質オザサ店主ブログ

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いよいよ桜咲くよ

2017-03-30 | 保護観察




大枝公園の今朝の桜です。
たまたま通りがかったら、桜開花直前のピンクオーラに包まれてました。

現在少年院に収監中の少女の母親の家に、環境調整のために往訪した行き帰りに見ました。


先日、高校同窓生のべべさんに依頼受けてインターネットラジオで更生保護について語ってきました。

更生は厚生労働省の厚生とも違い、更正でもないのですね。
更に生きる、漢字が合体したら 甦る→蘇る。

パーソナリティのべべさんには、ココがヒットしたようです。

短時間の内容なのに、言い間違いありました。
江戸時代18世紀に石川島人足寄せ場をつくるのに尽力したのは、長谷川平蔵なのに遠山の金さんって言ってしまった。

死罪打首、遠島島流しなどから、更生に向けての矯正施設刑務所のはしりです。
石川島人足寄せ場が府中刑務所の前身だそうです。

裁判待つまでに最長で半年間収監される牢獄はこの間に半分は死んでしまう過酷な場所だったようです。
幕末の吉田松陰も記録に残しています。

不確かなことも含め喋った内容は、
4/3(月)12時だったか12:30だったかに放送されます^ ^
インターネットラジオ「ゆめのたね」
虹色バリアスペースという番組です。
お昼休みにお時間ありましたらネット繋いで聴いてみてください。
あえてリンク貼りません、あしからず(^^;;




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相撲協会ロゴは 大に桜の花

2017-03-28 | 世情雑感




「日本相撲協会のエンブレムはこれ。正しくは相撲協会徽章(きしょう)。
輪郭は土俵ではなく大相撲の「大」を型どったもので、中には桜の花。
明治42年6月に国技館が開館した時から使用された。
デザインした当時のアートディレクターは不明。」
日刊スポーツ新聞社の元大相撲担当佐々木一郎さんon Twitter より



警視庁は皇居の桜田門前にあるので、警察のことを桜田門と呼んだりします。
そこから「桜田門」はいまも警視庁の隠語として使われ、「桜の代紋」といえば警察を指すことも。
桜の代紋は、実は桜ではなく朝日(旭日章)なので、「桜の大門」のことなんでしょう。


ご近所の桜のつぼみはまだ固い。



でも今朝の金のなる木はいまだ満開。


最初につけた花すらも残ってて、
ちなみに 2/18の画像は ↓


なかなか現実の生活には反映されないもんですね。



この記事かいてる間に、次のニュースが

2017年03月28日
高浜原発の再稼働可能に…運転差し止め取り消し
「関西電力高浜原発3、4号機(福井県高浜町)の運転を差し止めた大津地裁の仮処分決定について、大阪高裁(山下郁夫裁判長)は28日、関電の保全抗告を認め、差し止めを取り消す決定をした。昨年3月の大津地裁決定は運転中の原発を司法判断で初めて停止させたが、高裁の決定により法的には運転が可能になった。」

裁判って判断する人によってずいぶん異なった結果になるもんなんですね。
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逆転優勝の稀勢の里にもらい泣き

2017-03-26 | 世情雑感







怪我がひどくならないよう見守ってたら勝った。





決定戦でも右手が強かった



稀勢の里 優勝(^o^)

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桜始開

2017-03-25 | 24節気72候

ハクモクレンです。


サクラソウも満開。

日差しは春に騙されて外でたら風冷たい。
大阪の開花予想は来週4/2となってます。
ちょっと今年は遅いようですね。


昨日の取組で右肩痛めた稀勢の里、今日は強行出場らしいです。
今場所12日目まで強い安定した姿見せてもらいました。
長く横綱でいてほしいから無理せずにと思います。



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龍蓋寺の龍と義淵僧正と

2017-03-22 | 古代史のミステリー


岡寺は龍蓋寺という名前でもあり、その由来となった伝承
「飛鳥を荒らす悪龍を其の法力により石の蓋をもって、池に閉じ込め改心させる 龍は善龍となり今もこの池に眠る この池を龍蓋池と名付け龍蓋寺(岡寺)の始まりとなる」




