秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

くじらの町のクジラな話

2014-04-29 | おでかけ・近畿
黒地に鯨の目ひとつを染め抜いた手ぬぐい熊野染(くまのそめ)
別名目くじら。
タテに飾るのはいけません。
ヨコにして飾って「めくじらを立てずに」という洒落だそうです。

世界一のスケールを誇るくじらの博物館のトイレットペーパーに書かれてました。

入場料は1300円で、串本海中公園が1800円。
両方見学すると3100円ですが、セットで購入すると2000円!
割引率高くてかなりお得です。

古式捕鯨発祥の地として名高いくじらの町・太地(たいじ)



3月31日国際司法裁判所(ICJ)が南極海での日本の調査捕鯨に対する中止命令を出しました。

シーシェパードといったNGOの活動船などのニュース映像を見てるとむかつきます。

2009年の映画「ザ・コーヴ」では太地町で行われているイルカ追い込み漁を批判的に描いていました。

その後NHKがクローズアップ現代で取り上げた
2010年7月6日(火)放送 映画「ザ・コーヴ」問われる“表現”


そんなこんなで興味深く見学してきましたが、
実際一番印象に残ったのが、トイレットペーパーだった 
というのもどうかと思うので、他の画像も紹介します。










外洋での商業捕鯨が禁止され、クジラの捕獲は制限されていますが、
伝統的な近海での小型クジラの追い込み漁は認められています。
海水浴シーズンが終わった9月から4月までクジラの追い込み漁が行なわれます。
追い込み漁は、回遊するクジラの周囲を約10隻の船で取り囲み、
畠尻湾の入り江へと追い込む漁法です。



トイレットペーパーに書いてあるのをよむと
イカ好きクジラは歯が少ない!?

「サカナをよく食べるクジラの仲間は、サカナをつかまえたりかみついたりするために歯が多いけど、イカ好きのハナゴンドウは吸い込む力を使って食べるから歯の数が少ないそうです。
そしてクジラたちは、食べものはかまずに丸のみ。虫歯になりにくいから、歯みがきをしなくてもいいそうです。もちろん海には歯ブラシは売ってませんけどね」


でもクジラの虫歯、展示されてましたわ。




クジラのうんちはいいにおい!?
マッコウクジラのうんちが海をただよい海岸などで発見されることがあります。とってもよい香りで、古くから香水の原料にもなっています。
うんちの名前は「龍涎香(りゅうぜんこう)
なんで龍のヨダレなんだ?くじらの博物館に行ったらにおいをかげますよ」

どこに展示されてたんだろう…

ちょっとググってみたら
「種類によっては1gあたり2000円近い値段で取引される謎のお宝
イギリスでは海岸を散歩中に拾い大金を手に入れる人も…」

龍涎香(りゅうぜんこう)あるいはアンバーグリス(英: Ambergris)は、マッコウクジラの腸内に発生する結石であり香料の一種である。






イルカのショーも見れました。
クジラのショーは雨降ってたし、寒かったので見なかった。



雨でよく見えない画像ですが、クジラの尻尾がオブジェとして目を惹きます。
検索でひろってきました↓





 
燈明崎には吉備真備漂着之地の碑があるようです(行ってません)

753年(天平勝宝5)遣唐副使、吉備真備らが唐からの帰途、
海上で暴風に遭い漂流して紀伊国牟漏崎、現在の燈明崎に着いたと『続日本紀』に記されています。
吉備真備はしばらく滞在して帰京しましたが、一族がこの地に残り太地を拓いたと伝えられています。

昭和天皇も行幸された橋杭岩

2014-04-29 | おでかけ・近畿




串本から紀伊大島に向かい約850mの距離に大小40の奇岩群。



2006年6月に旅したときも記録残してました→南海道地震

今回は記事エントリーやめとこうかと思ってましたが、
今日カットしてもらった美容院で、ぽみえさんが言われるに、
わざわざ橋杭岩まで行って天文写真撮る知人がいる、と。

