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大神山神社奥宮に43年前に行ってた^^

2018-11-09 | 旅・中国&四国地方

大山寺参詣終えて、15:57撮影。
参道を下った所に駐車場があり、集合時間は16:40

奥宮鳥居右下に徒歩15分と書いてある。
往復30分かかる奥宮まで行くのはちょっと厳しい。
とりあえず5分だけ歩いてみようと鳥居くぐった。




無名の橋を渡っただけで罪障が消滅するって、これだけで充分来たかいあったね。

石畳が結構凸凹してて歩きづらい。
これで15分で歩けるだろうか・・・

参拝終えて下山して来る人達に、あとどれぐらいと何度か尋ねながら5分歩いた。
まだまだという。
後で調べたら700mの日本一長い石畳参道だった。

若者は難なく歩いてるけど、足に自信ないものは捻挫がこわい。
引き返すことにした。

鳥居近辺の巨木と岩を撮影。









昨夜、学生時代に学科の勉学とクラブのハードな稽古、心身ともに苦楽を共にした友人に大山合宿を確かめた。

当時は上の学年から言われるがまま行動してたし、合宿の詳細情報も残してない。
アルバム見てもさほど分からんと思うな、と。
すっかり忘却の彼方で、かすかな記憶をたどって合宿行った地を再訪しようかという話になった。

しまいこんだ過去のアルバム出してくるのは面倒だった、
でも記憶以上の情報あるかもしれん。






1975年夏合宿のアルバム開いたら、
宿泊地が「山の宿 常盛館」と判明。
大神山神社で練習してる写真が多数貼ってあった。
かすかな記憶ではお寺の境内で練習した気になってたのに、大山寺ならずっと立派で、いくら半世紀前といえども違うだろうと。
どうやら境内は、大神山神社奥宮だったようだ。
あの石畳参道は若い者には全く躊躇の対象とはなってないから、記憶にとどまってないのだろう。


手がかりを元にググってみると






下山神社は、大神山神社の左手に鎮座している。この神社は、神の使いの白狐「したぐらさん」の霊験で知られている。社殿の前には、大きな石狐。台座も含めると2メートルはありそうだ。しなやかなからだつきで、首輪までしている。下山神社の社殿の足下には、小さな穴が2つ開いている。これは、「きつね穴」。里を駆け巡った狐が、そのようすを神に知らせるための穴だ。したぐらさんは、すべてをお見通しというわけだ。悪さなどしようもない。

修験道場として開かれた霊峰大山。霊気を帯びた自然に囲まれ、大神山神社奥院と下山神社の周辺は、ことさら空気が澄んで静寂に満ちている。たまに、大神山神社奥院の社殿の片隅に腰掛けて、静かに瞑想する人を見かけることもある。雑念を払いたい、頭を空にしたい、心を鎮めたい。そう思ったら出かけて、しばらく深呼吸をしてみよう。いつしか安堵し、厳粛なパワーに気も引き締まるに違いない。


引用元:神々のふるさと山陰大神山神社奥宮と下山神社




屋根の形などからして境内社の下山神社のように見える。
石狐像も写ってる!

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開山1300年の大山寺(だいせんじ)参拝

2018-11-08 | 旅・中国&四国地方


だいせんじ と読みますが、
昔はおおがみやまと呼んでいたと書いてあるのを見かけました。
それでいつからかなと調べてみたら
BES大山(鳥取)というブログがヒットして

全国には青森から沖縄まで111ヶ所ばかりに「大山」と書く地名があります。
その読みは【おおやま】と呼ばれる所が圧倒的に多いです。
「大山」を【だいせん】と読まれるのはここ鳥取県だけです。
では、何故【だいせん】と呼ばれるようになったのか
【だいせん】と言う読みは、呉音(ごおん)から来るものです。
呉音とは、日本に古く伝来し、仏教関係の語に多い漢字の音で、大山の古い歴史を伝えています 


そのブログの最新記事が、2018-11-03 投稿で
この秋一番の良い天気

ちょうど大山ウォークの日だったんだと、めっちゃ気分良くして、他の記事も読ませていただきました。

ものすごく詳しくて、大山信仰、牛馬信仰調べてたのが、ココを先に見ればよかったと思うほど。
大山 歴史・文化カテゴリー(114記事)

二日前に書いた横手道の記事は石の鳥居で終わってますが、そのあと大山寺参道までに、夏山登山道への階段があります。
そのあたりに、阿弥陀堂と圓龍院があるのですが、うっかり勘違いして阿弥陀堂へ行けなった。






佐陀川の大山寺橋を渡って、参道途中に合流 15:30
集合は16:40なので一時間以上ある。

神社仏閣参りは午後4時頃までにと聞いてたので、間に合うなと大山寺お参り行くことにしました。
この時点では参道がどこまで続いて、どれぐらい時間要するのかわからなかった。