小さな池の真ん中の岩が蓋となり悪龍が封印されてるんだって。
のぞきこんでじっくり見たけど、何も見えず感じず、画像にも何も写りこんでなかった。



石版彫刻背後にラッパスイセンの黄色が眩かった。





背後の山に石塔があり赤い鳥居が見えたので行ってみる。






龍蓋池のほぼ後ろにある瑠璃井



門柱のまさに中央奥に不動明王の石碑があり、右奥に小さな滝。
瑠璃の井という命名にも、なんとなく瀬織津姫だとふと思いました。

赤い鳥居は稲荷社


右の階段あがると奥の院石窟、数メートル奥に弥勒菩薩が祀られてました。





義淵僧正は竜使いだと教えてくださったのは吉田さん。
ちょうど今吉田さんのブログでも取り上げられています。

少し前に、拙ブログで吉田さんがコメントで次のように書いてくださり、たいそう興味を持っていました。

「藤原不比等が祀った藤原家繁栄の天神八座は竜神結界祭祀で
かなりの犠牲の上に成り立っていると記載していますが
この術は強力で現代まで残っていました。
義淵の弟子の玄昉・行基・隆尊・良弁・道慈・道鏡などは
皆この竜に太刀打ちできなかったのです。
師匠の義淵は竜使いでした。
悪竜と変じた大津皇子を調伏したとかいう
妖しい話が伝わっています。
義淵は百済聖明王の末裔と云われていて
不比等は百済王子豊璋の血統です。
私見ですが藤原家繁栄の天神八座の竜神結界祭祀を
仕切ったのは義淵の可能性が高いと感じています。。
海女の血統の宮子姫も人身御供の中心のはずだったものが
誰かがちょっかいを出したせいで人身御供から外れて
幽閉されたものと思われます。
でもそのおかげで藤原家は盤石ではなく
栄光と苦難と争いの大一族となったのでしょうね。」

2015-08-16 道成寺縁起とかみながひめ

2016-04-06 春の女神 佐保姫と狭岡(さおか)神社




まず、義淵(ぎえん)について調べてみました。
奈良時代、法相(ほっそう)宗の僧。(?―728)
大和国(奈良県)高市(たかいち)郡の人。
俗姓は百済王の子孫市往(いちき)氏(または阿刀(あと)氏)。
両親が観音菩薩に子授けを祈ったところ、柴垣の上に置かれていたという。
出家して法相宗の第三伝智鳳に教えを受け、703年(大宝3)僧正に任ぜられ、仏教界の最高責任者となった。
とくに興福寺系法相宗の中心をなし、社会事業に活躍した行基、法相宗第四伝となった玄昉(げんぼう)、華厳宗を開いた良弁、このほか宣教、隆尊など多くの弟子をもち、日本法相宗の実質上の開祖とさえ評価する学者もいる。
竜蓋寺(りゅうがいじ)(岡寺)、竜聞(りゅうもん)寺、竜福寺、竜泉寺、竜象寺など五箇竜寺の開山で、元正・聖武天皇の代に宮中の内道場に仕え、その功により市往氏に岡連(おかのむらじ)の姓を賜った。
・・・以上 日本大百科全書(ニッポニカ)より


先の岡寺の記事で、「飛鳥時代の名僧、義淵(ぎえん)が、早世した天武天皇の皇子、草壁皇子の宮を賜って寺としたのが始まりという。義淵は子供のない夫婦が観音さまに願掛けに通っているときに垣根の上に置かれていた赤ん坊で、話を聞いた天智天皇が義淵を引き取り、幼かった草壁皇子と一緒に岡宮で育てたといわれている。」


ところが、岡の宮が義淵に下賜された663年が岡寺開創で
草壁皇子(くさかべのみこ)は662年生まれ。
なんか時期が微妙に合いませんね。


天武天皇の第2子である草壁皇子は、689年(持統天皇3年)皇位を約束されながら即位することなく28歳の若さで薨じました。

662年(天智天皇元年)天武天皇と皇后・鸕野讃良皇女(後の持統天皇)の皇子として誕生
672年(天武天皇元年)壬申の乱が勃発
681年(天武天皇10年)に皇太子
689年(持統天皇3年)死去