確かに名勝です。

そんな立派な写真は撮れなかったので、画像検索でもらってきました。




昭和4年串本の橋杭岩沖合いに艦隊が投錨停泊している様子を写したもの
なんと、昭和天皇の紀州行幸です。
旗艦を駆逐艦「那智」、お召艦を巡洋艦「長門」とする艦隊を編成して和歌山を訪問されました。

博物学に造詣の深かった昭和天皇は、南方熊楠をはじめ、博物学者からご進講を受けられたそうです。
詳しくは→こちら

Amazonプライム

2014-04-26 | ケータイ・スマホから
カード利用明細が届いて、Amazonプライム¥3900 、にフシンカン。
その頃にAmazonで何か購入したかどうしても思い出せなかった。
この頃ボケ具合かなり進んでるからなぁ~と、ウンザリしてました。

どう考えても\3900に思い当たらないので、
Amazonの利用状況確認したり、メールを遡って調べたり。

一時間以上自分の情報を調べてました。
いよいよ手詰まりで、アマゾンプライムで検索したら、ワンサカ出てきました。

特急便でお届けするプライム会員一ヶ月お試し無料。
そういえばプリンタインクが切れて、1月の終わりにAmazonで注文したのだった。
その時についうっかりクリックしたような記憶が戻ってきました。

あれから3ヶ月近くが経過するも全くプライム会員として利用しなかった。
この場合、会員を終了すると返金されるみたいです。

先ほど手続き終えましたが、返金までには時間がかかる。
これをまたすっかり忘れる可能性大なので、ここに記録残しておきます。

この顛末と同じ体験された方は大勢おられるようで、
ぼけてたわけではないことわかっただけでも一安心。


Amazonのやり方がキタナイと文句言っても始まりませんが、
未だ未体験の方は十分気をつけて下さい。
そのまま利用もせず会員を終了しないと\3900は帰ってこないのです。


★6月2日追記
ちゃんと先月のカード会社の明細で返金が確認出来ました!

熊野灘で遭難し漂着した船の数々あれど、

2014-04-24 | 古代史のミステリー




潮岬灯台は、入場料200円で塔の上からまわりの海を見はるかせます。



68段ぐらい上ったと思いますが、それほどしんどくない螺旋階段でした。



右のほうに、神社の社が見えます。



潮岬灯台敷地の右手に神社石柱があるも、社殿姿まったく見えない。
団体旅行の限りある時間ゆえ参道長さが窺い知れず足を踏み入れるのを躊躇した。



あのお社は、潮御岬神社で、なんと少名彦命を祀っていること帰ってから知りました。
先に予習してわかってたら、灯台に登らず参拝したのに残念。

大国主神と力を合せて国作りの業を終えられた少彦名命は、
熊野の岬に行きそこから常世の国にわたられたそうですが、
その熊野ってここなんでしょうか?
しかし大国主命はこの神社には祀られてないのです。



潮岬のあるクジラ尾びれ風地形の右側を出雲崎といいます。
その出雲地区に鎮座する朝貴(あさぎ)神社の祭神が、大己貴命!

1458年(長禄2年)出雲の国より勧請し創建と社伝ではなってます。
が、明治の廃仏毀釈以降の話でそうなったようで以前はスサノオだとか。
また、紀伊続風土記は「伊勢大神宮の摂社礒辺の神を祀るという」考えらしいです。

さらに違った伝承も。
出雲崎で漂流していた神体を漁師が拾い祀ったが、その漂着神は、女の神様らしいのです。
出雲神族系の神さまとは違うのかもしれないという説です。




この画像の沖に船が写っています。
潮岬に来る前に、紀伊大島の樫野崎から海を写した時と同じ船かもと思い撮影しました。
トルコのエルトゥールル号遭難もあの辺なのかなぁ~って。

