秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

パワースポット・鞍馬山①

2010-04-30 | おでかけ・近畿
鞍馬山は玄武のパワースポットです。
風水をもとに築かれた平安京は、御所を中心とした四方・四神のうち、
北の神「玄武」にあたるのが鞍馬・貴船にあたります。
エネルギーの涌き出るところなんだそうです。
  
   

ケーブルを降りるとすぐに多宝塔があります。
標高364m、ここからさらに金堂標高410mまで自分の足で登らなくてはなりません。
ちなみに鞍馬山山頂は570mです。
   

その参道で緑色岩をたくさん見ることができます。
昭和32年ケーブルを新設する時に山側の岩盤が露出したと案内文に書かれいます。
   

古生代ペルム期(約2億9000万年前)海底の火山が噴火したときや水中に溶岩が流れたときにできる火山性砕屑岩(hyaloclastiteハイアロクラスタイト)が、枕を積み重ねたような構造をもち枕状溶岩と呼ばれるそうです。
上に苔がいっぱい貼り付いていてよくわかならかった。


いよいよ金堂到着。
  
本堂屋根後ろに丸く鞍馬山の山頂がみえて、山も拝んでいるような印象があります。

阿吽の虎が珍しい。
  

鞍馬寺金堂前に六芒星の石畳があり、ここは天のエネルギーが降臨するといわれパワースポットとして人気があります。

  
参拝者、特に若い人たちが順番にその地に立って感じようと手を合わされます。
若くないおばちゃん2人もその地に立ってみた。
足元からジンジンするような感じがあり、もっとそこに立っていたいと思いました。
しかし順番待ちのかたがおられるので早々に場所を譲りました。

鞍馬・貴船1dayチケット

2010-04-29 | おでかけ・近畿
ゴールデンウィーク初日、とてもいいお天気で行楽日和でした。
ほんとは花の寺めぐりを予定していましたが、開花が遅れているようなので、長谷川等伯展へ行くことにしました。

昨日アズキさんと電話で、夕方のほうが空いてるかなと話していたら、
突然、パワースポットの鞍馬へ行きたいねんとアズキさんが言い出しました。

エ~っ、鞍馬ってめっちゃ遠いでぇ。
30年以上前に行った時は、1日コースやったし。

しかし今は京阪電車の終点が三条から出町柳まで伸びています。
その出町柳から叡山電車にすぐ乗り継げるので、夕方までに行って来ようと急遽決定。
10:16の快速急行に乗るため守口駅ホームで待ち合わせとなりました。

今朝改札入ってから、駅構内で「鞍馬・貴船1dayチケット」を見つけました。
これなら守口から鞍馬まで往復で1520円。
帰路京都国立博物館のある七条で途中下車するのに、別途電車賃かかったとしても安い!
駅員さんに最初の切符の払い戻しをしてもらい「鞍馬・貴船1dayチケット」を購入。

その都度切符を買う手間も省けるし、いろいろ特典付いてました。
鞍馬山入山料は200円のところ半額100円でしたし、
貴船神社では一筆書きの便箋をいただけました。


叡山電車は比叡山行きと鞍馬行きの線路が分かれると景色が変わってきます。
  

  

鞍馬について、まず駅前で腹ごしらえ。
きつねソバと草もちを食べて、山椒餅は山頂で食べようと包んでもらいました。
  

鞍馬寺仁王門を入るとすぐに鞍馬ケーブルがあります。
奥の院魔王殿から貴船神社、そして貴船口駅まで1時間以上山道を歩く予定だったので、ほんのわずかでもショートカットするためにケーブルに乗りました。
料金はたった100円と格安でした。
  

