秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

獄中からの手紙

2009-01-30 | 保護観察
保護観察の一つに環境調整というのがあり、獄中にいる人が世間に戻るときに備え受け入れ態勢を調整します。

3年前から担当している刑期11年の人がいます。
定期的に家族と面会したりするのが主な仕事ですが、時には刑務所へ本人に会いに行くこともあります。

その担当者は筆まめなんで、時々手紙をくれます。
ということは返事も出さないといけません。

年末に手紙をもらい、とりあえず年賀状をだしました。
すでに1月も終わるのでぼちぼち返事書かないとね。

たぶん塀の外から届く手紙は検閲されるであろうし、
罪の意識に悩む人への手紙の内容や言葉遣いはとても気を使います。
手紙は残るからあとあと読みなおすこともあるでしょう。
慎重に書かざるを得ないのでついつい後伸ばしになってしまいます。

まだ面談のほうが空気をよんで話せるから楽です。
いっそのこと面会に行ってこようかなぁ~

2・8の法則

2009-01-29 | シチの目
2月と8月、にっぱちは売れ行きが悪く閑古鳥が鳴くという話ではありません。
正式にはパレートの法則といわれる2・8法則です。

身近な例では、働きアリは皆一生懸命働いているようだけれど、実際は8割が働らいておらずウロウロしてるだけ。
そこでその働きアリ2割を別にすると、残りの8割からまた2割が働きアリに変身するという。

19世紀のイギリスにおける所得と資産分布を調査したところ、
20%の富裕層にイギリス全体の資産総額の80%が集中し、
この現象は継続して繰返されることを発見した、
イタリアのパレートという経済学者にちなんで「パレートの法則」といわれています。

この前の日曜朝、旅先でいつもより早起きしていたので、TV番組で「コメ兵」の戦略を見ました。

コメ兵はたしか名古屋の質屋さんだっと思いますが、リサイクルブランドショップとして大チェーンを展開しています。

そこでは8・2の法則というのがあるそうです。

商品買取で、すべての客から買い取ったとすると、それは買取価格が高かったからで、ほとんどの客から買取が成功しない場合は、値段が安すぎて他店へ流れたということ。

それで目安は1日に訪れる買取希望者と8割の成功率を目指しているそうです。

また買い取った商品を販売するとき、あっという間に全部売れるというのは値段設定が安すぎたということで、また逆にぜんぜん売れないのは、高すぎるということ。

そこでここでも8・2の法則。
一定期間に2割売れて、売れ残りは2割づつ値下げしていくとか。

こうした20%目安というのは、いろんなところでみられますね。
すべて満遍なく力を注ぐのではなく、特化したところに攻勢をかけた営業だったり宣伝だったり・・・

戦後日本の義務教育は、皆平等という思いにとらわれすぎたのかもしれません。
生物界には2・8の法則のようなものが数々みられるし、
投入資源と成果の間には,アンバランスがあるのが当たり前だから。

今時の子供

2009-01-28 | 保護観察
昨日は、保護司会と市PTAの合同研修会がありました。
講師は、勝山カウンセリングルーム室長の川本先生で、大学でも教鞭をとられたご経験などを踏まえて、
タイトルは、「現代社会と子供たち」

最近の小学生は、チャイムがなって授業時間が始まっても、ウロウロ歩いている子がいたり、おしゃべりしてたりしていて、開始までに時間が時間がかかる。
一人がトイレにいったら、次々と他の子たちも続く。

昔は先生が教壇に立たれたときには、すでに各自机の上に教科書が置かれ、チャイムと同時に「起立・礼」
授業中のトイレなんて恥ずかしくて怖くて我慢したもんです。

今の状況は先生が悪いのではなく、昔の子供が偉かったんだと。
先生の質による以前に、受けての資質の問題だと話されていました。

大学生となっても授業中に携帯メールしてたりすることは、いろんなメディアでも報道されていますが、実際ウンザリされてる教官は多いようです。

昨今の痛ましい事件の頻発に、TVやゲームで殺戮に慣れているとか、リセットできると思い込んでいるとかよく言われますが、
もともと攻撃的であるのは脳の本能的なものであるらしい。
それを人間としてセーブし制御するための大脳が未発達であることによると言われました。

