先だって遥拝について調べていて、知りえたウンチクをお伝えします。
「黙祷」は「遥拝」とともに集団儀礼として昭和になって一気に社会の表舞台に登場し、昭和12年夏の盧溝橋事件で、日中が全面衝突すると、新聞紙上に「遥拝」「黙祷」の記事が桁違いに増えました。
けれども国民儀礼としては、より伝統的でより宗教的な「遥拝」が中心だったそうです。
「遥拝」は天皇、御陵、神宮などが拝礼の対象で、「宮城遥拝」とは、皇居におられる両陛下に対して最敬礼で朝の挨拶すること。
「天皇陛下はお父様、皇后陛下はお母様」と教えられ、天皇陛下の写真に奉っていた戦前・戦中の風景をみたことがありますが、これを宮城遥拝ということをはじめて知りました。
昭和13年元日の午前10時に官庁や学校で宮城遥拝や祝賀式を行うことなどが決められ、こうして宮城への「遥拝」は戦時体制下、国民儀礼化されました。
一方「黙祷」は、関東大震災犠牲者に対する慰霊であって、少なくとも昭和初年には用語の使い分けがされていたそうです。
戦後教育を受けた私たちは、行事や朝礼の時間にことあるごとに黙祷しました。
日本の黙祷は戦前・戦中から無宗教儀礼とされています。
政治家も宗教者も安心して、政府主催の全国戦没者追悼式では1分間の黙祷が奉げられたことでしょう。
宗教のない国はなにかと難しいですね。