Good News Celebration!

☆田中啓介牧師による礼拝メッセージをお届けしています。

思い悩むな! (マタイ 4:6-10)

2009年04月05日 | Celebration
 21世紀は、「本物の時代」と言われています。何故なら、本物しか生き残れない時代だからです。それと共に21世紀は「不安の時代」とも言われています。「苦労して学校を卒業しても、ちゃんと就職できるだろうか?」、「仕事でいつ、リストラの対象になるだろうか?」、「結婚しても、離婚しないだろうか?」「子供が元気に成長していても、ひきこもりになったりしないだろうか?」将来のことを考えると、漠然とした不安に襲われている人々が沢山います。

 それでは、「不安」とは一体何でしょうか?不安の定義は、「将来の出来事を予測して、その下準備をしている時に起こる興奮状態」を指します。ところが、自分の将来を考えて、前向きに善処すべきなのに、現実はまだ、何も起こっていないのに、悪いことばかり考えてしまい、不安を先取りしている人々が沢山います。反対に人生を前向きに生きている人々は、不安がないのでしょうか?理想を高く持っている人の方が、その現実と理想との間で付随する失敗や恐れを理解している分だけ、不安が大きいと言う調査結果があります。言い換えれば、理想の高い人ほど不安も大きいと言えます。それでは、不安を解消するにはどうしたらいいのでしょう?ある地方都市の精神専門医院が患者さんに、「あなたの不安解消法を教えてください」と調査をしました。その主旨は、同じような問題を抱えている方々の助けのためとのことでした。

編み物などの目的を持たない単純作業をする。
古いお墓ウォッチング(墓石にある年齢を見て、自分でもここまでよく生きてこられたと慰められる)
携帯用ウィスキーを常備し、不安になったら、クイッとあおる。
アンビエント(文責者、意味不明)な音楽を聴く。
カーナビ・ウォッチングで、自分の位置を常に確認する。
柑橘系とハーブ系の香りで部屋を充して、自分の好きな歌手の歌を大声で歌いながら踊る。
化粧を念入りにして、喫茶店に行く。
中島みゆきの『うらみ節』を聞いて、どん底の自分に酔う。
 などなど…。(文責者コメント:これらのことをして、本当に不安は解決されるでしょうか?一時の気休めでも不安から解消されたいと願う人々の苦肉の策だと思う反面、多くの人々が「藁をもつかむ思い」で生活されていることを教えられます。)

 今日の聖書箇所、マタイによる福音書6章25-34節にある御言葉が、イエス様によって語られた背景も「不安」でした。イエス様は沢山の弟子を連れてイスラエル中を伝道の旅をしていました。しかも、お金を持っていないイエス様は、その日、宿泊する所も決まっていない旅でした。イエス様は、自ら、「狐には、穴があり、空の鳥には、巣がある。だが、人の子には枕する所もない」(マタイ8:20) と言われているように、当時、イエス様の弟子になるには、今までの自分の生活全てを捨てて、弟子になる覚悟が必要でした。たとえ、自分の生活を全て捨てて、弟子になったとしても、お腹は空きますし、夜には、雨風が凌げる所で休みたいとも思います。弟子たちに不安がなかったわけではないでしょう。

 そんな中、イエス様は、弟子たちに対し、この御言葉を語っておられます。「思い悩むな。-心配するな(新改訳聖書)」(マタイ6:31)しかし、イエス様は、何の根拠も無しに「思い悩むな(心配するな)」と言った訳ではありません。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」(マタイ6:33)と、イエス様は私たちに約束してくださっています。不安は誰の人生にも必ずあります。しかし、私たちは、それぞれの不安に囚われてしまい、悩み、真に歩むべき人生から離れてしまっています。私たちは、人生において、真に向かい合い、そのために、時には、悩み、真剣に考えなければならないことが3つあります。

「生きる意味」と向かい合う
 人は、自分のやっていることに意味を見い出そうとする生き物です。もし、自分の仕事や勉強などに意味を見い出せなければ、不安を覚えたり、悩んだり、そして、続けようとする気がなくなります。人生も同じです。人生に生きる意味が見い出せない人々は、生きることが苦しみになるのです。

