Good News Celebration!

☆田中啓介牧師による礼拝メッセージをお届けしています。

私が生きる理由 ヨハネ14:15-18

2010年07月11日 | Celebration
 私は1995年、今から15年前の夏にイエス様を信じて、クリスチャンとなりました。私がどうしてクリスチャンになったのかと言うお話しの前に、少し私の家族ことをお話させていただきます。

■父親のこと
 子供の頃の父はとても面白い人で、近所の子供たちと一緒に野球をしたり、マラソンをしたり、ドッチボールをしたり、とても人気者でした。父の話しが面白くて、私たち兄弟は、身を乗り出して父の話しを聞いていたものです。ところが、私たちが成長すると共に、面白かったはずの父の話しが、口先だけ、自分の意見がない、世間体ばかりを気にする。家では威張っているのに、人前では何も言えない等々、「面白い父」から、「情けないお父」へと見方が変わって行きました。子供から尊敬されず、見下されると言うのは、父親としてどんなにか寂しかっただろうかと思います。

■弟のこと
 そんな中、弟が13歳の時に登校拒否になりました。引きこもりから家庭内暴力に発展し、そのことで家族は悩み、喧嘩をし、泣きながら何度も話し合いました。そんな弟の状況に対し、母は登校拒否について勉強し、教育委員会などにも足を運び、弟のために必死になって動きました。その一方、父は、母に攻められながらも「うるさい」と言って怒り続け、現実に対応することが出来ないまま、問題から逃げていました。そんな父を、私たちは益々軽蔑しました。私には、父がどれほど苦しく、悲しみの中にいるのかと言うことを、思いやる余裕を持つことは全く出来ませんでした。

■母のこと
 それからと言うもの、母は息子のために、お寺で拝んでもらったり、お墓や土地を清めたり、先祖供養をしたり、霊能者にみてもらったり等々、藁をも掴む気持で、何処へでも飛んで行きました。しかし、そんな母の努力にも関わらず、8年の歳月が過ぎて行きました。母は段々と家にこもりがちになり、息子の前では無理につくった笑顔で、私の前ではいつも泣き顔。そんな母に私はとても悲しい思いをしました。

 母は息子の状況に耐え切れず、サンダル履きに手さげかばん一つで、よく外に出ていました。そんなことを繰り返している内に、ある日母はこう思いました。「私がいたらあの子どんどん悪くなってしまう。国道に出て、ダンプカーが来たら飛び込もう!」と。だけど、国道を歩けどダンプカーは来ません。そして歩きながら手提げの中をふと見ると、教会の伝道集会のチラシが入っていました。そして母はそこへ電話をしました。

 母からの電話を受けたそこの教会の牧師先生は、母の元に直ぐに来てくださり、しかも暫くの間、母を教会で預かってくれることになりました。それで私は、母の着替えとお金を少し、その教会へ持って行くことになり、母の荷物をまとめていますと、母の服は全て私たち娘のお古で、下着はぼろぼろ。こんなものを母は着ていたんだ・・と思うと、私は涙が止まりませんでした。駅の近くで母の下着を何枚か買い、私は母がいる教会まで向いました。


■私のこと
 初めて行った教会は、私の想像とは大きく違った小さな普通の家で、中に入ると、普通のおじさんがなにやらタイプをしていました。そのおじさんが牧師先生でした。私は荷物を置いて直ぐに帰るつもりだったのですが、「よくきたね~」という牧師さんの優しい笑顔に私は引きずられるように中へ入り、私は、自分の家の状況や、私自身の思いなどを、牧師先生に聞かれるままにお話しました。

 私は今まで自分の家族のことで、泣いたり、弱音を吐いたりしたことは一度もありませんでした。だけど、この時だけは、私は笑顔で話しているつもりなのに、涙が溢れ出て、溢れ出て大変でした。私が、「父は弱い人だからということを、母にもっと理解して欲しい」と言う思いを伝えると、牧師先生は、「お母さんも弱くて、誰かに助けてもらいたいんだ。明日、お父さんと一緒に教会へ来れるかい?」と聞かれ、私は「来れると思います!」と答えました。

 そして最後に牧師先生が私の頭に手を置いて祈ってくださいました。人に祈ってもらうのは初めての体験でした。お祈りのはじめから終わりまで、頭の上から足の先に暖かいものがドドーと流れ私の体を電流のように流れました。そして、「もう大丈夫だよ、今まで辛かったね」と、神様から言われたような気がしました。その時、「あ、神様っているんだ」と思ったら、私はその場でワンワンと泣いてしまいました。そして、本当は家の問題で重いはずの心が喜びで満たされ、心が軽くなったのです。それから私は、その教会に通うようになり、イエス様を信じました。イエス様の愛が本物だと分かったからです。