少し視点を変えて、この岡寺の少し北に大原の里があります。
なんと藤原鎌足の生誕地といわれる大原がこんなとこにあったとは知らなかった。

天武天皇が鎌足の娘の五百重娘(いほえのいらつめ)=藤原夫人に送った歌

わが里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 降らまくは後(のち)
(万葉集巻2・103)
歌の意味:私の住んでいる里に大雪が降った。(あなたの住む)大原の古い里に降るのはもっと後だろう。

これに対して、藤原夫人は次の歌を返した。

わが丘の おかみに乞ひて 降らしめし 雪のくだけし そこに散りけむ
(万葉集巻2・103)
歌の意味:私の所の神様が降らせた雪が、そこまで散っていったのでしょう。

詳しくは→大原の里 でご覧ください。

『わが丘の おかみ』というのが、岡寺の龍のようです。


鎌足の没年は669年で、五百重娘(いおえのいらつめ)は生没年不詳なれど
姉の氷上娘(ひかみのいらつめ)は682年に亡くなったときに藤原夫人歌一首が残っていて、少なくとも682年には生存してた。



奈良県の竜蛇(「怪異・妖怪伝承データベース」より)
話 名 大蛇
資 料 奈良県史13 民俗(下)
場 所 高市郡 明日香村
要 約 岡寺の境内の竜蓋池は、義淵僧正が大蛇を退治した池。旱魃の時には池の中央の石を動かせば雨が降ると言われている。


この龍と義淵僧正と、天智天皇と天武天皇の第二子が草壁皇子。
そして悲劇の大津皇子は、鵜野讃良皇后の姉大田皇女が母。
いろいろ繋がってます。
そのあたりがまた、藤原家の発祥の地でもありました!



大津皇子の辞世歌
ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ

磐余の池がどこにあったのか調べてみると岡寺のほぼ北にありました。
磐余池跡


大津皇子(おおつのみこ)663-686 享年24歳
母は天智天皇皇女の大田皇女-鵜野讃良皇后の姉
686年(朱鳥元年)9月に天武天皇が崩御すると、同年10月2日に親友の川島皇子の密告により、謀反の意有りとされて捕えられ、翌日に磐余(いわれ)にある訳語田(おさだ)の自邸にて自害した。
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西国33箇所7番♡岡寺にもでっかい如意輪観音像

2017-03-20 | 西国33箇所


門の前で写真撮り忘れました。
道路沿いの駐車場は民間なので500円かかるけれど、山門横の岡寺の駐車場は無料。
以前hideponさんのブログで情報得てたので、ナビが示す通り明日香の村中の鳥居くぐって昔ながらの細い参道山道を上がる。



すれ違う余裕もない細い道で溝に落ちないよう気を使いました。



枝垂れ梅も満開、境内のお掃除も行き届いてる。
少し春霞なのか靄ってたけど、暑くなく寒くなく日曜日は行楽参詣日和でした。



本堂で朱印賜る。

御本尊の如意輪観音像は、4.85mあるそうでめっちゃ大きかった。
銅像なら、東大寺 毘盧遮那仏(奈良の大仏)
木像は、長谷寺御本尊 十一面観世音菩薩
そして、土でできた塑像なら岡寺御本尊 如意輪観音菩薩が三大らしい。

撮影厳禁なので岡寺サイトより画像もらってきます。




岡寺は通称で、東光山龍蓋寺

近鉄のサイトより説明文コピペさせてもらいます。

「飛鳥時代の名僧、義淵(ぎえん)が、早世した天武天皇の皇子、草壁皇子の宮を賜って寺としたのが始まりという。義淵は子供のない夫婦が観音さまに願掛けに通っているときに垣根の上に置かれていた赤ん坊で、話を聞いた天智天皇が義淵を引き取り、幼かった草壁皇子と一緒に岡宮で育てたといわれている。