そして翌日曜夜、家に帰ってから以下のニュースを知りました。


読売オンライン 2014年04月19日 22時07分

19日午後5時30分頃、和歌山県・潮岬しおのみさきの南南東約740キロの太平洋上で、
韓国船籍の自動車運搬船「ASIAN EMPIRE」から「火災が発生し救命ボートで脱出する」と海上保安庁に通報があった。
その後、乗組員24人全員が脱出したとの連絡があったが、第4管区海上保安本部(名古屋市) の巡視船と航空機などが現場へ救助に向かっている。
同保安本部によると、乗組員は韓国人11人、フィリピン人13人。


以上のニュースはその後、韓国籍からパナマ籍に改められたらしいです。
しかしネットで、ASIAN EMPIRE を検索するとKOREAとなってるんですけどね。
乗組員が救助されて、その後炎上中の運搬船はどうなったんでしょう。


コリアといえば、珍島沖で沈没したセウォル号、この船は元日本の船で、なみのうえ という名前だったそうです。

同じマルエーフェリーのありあけ号は、2009年11月この熊野灘で転覆座礁するも全員助かりました。
御浜海岸にその船体が長いこと見られたそうです。


さらに、この熊野灘で、去年暮れの12月に座礁事故ありました。
またもや、コリアです。
和歌山県串本町動鳴気漁港沖で、荒天により台船とタグボート(両船とも韓国船籍)が座礁し重油が流出。



この熊野灘って、古代からいろんな船が遭難しています。

まず、徐福伝説。
秦の始皇帝の命により、不老長寿の仙薬を求めて東海に旅立った徐福。
漂着したとする伝承がある熊野川河口。

続いて神武天皇東征。
神武軍は生駒越えの戦いで深手を負い兄の五瀬命は亡くなり敗退。
紀伊半島に沿って海上を迂回する作戦に。
その船団は熊野灘で嵐に遭い、兄の稲飯命と三毛入野命は上陸直前に遭難した。
熊野灘沖で遭難した天皇一行を地元の漁師が助けた伝承は楯ヶ崎に残ります。
神武天皇漂着の地詳しくは→こちら

時代は下り、遣唐使の時代。
遣唐副使の吉備真備が唐からの帰路、遭難してたどり着いたのが太地(たいじ)湾。

鯨漁の本場、くじら博物館見学したレポートに続きます。


潮岬で出くわした La Festa Primavera

2014-04-23 | おでかけ・近畿


本州最南端、和歌山県の潮岬。
鯨の尾ひれのような形とよく言われ、かつては島だったのが砂洲でつながったそうです。

ここは串本 向かいは大島 なかをとりもつ巡航船♪
と歌われました。
右手の紀伊大島は、現在くしもと大橋でつながっています。


串本海中公園見学後、向かったのは紀伊大島の右端にある樫野崎灯台近くのトルコ軍艦遭難記念碑でした。







1890年(明治23)大島樫野崎沖合いでトルコ軍艦エルトゥールル号が遭難。
乗組員650余名のうち69名が助かりました。
地元住民の献身的な救助の賜物で記念碑、慰霊碑が建立されています。


少し沖合いに船が見えますが、あのあたりで遭難したんだろうか…

またくしもと大橋をわたり、潮岬を時計回りにめぐります。
岬の右半分は出雲という地名でした。



潮岬観光タワーまでくると大勢の人だかり。
トルコ記念館あたりはほとんど人いなかったのに。


すんごい外車が次々と、沿道で見守る多くの人々。

何だったんだろう~ と検索してみたら



La Festa Primavera 2014 大会2日目でちょうど潮岬通過中だった。
串本町・潮岬観光タワー 2:20~3:50

近畿東海を4日間で巡るクラシックカーラリー
La Festa Primavera(春のお祭り)というタイトルを掲げ2009年に始まったそうです。
参加車は自動といわれるものは皆無、すべて手動で走る不便な車ばかり。
最も古い参加車輌は大正生まれ、最も新しい車でも今から約半世紀前に製造されたもの。