このあと約3時間、パワースポット鞍馬山を廻ったお話は次回に。

今日は電車乗り継ぎがスムーズで15:20には京都国立博物館に到着。
  
約20分待ちで中に入ることができました。
さすが長谷川等伯、人出もすごかったけど、松林図は圧巻でした。
有意義な一日に満足、飲みながらブログ書けて幸せです。
    

宇陀でお買い物

2010-04-27 | おでかけ・近畿
JAFから送られてくる機関紙にクーポンがついてます。
大宇陀温泉「あきのの湯」入浴料700円と食事1500円、さらにフィットネス利用料500円、タオルがついて全部で2000円。
最初はゴールデンウィークに行く予定でした。
でも前回近江八幡にご一緒したインド人のSさんはその時期には里帰りされるので、連休前に決行することになりました。

たいていのインドからの出稼ぎ労働者?は、Sさんのように滞在国を観光したりしないそうだ。
でもSさんはよその国へ仕事で行ったのをチャンスと考え、貪欲に見て聞いて食べて体験する、言葉もものにするのを信条とされてます。

それで温泉に入る前に、長谷寺へお参りするコースを企画。
続いて宇陀市の松山地区は歴史的建物が多く残り風情のある町並らしいので町歩きするつもりでした。

ところが久しぶりに観光地で買いたいと思うものがたくさんあって観光どころではなくなった。

ネットでも有名な松月堂の「きみごろも」1個105円
一見厚揚げふうの卵を使った和菓子です。
  
すぐに売り切れると書かれていたので、外観写真撮るのも忘れてました。
一行4人の試食用4個と、お土産に3個と他によもぎ餅と桜餅を一つづつで987円でした。

たぶん卵白身をメレンゲ風にして固め、外に黄身を塗り焼いているのではないでしょうか。
食感は珍しく、これならまだ離乳食のエソラ向きだと思いました。


フランスパンのアナンダでは、美味しそうでついつい1000円以上も買ってしまった。  
  

  


黒川醤油店では、醤油400円、もろみ500円、
だし醤油とやまごぼう入りもろみは少し高かったので、ここでのお買い上げは2000円を超えてしまった。
  

  

お腹すかせて最後に行った「あきのの湯」
なんとクーポンは5月1日からで使えなかった。
  

ここの売店でも、地産ではないけれど、吉野の番茶780円、岐阜県のプロポリスキャンディ310円を追加。
他に道の駅で、ほうれんそうと山菜詰め合わせも増えて大荷物でした。
  


日本国内どこへ行っても特に欲しいというものはないけれど、久々にそそられ買い物に費やしてしまいました。

『ひむがしの野にかぎろひの立つみえてかへり見すれば月かたぶきぬ』
柿本人麻呂の読んだ歌は有名ですが、このかぎろひを見たといわれる「かぎろひの丘公園」すら行けなかった。

花の観音浄土・長谷寺

2010-04-25 | 西国33箇所
長谷寺仁王門は荘厳で立派です(入山料500円)
西名阪の福住インターで降りてからは、
山深い道ですが混んでなくて気持ちよく走れて長谷寺裏手に着きました。
長谷寺のサイトに道が詳しくのってるのをプリントアウトして持って行きました。
長谷寺駐車場なら500円です。

すぐ左手に仁王門があり、くぐるとすぐに登廊が始まります。
  

その長い階段両脇にぼたんの花が植えられています。
残念ながらまだ蕾の固いものが多かった。
ゴールデンウィークが見ごろで壮観だと思います。
   

天狗杉に至るまでの月輪院でお庭を見ながら抹茶がいただけます(500円)
ここでは写経道場も開設されています(第1・第3日曜)
  

ご本尊十一面観世音菩薩は撮影禁止でした。
実物は10メートルを超えるそうで大きくて立派で、厳かです。
飛鳥時代からめんめんと多くの人々の信仰を集めてきたのが実感できます。

本堂の舞台から右手に五重塔が見えます。
   

今は季節が過ぎて葉桜となっていますが、
もう少し早い時期に来てれば、松尾芭蕉はじめ多くの文人が桜の浄土を楽しんだ見事な景色が見れるそうです。
   

忘れずに納経帖に印もらってきました(300円)
  