本堂前の池に暴れる竜を封じ込め、梵字の「阿」を掘り込んだ大石で蓋をしたという伝説から龍蓋寺(りゅうがいじ)の寺名があるが、地名からついた呼名「岡寺」の方が有名。
飛鳥の里を見下ろす高台にあり、仁王門(重文)、本堂、大師堂、昭和61年に再建された三重塔などが点在する。

本尊は天平時代の如意輪観音坐像(重文)で、像高4.5mは塑像としては最大の仏さま。この塑像は弘法大師が印度・中国日本の土を練って造ったといわれ、その胎内に金銅の小さな如意輪観音像(奈良国立博物館に寄託)をおさめたという。ほかにもしなやかな天女を浮き彫りにした白鳳時代の天人文甎(てんにんもんせん・本物は奈良国立博物館に寄託)、花山院御手印石などを見ることができる。また、境内には3000本ものシャクナゲが植えられ、サツキ、紅葉とともに花の名所としても知られている。

西国三十三ヶ所の第7番札所。
ご詠歌は「けさ見れば つゆの岡寺の庭の苔 さながら瑠璃の 光なりけり」

シャクナゲ4月中旬〜5月初旬。約3000株。サツキ5月上旬〜下旬。約100株。」



つづく

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テーマパークみたいだった巨大石仏いっぱいの壺阪寺

2017-03-19 | 西国33箇所


明日香地方の西国33カ所6番壺阪寺と7番岡寺行って来ました。

本日最後に参詣した壺阪寺は今までに見たお寺と随分雰囲気違いました。




真っ先に目に留まるのが巨大な釈迦如来像




本堂の中もずいぶん趣き異なりました。
ご朱印の字は意外とちっちゃい、












大観音石像は山腹のかなり高いとこにありました。
ポスターに選ぶぐらいだからこれが一番のウリなのかな。



敬虔な気持ちになるよりは、巨大石像に目がテン。
拝観料600円とか山奥やのに駐車場代500円取るし、
門前横に大きな盲人老人ホームも併設してました。
新興宗教と聞いても納得しそうな感じでビックリでした^ ^。

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神社仏閣あまたあれど、最後どこ行く?

2017-03-17 | 日々是好日








誰しも人生で思いもよらない災難に遭遇して、大難を小難に、小難を無難にと神様や仏様にすがりたくなるものだと思います。

日本各地の神社や寺院をめぐった時たいていは、はじめましてとご挨拶してるだけです。
しかし人生の最難関真っ只中で、最後は神頼みの心境の今日この頃です。

屈辱の思いのたけをぶちまけたいとこではありますが、個人情報の観点から、そして言葉が過ぎれば逆に名誉毀損で訴えられますから。

世間で賑々しく注目浴びてる森友学園みたいに、庶民には思いもよらない闇があるものです。


2014年7月奥奈良から熊野に抜けるスピリチュアルな旅
2014-07-08 ゴトビキ岩で思いもよらぬことが
この旅から帰ってから次々と遭遇し現在に至る困難に立ち向かってる最中です。
そのツアーで出会った人に、どこの神社がお気に入りかお尋ねしたら、
弥彦神社と言われました。


それから2年過ぎて、去年10月、同業者の親睦旅行で初参拝。
私も気に入りました。
そしておやひこさんに再度参拝してご加護をお願いしようと思いました。




おりしもグッドタイミングで、超格安のモニターツアーを発見。
新潟県から観光助成金として1万円が補助されてます。
二泊三日の越後旅、旅館のランクとかはもちろん異なりますが、秋に比べて3分の1の費用で行ってこれました。

ご近所の友人に、新潟は魚沼の西福寺の開山堂に、それはそれはすばらしい彫刻があって、日本のミケランジェロと呼ばれてる、と話したら一緒に行ってくださることになったのです。






つらい時期をともに過ごしてくださって感謝しています。

いつものおなじみの神社は、このお彼岸で参拝行く予定です。
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温泉水のサルフェノールにやられたかも

2017-03-14 | 日々是好日


今日は市内中学校の卒業式です。
保護司会として来賓の案内状来ますから出席予定で段取りしてました。
ところが今朝は尿結石のような症状で、とても式典の間じっと座ってられないためやむを得ず欠席しました。