「人」は支えあうという表意文字ではなく、人型からできているそうです。
地面にしっかり二本足で立つ自立した存在であることを表す漢字です。

この自立を促すための訓練ができていない、
各家庭が生活技術を学ぶ場として機能していない、
人と人の間で、様々な体験をする機会が激変している・・・

保健室登校は許されても、出席日数が足りなくても義務教育は卒業させてくれます。
しかし社会にでて就業すると、寝過ごしての遅刻や気分が悪いからと欠勤が続くのは許されませんし、人間関係がうまくいかないからといって会社を辞めたら次がない。

こうして成長した子供たちは、人間関係がうまく築けずひきこもりになるものも多く、仕事をせず親に養ってもらっている30代もたくさんいるいるそうです。
派遣切りどころの問題ではありませんね。


今回の講師は、15年程前カウンセリングの専門学校へ1年間通いましたが、そのときの講師でもあられました。
5年ほど前にも講演を聞く機会がありましたので久しぶりでした。

軽妙に自分でボケてつっ込んでのお話がわかりやすい先生です。
しかし今回の印象は、愚痴が多くなったなぁ~
つまり急激に世の中がおかしくなっているのを感じさせました。

現在の子供たちの現状を聞くと、日本の未来は明るくないなとつくづく思わされました。

カニに大満足

2009-01-25 | おでかけ・近畿
この週末は山陰から丹後地方は大雪の予報でした。
周りのものに大丈夫かぁと心配されながらも、雪もまた楽しと思いつく限りの準備して出かけました。

中国道から舞鶴若狭自動車道に入り、福知山で降り、
一般道に入るとどんどん雪が激しくなりました。

 
吹雪く中、おっちゃんたちはお外で用をたせていいね。

お昼前に出石の町で有名な出石蕎麦の昼食。
町のシンボル辰鼓楼の時計台がかすむほど雪が降りしきっていました。

 

お昼をすませると、さっきの雪がウソのように止みました。
大阪では雪が珍しいので、年を重ねたおっちゃんたちでもうれしくってしょうがない。
木の枝に積もった雪を傘で落としてみたり、雪だるまを作ってみたり・・・

 

豊岡のこうのとりの郷公園では、午後3時の餌付けめがけて近隣の野鳥達もたくさん飛んできます。

雪はやみ、上天気になると、雪がまぶしかった。
さすがに一眼レフのカメラを設置している人たちは、撮影スポットをよく知ってます。

このあと兵庫県から京丹後市に入り、久美浜へ。
 

久美浜・小天橋温泉で夜6時から大枝神社の地車隊ご一行様19名の大宴会が始まりました。

 

 

今シーズンのカニはもうこれで十分、満足しました。

改竄・偽作された日本の古代史

2009-01-23 | 古代史のミステリー
オバマ米大統領の就任演説の骨子は「新しい責任の時代」
なんでも社会や他人のせいにするのではなく、自己責任ということをアメリカの歴史を踏まえて語られましたね。

あのワシントンの氷点下のもと200万人もの人が集ったそうで、
直接首相を選ぶわけではない日本と比較はできませんが、日本人はあそこまで熱くなれるだろうか・・・

アメリカの歴史は新しいけれど、多数の民族の相克な積み重ねがありました。
では日本はどうでしょう。

今から1500年以上前にはやはり、部族の違いを乗り越えてきた歴史があったはずです。
しかし記録として残されている日本書紀や古事記が正しくないとしたら、悲しいことだとは思いませんか。