この画像は帰りに撮影しましたが、参道の感じが分かるように先にアップします。



お参り終えて帰る人、これから行く人いっぱいいて、紅葉の行楽シーズンにしてもエライ人気やなと意外でした。


山門左側に、大神山神社奥宮鳥居



まずは大山寺へと拝観料払って奥に進み、まだまだ続く階段上がって本堂にお参り。
続いて下の境内に祀られる十一面観音さんとお不動さんにもお参り。



階段にものすごく足の長い蜘蛛がいた。
木谷沢渓流でも見かけました。

長い足の先を杖先のように地面確かめながら、ものすごいスピードで進みます。
蜘蛛ちゃうかもしれんとググってみたら
ザトウムシ

地面をさぐる触覚のようにも思えたものは、足だった。
長い足で前を探りながら歩く様子から、座頭虫の名がある、とWikipediaに載ってました。

一瞥するとクモを連想させる外見で、俗称としてメクラグモと呼ばれることもあるが、クモとは別グループに属する。
最古の化石記録は4億1千万年前(デボン紀に相当)のものが知られている。
英語圏の名称はHarvestman(刈り入れ人夫)、特に米国では“あしながおじさん(Daddy Longlegs)”の愛称がある。




 
大山寺サイトより
奈良時代養老2年(718)金蓮上人に依って山が開かれ1300年
「大山寺縁起」によると
出雲の国玉造の依道がある日、金色の狼を追って大山に入り一矢にして射殺さんとすれば、矢の前方に地蔵菩薩が現れ信心の心がにわかに起こり弓矢を捨てた。狼はいつの間にか老尼と化し依道に話しかけた、という出来事により依道はすみやかに出家、仏道の修行をしこの山に地蔵権現を祀りその名を金蓮と改めたと記される。

天空はるかかなたの兜率天の角が欠けて大きな盤石が地上に落ちて来た。盤石は三つに割れてその一つは熊野山になり、二つは金峰山になり、三つはこの大山に、こうしたことからこの山を角磐山(かくばんざん)と名付けられた。大山寺は山岳信仰の対象となる霊山大山に早くから山岳修行僧が入り「修験の山」として全国に知られる。



兜率天の盤石は三つに割れて、熊野山・金峰山・大山に留まったなんて初めて知った伝承でした。

続く
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蒜山と大山を結ぶ古道・横手道のブナ林

2018-11-06 | 旅・中国&四国地方


大山の800m~1300mのエリアは、西日本最大級のブナの森が広がっています。
落葉広葉樹といえばブナにナラ。
ちょっとピークを過ぎてましたが、紅葉の見ごろでした。

14:41 スタートして間もない頃







紅葉して落ちた葉が積み重なりクッションとなり、コンクリートやアスファルトの道、石畳と違って歩きやすかった。
雨で濡れてたら滑って怖いかもしれないけど。

落ち葉は腐葉土となって雪解け水や雨水を貯えます。
再び地表に湧き出してくるまで20年から30年。
その水は栄養分たっぷりで、里の田畑を潤し、日本海に流れ込むんだそうです。
こうした高い保水力ゆえ、ブナの木は森のダムとも言われるんですね。


横手道は、大山西麓の標高800 m前後のところをほぼ水平に南北に進み、大山寺境内へと通ずる古道です。

日野往来や出雲街道とも合流する山陽方面からの主要道で、大山寺と京都や比叡山を結んだ公用の道でもあったようです。


14:53


来た道の標識も写しとこうとデジカメでも撮影



15:10 大きな石の鳥居まで来ました




横手道を通って山陽方面から大山寺に向かう人々を見守るお地蔵さん。

山麓を横切る平坦な道です。
でも落ち葉にまじり漬物石ぐらいの石がゴロゴロしてるところもあり、足元注意して歩きました。

そういうわけで、一町(約100m)ごとにお地蔵さんが並ぶという横手道ですが、時々お地蔵さんが目に留まりました。
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桝水高原の天空リフト

2018-11-05 | 旅・中国&四国地方


たぶん大学3回生のころ、大山へスキーに来たことあったのを思い出した。
とある友の会のスキーツアーで大山のどこだったか記憶ないけど、なんとなくここだったかもと地形とか見て思った。





スキーシーズン終わったら天空リフトとなって、眼下に広がる景色を楽しめます。

 
 