帰る時、長谷寺駐車場でこいのぼりをつけたハーレーダビッドソンを見かけました。
  

奈良の大きなお屋敷では、立派なこいのぼりを泳がせている家がたくさんありました。
  

画像一番手前の電柱右手に白い光の珠が写りこんでいます。
左側に尾が伸びて右のほうへ飛んで行ってるように見えませんか。

西国三十三箇所

2010-04-24 | 日々是好日
今日も大阪は寒い。
洗濯日和で布団干しましょうと昨夜聞いた天気予報と大違いです。
明日、ぼたん祭りの長谷寺へ行く予定をしていますが奥深い奈良ではもっと寒いかも。

長谷寺は、大和と伊勢を結ぶ初瀬街道を見下ろす初瀬山の中腹にあり、
枕草子など平安文学に「初瀬詣で」がしばしば紹介され、清水寺や石山寺と並んで賑わいました。
ぼたんだけでなく、さくら・しゃくなげ・あじさいなど花の寺として有名です。

近畿2府4県と岐阜県に点在する33か所の観音霊場めぐり「西国三十三所」8番札所となっています。
千年ほど前の初期の頃は回る順番が異なり、第1番は長谷寺だったそうです。


2005年にたまたま、第1番紀伊国那智山青岸渡寺へお参りしたときに納経帳を買いました。
思いついたときに適当に宝印を授かっています。
この納経帳を持って行くのを忘れた時もあるし、
帰ってからあとで札所寺院だったと知るときもあったり。

そんなわけで、現在はまだ3箇所しかもらってない。
1 和歌山 那智山 青岸渡寺
22 大阪府茨木市 補陀洛山 總持寺
31 滋賀県近江八幡 姨綺耶山 長命寺

満願はいつになることやら。

火山噴火の影響

2010-04-22 | 世情雑感
「アイスランドはISSの軌道よりもかなり北にありますが、噴煙はここからも見えました:-)」
国際宇宙ステーション(ISS)に滞在している野口聡一宇宙飛行士が、3月27日Twitterで公開したものです。
2010年3月21日未明に、アイスランド南部の火山が噴火して、白い雲の上を漂う濃い噴煙の写真を撮影していました。

ナショナルジオグラフィック ニュースをみていると、いろいろわかります。

2010年4月19日州宇宙機関(ESA)のエンビサット衛星がにとらえた画像は

アイスランドのエイヤフィヤットラヨークトル火山から噴き上がる灰褐色の噴煙が、南東方向に弧を描くように流れている。
全長約400キロにおよぶ噴煙がヨーロッパ各地の上空に流れ込み空の交通網に大きな混乱をきたしているほか、健康被害も懸念されている。

そのアイスランドの火山灰で健康被害の懸念については
April 19, 2010

これから旅立たれる予定おありの方はご一読をおススメします。

アイスランドのエイヤフィヤットラヨークトル氷河の火山は
3月21日にほぼ200年ぶりに活動を始め、4月14日未明に再び噴火を始めました。
このまま終焉に向かうのか、あるいは数ヶ月、一年と続くのか…

この近くにカトラ火山が氷河の下に隠れているそうです。
1918年の大噴火以来、成りを潜めているカトラ火山はアイスランドで最も危険な火山の1つといわれています。
「これまでにも、エイヤフィヤットの噴火が引き金となってカトラ火山が3度噴火している」
今まで同様連動して噴火するかどうかは神のみぞ知るです。
しかしまたもやエイヤフィヤットラヨークトル氷河で起きた火山噴火の影響で、活動を再開する恐れがあると専門家らは警告しているようです。

そのカトラ火山近くにラキ火山もあります。
このラキ火山の1783年6月の噴火はあまりにも有名です。
大量の溶岩と火山灰を発生させ、その後数年にわたってヨーロッパに異常気象をもたらしました。
1789年フランス革命の大きな原因の1つになったと言われています。