小学校高学年の教室の黒板上に貼られた日本史年表、
縄文・弥生時代のあと突然「任那日本府滅ぶ」が子供心にもあまりに唐突でした。

一部しか知りませんが、神話で登場するアマテラスやオオクニヌシノミコトなどの立ち位置が理解しがたかったこと。

成人して実際に足を運んだ伊勢神宮や出雲大社、その他の古いとされる神社で感じた違和感。

ネット検索して調べれば調べるほど、古代史登場人物の実在年代がうまく整合せずモヤモヤしていました。

今朝の朝刊で、淡路島に弥生時代後期の製鉄の跡が見つかったと報じられていました。
日々刻々と発掘されたり、新しい判定方法が確立されるので、あまり古い資料や説は信用できないところがあります。

そうした中で2006年に書かれ、2008年6月にウェブサイトとして再整理された、興味深いサイトを見つけました。

古事記・日本書紀に改竄・偽作された日本の古代史
サブタイトルは乗っ取られた飛鳥朝廷-そのとき歴史は創られた
 
和歌山県在住の山下重良氏にご快諾を得ましたの、是非ご覧下さい。
 → こちらから

質屋よもやま話

2009-01-22 | シチの目
インフルエンザというタイトルで、TMさんのブログでは、薬局のカウンター内側から見た世情を書かれています。
カルテから個人情報わかりますから、いろいろ驚きあるようです。

いろんな専門の場所から垣間見た世情って興味ありますよね。

質オザサのサイトは、2000年4月に1回目のリニューアルしたとき、「質屋よもやま話」のコラムを毎月連載を始めました。
本出したら、といわれるぐらい好評でした。

今はご覧いただけませんが、データは残っています。

ここ数年、個人情報管理が厳しくなり、再点検してからでないとうかつに記事掲載できずお蔵入り状態です。

時間があるときに見直して、公開できるものはまたご紹介したいと思っています。

保護観察もしかりで、書きたいときはまだ情報が生々しすぎて、いくら匿名で書いたとしても差し障りありそう。
時が流れると書きたい気持ちも薄れてすでに記憶のかなた。

旬のときにさりげなく書くのは難しいものです。

トマトラーメン

2009-01-20 | ケータイ・スマホから
季節限定で11月から1月まで、近所のラーメン屋さんで置いてるメニューです。

どんな味か想像しがたいでしょう。
mensoul53さんがはまってると聞いたので試してきました。

味噌ラーメンにトマト水煮缶を混ぜたようなスープでピリ辛どころかかなり辛い。
油で揚げたトマトのくし型が3切れとチンゲンサイと温泉卵がトッピングでした。

ペンネパスタ・アラビアータのニンニクを抜いてラーメンにしたような感じでもありました。
けっこうはまる味かも。

このメニューを思いついて、バランスみながらレシピ作った人、エライね。

にんじんの美肌効果

2009-01-19 | スピードクッキング
お正月用の金時人参から洋人参への出荷切り替え時期なのか洋人参が安い。
小ぶり人参6本入りで98円でした。

人参が美肌に効くと聞いてたので、早速1本を千切りにして、マヨネーズとサラダ用の酢で混ぜました。
少し味にインパクトがなかったので、ゴマを混ぜました。

 
これが人参1本分です。

シャキシャキ感もあって結構いける味だったので、日曜にもまた1本食べました。
おかげさまで効果あるように思います。

肌の保湿効果に有効であると、伊藤園のにんじん100%飲料研究成果にのってます。
 → こちらから

⑳いしきりさん その2

2009-01-18 | 古代史のミステリー
これは瀬戸物でできた小さな亀です。
上乃社の御札池には、満願成就叶った人々が、石切さんに感謝の意を込めて「御札亀」と呼ばれる小さな亀の置物を池の水上に浮かべるらしい。
あまりにたくさんの数で水は見えないぐらいだった。

 

石切劍箭命神社の上之社はひっそりしていましたが、
ここでもお百度参りしている方が何人かおられました。

 