展望地は2010年からプロポーズに最適と、恋人の聖地に認定されたそうです。



絶景を満喫して、左に進むと大山寺方面へと続く横手道。

標高800m前後を大山西麓をほぼ水平に南北に進んで大山寺境内へと通ずる古道です。
横方向(水平)に進むことから横手道。

約100 m(1町)ごとにお地蔵様が並んでると、書かれてましたが、足元みてる時も多く、時々お地蔵さんに気づいた。


一番最初に見た18番のお地蔵さん撮影が14:40頃。
バスが待ってる大山情報館の駐車場、16:40まで自由散策スタート。

国立公園へ出かけよう!
大山・蒜山 横手道トレッキングコース



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伯耆富士 大山

2018-11-05 | 旅・中国&四国地方


この項は大山ウォーク帰ってから知った大山情報で、今後の参考に記録追加していきます。



ウォークツアーに申し込んでから送付された情報で、ネット見ても同程度。
他には、朝8時に新大阪集合で、お弁当は付くがお茶等飲み物は各自で準備。

大学三回生の夏合宿で大山行ったのにほとんど記憶残ってない。
近いうち当時からの友達に会うので、大山のどの辺だったか聞いてみようと思ってます。

今回は日帰りといえども、ウォーキングなのでお天気と服装、靴とかで頭いっぱい。
事前予習しようにも、木谷沢渓流しか明記されてないし。


昨日になって、じっくり地図見た。



大山はもっと内陸の岡山と鳥取の間の中国山地だと思い込んでたが、ずっと日本海に近いのを、宍道湖見えてやっと気づいた。


リフト乗ってる時、海見えるってびっくり。




木谷沢渓流が奥大山というのは、日本海側から見て奥だったのね。
サントリーの水工場があるし、この近辺のブナの森を散策するんだろうと思ってた。

雨対策のカッパや傘の他に薄いダウンまで用意周到に持って行ってた。
お天気恵まれて暑くなく寒くなく、伊達荷物が一番と行楽日和に感謝です。
雨降りが最悪ですから。


結局ブナの森ウォークは、横手道だった。
桝水高原の天空リフトで標高900ぐらいまで上がり、蒜山から大山へ続く古道を歩いた。



横手道なんて初めて知った。
3つぐらい高いとこあって、たぶん一番高いのが大山やろうと話してたぐらい、
標高どれぐらいかもしらんかった。

昨日は高校時代の女バス同窓会が堺であったのですが、「だいせん行って足痛い」と言ったら、大仙公園を思い浮かべる堺です。
だって仁徳天皇陵も大仙古墳群と言いますから。
だいせんは大仙なとこで育ってますから。



添乗員が突然今朝になって声出ないと、掠れ声で最低限の連絡しかしないし、ウォークガイドがいないし。
地形や歴史、樹木案内もないので、ただただ見て匂い嗅いで肌で風を感じてきた。


帰ってから知り得たこと、また追記します。



大山は1922年(昭和11)日本で3番目の国立公園となった
富士山とは大いに異なる複成火山(古期の成層火山+新規の鐘状火山)
中国地方最高峰(1,729 m)
最高点は剣ヶ峰であるが、剣ヶ峰に至る縦走路が通行禁止とされている
第二峰の弥山(みせん 1,709m)古くから祭事が行われ一般には弥山を頂上としている


大山開山1300年祭を記念して秋に行われる特別な炎の河 1300本のたいまつ行列
台風24号の接近に伴い中止されてたのが、延期開催されます。

平成30年11月11日(日)PM6:30〜
場 所 鳥取県大山町 大神山神社奥宮参道
詳しくは☞ 秋のたいまつ行列



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奥大山 木谷沢渓流

2018-11-04 | 旅・中国&四国地方


大山登山じゃなくてウォーク行きましょうと春からお誘いいただいて、OKと二つ返事。
紅葉の季節にやっと段取り整いました。
申し込んだウォーキングツアーは、木谷沢渓流とブナの森ウォークというタイトルでした。

宇多田ヒカルさんがCMで苔むした渓流を歩いてたのが、奥大山の木谷沢渓流だそうです。


朝8時に新大阪を出発したツアーバスは二回の休憩を挟んで、やっと到着。


12:30ハイキング開始。
移動中のバス車中ですでにお弁当食べ終えてました。
やっぱり遠いわ。

40分の自由散策。
早い人は20分ぐらいで戻ってくると、添乗員さん曰く。












みなさん撮影アングルいろいろ工夫はしても、限りある。

奥入瀬渓流の10分の1程度かな。
20分で戻ってくる人います、というのがよくわかった。



次は、大山ブナの森ウォークへ
何処へ連れて行ってくれるのかな。

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大山行ってきた(^o^)/

2018-11-03 | 旅・中国&四国地方


何処もかしこも1300年なんですね〜



桝水高原の天空リフトで、大山西麓標高900mあたりまで上がれます。




画像中央あたりの白い建物が大山ロイヤルホテルかと。
2013年5月に出雲行った時に宿泊しました。
その先に宍道湖が見えました。

たまたま昨夜、拙ブログの地蔵岬美保関灯台の記事で、りひとさんが
「大山見える」とコメント下さって驚きでした。



宍道湖と反対側の、恋人の聖地越しに見える方向は天使の梯子がかかった空が壮大でした。



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オンコロコロセンダリマトウギソワカ@四国お遍路

2018-10-12 | 旅・中国&四国地方


四国お遍路第75番札所善通寺の御本尊薬師如来像です。
ネットでいただいてきました。
撮影禁止ですし、当時はお参りについていくのに必死でほとんど写真残ってない。
2003年4月に始めた四国お遍路は、2004年7月満願。
月に一度四国への旅は、日帰りバスツアーだったり、歩き遍路ツアー参加だったり、自分の車で行ったり臨機応変に。
要した全費用は35万円ほどだったかな。
供養でも懺悔でもなくスタンプラリーみたいな軽いノリで、参詣したお寺の名前すら覚えてるとこは少ない。