すれ違いの車窓からでも、個性的な芸術的ボディは目を惹きました。


熊野灘の伊勢海老と近大マグロ

2014-04-22 | おでかけ・近畿


夜の宴席に出た伊勢海老の姿造り、立派でした。
お造りいただいた後に残された殻でお味噌汁も美味しかった。



国民宿舎あらふねリゾートは他のお料理も美味しくて大満足。





ひょっとして、水族館で見たコレ↓ 


ではありませんよ。
同じくイセエビの仲間であるニシキエビという名前らしい。


めっちゃ大きい青みがかった殻は飾り物とかに使われることが多いようで
食べると大味らしい。

串本海中公園には、小さな水族館と海中展望塔があります。












翌日、熊野那智大社を参拝後のお昼には、一人千円が配給されるのでマグロカレーを選びました。


味はいけてます。
テーブルに置かれてあったカレー用醤油をかけると味に奥行きがでます。
醤油の本場湯浅でつくられているようです。


マグロといえば、熊野灘には近畿大学の養殖場があります。


潮岬の大島に渡るくしもと大橋の車中より撮影






南紀では、春といえばカツオ。
ところが今年はまだ水揚げされてないそうで、カツオどこ行ったとニュースで聞きました。

熊野の新姫と北山のじゃばら

2014-04-21 | おでかけ・近畿
和歌山といえば梅とみかん。
有田の温州みかんは有名ですが、「新姫(にいひめ)」は初めて知りました。



果汁10%ですが、ほろ苦い酸味のあるあるジュースでシークワーサに似ています。
チラシにのっているグラフによれば、
黄色棒がナリルチン、緑棒がヘスペリジン。
ヘスペリジンは、柑橘由来のポリフェノールだと書かれてあります。

100mlで160円、ちょっと高いのはやむをえないのかな。

新姫は、世界遺産「熊野古道」熊野市新鹿町で偶然発見された新しい柑橘。
タチバナと温州ミカンが自然交配した交雑品種なんだそうです。

ヘスペジリジンやナリルチンは毛細血管を丈夫にする働きがあるらしい。

他にも、ノビレチンとタンゲレチンというフラボノイドも多いようです。
これらには、癌の予防効果や発ガン抑制作用があるといわれています。





道の駅や土産物屋さんで見かけたもうひとつの柑橘類は、「じゃばら」



北山町の柑橘「じゃばら」
じゃばらとは、全国でも北山村だけでしか作られていない柑橘
「邪(気)をはらう」ところからこの名前がつけられた
ユズよりも果汁が豊富でユズやスダチとは違った風味がありまろやかさが特徴



じゃばらは昔から北山村に自生しており、当初それほど注目されておらず、
原木の持ち主である福田国三氏が、小さい頃から慣れ親しんでいたじゃばらの味、香りが他の柑橘類よりも優れており、
「じゃばら栽培は北山村を過疎から守る産業になりうる」として、村長や村議会に呼びかけた。
昭和46年秋、みかんの分類で有名な権威者田中論一郎博士に調査を依頼し、
翌47年、現地にて花の分析など専門的な調査、研究の結果、
じゃばらは国内はもとより世界に類のないまったく新しい品種であることが判明した。




熊野もうで餅と熊野牛王

2014-04-20 | おでかけ・近畿
週末、熊野へ行ってましたが、二日目は本降りの雨でした。

熊野速玉大社で買い求めたもうで餅は、こしあんが包まれてます。
まわりに「はったいこ」がまぶされてて、懐かしい味で美味しかった。

はったいこというのは関西だけかもしれませんが、大麦を炒って挽いた粉。
一般的には麦焦がしというのですね。
大豆の粉がきなこです。



2006年6月に熊野詣をしたときは、このもうで餅知りませんでした。
あのときのコースと逆周りに、
今回は、氏神さん大枝神社の地車隊の親睦旅行です。
毎冬かに食べに行ってますが、今年はなぜか紀南の串本と熊野。

昨日はいいお天気に恵まれて、快適に観光できました。
串本海中公園、大島のトルコ軍艦遭難記念碑、潮岬、橋杭岩、太地くじら博物館
デジカメ画像に見るべき画像あれば追ってご紹介します。

今日は、雨の中、熊野三社参り。

かつて賜った熊野牛王の護符が寝室の壁、災難除けとして8年間貼ったままでした。
古いのを納めるつもりが持って行くの忘れてた。


那智大社はカラスが72羽、速玉大社は48羽、そして、熊野本宮大社は88羽が記されています。
この数の違いは何なんでしょう?