この本殿左横から、山沿いに小さな滝があり、御札池があり、八代竜王社や婦道神社もありました。

縄文か弥生ふうの建物の登美霊社は、
前方後円墳と竪穴式住居を模して建てられたそうです。
 

中に入ることができたので覗いてみると、
正面祭壇の中央に黒い磐座が祀られ、その磐座のまわりに白い幣帛が磐座を取り囲んでいます。

中は薄暗く、とても気味悪く長居はやばい気がしたので早々に退散。

あとで調べてみると、その磐座に祀られていたのは三炊屋媛(みかしきやひめ)、長髄彦の妹であり、饒速日の妃であった女性です。

そしてなぜかわかりませんが、生きた自らの魂を御幣を御霊代として、自我霊尊が祭祀されてるらしい。
多くの人の祈りや思いが、あの空間にとどまっていたのかもしれない。

天孫のニニギが南九州に降臨する以前に、同じように天磐船に乗って饒速日が河内の哮峰に降臨したのを祀ったのが宮山「上之社」。
それにしても不思議な神社でした。



日本書紀や古事記には以下のように書かれているそうです。

そのころ、生駒山麓から奈良盆地にかけて勢力を張っていた豪族が長髄彦で、饒速日はその妹三炊屋姫と娶り、生まれたのが可美真手命です。

ニニギの曽孫にあたる磐余彦(イワレヒコ、後の神武天皇)が南九州から東征してきた。
長髄彦は大和に侵入しようとする東征軍を孔舎衛坂(くさえのさか、東大阪市日下)で迎え撃ちこれを撃退。
この戦いで磐余彦の長兄の五瀬命(イツセ)は脛に矢傷を負いそれがもとで死んでしまう。
磐余彦は、守りの堅い大阪湾側からの侵攻をあきらめ、紀伊半島を迂回して熊野に上陸し奈良盆地の東側から長髄彦を攻めた。

このとき、長髄彦はこう尋ねた。
「自分は天磐船に乗って降臨された饒速日尊を主君として仕えている。天神の子が二人もいるのはおかしい」と。
そこで、お互いに天神の子であるしるしを見せ合うことにした。
長髄彦は饒速日の天の羽羽矢(あまのははや、蛇の呪力を負った矢)と歩靫(かちゆき)を示した。
これを見て、磐余彦は「偽りではない」と言い、自分も同じように天の羽羽矢と歩靫を示した。

⑲いしきりさん その1

2009-01-18 | 古代史のミステリー
大阪と奈良の県境にある生駒山の大阪側斜面に石切劍箭命神社(いしきりつるぎやじんじゃ)があります。

まるで近所のおっちゃんか、知り合いのおばちゃんみたいに「いしきりさん」と呼び親しまれています。
正月4日、15年ぶりぐらいでこのいしきりさんへ詣でました。
それまでお参りしていたのは「下之社」で、少し離れた宮山に「上之社」があることを初めて知ったので現場検証もかねてます。

二駅ほど離れたところに住む友人と近鉄石切駅で待ち合わせました。
二人とも初めて下車した駅だったので、違う改札口で待ちぼうけ。
やっと出会えて、まず探検先「上之社」を探して山を上がっていきました。

社伝によれば、饒速日が天の磐船に乗って河内の哮峰(たけるがみね)に降臨したのを祀ったのが宮山「上之社」です。

  

そのあと坂を下り、現在の本社である「下之社」への参道へ。

 

坂本赤まむし本店をはじめとする漢方薬や草餅、煎餅、団子店にまじって占い屋が立ち並んでいます。

その途中で「石切さん献牛祭」の牛車を展示しているところがあり、
赤や黄色、青といったど派手な5台の牛車に度肝を抜かれました。

 

ちょうど丑年なので撮影しました。
帰ってから調べてみると、毎年7月2日石切さん献牛祭のパレードが行われるようです。
鎌倉時代から江戸時代にかけて盛んとなり、昭和初期まで神社に伝わっていた神事で、昭和60年丑年にこの祭りが復活されたとか。

 

いしきりさんはでんぼの神さんとして有名で、おでき、腫れ物は今や癌にご利益があると、お百度参りする人も引きをきりません。
皆口々に『石切劍箭大神』ととなえながらです。