そして日本でも1783年7月浅間山がふいて天明の大飢饉へと繋がったのでした。
地震も怖いけど、火山噴火のほうが世界気象に大きな影響を与えるのですね。

保険金でるのかな

2010-04-21 | 旅はつれづれ
アイスランドの火山噴火で空のダイヤに大きな影響を与えたニュース。
今までにも火山噴火はあちこちであったでしょうが、新しい事情が興味深い。

これからゴールデンウィークにかけて海外旅行を予定されている方々も気が気ではないと思います。
海外で足止めされた人、成田や関空で出航を待ち続ける外国人とか体力的にも大変なことでしょう。

欠航により生じる航空会社などの被害額も数億ドルといわれていますが、
各個人は海外旅行者保険に入っていたとして、保険金はでるのでしょうか。

たぶん台風や地震・火山噴火などは無理だろうなと思いつつも調べてみました。

やっぱり「航空機遅延費用」はでません。
どこの保険会社も明記されていました。
「アイスランドでの火山の噴火」によって発生した費用は保険金お支払いの対象外です。
欠航・運休時の宿泊費等が2万円まで補償、保険料 80円と安いのでいつも加入してました。
しかし考えてみれば、天変地異やテロでもなければ航空機遅延って少ないのではないかしら。

「航空機寄託手荷物遅延等費用」や「旅行中の事故による緊急費用」補償特約もでません。

しかし「旅行変更費用」補償特約 はでます。
「アイスランドでの火山の噴火」により、出国を中止または中途帰国された場合に支出された費用は、保険金お支払いの対象になります。
保険金が出るからといって噴火発生の後にこの特約をセットされた場合、本件を理由とする費用は、保険金お支払いの対象にはなりませんのでご注意ください。

その事項が既におこっている場合は保険の支払対象にはなりません。
それはそうでしょう、納得です。

旅行変更費用補償特約はオプション契約です。
「ケガや病気、親族の不幸、渡航先での不測の事態などの止むを得ない理由により旅行をキャンセルしたり、中途で取りやめ帰国したときの負担した費用が支払われます。
海外をご旅行中に被保険者のケガや病気で入院し、または被保険者等の配偶者や3親等以内のご親族が亡くなられ、旅行を中断して帰国された場合などに補償されます。」

これなら保険料もそれなりにするんだろうけど、
どれぐらいかなと、いつも海外旅行するときに加入する保険サイトを調べてみました。
でもどこに記載されているのか見つけることができなかった。

御香宮神社の御香水

2010-04-20 | おでかけ・近畿
魚三楼での予約は12時に入れてありました。
守口駅9:16の快速急行に乗ったら、中書島には30分あまりで着きました。
伏見桃山駅降りてすぐのところにある魚三楼までは、線路が弧を描いているのでそれほど距離はありません。

10時に寺田屋入場観光
10:30キザクラカッパカントリーで黄桜を見ながらビール
11:10月桂冠大倉記念館で復刻吟醸酒の試飲
11:45には魚三楼に到着。

まだ少し時間があったので、すぐ近くの御香宮(ごこうぐう)神社へ行くことにしました。
重要文化財の表門は伏見城の大手門を移築してあるそうです。

本殿は1990年(平成2年)極彩色の彫刻を施した豪壮華麗な桃山様式を復元されてます。
  

祭神は神功皇后なので安産の神として広く信仰を集めています。
そのため宮参りなどの着飾った参詣者をたくさん見かけました。
いまだかって初詣やお祭り以外でこんなににぎあう神社を見たのは初めてです。


伏見は「伏水」とも書かれたほど上質の伏流水に恵まれ、「伏見の七名水」をはじめとする名井が点在しています。
京都盆地の地下には琵琶湖の5分の4ほどの地下水があるそうです。

