ひとり言

日記のように、出かけた事や思った事をひとり言で書いてみます。

但馬の古代と天空の城でひとり言

2014年08月12日 | Weblog


3年前に行きそびれた天空の城、竹田城址。今では年間50万人を超える超人気観光スポットになってしまった。平日のドライブでいきなりの誤算、中国自動車の渋滞で市街地から停滞してしまった。昼前に到着予定が、竹田城址の駐車場となる「山城の郷」に着いたのは午後1時を過ぎていた。幸い車は待つこともなく駐車でき、大急ぎで城跡を目指し歩いた。舗装された緩やかな道なので、案内より早くあっという間に大手門に到着した。さっきまで降っていた小雨はあがり、眼下には城下町の竹田市街地が円山川を扇の様にして開けている。丹波、播磨と但馬を結ぶ地理的に重要な戦略ポイントであることがひと目で分かる。和田山JTの方向から、北近畿豊岡自動車道を辿っていくと山の先端に大きな茶スリ山古墳が見える。5世紀前半代の近畿地方最大の円墳で、その大量の出土品からは、当時の大和政権の大王にも強い関係があった「但馬の王」の墓だと言われている。大和政権時代の日本海からのルートや戦国時代の戦略的な要所として朝来地域は但馬で最も重要な地域だったのでしょう。
 今までの旅は、晴れ男の実力で雨にも台風にも負けず晴ればかりだったが、前回大原で「赤いカッパ?」に会ってからすっかり雨に降られている。お陰で、比叡山もこの天空の城も少しモヤって幻想的なしっとりした景色を見せてくれた。
 帰りは、信長の竹田城攻撃のもう一つの目的であった、竹田城管轄の生野銀山に寄った。坑内は常に13°を保っているので、入口に近づいただけで白く冷気が漂いゾックとするぐらい冷たい。総延長は350km以上、深さは880mの深部まで1200年前から掘り続けられた歴史ある銀山だ。坑道を歩くと、ノミ跡も生々しい掘り跡などが見られ過酷な作業だと溜め息が出る。見学が終わり坑内から出てきた時は、すっかり体も冷やされて夏の暑ささえ暖かく感じた。


 最近のニュースで、飛鳥石舞台の近くにあった「都塚古墳」は、ピラミッド型の方墳で高句麗の古墳と類似性がある。また、地域は蘇我氏の本拠地であることから、蘇我稲目の墓と推測されている。元々渡来人との繋がりが強い蘇我氏なので、高句麗出身であってもおかしくはない。
蘇我稲目の父は蘇我高麗(こま)、そして祖父は蘇我韓子(からこ)と言う名前。朝鮮半島との関係が深いと言われても「稲目」ない。