Good News Celebration!

☆田中啓介牧師による礼拝メッセージをお届けしています。

老舗五百年の秘訣 使徒 20:31-35

2009年02月01日 | Celebration
新しく設立された会社が1年後に存続している確立は、約60%だそうです。3年後は40%、5年後は15%、10年後だと5%、つまり、10年間続く会社は、20社中1社という確立です。更に、100年間続く会社は何と0.03%。もし、500年存続した会社があったとしたら、これはもう奇跡ですよね。ところが、日本には、500年間続いている会社があるのです。500年前と言うと、室町時代までさかのぼります。私たちの生活とは、全く違った時代、コンピューターどころか車も電気もない、生活様式や社会通念等々が全く違う500年前から存続している会社。皆さんもよくご存知の和菓子の老舗、『虎屋』さんです。虎屋さんの社長は、500年間続けられた秘訣をこう言われました。「変えるべきものと変えてはならないものをはっきりと区別してきたことです」と。

 虎屋さんの“変えるべきもの”と“変えてはいけないもの”とは何だったのでしょうか? 私たちは、“変えてはいけないもの”と言えば、“伝統の味”と、直ぐに思いますが、実は、「味」というものは、時代やライフスタイルによって変化するもので、それは“変えなければいけないもの”なのだそうです。(今、私たちが食べている虎屋の羊羹と500年前の羊羹とは、味が違うのですね。)では、“変えてはならないもの”とは何なのでしょう? それは、お客様に対する“感謝の心”なのです。虎屋さんにとってお客様は、まさに生命線です。確かにどんなに美味しい和菓子を作っても、どんなに大きなお店をつくっても、お客様が買ってくれなれば、500年も続けていくことは不可能です。

 このように、「感謝」する心は、クリスチャン以外の人たちも大切だと考えています。では、聖書における「感謝」とは、どう言うことでしょうか?今日は、使徒言行録20章31-35節より分かち合っていきたいと思います。この聖書箇所は、パウロさんが3回目の伝道旅行を終えて、エルサレムに戻る途中のミレトスと言う港町で、今回訪れることができなかったエフェソの教会の責任者(長老)たちを呼び寄せて、話をした箇所です。(使徒20:15-28)パウロさんは、今度、エルサレムに着いたら、迫害によって命を落とすかもしれないと考えていました。また、パウロさんの弟子も、周りの人々も同じように考えていました。ですから、エフェソの教会の長老たちを呼び寄せ、話をした時、パウロさんにとっては、遺言を彼らに伝える思いだったのでしょう。そのパウロの遺言とも言える話(決別説教)は、20章18-35節にわたっています。今日の聖書箇所は、その最後の箇所、「最重要事項」と言っても過言ではありません。

あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるより与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。(使徒20:35)

 実は、ここでパウロさんが言った、『受けるより与える方が幸いである』というイエス様の言葉は、聖書の中の何処を探しても見つかりません。しかし、福音書に記されているイエス様の生涯は、まさにこの『受けるより与える方が幸いである』と言う言葉に要約されているのです。イエス様は愛することの大切さをご自身の行動を通し、最後には、ご自身の命を私たちの罪のために十字架に捧げられ、表されました。これこそが究極の愛であり、『受けるより与える方が幸いである』の御言葉の究極の実践です。その十字架の贖いを信じることによって、私たちは、神の子、「クリスチャン」となりました。私たちは、イエス様に習う者です。『受けるより与える方が幸いである』この御言葉は、クリスチャンとしての感謝の「特長」です。それでは、こういった感謝に至るには、どうしたらよいでしょうか?今日は、4つのポイントを分かち合います。

1)作用・反作用の法則
 作用・反作用の法則とは、力が相互作用によって生じるものであり、一方が受ける力と他方が受ける力は向きが反対で大きさが等しいことを表しています。つまり、私たちが何かに対して「怒る」と、その「怒り」のエネルギーは、相互作用によって自分に返って来てしまい、私たちが何かに「感謝」をすると、その「感謝」は私たちに返って来るのです。松下幸之助氏は『感謝と幸福は正比例する』と言う名言を残されていますが、それは、この作用・反作用の法則のことです。私たちは、マイナスのエネルギーより、プラスのエネルギーを出す方が、周りにも自分にもプラスになるのです。

2)与えたものは残る
 マサチューセッツに住むあるクリスチャン女性は、キルト作りの名人です。彼女は自分が作ったキルト作品を次々と人にあげてしまい、特に出来の良い物は率先してあげてしまうそうです。周りの人々は、彼女の気前の好さに驚くほどです。ある日、その女性の家の隣が火事になり、彼女の家も全焼してしまいました。その火事のせいで美しいキルトもすべて失ってしまった彼女に対し、周りの人々は、「残念だ」、「もったいない」と言いましたが、彼女は、笑顔で「大丈夫、特に良く出来たキルトは、人にあげたおかげで今も残っています。」と言いました。全てのものは、いつか、なくなってしまいます。しかし、この女性のように与えることは、物と共に何かを、受けた人に残すことができるのです。

 3)素直に受けることは与えること
オクラホマに住むあるクリスチャン男性は、ボランティアが生きがいです。彼は、あらゆるボランティア活動をし、地域の人々から大変喜ばれていました。しかし、長年、ボランティア活動をしていたその男性もだんだん年老いて、今度は、彼自身がボランティアの手が必要となってきました。彼は、ボランティアをする立場は好きですが、ボランティアをされる立場になるのは、とても抵抗があり、地域の人々が差し伸べるボランティアを断り続けました。ある日、教会の牧師さんが彼を訪ね、こう言いました。「ボランティアをする人たちの気持ちを奪ってはいけないと思うのですが…。」牧師さんのその言葉を聞いた男性は、「受けることが与えることになる」と言う真理を知りました。

 4)「すみません」と「ありがとう」の違い
 「すみません」と言う言葉には、「してもらって申し訳ない」、「こんなにしてもらっても私にはお返しできません」、「本当は私がしなければならないことなのに」と言った利害関係を感じさせるニュアンスがあります。実際、私たちは「ありがとう」より、「すみません」を使う方が多いような気がします。でも、子供が何かをしてもらった時に言う言葉は、「ありがとう」です。子供には、何かをしてもらった相手に対する報酬能力をほとんど持ち合わせていません。でも、子供は「すみません」とは言わないですよね。なぜ? その前に「ありがとう」と言う言葉には、どのような思いが含まれているかを考えてみましょう。「ありがとう」には、してもらった行為に対しての感謝と喜びが含まれています。してもらった行為に対して見返りをしようとか、どう言うお返しをしようとか、と言う考えの余地はありません。子供が「すみません」と言わないのは、してもらった行為に対する利害関係を考えないからなのです。

 神様と私たちの関係も同じです。神様は、私たちに見返りを期待しているわけではありません。ただ、私たちを愛するゆえにイエス・キリスト様をこの世に送ってくださり、全人類を罪から解放するために十字架に架かって死んでくださったのです。その事実をただ信じ、「イエス様、ありがとう!」と言って受け取るだけでいいのです。それは、事実であり、真理です。それは、クリスチャンであろうと、なかろうと、全人類に共通しています。

「受けるより与える方が幸いである」この聖書における「感謝」の真理を日々の生活の中で実践していきましょう。(美鈴) 〔写真:緞帳のような「とらや」の暖簾はギネスブック級!〕

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