500mlの空のペットボトルをあらかじめ用意していったので、
最初黄桜で「伏水」を詰めさせてもらいました。

でも、千数百年前に湧き出たと伝えられる御香宮神社の清泉は「日本名水百選」にも選ばれています。
「御香水」のほうがご利益あるような気がして、入れ替えさせてもらった。
  

御香宮神社宮司・三木(そうぎ) 善則氏は次のように述べられています。
三木をそうぎと呼ぶなんて初めて聞きましたが、由緒ありそうですね。

「伏見は水とのゆかりが深く、湧き水が田畑を潤し、古くから農業が盛んな土地でした。
当社は生命が生まれる森を御神体とした御諸神社と呼ばれていましたが、
当社の縁起書によると貞観4年(862)境内にある椎の木の根元から香りの良い水が湧き、飲むとたちまち病気が治ったため、清和天皇より御香宮の名を賜ったとされています。
また弘仁年間に福岡の香椎宮に仕える童女の夢枕に安産守護の神として名高い、神功皇后が立たれ、御霊を京都に祀れば争乱が治まるとのお告げがあったことから、この地に御霊を移し、御香椎宮から御香宮になったと伝える文献もあります。

豊臣秀吉は朝鮮出兵の際に神功皇后の御神徳にあやかろうと太刀と願文を献じています。
伏見城築城後は城下町や宿場町として多くの人が伏見を行き交いました。
また伏見は、徳川家との縁も深く、徳川家康が住み、徳川御三家はこの地で生まれ、当社の御香水を産湯に使われました」


その昔、巨椋池を南に見下ろす位置にあった伏見山(木幡山とも言う)は、伏見の神奈備(神霊が鎮座する山や森)で、この神の宿る山を御室山、そこに祀られた神社を御諸(みもろ)神社といって、これが御香宮神社の前身です。

862年(貞観4年)神功皇后の廟である筑紫の香椎(かしい)宮から、祭神(神功皇后)を伏見の御諸神社へ勅令をもって勧請したころから、御諸神社の「御」と香椎宮の「香」をとって「御香宮」と呼ぶようになりました。

御香宮神社が、「安産の社」として信仰をもっているのは、神功皇后が新羅から筑紫へ凱旋のとき応神天皇を無事出産したことに由来しています。

また筑紫の香椎宮は、神功皇后の霊廟として、外敵に対する守護神という特別の信仰がありました。
元寇の時の後宇多天皇や、朝鮮侵攻の時の豊臣秀吉が御香宮で祈祷を行っているのは、神功皇后の故事にあやかるため。

明治維新の先駆けとなった戊辰戦争も、この地での戦闘等がきっかけとなりました。
伏見奉行所に幕軍が拠り、御香宮は薩摩藩の屯所となって大手筋を挟んで激戦が繰り広げられ、特にこの一帯で起きた戦を「鳥羽・伏見の戦い」といいます。

なにげに訪れた伏見の町は、日本の歴史がぎゅっと詰まった場所だったのでした。

龍馬がいたまち

2010-04-19 | おでかけ・近畿
幕末、多くの志士が京都での活動の拠点とした伏見のまち。
坂本龍馬が定宿としていたのが寺田屋です。
魚三楼でお昼ご飯をいただく前に20年ぶりぐらいで行ってきました。

ちょうど今年のNHK大河ドラマは龍馬なので、多くの観光客が訪れていました。
入場料400円で中に入れますが、ちょうど10時開場を待っていた団体客とかちあいしばらく入場制限されました。
  

裸のお龍さんで有名なお風呂
   
  

淀川は淀で桂川と宇治川に分かれます。
秀吉は伏見桃山城建築のためにこの宇治川を整備し港を造ったそうです。
陸路での運送が近代化されるまで、江戸から明治にかけて淀川水運が盛んで、先に紹介した魚三楼も、明石の鯛など新鮮な魚が運ばれたと書かれています。
  