2006年の8年前の記録は→那智大楠・オーブの不思議・熊野詣・オカラスさん



この熊野牛王、単なる災難除けではないことを、改めてちゃんと調べて知りました。
この護符の裏に契約を書くのに使うものだったらしいです。
約束がはたされないと、…



熊野牛王とは、熊野三山で授与される神札で、「熊野権現のお使いの烏」(からす文字)と「宝珠」を組み合わせてデザインされ、社名などを表している。
「牛王」の由来は諸説あるが、牛の胆嚢から得る牛黄(ゴオウ)を印色(朱)として護符に用いたことによるとされる。
この「熊野午王」は、本来は厄除け災難よけの「護符」だったが、その裏に起請(誓約)を書く「誓紙」として用いらるようになって世に知られるようになった。
即ち、熊野神を誓約の立会人とすることで有名になった。
起請(誓約)を破ると、熊野神の使いのカラスが三羽死に、破った本人は血へどを吐いて死に、地獄に堕ちるとされた。




義経が頼朝に忠誠を誓ったり(吾妻鏡)、秀吉が重臣に息子秀頼に二心なきことを誓わせたり、赤穂浪士があだ討ちを誓ったのも、この熊野午王を誓紙にしてなされたとされる。
熊野牛王を用いた起請文は、権力者ばかりではなく広く民衆の間にも広まり、江戸時代には、遊女と客が取り交わす誓紙にまで使われた。
熊野牛王を灰にして飲んでも効果は変わらず「牛王を飲ます」といわれると、やましいことのある人は血を吐いて死ぬのが怖くて、飲む前に自白したほどだとされる。


神出雲唐辛子

2014-04-17 | ケータイ・スマホから
ポテトチップスに小さな赤い点見えます?
ごくわずかでもピリリと辛さに旨味あり。
神出雲唐辛子ってカルビーのネーミングかと思ってたら、ホンマにあるんですね。

春の憂鬱を吹き飛ばしてくれそう。

春といえば、タケノコ。
新しいメニュー開発しました(^○^)

日曜日母を見舞いに行きましたが、病院近くに実家がある高校時代からの友人に会いました。
茹でたたけのこ3本いただきました。

豚肉肩ロースと白菜と菊菜の上におろし大根をのせて蒸焼き鍋に、筍スライスも混ぜました。
ポン酢で美味しく頂戴しました。


まだ二本残ってるから、一本は普通に炊いて、もう一本は、


新玉ねぎももらったので、筍スライスと豚肉と炒めました。
これもいけてました(・・)V



海津湊から敦賀までの七里半街道もコンブロード

2014-04-15 | 古代史のミステリー
奥琵琶湖、海津大崎までの桜並木をあるいていて、目にとまった木標「荷出しの浜」
いったい何をこの浜から荷として出したんだろう…

マキノサニービーチに至り、市内を歩いていると


旧海津港跡の看板見かけました。

造り酒屋も歴史を感じます。


迎賓館?
調べてみたら象牙の商館だったようです。


その向かいのお寺も立派です。






民家の家と家の間から琵琶湖が見えます。












海津の石積みは、風雨の被害から家屋を守るために江戸時代につくられました。


石積みの様子がよくわかる画像をちょっと拝借。


海津湊は、湖上輸送の大事な拠点だったのですね。

追坂峠を通り敦賀津へ出る七里半越え、大事な上がり荷の一つが北海道の昆布でした。






寛永15年(1638)、加賀藩が城米100石を初めて西廻り航路により大坂へ運漕しました。
それまでは敦賀で陸揚げし、琵琶湖を渡って大坂へ運ばれていたものです。
他の藩も西廻り航路を利用するようになり、松前物の昆布も同様に大坂へ直送されるようになりました。
距離的には西廻りの方がずっと長いのですが、途中で荷の積み替えがなくて済み、
敦賀・近江の運送業者の質が悪くて荷を抜かれる損失を勘定に入れると、西廻り航路の方が安上がりになったのです。
コンブロードは敦賀で止まらずに西へ伸び、長崎に至って、瀬戸内海を抜けて大坂に到着するようになりました。