そして写した画像は、買い置きの炭酸水「サンブノア」
成分表の上から3番目に Sulfetes:9.0
サルフェートは英語名でサルフェノールです。

過去に炭酸水にはまったときに調べたのを参考にして下さい。
水のテロワールとサンブノア

「サンブノワはその他特筆すべき成分としてサルフェート(SO42-)を含みます。サルフェートは硫酸塩のことで、硫酸イオンがナトリウムやカルシウムなどのミネラルと結合してできた無機化合物の総称です。
温泉水やヨーロッパの地層、にがりなどに含まれます。
サルフェートは利尿作用を高め、体内の老廃物を排出させる効果があるため、美容効果も高いと言われています。」



なぜか私の体は、このサルフェノールを少し多く摂取すると、体内の老廃物を排出させるときに尿酸のように固まり排尿時に痛みを伴う傾向があります。

あの2012年夏に体感してそのことに気づき、一度に大量には取らないように気をつけていました。

にもかかわらずです。
今回の越後旅で湯沢温泉に宿泊したときに、お風呂場で湯沢温泉水が自由に飲むことができたのです。
無料となると、ついじゃんじゃん飲んでしまう。
朝晩の食事時も、越後の雪解け水か温泉水かわかりませんが飲んでしまった。


温泉の成分表で、サルフェノールが多いことをちゃんとこの目で確認してた。
一緒に旅した方は過去に結石で入院されたことあるので、あんまり飲んだら駄目ですよと伝えました。

しかし私はついうっかり飲んでしまった><

*越後湯沢温泉水は、国内産では珍しいサルフェノールを170mg/Lも含んでます



そして帰阪して二日間少し違和感感じたので、ビール飲んで排泄促してました。
今朝目が覚めたらかなり出口まで下がったようでひどい症状になってました。
数時間トイレダッシュでしばらく苦しんだら、老廃物を排泄して元に戻るのも体感済みで、あと少しの辛抱です。


湯沢温泉地域で暮らす人々皆が結石になるわけでもありません。
たまたま私の体質で、過敏に反応が出るだけですから誤解なきよう。
迂闊にもついうっかり、
これもまた体質というか性分というか・・・
石橋たたいても渡らない用心深さもあるのに混在してますね。





フランスのサンブノアはジャンヌダルクだって飲んでたことでしょう。

サンブノアの源泉は、フランスのほぼ中央ロワール河のソローニュ地区(ロワール河とシェール川い挟まれた一帯)とオレルアンの森との間にあります。
「オルレアンの乙女」とも呼ばれるフランスの国民的英雄ジャンヌ・ダルクが群集の先頭に立って駆け抜けた森です。

ジャンヌダルクは、取水地近くのサンブノア修道院に2回立寄っているそうです。






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やっっと終わったガス漏れ補修工事

2017-03-12 | 世情雑感


撮影時間22:32
このあと水で洗浄したりして11時半までにやっと終わりました。
正午過ぎ、ガス漏れ感知したので工事しますと聞かされた。
なんとお隣さんの玄関前道。

ガス漏れで爆発とか陥没とかするの?
と聞いたら今のところ大丈夫ですっていうけど、…

1時間後、工事現場に立ち会うガードマン探して20社以上当たったけど見つからないから工事できなくて、19時開始になると追報告受ける。
今はガードマンが居ないと工事できないというルール規制もいかがなものかと思う。


聞いてた通り19時数分前から工事音が始まる。

20:33撮影。
一箇所は補修できたがもう一箇所見つかったって。

戦後すぐに適当なインフラ工事からスタートしたという地域です。
ガス管も水道管も、70年程経過したら耐用年数過ぎてあちこち劣化も当然。
適宜取替えてるとは思ってましたが、実態はどうなんでしょう。
日本中あちこちで抱えてる問題なんだろうと記録残しておきます。

★3/13追記
朝明るくなってから確認行くと


小さな穴が両端に二箇所開いてました。
もしまだ漏れてた場合空中に逃すため?