参拝者心得には『参拝者は石切劍箭大神とお称えください』とあります。
この石切さんの祭神は饒速日尊(ニギハヤヒ)と可美真手命です。
なら石切劍箭大神って誰?でしょう。

「いしきり」がアイヌ語で「長い・足」の意味になり、
縄文言語古代エミシ語による解析では「長い髄の神」だそうです。
神武天皇に刃向かって、兄の五瀬命を死に至らせた朝敵、国賊第一号にランクされた人物が長髄彦。
どうやら石切劍箭大神って長髄彦のようです。

「劍箭」は剣と矢のことで、はるか昔天から降りてこの地を治めた饒速日尊が携えてきた神宝といわれています。

「上之社」でわかったことは、後半で。

ハブ港

2009-01-14 | 世情雑感
去年秋から韓国のウォンが半分の値打ちで韓国旅行激増だと報道されていました。
あるニュースでは、為替の問題だけでなく、空港の関係も指摘されてたのが印象に残っていました。

あのワールドカップで造られたんだろうと思いますが、韓国のインチョン空港はたしかに便利にできています。
日本の地方空港からも結構繋がっていて、成田や関空へ行くぐらいなら、韓国インチョンで乗り換えたほうが楽らしい。
所要時間もあまり変わらないし。

カンボジアへ行くのに、関空からだとベトナムエアーを利用しホーチミンで乗り換えるか、コリアンエアーでインチョン乗り換えのどちらかとなります。
コリアンエアーを利用したほうがだいぶ安くなるんですよね。

(もちろん日系のJALやANAでタイのバンコクへ飛び、そこでカンボジアへ入るルートもありますがめちゃ高いから問題外)

このようにヨーロッパ便も、インチョン乗換えが増えているような感じです。

ハブ空港を目指していた関空。
伊丹は存続し、数年前には神戸にも空港できて、ますます関空は・・・

この調子だと成田だってインチョンに取って代わられる、
いやすでにその地位をあけわたしたのかしら?

ここまでは空港の話ですが、

 

先週ハブ港の特集で釜山のコンテナ取扱量が世界第5位となり、日本の港を大きく引き離していると知りました。

釜山港の慢性的な滞船解消と、今後の貨物量増加への対応を図る目的で、釜山港から西へ25kmの地点に95年から開発が進められた、釜山新港は2006年1月に開港してたそうです。

直接庶民の暮らしには関係ないから全く知りませんでした。
現在は6バースが完成、世界100か国、500以上の港湾と連結するネットワークを築いているらしい。
さらに2011年までに30バースのコンテナターミナルを整備されます。

日本の工業製品を輸出するのにも、プサンでコンテナを乗り換えたりするのが増えているんだとか。
もちろん輸入も、プサン経由で少しコスト高となるのです。

毎日毎日、衆議院解散選挙はいつかだとか、
定額給付金のこととか、派遣切りばっかりTVで報道されてますが、いつのまにか東北アジアの玄関口は日本ではなくなっていたのですね。

ハブ港と聞いて、
♪日暮れにゃかえる 波浮の港にゃ♪ 
なんて歌を思い出しているようではね。

なんか悲しいというか、さびしいというか・・・

寝つきの悪いのは「うつ」か?

2009-01-13 | 世情雑感
今ちょうどTVで「最強医師が疑問解決」放映中、見ながら書いてます。

寝つきの悪いのは「うつ」か?という質問に対し、
20人の医師のうちYESが8人、NOが12人。
喧々諤々でした。

どちらの医師にかかるかによって、対処の仕方が異なるということですね。
患者のタイプとの組み合わせもあり、いちがいにどちらがいいとはいえないけれど。

NOと答えたある医師は、最近「抗うつ剤」「精神安定剤」「睡眠薬」これらをセットですぐに処方する医者が増えたといわれてました。
寝つきが悪いからといって、すぐに「うつ」だと判定するのはいかがなものかと。