タイトルの御真言は、薬師如来さまに唱えるマントラです。
なんで覚えてるんだろうと過去の記憶遡ってみたときに、四国でいっぱい唱えたからに違いないと。

四国お遍路88カ所では、本堂でそのお寺の御本尊さまに挨拶し、続いて弘法大師を祀る大師堂でお札を納めます。
空海には、南無大師遍照金剛と三回、そして光明真言も。
オンアボキャア ベイシャロノウ マカボダラ マニハンドマ ジンバラ ハラバリタラウン

何度も何度も唱えたらそりゃ覚えますわね。

そして、薬師如来さまにには、
オンコロコロ センダリマトウギソワカ


どれぐらい唱えたか調べてみたら、88箇所で一番多く祀られてる御本尊さまが薬師如来さまだったのです。
ざっと数えてみたら24カ寺、4分の一を超えてる、そりゃぁ覚えが悪くとも記憶に残るはずやわ。
一番最後に一覧を記しておきます。


そうした薬師如来を祀るお寺の中で、記憶に残ってるのが善通寺、空海が生まれたとこです。
お遍路初期の頃は、ここが一番札所だったのが、江戸時代以降、徳島から四国に入るのが一般的になったのか、順番がかわったようです。



御朱印帖みたけど日付入ってないです。
最後は一泊2日で香川県まわって、88番最後が2004年7/16完了。
そこから判断して、5月頃だったのでしょう。
善通寺では、宿坊で泊めていただいたので、翌朝朝勤行に参列させてもらえ、戒壇めぐりもしました。


この画像も善通寺のサイトより
朝勤行はお大師さまをおまつりする御影堂で行われます。宿坊参籠者をはじめ、近隣の人たちが朝のすがすがしい空気の中で祈りをささげます。また、あわせて法主の御法話を拝聴できます。




この世とは、お釈迦様が生れた古代インドを中心とする現世、言い換えると、釈迦如来が衆生を救済する釈迦浄土。

東方は、太陽が昇る方角で、薬師如来がいる瑠璃光浄土(るりこうじょうど)。
西方は、太陽が沈む方角で、阿弥陀如来がいる西方極楽浄土(さいほうごくらくじょうど)
北方は、ヒマラヤ山脈のはるか上にあり、弥勒菩薩が修行している兜率天(とそつてん)。
南方は、はるか海のかなたにある、観音菩薩が住んでいる補陀落山(ふだらくさん)


第127代管長高田好胤の「薬師寺・好胤説法」より
オんom は、(南無 お願いします)、
コロコロ(欣快:きんかいなる)
センダリ(チャーンダラ)、マトウギ(マータンギー)病気を取り除いてくれる女神の名称、
ソワカ(成就)、をとなえて、薬師如来様にご縁をもらう



四国八十八ヶ所のお遍路では各札所の本堂と大師堂でお経を奉納します。
各札所にある大師堂は弘法大師が祀られ、本堂にはそれぞれ御本尊が安置されています。
本堂の前ではそれぞれのご本尊に合わせて真言を唱えます。
でも覚えてないので、本堂正面の柱とか見えやすい場所に張り紙されてる真言を三度読み上げるのです。
http://henro88.net/040mamechishiki/gohonzon.html

大日如来
第4番・大日寺 第28番・大日寺 第42番・仏木寺 第60番・横峰寺 第61番・香園寺 第72番・曼荼羅寺

阿弥陀如来
第2番・極楽寺 第7番・十楽寺 第30番・善楽寺 第37番・岩本寺 第47番・八坂寺 第53番・円明寺 第57番・栄福寺 第64番・前神寺 第68番・神恵院 第78番・郷照寺

釈迦如来
第1番・霊山寺 第3番・金泉寺 第49番・浄土寺 第73番・出釈迦寺

涅槃釈迦如来
第9番・法輪寺

薬師如来 四国霊場で一番多い本尊
第6番・安楽寺 第11番・藤井寺 第15番・国分寺 第18番・恩山寺 第22番・平等寺 第26番・金剛頂寺 第33番・雪蹊寺 第34番・種間寺 第35番・清瀧寺 第37番・岩本寺 第39番・延光寺 第40番・観自在寺 第46番・浄瑠璃寺 第50番・繁多寺 第51番・石手寺 第59番・国分寺 第67番・大興寺 第74番・甲山寺 第75番・善通寺 第76番・金倉寺 第77番・道隆寺 第88番・大窪寺

