秦野、二宮、大磯、中井にものもうす~問題点検証します!

わが町の問題点をあきらかにし、住みよい町つくり。

地震と津波のパッケージ ~ 東日本大震災

2016-03-11 23:56:56 | 日記


1000年に一度の「大災害」をとくに東日本大震災と呼ぶ。
地震はしょっちゅう経験して慣れっこになっている日本人にとっても地震と
津波とのパッケージは非常に珍しくまれな現象だから大げさに1000年に一度と
呼称するのだ。

その日はほとんどの日本人がテレビに釘付けになった。深夜になっても各家庭の
電気が煌々と灯り、朝までついに消えることがなかった。みんな情報収集に余念
がなかったのだろう。が、その様はまるでお通夜で夜更かししてるように見えな
くもない。あるいは大晦日の真夜中に各家庭に灯りつづける夜更かしの明かりに
も似ていた。聞こえてくる声がまったくない。犬の遠吠えさえない。人々の沈痛
さがまじまじと伝わったきた。これぞまさに未曾有の大震災の夜にちがいない。

震源地から相当離れた二宮町でも地震の余波があった。めくれあがったり、陥没
したりした道路をあちこちで目撃した。いつものようなスピードで走る車が危険
な目にあったという話を聞いた。バイクが路上のこぶに気がつくのがおくれてあ
わや崖下へ跳ばされそうになったという。跳ぶには跳んだがうまくとんだ。冬季
五輪のモーグル競技のようにひどい瘤に跳ばされたらと思うとたまらない。着地
に失敗してバイクごとこける。そのまま下敷きになり足の骨一本は覚悟しなくて
はならない。想像しただけでも痛そうでついわが足のすねをさすってしまう。

それから何を見て何を聞いたか。ガソリンを供給するために並ぶながい車の列。
買い物客がいつもの倍くらいで混雑する大型店舗。水や食料が棚からまたたく間
になくなっていく。多くの人々が買いだめをしているのがすぐにわかる。自己防
衛本能だ。ある程度は予想していたが、たったひとつの震災がこれほどまで生活
に影響があるとは思わなかった。これが今後永遠につづくのかとさえ思った。だ
としたら悪夢を見てるようだ。幸いにも一月ほどでほぼ正常にもどったとおぼえ
ている。

遠く離れたわれわれでさえこうだから、直接被災され悲惨な目にあった人々の気
持ちや生活はいかばかりか想像するだけで気が滅入る。テレビからの情報だけで
現場のことは知るだけだった。日本中が暗くて長い日々を経験したのである。

あれからはや五年になる。アベノミクスで経済はいくらか立て直した。みんなの
顔に明るさがよみがえったように感じる。東北の被災地はまだ復興なかばだが
人々の中に元気だけはもどったようだ。東北魂で完全復活する日々を信じてなが
い目で見守ることにしよう。

天皇陛下のお言葉(全文)=東日本大震災5年追悼式
時事通信



政府主催の追悼式で、お言葉を述べられる天皇、皇后両陛下(11日午後2時
55分、東京都千代田区で)=竹田津敦史撮影

東日本大震災から五年が経(た)ちました。ここに一同と共に、震災によって
亡くなった人々とその遺族に対し、深く哀悼の意を表します。

五年前の今日、東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波により、二万人を超す
死者、行方不明者が生じました。仙台平野を黒い壁のような波が非常な速さで押
し寄せてくるテレビの映像は、決して忘れることができないものでした。このよ
うな津波に対してどのような避難の道が確保できるのか暗澹(あんたん)たる気
持ちになったことが思い起こされます。また、何人もの漁業者が、船を守るため
に沖に向け出航していく雄々しい姿も深く心に残っています。

このような中で、自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治
体関係者、さらには、一般市民が、厳しい状況の中で自らの危険や労をいとわず
救助や捜索活動に携わったことに深い感謝の念を抱いています。

地震、津波に続き、原子力発電所の事故が発生し、放射能汚染のため、多くの
人々が避難生活を余儀なくされました。事態の改善のために努力が続けられて
いますが、今なお、自らの家に帰還できないでいる人々を思うと心が痛みます。

こうした苦難の中で、政府や全国の地方自治体と一緒になって、多数のボラ
ティアが被災者のために支援活動を行いました。また、百六十を超える国・地域
や多数の国際機関、また在日米軍が多大な支援に当たってくれたことも忘れるこ
とはできません。

あれから五年、皆が協力して幾多の困難を乗り越え、復興に向けて努力を続けて
きました。この結果、防災施設の整備、安全な居住地域の造成、産業の再建など
進展が見られました。しかし、被災地で、また避難先で、今日もなお多くの人が
苦難の生活を続けています。特に、年々高齢化していく被災者を始めとし、私ど
もの関心の届かぬ所で、いまだ人知れず苦しんでいる人も多くいるのではないか
と心に掛かります。

困難の中にいる人々一人ひとりが取り残されることなく、一日も早く普通の生活
を取り戻すことができるよう、これからも国民が心を一つにして寄り添っていく
ことが大切と思います。

日本は美しい自然に恵まれていますが、その自然は時に非常に危険な一面を見せ
ることもあります。この度の大震災の大きな犠牲の下で学んだ教訓をいかし、国
民皆が防災の心を培うとともに、それを次の世代に引き継ぎ、より安全な国土が
築かれていくことを衷心より希望しています。

今なお不自由な生活の中で、たゆみない努力を続けている人々に思いを寄せ、被
災地に一日も早く安らかな日々の戻ることを一同と共に願い、御霊への追悼の言
葉といたします。 



台湾でも追悼式




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「羮に懲りて膾を吹く」を地... | トップ | 福島原発事故と放射能汚染 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事