子供の頃から寝つきが悪く、まわりは神経質だと言う。
自分の見立ては、いわゆる「取りこし苦労タイプ」
まだ見ぬ先のことをあ~でもない、こ~でもないとシュミレーションしているうちに眠れなくなるというタイプです。

だからといって、自分を「うつ病」にかかっていると思ったことはないです。
ただ単にブルーな時はあるし、敏感よりは鈍感になろうと言い聞かせるときはあります。

そして、とことん体が疲れているときは、あっという間にバク睡してたりしますから。


明日旅立つという前の晩など興奮して寝れないとき、
翌朝いつもより早く起きないといけないというときに限ってねむれなかったり。
「睡眠導入剤」として処方されるレンドルミンは、たった1錠飲むだけで私には効果テキメンです。

きっかけは旅先で友人にもらいました。
夜半おしゃべりしすぎて寝るタイミングを失したときでした。
それからはまって、内科や耳鼻科でも不眠を訴えると処方してくれました。

あの選挙の時も、頭が爆発しそうなぐらい考えることがいっぱいあって寝付けなかったので、毎晩服用していました。

選挙が終わってからは、緊張がなかなか解けていないということで、デバスやエチカームなどに変わりました。

突然50肩にもなって、この先この体はどうなるんだろう
一生睡眠薬を飲み続けるのだろうかと不安でした。

しかし月日の流れは着実に心身ともに癒してくれます。
夏ごろ、気が付いたら肩の痛みがなくなっていました。
そして薬がなくても寝付けるようにもなりました。

副作用がほぼないといわれる効果の薄い薬なら、あまり気にすることなくのんでも大丈夫みたいですよ。
「プラシーボ効果」で、安全な薬を飲んだというだけで気持ちが落ちついたりすることもあるかもしれません。

⑱すみよっさん

2009-01-11 | 古代史のミステリー
大阪市住吉区にある住吉大社は、大阪では「すみよっさん」と親しまれています。
小学生の頃、近くの安立町(あんりゅうまち)に親戚があったので初詣などでもよくお参りしました。

神社の本殿は一般的に南または東向きに建てられているが、
住吉大社の西向きの本宮(本殿)は珍しいそうです。
大人になってから行ってないので記憶なし。
今となっては有名な太鼓橋しか覚えていません。

今日は久しぶりに時間があったので、「えべっさん」の帰り廻ってみました。
なんと40年以上もご無沙汰してました。

子供心に足元が怖かった太鼓橋は、
この年になってもやはり急な階段でした。
 

昔は、この橋の近くまで波が打ち寄せられていたそうです。

この橋を渡るのは、神さまに近づくのに罪や穢れを祓い清めるためで、反っているのは、地上の人の国と天上の神の国とをつなぐ掛け橋として、虹にたとえられているとか。

「すみよっさん」は、古代大和王権の外交・航海の守り神、海の軍神でした。
遣隋使や遣唐使の時代に、中国、朝鮮半島との航海ルートの拠点を抑え、武器、農耕機材の原材料となる鉄や銅をおさえ、大陸の珍しい珍宝を独占する。
港の部族にはこれらの珍宝を与え、連邦国家とする。
ここに政治権力の基盤があったのでしょう。

 

第三本宮~第一本宮まで縦一直線に、
一番手前の第三本宮を拝むとそのまままっすぐ第二本宮、第一本宮までまとめて拝めそうです。

左に神功皇后を祀る第四本宮が並びます。
この配置は全国的にもたいへん珍しく、住吉大社だけらしいです。
あたかも大海原をゆく船団のようで、
「三社の縦に進むは魚鱗の備え 一社のひらくは鶴翼の構えあり よって八陣の法をあらわす」とも言われているそうです。