厄除薬師如来
第23番・薬王寺

七仏薬師如来
第17番・井戸寺

大通智勝如来
第55番・南光坊

聖観世音菩薩
第37番・岩本寺 第69番・観音寺 第83番・一宮寺 第85番・八栗寺 第87番・長尾寺

千手観世音菩薩
第8番・熊谷寺 第10番・切幡寺 第16番・観音寺 第29番・国分寺 第43番・明石寺 第58番・仙遊寺 第66番・雲辺寺 第71番・弥谷寺 第81番・白峯寺 第82番・根香寺

三面千手観世音菩薩
第38番・金剛福寺

十一面観世音菩薩
第13番・大日寺 第27番・神峯寺 第32番・禅師峰寺 第41番・龍光寺 第44番・大宝寺 第48番・西林寺 第52番・太山寺 第62番・宝寿寺 第65番・三角寺 第79番・天皇寺 第84番・屋島寺 第86番・志度寺

十一面千手観世音菩薩
第80番・国分寺(讃岐)

馬頭観世音菩薩
第70番・本山寺

地蔵菩薩
第20番・鶴林寺 第37番・岩本寺 第56番・泰山寺

延命地蔵菩薩
第19番・立江寺 第25番・津照寺

勝軍地蔵菩薩
第5番・地蔵寺

虚空蔵菩薩
第12番・焼山寺 第21番・太龍寺 第24番・最御崎寺

弥勒菩薩
第14番・常楽寺

文殊菩薩
第31番・竹林寺

不動明王
第37番・岩本寺 第45番・岩屋寺 第54番・延命寺

波切不動明王
第36番・青龍寺

毘沙聞天
第63番・吉祥寺

* 第37番・岩本寺は、不動明王、観世音菩薩、阿弥陀如来、薬師如来、助贈菩薩の5体を本尊として祀っています
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因幡の白兎② 白兎神(はくとしん)って…

2017-01-30 | 旅・中国&四国地方


暗闇の中でうずくまる白うさぎの画像は2016年大晦日に撮影しました。
永平寺除夜の鐘参拝ツアーで団体で夕食をとった加賀の月うさぎの里の庭にいました。

月うさぎの里は2008年にも訪れてて記録残してます。
2008-01-16 上向き童子

昼に個人旅行で訪れて以来、夜団体の食事で再訪して、とても同じ場所には思えませんでしたが、このうさぎ見て思い出しました。
このうさぎが、「画像使って、いい加減はやく白兎神の記事書きなさいよ」と促されたような気がして。



因幡の白兎、続きを2回に分けて書きます。

まずは、白兎神社、見たまま。



因幡の国の白兎神社は、古事記に記された『因幡の白兎』に登場する白兎を御祭神とした神社です。
神話にちなみ、皮膚病ややけどなどに効く神社として信仰されてきました。
その白うさぎは、神話に登場する大国主と八上姫の縁結びの神様。
2010年、日本で初めてのラブストーリーの発祥地「白兎」として「恋人の聖地」に認定されました。


第一の鳥居から二の鳥居へ、参道にはうさぎの置物並んでます。







参道の石のうさぎ足元に置かれた白い石には、縁と書かれてあるようです。
急いでたので小走り状態でシャッター押しただけでちゃんと見てない。



以下はネット検索で知りえた情報です。

『結び石』 
参道のうさぎや鳥居の上にたくさん積まれた白い石は社務所内の縁起物コーナーで販売
良縁・子宝・繁盛・飛躍・健康の五つの縁を示す「縁」と書かれた白い石を白兎神社の鳥居に乗せて、願い事が叶うように祈ったり、身に付けてお守りにしたりすることができます。

『白兎起請文(きしょうもん)』
白兎の神様に二人の絆を誓い納める「愛の誓約書」白兎神社の入り口にある道の駅『神話の里白うさぎ』店内にて販売
3枚1セットの神符となっており、約束事願い事を書いて白兎神社へ1枚を奉納し恋愛成就を祈願、残り2枚は各自で保管する


『菊座石』
本殿の土台には28弁の菊の紋章が彫刻されていて、白兎神社の創建に皇室の何らかの関わりがあるのではと言われている。
創建の由緒は不詳である。かつては兎の宮、大兎大明神、白兔大明神とも呼ばれた。
戦乱で消失し、鹿野城主だった亀井茲矩により慶長年間に再興され、現在の本殿は明治時代の再建。


『淤岐嶋』
現在の島根県隠岐郡隠岐島とする説や、ほかの島(沖之島等)とする説もある
白兎海岸の沖合150メートルにある島まで点々とある岩礁を「わに」とする説をとれば、
菟が身を乾かした「身干山」、兎が体を洗った「水門」、かつて海になっていて戦前まで蒲が密生したという「不増不滅之池」が白兎神社に。


『身干山』
因幡の白兎が身を乾かした山と伝えられる丘が、鎮座地で身干山と呼ばれる。
境内には、白兎が体を洗った御身洗池がある。
御身洗池は旱天・豪雨のときでも水位の増減がないとされ「不増不減の池」とも呼ばれている。

