数日前にTVで「笑ってコラえて吹奏楽の旅」観ました。
今朝は8時集合。
この木は、京都の天上の木に認定されてるモミジです。
皆さんマスク装着です。
土宮
伊勢志摩ライナー乗りました。
宮中に参内し、新嘗祭神嘉殿の儀に参列いたしました。厳かな空気の中、五穀豊穣に感謝の念を捧げるとともに、皇室の弥栄と国家の安寧をお祈りいたしました。
— 岸田文雄 (@kishida230) November 23, 2022
11/22(火)
天皇陛下 皇居・宮殿(令和4年度文化功労者らのあいさつ)
11/25(金)
天皇陛下 皇居・蓮池参集所(賢所でご挨拶
天皇陛下のご予定には載ってませんが、
11/23(水)
秋篠宮さま 皇居・神嘉殿(しんかでん)(新嘗祭神嘉殿の儀《夕の儀、暁の儀》)
伊勢では雨でした。
やがて度会氏が外宮に宇佐の豊姫を「豊受大神」(トヨウケノオオカミ)として祀ったので、
左奥のお稲荷さんの老木根元が焦げてるのは、戦争末期の空襲で焼夷弾が落ち燃えたんだって。
第二次世界大戦終戦間際の全国的空襲は、神都である宇治山田にも及んだ。
1945(昭和20)年7月29日午前1時頃、宇治山田市街地に6ポンド油脂焼夷弾1万数千発も投下された。
アメリカ軍の資料によると、この時B-29は93機で焼夷弾734.6tの攻撃を仕掛けたとされる。
被害は市街地面積の5割に及び、全戸数の3割4,517戸を焼失、総人口の35%の22,600人が罹災した。
月夜見宮は、周辺の住宅がすべて焼失した中で、軍隊による懸命の消火活動と、萱葺屋根に突き刺さった焼夷弾が不発だったため、
社殿だけが焼け跡に建っているという状態。しかし宿衛員嘱託は空襲で命を落とし宮掌が大火傷を負った。
由緒は定かではないが、古くは高河原(たかがわら)と呼ばれ、農耕の神を祀る神社であったという。
927年の延喜式では外宮摂社の首位とされた。
『止由気宮儀式帳』では「月讀神社」、
『延喜式神名帳』では「月夜見神社」、『伊勢大神宮式』では「月夜見社」と記載。
1210年別宮に昇格した。
明治になって、同じくツキヨミの神様祀る「つきよみのみや」は、
外宮別宮は「月夜見宮」、内宮別宮は「月讀宮」と表記するようになった。
同じツキヨミ尊をお祀りするのに、なんで名前あえて変えるんだろうと思ってました。
もともと「月読」と「月夜見」はそれぞれ別々の氏族に祀られていた別神で、
外宮の月夜見宮は度会神主によって祀られ、
内宮の月読宮は中臣氏が祀るものだったようです。
古くからその区別が付かなくなってしまい、100%納得できる答えはないそうですが。
やっぱり異なる説あるんだ!
月には兎がいると信じられていたので、その場所が「宇佐」と呼ばれるようになったのだとか。
当時は太陰暦で、稲作や様々な祭り事が月齢を頼りに決められていました。
つまり月で暦を読むので、「月読みの神」と呼ばれるようになったのだそうです。
12:51 マルゲリータ❣️
13:07 パスタ❣️
かつてよく食べた一種類の単色ういろうと異なり豪華です。