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三国街道塩沢宿でガイド9の啓示は

2017-03-12 | 旅・関東&中部&北陸地方


いろいろ思うとこあり、去年10月から半年もあけずに再訪の越後旅でした。

昨日3/11夕方の投稿した雪深い画像は、340年の歴史ある造り酒屋さんの入口で撮影したもの。
雪積もってるし降ってるしで、ふだん雪に縁なく暮らしてるのでうれしかった。
大晦日の永平寺、1月22日夕方からの大雪寸前の鳥取砂丘、2月最初の金剛山、どこも雪なく、やっとあえた雪(^○^)V

越後旅最終日は朝9:30に越後湯沢駅前のホテルを出発し、30分足らずで塩沢宿に到着しました。





カマキリはその冬の積雪量を予想して卵産むんですってね。
過去の積雪高さが記されてました。





三国街道は江戸から群馬の高崎、越後の寺泊を結ぶ重要な街道です。
佐渡の金や受刑人だけでなく、塩沢紬や米も行き交いました。
上杉謙信の越後からの戦路でもありました。



三国は越後と信州と上野なんですね。
和泉と摂津と河内の国の境にあった三国丘高校出身なので、三国に人よりは反応してしまいます。




ガイドさんの旗には天地人 9
塩沢宿目ぬき通りの名は牧之通りといい、それは鈴木牧之(ぼくし)から。
鈴木氏家紋も、丸に九枝笹でここでも9で、おまけに笹ですやん。

家に帰ってめねふねさんのブログ訪問したら、ちょうど昨日投稿された記事でも「9の神託...」がキーワードに。

ガイドさんの塩沢紬のベスト背中に大きく「愛」の赤い刺繍が目に留まります。
9の啓示は「愛」ということでしめさせてもらいましょ。


★3/14画像追加






maari さんがコメントで書いてくださった薄荷糖と雁木、そしてマンホールの蓋画像です。

塩沢宿は現在南魚沼市ですが、かつては旧南魚沼郡塩沢町、
それで汚水マンホール蓋の中央には旧町章が記されているのですね。
周りの模様は何かと調べたら、雪の結晶らしいです。



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あの日をわすれない

2017-03-12 | 世情雑感
秋篠宮さまが追悼のおことば「深く心が痛みます」(17/03/11)




全文
6年前の3月11日午後2時46分、私たちが今までに経験をしたことがない巨大な地震とそれに伴う津波が、東北地方太平洋沿岸部を中心とした東日本の広範な地域を襲いました。そして、この地震と津波によって、2万人近い人が命を落とし、また2500名を超える人の行方がいまだ知られておりません。
ここに、本日、参集したすべての人々と共に、震災によって亡くなった方々とそのご遺族に対し、深く哀悼の意を表します。この6年間、被災地においては、人々が互いに助け合いながら、数多くの困難を乗り越え、復旧と復興に向けた努力を続けてきました。
そして、そのことを支援するため、国内外の人々が、それぞれの立場において、様々な形で力を尽くしてきました。その結果、安全に暮らせる住宅の再建や産業の回復、学校や医療施設の復旧などいくつもの分野において着実な進展が見られました。また、原子力発電所の事故によって避難を余儀なくされた地域においても、帰還のできる地域が少しずつではありますが広がってきております。今まで尽力されてきた多くの関係者に対し、心からの感謝と敬意を表するとともに、復興が今後さらに進んでいくことを祈念しております。
しかし、その一方では、被災地、また避難先の地で、困難な生活を強いられている人々が今なお多くいます。特に、避難生活が長期化する中で、年々高齢化していく被災者の健康や、放射線量が高いことによって、いまだ帰還の見通しが立っていない地域の人々の気持ちを思うと深く心が痛みます。困難な状況にある人々誰もが取り残されることなく、平穏な暮らしを取り戻すことができる日が来ることは、私たち皆の願いです。東日本大震災という、未曽有の災害のもとで、私たちは日頃からの防災教育と防災訓練、そして過去の災害の記憶と記録の継承がいかに大切であるかを学びました。この教訓を決して忘れることなく、私たち一人ひとりが防災の意識を高めるとともに、そのことを次の世代に引き継ぎ、災害の危険から多くの人々が守られることを強く希望いたします。様々な難しい課題を抱えつつも、復興に向けてたゆみなく歩みを進めている人々に思いを寄せつつ、一日も早く安寧な日々が戻ることを心から願い、御霊への追悼の言葉といたします。
コメント