「自分の罪」と向かい合う
人は、時として、自分の意図している事と反対のことをしてしまいます。人に親切にしたいと思っても、実際、困っている人がいると、見て、見ぬ振りをしてしまったり、悪口や噂話は良くないと思っていても、会話の中で、ついつい、他の人のことを悪く言ってしまったりします。私たちは、善を行いたい、社会に役立つことをしたい、悪いことをしたくない、と言う思いはありますが、現実は、良いことができず、かえって、したくないことをしてしまうことが多くあります。聖書では、それを「罪」と言います。聖書の中の偉大な人物であるパウロさんでさえ、「やりたくないけれど、やってしまう」罪に苦しみました。(ローマ7-18-25)しかし、私たちは、その現実に向き合う必要があります。

「死」と向かい合う
 人間の最大の不安は何でしょうか?それは、自分が、また、自分の愛する人がこの世の中からいなくなることです。人間は、誰一人、例外なく必ず死にます。そして、その死は、私たちには予測ができません。「死」は、私たち、人間の力ではどうすることもできません。しかし、「死」はそこに存在します。私たちは、どのように「死」と向かい合えばいいのでしょうか?人生において、この3つは、全ての人間に課せられた重要な課題です。この3つの課題に対し、答えを見い出せなければ、人生は不安でいっぱいになり、真の人生の意味を見い出すことはできません。

 不安の反対語は何でしょう?不安の反対語は、「安心」、「平安」と言えます。しかし、これらの言葉は、「受け身」です。もっと積極的な行動を伴う言葉を求めるならば、「信頼」と言えます。私たちが人生において真に「信頼」できるもの、それが決して私たちを裏切らず、私たちを最初から最後まで、安心、平安にしてくれるものであれば、私たちは、不安から解放されます。聖書の神様、イエス・キリスト様は、信頼でき、全ての不安の解決です。そして、人生最大の3つの課題にも答えを出してくださるのも、イエス様だけです。

 世界の社会福祉の基礎を築いたのはクリスチャンです。日本も例外でなく、社会福祉、福祉施設、社会保障、保険などと言う言葉も存在しない明治の時代にクリスチャンである、石井十次さんは約3000人の孤児を育てました。今でこそ、クリスチャンに対する偏見はありませんが、彼の時代は、クリスチャンは「ヤソ」と呼ばれ、差別もありました。たくさんの困難の中でも、石井さんは生涯を通じて孤児たちを育てました。なぜ、彼にそのような力があったのでしょうか?

 ある日、石井さんが、孤児院を存続させていくことが困難になった時、神様に祈りました。すると、神様は「お前が孤児を背負っているのではなく、私が孤児を背負っているのだ。」とおっしゃいました。それ以来、石井さんは、どんな困難にも立ち向かっていくことができたとおっしゃっています。石井さんと同じように私たち、クリスチャンも神様の子であり、神様の僕です。僕は、主人の言ったことに従っていれば、従うことによる、困難や責任は、全て主人が負います。ですから、私たちが神様に従っていく時に起こった問題は、神様が全て責任を取ってくださり、解決してくださいます。ですから、クリスチャンとして、「神様に従っていく」ことを明確にしていきましょう。神様に従っている人には、「神様の権威」と人間には考えられない「勇気」がその人を通して現われます。それが、石井十次さんが、人間の努力では到底、成し得ないとされることを実現できた理由です。

 石井十次さんは、こうもおっしゃっています。「この世の問題は、親のいない孤児ではなく、神様を知らない心と精神の孤児がいることである。」今の時代も同じです。多くの人たちは、自分の人生のあらゆる問題を解決し、真に頼れる、心の拠りどころを失っています。イエス様は、そんな私たちのためにこの世に来てくださり、私たち、全人類の罪を赦し、私たちの父である神様との関係を回復してくださるために、十字架に架かり、そして、復活されたのです。私たちも罪ある古い自分をイエス様の十字架につけ、新しい命に復活する新しい人生、イエス様と共に歩む人生を送っていきましょう。私たちがイエス様と共に歩む時、私たちが囚われていた問題から真に解放されるのです!(美鈴)


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