『川下神社』
気多ケ前の神ヶ岩に鎮座した豊玉比売神を祀る。
冬の荒波のため度々災難で流されるも、ご神体はその都度岩の上に、或はカンコウ小屋にと避難されてて無事であった。



8月1日(夜宮祭)と2日(例祭)にわたって祭典が執行されていたが、現在は8月1日のみの祭典で、海上には数百の神燈を流して非常に賑やからしい。


8月1日に神職は川下神社に籠るならわしがあり、先代の宮司は、再三、竜神が海に帰られる姿を拝見されたとか。
そのほか、詳しくは→白兎神社



『うさぎが導く縁結びバスツアー』というのもヒットしました。
白兎海岸だけでなく、内陸部にも白兎神社ありました。
因幡の山間、八上の八頭町には3つの白兎神社があり、伝承が残されています。



2008-11-16 大神をおおみわと呼ぶ不思議 の記事の最後に
次は「因幡の白兎」を調べてみます。
なんて書いてました!

調べてどう思ったのか、何がわかったのか…
ワケわからんようになりつつも、時々記録を残してたので振り返ってみます。

あれから9年近くの月日が流れてます。
なでうさぎ、波うさぎ、長年不思議に思ってたことが、このたびの白兎神社参拝後に知りえたことと どうつながるのでしょう。

因幡の白兎③に続く


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鳥取のジオスポット★鳥取砂丘

2017-01-27 | 旅・中国&四国地方


鳥取砂丘の土産物屋さんの裏側にこんなわかりやすいジオスポットありました。

1/22の日曜昼に訪れた時ミゾレが降ってきて、急いで避難。
出発までまだ余裕あったのでウロウロしてて


この看板目に留まりました(^ ^)

裏側に廻ってみると




黄色みを帯びた地層が大山の噴火による火山灰の蓄積したもので、5.5万年-5.9万年前だそうです。
その上下に、鹿児島の姶良火山からの火山灰層があるとのこと。

山陰海岸ジオパークより引用
「鳥取砂丘は、中国山脈に源を持つ千代川の急流が運んできた花崗岩質の砂と、日本海の冬の波浪のコラボレーションによる自然の造形美です。美しい曲線を持つ砂丘地形では、風による砂の移動が描き出した風紋が微妙な変化を楽しませてくれます。
砂は幾重にも積み重なり、基盤の花崗岩質の岩石は地下およそ80mの深さにあり、古砂丘が厚くその上に堆積しています。大山の噴火活動で飛来した火山灰、さらに遠く九州南部鹿児島で噴火した姶良火山からの火山灰などが古砂丘を覆っています。そして、新砂丘がその上を覆い、現在の砂丘が形成されました。人々は自然の脅威の中で技術を培い、砂丘農業を生み出しました。」




播磨考古博物館でも、火山の噴火堆積物でマンモスが歩いた時代がわかると教えてもらいました。

2013-12-09 最も低い分水界★氷上回廊

2011-12-01マンモスも歩いた道★石生の水分れ★中央分水界

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鳥取の東郷湖畔はわい温泉で見た鳥と山

2017-01-27 | 旅・中国&四国地方




たぶんカモメ、お菓子を放り投げると上手にキャッチします。



東郷湖の湖底から湧き上がる温泉で、湖畔の岬の橋を渡った小島にあった温泉宿千年亭。

露天風呂も湖のすぐ横なので、鳥たちが目の前にいました。
残念ながらお風呂にカメラ持ち込めないから画像ありません。






花鳥風月疎いので、宿の仲居さんに鳥の名を尋ねたら、カモメとユリカモメだと。

見分け方違いがよくわからない。





潜水上手な鳥もいます。
かなりな距離を水中で進んで思いもよらないとこで頭出す。

カモメは何でも食べてカッパエビセンも大好きらしいけど、潜水苦手と知った。
となると潜ってたのはカイツブリ?



少し大きい白と黒の混じった水鳥も名前は不明。



こんもりお椀を伏せたような山が御冠山だと思います。







氏神さんの地車隊ご一行様ツアーは、日時集合時間と行き先と費用だけ知らされてました。
自分の行きたいとこで決めるのではなくて、親睦を図るためのお任せ旅行です。
枯れ木も山の賑わいで参加させてもらってます。

宿のはわい温泉は未だ行ったことなくて、地図で見たら去春行った三朝温泉より北、10月の鳥取地震で被災してる。
実際、千年亭の大浴場の洗い場で、水が出にくいのは地震の影響だと貼紙みました。
しかし東郷湖の湖底から沸きあがる温泉に異常はなく、いい湯でした。

その東郷湖の対岸に、湯梨浜町の伯耆国一ノ宮倭文神社があるのを確認してました。
当日バスが出発してすぐに幹事さんに、一宮めぐりしてるので行きたいなとプリントアウトした地図を見せました。