  
川沿いには月桂冠の工場施設が見えます。
かつてはこの水運を利用して、あちこちに運ばれたのでしょう。
月桂冠大倉記念館は入場料300円ですが、お土産にアルミ缶180ml純米酒300円がつきますし試飲もできました。
  

伏見は灘と並ぶ酒どころ、黄桜も行ってきました。
  
こちらは入場料いりませんから、日本酒試飲は100円、地ビール420円。
中庭で黄桜を見ながら飲むことができます。
  

  

数百品種あるサクラのうちで唯一、黄色の花を咲かせるサクラ。

名前は、ショウガ科のウコンの根を染料に用いた鬱金色に由来し、
それらと混同されないよう「鬱金桜」あるいは「鬱金の桜」と呼ばれることも多い。
また、別名として「黄桜」「浅葱桜(浅黄桜)」などがあるが、これらは御衣黄を指すものであるという説もあるそうです。

ミシュラン☆☆魚三楼

2010-04-18 | おでかけ・近畿
親戚のおっちゃんが伏見の魚三楼8代目だ
という少林寺拳法の同志がいます。
以前からいつか案内してとお願いはしていました。
先だってのミシュランに二つ星で掲載されたということで急遽シニア7名で行ってきました。
  

江戸時代なかば1764年(明和元年)創業、
鳥羽伏見の戦いでは官軍の台所番も勤めた老舗料亭です。
表の格子には幕末の銃撃戦の弾疵が残っています。
  

今日いただいた料理は花かご御膳5000円。
  
お酒がある程度すんだら、たけのこご飯とお吸い物がでます。
最後にデザート
  

飲み物と、サービス料や個室部屋代などを加えると倍近くになります。
なかなかこういう機会がないとちょっと敷居が高い。

もちろん美味しかったし、器も吟味されてました。
ミシュラン掲載の老舗料亭、いい経験ができました。

食用ほおずき

2010-04-18 | 旅・中国&四国地方
ふうせんみたいな形したほおずき、
薄茶色のがくをあけてみるとミニトマトみたいな黄色い実がありました。
食用なんだそうです。
はじめて食べました。
ジューシーでフルーティーで超ウマでした。
もっと食べたかった。

どこで食べたかというと、2週間前、岡山の緑提灯5つ星の店
   
晴れ国ダイニング プロポスタ
岡山市中山下1-9-12角南第5ビル1F 
TEL/FAX 086-235-1377

店名にリンク貼っておきました。
3,500円の肉コース、お腹いっぱいになりました。

「プロポスタでは、主に岡山県産で生産されている「旬」の食材を使ったメニューを提供しています。
そのため、季節によって仕入れる食材が異なることがあるため、このページに掲載したメニューとは異なる場合があります」と書かれていました。

  
野菜と瀬戸山荘ベーコンのココット
(鉄鍋で季節のおかやま野菜を瀬戸山荘の絶品ベーコンとともに蒸し焼きにする料理)
これはそのうち真似してみようと思いました。

通貨戦争・続き

2010-04-17 | 世情雑感
去年夏、産経新聞経済コラムで編集委員・田村秀男さんの文章を読みました。
経済に疎いものにとっては難しい内容でした。
しかし、第二次世界大戦のきっかけの一つともなったABCD包囲網に貨幣が絡んでいたことを初めて知り、通貨戦争という側面に興味をもちました。

最近中国元の切り上げとかが報道されているので、この機会に記事にしておくことにしました。
田村秀男さんのブログからの抜粋が主ですが、
世界史がお好きな方は、貨幣から見た流れを読んでみてください。

清朝崩壊後、眠れる獅子と呼ばれた中国が、とっくに目をさましていて、すでに世界のあちこちを闊歩していることがよくわかります。


「日本円は国際通貨と呼ばれながらも、海外での流通はごくわずかだ。
日本企業はアジア地域の子会社との取引では円を使うが、残る大半はドル決済である。
中国はその点、国際化で出遅れながらも、東南アジアを中心にじわじわと人民元を浸透させつつある。
日本企業が円を使えず、中国や東南アジアなどで人民元で投資や貿易の決済を迫られる日もいずれ来るだろう」