お出かけしてました^ ^

2017-03-11 | 日々是好日


詳細はまた後ほど。
コメントお返事遅れてごめなさい。
コメント

じゃばらピールで邪を払う

2017-03-08 | 日々是好日


道の駅「柿の郷 くどやま」で購入。
もともとオレンジピールとかかんきつ類の実も皮もジャムも大好きです。

これだけで540円のお値段はちょっと高いようにも思えたけど・・・
すでに残すは一切れとなりました。




2014-04-21 熊野の新姫と北山のじゃばら
ここの記事で詳しく紹介しましたが、和歌山いくたび見かけたら、わずかでも購入して応援してます。


先の記事で高野山口名倉の飛び地をみて、和歌山には北山村という飛び地もあることを思い出しました。
飛び地というのはいろんな歴史を踏まえたワケありなんでしょう。







九度山の散策はわずかな時間で、団体でもありましたから見落としもいっぱいあります。
そうした中で気になった御対面石とは
ある時、紀の川の水が増水し、弘法大師が渡りかねていると、
「御対面石」に弁財天が姿を現され「和泉まで参詣するのが大儀であるから、この九度山の地に移してよかろう」とのお告げにより、この尊を勧請して槙尾山明神社に祀ったと言われている



槙尾山明神社ってどこにあるんだろうと検索してみました。
ヒットしたのは丹生官省符神社の鳥居でした。





行ったことないのでネットで画像拾ってきました。



丹生官省符神社」は、
弘仁7年(816年)に弘法大師が「慈尊院」を開いた際、紀ノ川の河畔に丹生明神と高野明神の二神を祀ったものが、
永正14年(1517年)に現在の地に移された。
宝永2年(1705年)に建立された九度山槙尾山明神社の鳥居を移築したもの


鳥居を移築したということは、その九度山槙尾山明神社はどうなったのでしょう?
なくなったの?
新しく建て替えたの?


真田庵の真田地主大権現ともども検索を重ねると、こんなミステリー見つけました。
LocalWiki真田庵

まるっと引用させてもらいます。

1600年の天下分け目の関ケ原の敗戦後、高野山へ蟄居を命じられた昌幸・幸村父子は、しばらくして、家族との生活を許され、麓の九度山に居を構えます。その屋敷跡に建てられたのが、真田庵です。この地で、名を挙げた大坂冬の陣へ出陣するまでの14年間、幸村の人生で最も長い間過ごしました。残念ながら、父・昌幸は、九度山でその人生を終えています。

真田庵境内には、昌幸のお墓が残されています。当時は、隠棲の身であったため、葬儀をあげることも許されず、もちろんお墓を作ることも許されませんでした。そのため、幸村は、屋敷内にあった松の木の下に父・昌幸を埋葬し、その魂を弔ったとされています。

現在は、真田地主大権現として祀られ、2代目の松の木とともに昌幸のお墓は、幸村・大助の供養塔と一緒に並んでいます。

大坂夏の陣での敗戦後、昌幸・幸村父子の屋敷は、焼き払われてしまいます。126年後、大安上人によって、屋敷跡に真田庵が建立されます。建立にあたり、当時の桃園天皇ゆかりの方のご縁もあり、境内には、真田も六文銭、結び雁金のほか、菊の御紋もあちこちに見られます。

戦時中、天皇家ゆかりのお寺であることを隠すため瓦に刻まれた菊の御紋を白く塗りつぶした名残が残っています。

また、真田幸村が雷を封じ込めたとされる井戸があり、必要な時しか開けないということから、実は少し離れたところにある抜け穴につながっていて、ここを通って真田幸村は大坂冬の陣に出陣したとされる伝説も残っています。