観光バスは走行コース、距離、ドライバーさんの勤務時間とか厳しく管理されてるから融通利かない。
それはわかってたけど、やっぱり、無理。
今回はご縁がなくて、倭文神社参拝は実現しなかった。

倭文神社社伝によれば、
出雲から渡った下照姫命が現在の湯梨浜町(旧羽合町)宇野に着船し、御冠山に登って現在地に鎮まったという。




最初の2枚のカモメが飛んでる画像、後ろの山の左側が馬の山で、右側に御冠山があります。

羽柴秀吉は天正9年(1582)、織田信長の命により中国攻めの軍を進めて鳥取城を陥落させました。
このときの兵糧攻めが厳しかったそうで、数年前にゆるきゃらグランプリで話題になりました。



つづいて羽衣石の南條元続を救援するため、伯耆に進出して御冠山(みかむりやま:186.3m)に布陣。
一方、毛利側の吉川元春の軍は、馬の山で対峙し背水の陣を敷いた。
双方がにらみ合うも、秀吉は元春の覚悟のほどを知り戦わずして軍を引き上げたそうです。


たまたま地車隊のおっちゃん達のセレクトで導かれた因幡国(いなばのくに)と伯耆国(ほうきのくに)。
歴史がいっぱい詰まってました。

因幡の白兎の続きはもう少し調べてから、なんか深いミステリーありそうなので。
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わずか1日で鳥取は大雪

2017-01-24 | 旅・中国&四国地方


1/24今朝のニュースです。
土日に鳥取道を通り鳥取県湯梨浜のはわい温泉行きました。



昨晩寝る前に視聴した鳥取の積雪状況。

わずか1日前、日曜昼の鳥取砂丘は




強風でラクダは外に出てなかった。
皆で記念撮影してたら突然みぞれ降ってきて大慌て。
雪でなくて残念やなと言うてました。

帰るまで雪が見れたのは、山陰から山陽へ山越える時だけだった。





旅行者として通過するだけなら、少しは雪降って欲しいもの。
でも通行止めにまでなるぐらいの大雪は勘弁して欲しい、なんて身勝手な思い。

1日ずれてたら車中閉じ込められてたかも。
無事に帰着できたことに感謝です。
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因幡の白兎①

2017-01-22 | 旅・中国&四国地方




昨日午後3時半ごろ、白兎神社にて。
鳥取県のはわい温泉目指して国道9号線走行中、トイレ休憩で立ち寄ったわずかな時間に初参拝。




大雪かと思ってたのに、いい天気。
波は高かった。


童謡・唱歌
『大黒様 だいこくさま』

大きなふくろを かたにかけ
大黒さまが 来かかると
ここにいなばの 白うさぎ
皮をむかれて あかはだか

大黒さまは あわれがり
「きれいな水に 身を洗い
がまのほわたに くるまれ」と
よくよくおしえて やりました

大黒さまの いうとおり
きれいな水に 身を洗い
がまのほわたに くるまれば
うさぎはもとの 白うさぎ

大黒さまは たれだろう
おおくにぬしの みこととて
国をひらきて 世の人を
たすけなされた 神さまよ




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日本一危ない国宝鑑賞@三徳山投入堂

2016-04-20 | 旅・中国&四国地方


4/16(土)午後2:15登山開始して下山まで約2時間。
二人以上で午後3時までに登山参拝事務所で手続きし、4:30までに戻らないといけません。
地車隊22名のうち、足腰自信あるか、好奇心旺盛なもの
わずかに7名が登山参拝してきました。


ずらずらっと画像貼り付けます。







靴底点検でダメと言われた人はわらじを購入します。






距離は700mぐらいと聞いたような、しかし最初から急坂が続きます。







お仕事柄高いとこ得意で、最初スニーカーでビニール袋手に持ってひょいひょい。


しかし途中で地下足袋に履き替えて、荷物は誰も取らへんやろうと置いていく。



やっと建物見えて着いたかと思ったら文殊堂だった。



文殊堂わきの鎖坂は一人づつ登ります。








尾根道も狭くて気が抜けません。

観音堂を過ぎて、やっと到着(^o^)/







こんな高いとこにどないして造ったんやろう
そりゃあ 投げ入れたから投入堂や (≧∇≦)



本堂の右上に見える建物はおそらく文殊堂?