国際決済や金融取引の基本となる基軸通貨になるには、通貨が世界的に広がらなくてはなりません。

「ドルが基軸通貨になったのは第2次世界大戦末期の1944年、
西側44国がドルを金と固定比率(金1オンス=35ドル)で交換できるよう合意したブレトン・ウッズ体制に始まる。
大戦後アメリカは、欧州復興と発展途上国支援のためドルをばらまいた。
ベトナム戦争もそうだった。
その後も長い間貿易赤字を出しながら、ドルがばらまかれたことによって世界のすみずみに広がった。
米軍はドル札を海外で自由に使えるから、海外の基地や軍事行動を展開できる」

こうして圧倒的に優位な軍事力と政治力によって、基軸通貨になっていったんだそうだ。

少し時代を遡れば、
「17世紀末イギリスは現在の中央銀行であるイングランド銀行を設立。
金銀と兌換できない銀行券を大量発行させて軍費を調達し、フランスなどとの戦争を勝ち抜き大英帝国の基礎を築いた。

19世紀の大英帝国は植民地南アフリカの金資源を独占し、金を軸にロンドン金融市場を世界の金融市場の中心に据えた。
銀本位制の植民地インドは、英国に対し貿易黒字を稼ぎ帳簿上は対英債権国だった。
英国は対印債務を金建てとし、金の対銀相場を切り下げてインドの富を収奪した。

銀本位制の近代中国は「大恐慌」当初、打撃は軽かった。
しかし米ルーズベルト政権の銀価格引き上げ策のあおりで貨幣制度が崩壊した。
蒋介石政権は、英米の支援を仰いで「法幣」を発行し、日本軍の発行する通貨である軍票などの円紙幣の流通を阻んだ。
その法幣も毛沢東の解放区が発行する銀行券「辺区券」に敗れた。
辺区券は統一通貨人民幣(人民元)に更新された。

戦後中国は、国際的に信用度の低い共産主義国家の紙切れに価値を付与するよう腐心してきた。
朝鮮戦争により米国との関係が断絶しても、裏帳簿をつくって人民元とドルの交換レートを固定した。
米中国交正常化後は一貫して人民元をドルに連動させ、
外国企業の投資を呼び込み、輸出を増やして、ドルをため、世界最大の米国債保有国になった。

昨年9月のリーマン・ショック後は台湾やベトナムなど周辺地域・国で人民元の流通促進を図っている。
ブラジル、ロシアなどとも通貨協定を結び、人民元による貿易決済を始める計画だ」

真珠の首飾り作戦っていうのもすでに始まっています。
インド洋沿岸国の港湾建設を積極支援する中国の海外戦略です。
この港を地図の中に点描した時、インドを人の首に見立てると真珠の首飾り見えるから。

アフリカ資源大作戦、ミャンマー縦断のエネルギー回廊などなど、中国は着々と世界帝国目指してたんですね。
眠れる獅子はとっくに起きてたんだ。

中国西部・青海地震の地図

2010-04-15 | 世情雑感
昨日14日早朝に中国青海省玉樹(ぎょくじゅ)でおきたマグニチュード7.1の地震、
またまた大きな被害でています。
なんと富士山と同じ位の高度3700mに大勢の人々が暮らしていたのにも驚いた。

北京オリンピックがあった2008年、
ほぼ2年前に9万人の死者をだした5月の四川大地震と同じ断層帯が原因だそうだ。

  
四川と青海はとなり合わせ、この地図をみるとなるほどチベット人が多いのがよくわかった。
ラサまでの青蔵鉄道は被害なかったんだろうか。

震源地図をネットで探したけれどなかなか見つからない。
やっと見つけたのはBBCニュースサイトだった。

  