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛して、私たちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があるのです。(Ⅰヨハネ4:10)


■父との和解
 こうして私は、イエス様を信じて自分の内側がどんどん変わって行きました。今までの私は、「ダメな父の代わりに、私がやってあげなければ!」と頑張っていました。それで私は自分は何と良い娘だろうと思っていました。ところが、これは父に対してとても失礼なことでした。娘なのに、父親を尊敬するどころか、見下していたのですから。

 神様はそんな私の捻じ曲がった心に触れてくださり、「あなたのお父さんは、精一杯あなたを愛しているんだよ。あなたのお父さんは、立派じゃないかも知れないけれど、言葉も足らないかも知れないけれど、お父さんは精一杯あなたのことを愛しているんだよ。」と、教えてくださったのです。私がクリスチャンになって、神様が最初に私にしてくださったのは、私と父との和解でした。今私は、父のことが大好きで、娘として父に甘えたい気持ちで一杯です。

 このようなことを通して母が神様と出会い、次に私もイエス様を信じ、妹、そして祖母がイエス様を相次いで信じました。残るのは父と弟だけです。確かに父の悪いところに目を留めると、ため息が出ます。でも、父は未だ神様のことを知らないで生きているのですから、悪い所を攻めても仕方がないのです。

 神様は全ての人間を、目的を持って創られています。私の父も例外ではありません。神様は、父のことをよ~く考えて、背格好から、目の大きさ、口の形、腕のながさ、髪の毛、気質を決めて、この地上に送ってくださったのです。ですから、父の良いところに目を留めるとき、父も神様に如何に愛されているのかが、分かるのです。


■「死」について
 『恋愛講座』と言うミリオンセラーを書かれたジョシュア・ハリスさんのお母さん、ソノ・ハリスさんが、独立記念日に天に召されました。彼女は、日系3世で7人の子供をホームスクールで育てられた、アメリカのホームスクールリング・ムーブメントのパイオニアとして広く用いられた方です。また、彼女の『聖書的女性らしさをいきる』姿勢に多くの方が感銘を受けました。

 その彼女が召天される前に、ご家族と撮った写真を見せていただきました。確かに病気で、お顔は痩せてしまっているのですが、実に希望と愛に満ちたそれは素敵な笑顔でした。彼女は未だ50代半ばで、死ぬ年齢ではありませんし、死ぬことを望まれていたわけではないのに、この希望に満ちた素晴らしい笑顔は、彼女が確かに幸福であったことを実証しています。

 ほぼ、時を同じくして韓国の有名な俳優、パク・ヨンハさんが自殺されました。事情はよく分かりませんが、彼だって死にたかったわけではなかったでしょうが、死を選ばなければならないほどに、苦しい状況の中にいたのだと思います。その時、彼はどんな顔をしていたのでしょう。

 最近私の4歳の娘「すぅチャン」が、『死』についてあれこれ考えるようになってきました。「ママ、すぅちゃん、死にたくない」と泣くのです。私が「すぅちゃん、いつかはすぅちゃんもママもみんな死ぬんだよ。死んでもね、終わりじゃなくて、今度は天国で、幸せに仲良く暮らすんだよ。」と言うと、「ママも死ぬの?ギッフィーちゃんも死ぬの?」と聞いてくると、「すぅちゃん、ママと一緒に天国へ行きたい!」と言います。

 「そうだね~、ママと一緒に行けたらいいね~。でも天国へはイエス様がすぅちゃ~ん、こっちにおいでぇ~と呼ばれて行くんだよ。」すぅちゃんはどのように理解しているのか分かりませんが、そう言われて何となく安心して寝るのです。長女も4歳のときに「死にたくない!」と泣きました。小さい子供は自分中心に勝手気ままに生きていますが、でも、「死にたくない!死ぬのが怖い!」真剣に考えているのです。

 私は親として子供たちに命の大切さ、自分がこの世で生を受けて生かされている意味を、しっかり教えてあげなければならないと切実に思います。何故なら、「死にたくない!」と思っているはずの子供たちが、数年もすると自殺を考え、実際に自殺してしまうという現実があるからです。私は親として、そして大人として、この問題としっかり向き合わなければならないと思っています。