正史では上記のようになっているが、歴史探偵のように詳しく調べてみると夏の陣の敗戦後126年とは1741年の事で天皇は桃ピーチではなく桜チェリー 桜町天皇の世であった。当時寺社建立権限は天皇家ではなく江戸幕府寺社奉行一人の専権事項であった。この寺の建立コンセプトは奈良の法隆寺や島根の出雲大社、京都の天龍寺と同じ怨霊封じの施設なのだ。その理由は1741年が辛酉の年(革命が起こる年と心配される年で改元する)であることが決め手でありその対象者は真田昌幸、幸村:日本における神祭りの下記の公式に合致するからだ。すなわち政治的敗者であること。罪なく殺されたこと。(病死でなく毒殺ではないか6月4日は無死の日)時の権力者はその祟りを鎮めるため自己の政権を安泰にするためその祟りの霊を手厚く祭る。真田地主大権現として、又日の本一の武将とほめたたえることによって......。真実は闇の中だ。

庵内には下記の絵の通り幸村雷封じの井戸がある。真田庵縁起には雷が落ちたので村人を助けるために幸村がこの井戸に雷を封じ込めて村人を救ったとある。ファンタジーな縁起だが、雷とは権力者が怒ることを示唆する時に使われるもので(親父、雷、神と並列する)上(かみ)が怒り昌幸を封じ込めたというのが真実ではないだろうか。つまり上(徳川幕府が怒り昌幸を暗殺した)1611年3月に徳川家康と豊臣秀頼が京都二条城で会見したところ、立派に成長した秀頼に危惧をいだき、その秀頼を補佐する可能性がある豊臣の重臣真田昌幸を1611年6月4日に、加藤清正を6月24日に暗殺した。共に正史では病死となっているが.......。歴史の真実は闇の中だ。その後3年後に大阪冬の陣、4年後に夏の陣 そして豊臣は滅んだ。

引用ここまで


九度山槙尾山明神社は元どこにあったのか、今はどうなってるのかわかりませんでしたが、九度山の正史からこぼれ出るさまざまな痕跡から深い闇を垣間見たように思います。


じゃばらピール食べとこ(><)

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九度山見たまま、私見では水の女神様を祀られた地かと

2017-03-05 | 古代史のミステリー


九度山の観光地図です。
一般の地図には、旧萱野家のすぐ向かいに遍照寺が記載されてますが、観光地図にはほぼ見当たりません。
なんかワケありでしょ。



もう少し大きい範囲で見ても同じでした。
紀の川の支流が丹生川なんですね。
左上のブログ管理人が記した青い○の地域、これも気になりました。
慈尊院や丹生官省符神社の下の、黒い淡路島みたいな地形の部分。
何、これ?
地図で確認してみましょう。




なんと旧高野口町名倉の飛び地が九度山町にあり橋本市へ合併後も継承されたんだそうです。
これもきっとワケありなんでしょう。


九度山は、真田と空海の二つの時代が重層的に重なっている地でした。
それでいて、九度山の地名由来は一般的に、高野山の弘法大師が母に会いに九度通ったからと知られています。



しかしこれは明治以降のことで、その昔は遍照寺の門前看板のとおりなんだろうと思います。



「神代の昔から有為の峰といって、丹生・白髪大明神のあるところ、弘法大師が槙尾山で修行されておられた頃、かたわらの弁財天をご信仰なされて、日夜お参りされていた。高野山をお開きになってからも厚く信仰され、つきに九度ずつ槙尾山に参詣されていた・・・そこへ弁才天が現れて、この地にわれを移し祀れ、と告げられた」




おまけにこの寺の場所は、かつて真田幸村が暮らしたところで、真田庵は父親の居所。
この点をスルーするかのような観光地図でありました。
きっとなんかあったんでしょう。

真田庵の真田地主大権現で光の入った画像、これは鳥居右手にあったお不動さんを彫られたような石柱を写そうとしたのでした。




目神様も含めて、検索してもわかりませんでした。


当日のボランティアガイドさんは流暢にすらすらと淀みなく解説してくださいましたが、強弱なかったのでついうっかりいろいろ聞き漏らしたかもしれません。

しかし、どう考えてもこの地は弁財天、水の神様がもともと祀られたように思え、その女神さまが目神様として私の目に留まったように思えます。


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