通貨戦争

2010-04-14 | 世情雑感
核安全サミットに出席した鳩山首相は、夕食会でオバマ米大統領と隣席となる機会をいかして非公式に10分間会談。
一方、中国の胡錦濤主席とは公式に90分間も首脳会談したと報じられていました。
人民元相場についても話し合われ、オバマ大統領は改めて切り上げを求める発言をされています。

2008年9月リーマン・ショック後、アメリカはドル札を2倍も一挙に刷り出し、
かたや中国は3倍もの人民元融資を増やし、財政支出と相まって内需は喚起され8%台の成長を確保したんだそうだ。
対照的に円資金の発行を増やさない日本はデフレ悪化に苦しみ、通貨規律の順守を義務づけられる欧州のユーロ加盟国の危機は深まるばかり。

画像は、産経新聞編集委員・田村秀男さんのブログからもらってきました。

経済のことはよくわかりませんが、
田村さんの経済コラムを拝見していると、そうだったのかと知りえたこともたくさんありました。

秦の始皇帝は、万里の長城で有名ですが、たしか度量衡とか文字、そして貨幣も統一したと習いました。
「半両銭」といわれる日本の5円玉のように中央に四角い穴が空いたお金を造りました。
いろんなものを統一して戦国時代の覇者になりました。

ところが次の漢の高祖は半両銭を鋳つぶして、小さくて軽い貨幣「英銭」を大量発行するインフレ政策をとって経済を立て直しました。

高校程度の世界史の時間にはここまで教えてもらえませんでした。
今はネット検索で、専門書を読まなくてもこうしたことを知ることができるようになりました。

中国ではその後、唐の時代に紙幣「交鈔(こうしょう)」が発明され宋の時代に定着していきます。
印刷技術の発明ってこんなところに役立っていたのですね。
チンギスハンのモンゴル帝国は交鈔により版図を広げ、フビライの元こそは不換紙幣による最初の世界帝国であったそうです。
馬に乗ってユーラシア大陸を駆け抜けた武力オンリーのイメージをもっていました。

人民元の話を書くつもりが前置きが長くなりすぎました。
続きは明日にします。

デフレの震源地

2010-04-13 | 世情雑感
今日は午後から保護司会定例会があるので、久しぶりにジャケットと中にシャツを着てきました。
そのシャツはイタリアブランドのナラカミーチェなんですが、タグをみるとクロアチア製となっています。
メイドインイタリーではないのです。
以前、ルーマニア製というのも見かけたことあります。

日本の大手のアパレルブランドも中国製品が増えています。
これはもうやむを得ない現象、ユニクロだって中国製がほとんどで、無錫あたりで大きなユニクロの工場を見かけました。

ところが、私はまだ見たことがありませんが、最近バングラディッシュ製品が急増しているそうです。
H&MやZARAなどお手頃価格のファストファッション製品はバングラディッシュで作られているのが多いらしい。
ユニクロもバングラディッシュへ何割か移行予定なんだそうだ。

バングラの衣料品輸出額は、1990年は19位で6.4億ドル。
2008年には109.2億ドルと、中国・トルコに続き世界第3位に躍進しています。

これは平均賃金が中国の約4分の1なので、商品の値段を安く設定できます。
とても日本の人件費では太刀打ちできません。

金・土・日と3日間にわたって、フジテレビ50周年を記念したTVドラマ「わが家族」を見ました。
昭和を生きてきたものにとって、いろんな事件や人物が登場しとても懐かしかった。

柴咲コウが演じた主人公が後半、トランジスタ工場の流れ作業で働く場面がありました。
こうした工業製品だけでなく、日本の衣料製品も海外生産へと移行していくんだなぁと思ってみてました。

今朝の毎日新聞朝刊の特集で、「バングラは低賃金に加え豊富な労働力を抱え、日本にとって中国に次ぐ新たな「デフレの震源地」として急浮上してきた」と書かれてありました。
この先、付加価値をつけたものでなければ、高い人件費で勝負できなくなりますね。