ご利益あると思います。







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犬挟峠と人形峠、それぞれの伝承

2016-04-18 | 旅・中国&四国地方


中国道から米子自動車道に入り、湯原ICで降りて、国道313号線経由。
やっと昼食場所となる道の駅「犬挟」に到着したのが12時半ごろ。

地図見てて「犬挟」をなんと読むんだろうとひとしきり話題になった。
看板のふりがな見てやっと判明。



その後も、車中で何度も、なんて読むのクイズで盛り上がった。


鳥取県の関金町にあるが、岡山県に近いので岡山県真庭市と共同で営業している日本でも珍しい経営形式の道の駅だそうだ。
関金わさびが、生粋の国産わさびとして有名らしく、生わさびも販売されてた。

地車隊の旅行では出発前に旅行費用を渡しているので、行き当たりばったりの店で一人千円札が配られ自由昼食となる。
足りない場合は自分で補充し、余ればおつりは好きに使ってもいい。

ココでは蕎麦とわさびやろうと、選んだ昼食は


とろろわさび丼とざるそば、大正解だった。
850円ぐらいで、おつりはもらった^^


犬挟峠は、標高313m
国道313号線が、鳥取県中部の倉吉市関金町から岡山県真庭市へ抜ける主要道路となっています。
その犬挟峠の国道沿いに平成10(1998)年8月8日
道の駅犬挟(いぬばさり)オープン。


なんかけったいな地名にはワケがある。
この犬挟の由来は何ですかと尋ねると、プリントした紙をくださった

1)鎌倉時代に後醍醐天皇が北条方に追われて通ったことで、蒜山地方ではこの峠を「院走り峠」と呼び、「いんばしり」が「いんばさり」となり「いぬばさり」となったという説
2)4世紀ごろ、古墳時代に日本武尊が西国平定のため国境の矢筈ヶ山(やはずがせん:標高1359m、大山の北東に位置する)から「この矢のとどく限りの敵すべて従え」と言って矢を討ったところ、これが峠にささったことから「矢ばささり」となり、これが変化して「犬挟」となったという説
3)犬でも狭い道だから「犬挟」となったという説
4)狭くて急な峠で犬すら逃げる「犬ば去り」から「犬挟」となったという説


この犬挟峠は、すでに奈良時代には、因幡国の智頭と播磨国の佐用を結ぶ志戸坂峠とともに、小鴨川上流から蒜山を越えて勝山に至る道として犬挟峠が拓かれていた
後に拓かれる他の陰陽連絡路と較べても道中が平坦で、峠の標高も低いことから盛んに利用されており、備中往来と呼ばれるようになった。

ということは、狭い急な坂道で犬挟、とか犬でも逃げるという由来はおかしいね。




小中学校の時代、たしか中国山地にウラン鉱の人形峠習ったなと地図を確認した。




江戸時代になると、現在の国道179号の原型となる津山往来が整備されるようになり、田代越、人形仙越、打札越の3ルートがあった。
1912年(明治45年)に山陰本線が全通すると、山陰と山陽の往来の手段は鉄道が主流になり、これらの峠越えルートは廃れてしまった。

ところが、太平洋戦争後の1954年(昭和29)天神川本流や三徳川の上流域でウラン鉱が見つかるようになり、1955年、県道倉吉津山線の頂上付近でウラン鉱の露頭が発見された。
鉱山は「人形峠ウラン鉱」と命名され、旧来の打札越はこれ以来「人形峠」と呼ばれるようになった。
1960年代から1970年代にはウラン濃縮原型プラントも建設され採掘から精錬までの技術研究を行ったが、現在は採掘は中止されている。
ここで初めて製造した塩化ウラニルは茨城県の東海村の施設へ運ばれた。

1973年オイルショック期にはウランの取引価格は高騰のピークを迎えたが、1979年にアメリカで起きたスリーマイル島原子力発電所事故を契機に、ウランの国際的な取引価格は下落しピーク時の半分に。
この結果、経済的には国内でウランを精製するよりも、海外から輸入するほうが安価で安定していることから、人形峠でのウラン鉱の採掘は中止されることになった。
2001年にはウラン濃縮原型プラントも閉鎖。
しかし、人形峠など各地のウラン探鉱活動で生じた微量の放射性を帯びた残土は約45万立方メートル、約100万トン。
残土処理ですったもんだしたが、2008年に処理施設が完成。
搬出された残土は日本原子力研究開発機構によってレンガに加工され、2010年12月13日までに約145万個が製造され、一般向けには「人形峠製レンガ」として販売している。
レンガの放射線量は安全としており、文部科学省の新庁舎のほか、現在までに各地で花壇や歩道の整備などに使われている。




この峠に人形峠の化け物退治の伝説が残されていました。

峠にはかつて、巨大な蜘蛛がいて峠を越えようとする旅人を捕食していた。
あるとき、これを退治しようとするものがおり、藁人形の囮を峠に設置すると、大蜘蛛が囮に襲いかかった。
その隙に大蜘蛛を弓矢で射殺し見事に退治することができた。
以来、この峠を「人形峠」と呼ぶようになった。


あれあれ?
1955年
>旧来の打札越はこれ以来「人形峠」と呼ばれるようになった。

その巨大な蜘蛛の化け物退治の時代はいつなんだろう??
もしかなり昔からあるのなら、それは3つのルートのうちの人形仙越のほうかも。


このほか、人形峠環境技術センターのホームページでは異説が2つあると書かれてありました。

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