詳しくは→こちら


そして、海津湊はかつての繁栄を歴史にとどめ寂れていったのです。


古代に敦賀が重要拠点だったのがよくわかりました。
北前船の荷揚げ地が敦賀だったことも、この海津を歩くまでしらんかった。

海津大崎の桜見物に、人・自転車・バイク・車・バス・船、そして犬も

2014-04-13 | おでかけ・近畿


関西屈指の桜の名所「海津大崎」
日本のさくら名所100選にも選定された約4kmの桜並木を
琵琶湖に浮かぶ竹生島を望みながら爽快に歩きましょう。
琵琶湖を湖岸に沿って歩く平坦なコースなのでどなたでもお気軽にご参加下さい。

ウォークツアーのパンフレットに書かれてありました。
これなら誘われるでしょう。

ほぼ満開の桜並木の下を爽快に歩けたのも、お天気のおかげ。
でも、奥琵琶湖は遠かったし、道混んでてこの季節にもう行けないと思う。

遠隔地の皆さまも、海津大崎花見ウォークをバーチャルでご堪能下さい。
TV放映と違って、イマイチ画像ではありますがズラズラとご紹介します。



大浦園地を午後1時15分ごろ出発しました。
ここでアプリのWalkerを起動させました。





海津大崎の岬に沿った道はこの週末、一方通行規制されていて、
マキノから大浦への車が数珠つなぎでした。
ハイカーに加えて、車、自転車も、バイクと大賑わいの道でした。






この日ほど多くのオープンカーを公道で走らせるの見たことないです。

時々通行許可される車があるのか後ろからも追い越してくるのが怖かった。
車が来ない時は快適な並木道でした。
しかし4kmもあるので車での通りぬけもいいなと思えました。












ツアーの添乗員さんは、体型からは想像しがたいけれど早足です。
ついていくのが精一杯で、歩きながらの撮影は難しかった。


この説明されてる時の反対側に桜の大王みたいに立派な木。




海津大崎近くになると短いトンネルを5つくぐりました。
最後のトンネルを抜けた所が岬の突端。
船着場があり、水泳場があり、大崎寺に観音さんがおられました。

ここからマキノまでは湖岸ギリギリの遊歩道を歩けるので快適です。








ズームすると、ワンちゃん2匹も同乗してました。

奥琵琶湖の春は少し遅れてやって来る

2014-04-12 | ケータイ・スマホから
滋賀県高島市マキノのメタセコイヤ並木道です。
8時過ぎに大阪梅田を出発しましたが湖西道路超混んでて、3時間以上かかりました。
緑茂るにはもう少し季節が進まないと。
秋の紅葉、冬の雪景色、どれも素晴らしいそうです。
後ろに見える山を越えたら敦賀、20kmほどの近さです。
原発になんかあったら、琵琶湖はあっという間に避難区域ですね。


このあと向かった先は、海津大崎のお花見ウォーク。
すでに2月に申し込んでたので、桜開花状況もお天気も運任せ。

ありがたいことに、昨日TVニュースで取り上げるぐらいグッドタイミング。
満開まであと数%というぐらいの見頃でお天気にも恵まれました。

そのかわりに人出もハンパなかったです。

午後1じすぎから4時半まで、約9km、16000歩はゆうに歩きました。
とりあえず、今晩はスマホ撮影画像のご紹介。









デジカメに幽玄壮大な桜景色きりとれているでしょうか