■助けてくれたのはクリスチャン
 私が教会へ通い始めて直ぐの頃、弟がひどく暴れたことがありました。その騒ぎは夜中から明け方に及び、彼は「牧師を呼べ!」と怒鳴りました。私は、夜中の3時に車を飛ばして、牧師先生の家の前まで行きました。真っ暗闇の中、公衆電話から電話をすると、牧師先生が直ぐに支度をして、出て来てくださいました。そして、私と一緒に家まで来てくださり、家の前で私の家のために祈り、弟と穏やかに、しっかり弟の目を見つめながら話してくださった牧師先生のお姿に、私たち家族はどれだけ慰められたか分かりません。

 私の家はずっと「SOS」を出し続けていましたけれど、本当に心配して祈ってくださり、私たちのために駆けつけてくださったのは、神様の愛を知るクリスチャンでした。私はこの愛を忘れることができません。

 今、世の中は「SOS」だらけです。家庭の問題、子供の問題、お金の問題、病気の問題、犯罪、いじめ等々、問題だらけの世の中で私たちは生きています。私の家族のようなケースも決して珍しくはないと思います。私たち家族も、まだまだ問題の中にありますが、誰かが泣いて苦しんでいるのを見て知らないふりはできません。

 私は、まだ神様を知らない方々に、本当の幸福を知っていただくために、神の愛を伝える者として生きて行きたいと願っています。たとえ夜中でも、私を呼ぶ人がいるなら、私は行きます。私たちの家族のために駆けつけて下さった牧師先生のように。私は、人の魂の救いのために、神様に用いていただきたいと思っています。私には神様から与えられた重荷があるからです。吉野家の痛みを、悲劇を、他で繰り返して欲しくないからです。


■人間の創造目的
 神様は私の父のことをよ~く考えて、創ってくださったと申しましたが、勿論、皆さんのことも、神様、よぉ~く考えてお創りになられています。では、神様は何のために人間を創造されたのでしょうか? 聖書にはその理由が、こう書かれてあります。

主を賛美するために民は創造された。(詩篇102:19)

人間が神様を喜び、賛美するために、また神様が私たちを喜び、讃美するために、神様は人間をお創りなられたと言うのです。そして、神様は私たち一人一人に目的を持って、命をお与えになっています。そのことを知らないまま、神様を無視生きておられる方がどれほどおられるでしょうか。

 神様は、天地万物をつくられた私たちの創造主です。この神様の目的に適った生き方をするのか、それとも、この世に於いて自分の価値観、人の価値観、今の流行にとらわれて価値基準が変わっていく行き方をしていくのか、私たちはそのどちらかを選択をしなくてはなりません。


■神様の願いは人間の救い
 クリスチャンになると人間は幸福になります。実際に、神様を信じてからの私はずっと幸せです。確かに人間生きていれば、家族の問題、夫婦の問題、嫁と姑との争い等々。大変なことは色々とありますが、その都度、神様がその問題に介入してくださり、神様の御言葉に耳を向けると、そこには素晴らしい解決があり、そして、いつも希望があるのです。それが神様の約束だからです。

 神様は真実なお方です。この方にどうぞ信頼してください。そうすると、神のルールが見えてきます。神様の秩序が分かります。そして、神様はあなたと人格的に関わってくださり、いつもあなたと共にいるよと約束してくださっています。そして、そればかりではなく、もう一度あなたの前に現れると約束してくださっているのです。これが私たちの希望であり、私たちが生きている理由です。

 神様の目的は全人類の救いです。ですから、あなたのご家族を助けられないはずがありません。私のように家族の問題がおありになる方は、どうぞイエス様を信じてください。何故なら、聖書には、 主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」(使徒16:31)とはっきり書いてあるからです。

 また良いご家族に恵まれ、人格者と呼ばれる方で、未だイエス様を信じておられない方もたくさんいらっしゃるかと思います。私は、そういう方にこそ、イエス様を信じていただきたいと願っています。何故なら、この世での祝福が、神様の支配下に入ることによって、その祝福が永遠に続くようになるからです。

何事でも神の御心に適うことを私たちが願うなら、神は聞き入れて下さる。これが神に対する私たちの確信です。(Ⅰヨハネ5:14)

 このように約束してくださっているイエス様は、私たちを必ず幸福に導いてくださるお方です。あなたもイエス様を信じませんか? 心からお勧めしたいと思います。(Ako)


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