 
よくTVなどでも紹介される五所御前。
石の玉垣の内に杉の木が立っている場所は、別名を「高天原 (たかまがはら) 」ともいい、神霊をおむかえするミアレ所らしい。

神功皇后が住吉大神をお祭りするための土地を求められたとき、この杉の木に白サギが3羽きて止まったので、ここへお祭りしたと伝わる聖地です。

砂利の中には「五・大・力」と書かれた小石があり、これを集めてお守りにすると心願成就にきくとされます。

 
もちろん賜ってきましたよ。

平成23年の御鎮座1800年大祭を前に、浄財1万円以上の奉賛お願いの立て札が見られました。
49回目の式年遷宮祭が行なわれるそうです。

 

住吉大社のサイトの、宮司あいさつはこう書かれています。
「住吉の神さまは俗に海の神とされています。
正しくは、底筒男命(そこつつのをのみこと) ・中筒男命 (なかつつのをのみこと)・表筒男命(うはつつのをのみこと)という、
イザナギノミコトのミソギハラエに際して海の中から現れた神、
および息長足姫命(神功皇后)で、西暦211年、この地に鎮斎になったと伝えられています。
実際の年代では干支二運(120年)をくり下げて5世紀初頭と推測されますが・・・」

「海の神ということは、わたくしどもの生命の根源を守る神を意味します。・・・
われわれの生命は地球を覆っている水の中に生まれ、何億年もの循環をくり返して、空気の世界に生長してきました。そして自分を出現させています。・・・
この海の底・中・表の津の男神と称え、住吉の神と崇めてきた古人の智恵に深い敬意を表する次第です。」

えべっさんと大黒さん

2009-01-11 | 日々是好日
毎年商売繁盛祈願でえべっさんにお参りに行きますが
例年は平日の店を閉めた7時出発で夜のお参りでした。
そのあとの新年会「てっちり」が心の奥底のほんとの目的だったりしますが。

2006年も2007年も、福をもらいに行って記事に残しています。
  → こちらから

今年は「残り戎」が日曜日なので昼前に出発、同じ場所も昼は夜とは違った別世界を見た感じでした。

 

私の前で賽銭箱に小切手を投げ込む人がいて、
金額をみると、29,451
後でよく考えてみたら、フクヨコイの語呂合わせ?

地下鉄堺筋線の恵比寿駅まで行くと通天閣の新世界がすぐそこ。
 

いつもどおりここで初ふぐを食べて、今年は時間の余裕があるので、まだ次いくところがありました。

大国町(だいこくちょう)の地名の起因にもなっている神社です。
江戸期の十日戎では「戎大黒、両社詣でて本参り」と、
木津の大国さんは江戸時代からの参詣風習が根強く残っているそうなんです。

場所は、地下鉄大国町駅北200m、国道沿いにあります。

大国神社で検索すると、全国各地に同じ名前の神社があまりにもたくさんあって驚きました。
ココには敷津松之宮と二つの神社が境内を共有する相殿です。
国道沿いの鳥居から入ると正面が大国主神社、
南側の鳥居から入ると正面が敷津松之宮、
両神社の社殿と参道はクロスする形になっています。

 

 

大国神社と思って検索してもヒットしましたが、ほんとは大国主神社だった。
宗教法人としては敷津松之宮で登録されており大国主神社は摂社。
正式には「日出大国社」と呼ばれ、1744年のご神託で創建されたようです。

 

神功皇后が三韓征伐から凱旋の時、住吉浜に社を定めて住吉大神を祀り、さらに浜に沿って大阪湾を北上し敷津浜を通りかかった際に、松を3本植えて、そこに素盞鳴尊を祭るように指示したのが始まりといわれています。

遣唐使が唐に渡る際には、住吉大社と並んでこの敷津松之宮でも荒波が静まるように航海安全を必ず祈願したという。

その後876年、円如が播磨国から牛頭天王を京都の八坂神社に勧請する際、この敷津松之宮に立ち寄り、素盞嗚尊と牛頭天王が同神であると伝えらるので、明治時代までの敷津松之宮は、八坂神社や木津祇園宮と呼ばれていたようです。

 

敷津松之宮の本殿屋根の紋が二つ重なっているのが不思議でした。