に静かに耳を澄ませてみたら、新しい世界がひらけてくることだろう。
 
 もうじき、六月の季節がやってくる。あたりではカエルがさかんに鳴きだし、故郷の田圃では本格的な田植えがはじまる。もう、今年実家に住むひとは戻らず空き家のまま、周囲にはたんぼもないのだけれど、その風景は懐かしくこころの中に沁み渡っている。

初夏新緑、湘南大磯へ

2017年05月26日 | 日記
 平日の昼過ぎ、小田急線で藤沢まで下り、JR東海道線に乗って大磯へ。

 改札を出た駅前ロータリーは、変わらず落ち着いた雰囲気でゆったり広々としていた。ウコン色の三角瓦屋根の駅舎は、ほどのよい品のよさと風格があって、かつての避暑地で別荘地でもあったまちの歴史を感じさせてくれる。
 ここに降り立つのは、昨年十二月初め以来になる。駅前ロータリー正面の丘には、こんもり木々のみどりに覆われたエリザベス・サンダース・ホームの敷地が広がっていて、この東海道沿線にあるまちの印象を特徴づけているものひとつとなっている。かつて三菱財閥岩崎家の別荘地であった地だ。

 まだ、昼食を取っていなかったので、その旧別荘地に沿って右手に緩く下っていった先の鳥料理「杉本」へ歩き出す。そこがまだ営業中なのを確かめ、ほっとした気持ちで店名が染め抜かれた暖簾をくぐる。落ち着いた店先、茶室のようなしつらえの店内は高級すぎることもなく、ふつうの市民がちょっと気の利いたお昼のひと時を過ごすには、うってつけの料理屋なのだ。鶏肉づくしの昼定食を注文し、しばし待つ時間をくつろいで、この地の空気になじんでいく時間を過ごす。この店の娘さんだろうか、ジーンズ姿の若い女性が甲斐甲斐しく注文取りやお茶のサービスに気を配ってくれる。そのポニーテールの髪型に清潔感が漂い、何気ないしぐさと口調に清々しさを感じる。やがて出された料理は、その女性や店内の印象そのままのじつに新鮮で好ましいものだった。

 その店を出てすこし歩けば、国道1号線につきあたる。ここが正真正銘の日本橋から始まる1号線、上下2車線のみちである。その海側にある小さな沢を渡ったさきの木立に囲まれた場所は、西行ゆかりとされる「鴫立庵」で、江戸時代以降は俳諧の道場としていまに名を遺す。
 入口受付には、女性職員が二名いて案内をしている。どうやら、いまはこの建物は町の管理となっているようだ。受付のある茅葺の母屋が道場、さほど広いとは言えない境内には、歴代庵主の俳句碑がところせましと遺されている。それなりの風流さを感じさせはするが、当時の面影からは周囲がかなり変わってきてしまって、庵のほうが戸惑いを隠せない、といったところだろうか。
 
 清流とは言い難い鴫立沢のむこうには、旧樺山邸敷地が相模湾にのぞむように広がっている。かつて白洲正子も幼少の頃、鴫立沢のそばのその祖父宅をよく訪れていたときく。いまは、大手分譲会社がその初期に建設した旧いLマンションとなってしまって、容赦のない時の流れを感じる。おそらく旧邸当時からのものは、海側に回って見える一本の大きなクロマツだけだろうか。初夏の砂地には、ハマヒルガオが薄いピンク色の花々を咲かせていた。
 薄曇りの西湘バイパス側の西方向を眺めば、弧を描いたクロマツの海岸線先に小田原、真鶴方面、そして箱根の山々が望める。この時間帯はもう水蒸気が上がってしまって、富士山はみることができないのは仕方ないが、それでも十分に素晴らしい光景が広がる。
 
 
 ここから、レトロな旧街なかをぬけてふたたび国道1号まで歩く。同志社を創立した新島襄終焉の地(ここ大磯で亡くなっていたなんて!)にこころの中で手を合わせてから、大磯に残された唯一の旅館大内館の敷地内、蔵を改装したレトロな喫茶店でひと休みする。そのカウンターの席に座って、持参した新作長編小説の頁をひらく。その舞台の中心は、このすぐさきの小田原郊外なのだ。その近くで読んでみたいという衝動にかられてここまで来てしまったのかもしれない、まあそれもいいか。作者の村上春樹氏はここ大磯在住、小説刊行後にでたインタヴュー集「みみずく」対談の最終回は、その作者の自宅で行われたとあるから、私の気分はすっかり入れ込んででしまっている。

 蔵の喫茶店をでて、国道を渡って歩くとすぐに真言宗地福寺があり、ここには島崎藤村夫妻の墓がある。案内を確かめると、建築家谷口吉郎の設計、黒御影石の端正な造りだ。このあたりが岩崎別邸の裏手になっていて、旧財閥家の財力の大きさを思い知らされる。ここの裏路の両側はいい感じの石組だ。駅に向かって右手に水色グレーの洋館がみえてくる。そこがいまはレストランの旧山口邸宅、入口とその先の庭園に薔薇が咲き誇る。よくできすぎた風景かもしれないが、大磯の地にはよく似合っている。
 
 夕方近く、駅前に戻ってひとめぐりしたことになる。最後のしめくくりは、駅前の丘の木立に囲まれた沢田美喜記念館で、隠れキリシタンのコレクションを拝見することにした。小高い丘を登っていくと記念館のコンクリート打ち放しのモダンな建物。さほど広くはない展示室には、沈黙のときがながれていた。その二階にあがると。日本聖公会の礼拝堂となっていた。ここは緑の高台の静かな祈りの空間である。時計は午後四時過ぎ、久しぶりの大磯へのお出かけの午後のひとときだった。

 さあ、暗くなる前にまた東海道線にのって、家へ帰ろう。

追記:翌日夜のテレビを見ていたら、冒頭あのウコン色の三角屋根の駅舎の映像。大磯在住の日本唯一の手作りばれん工房「菊英」ご主人の職人仕事ぶりが、フランス人の目を通して紹介されいた。ご夫妻の気取らない姿がとても興味深かった。じつにいろんな人が町には住んでいるものだ。