秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

ゼロ磁場★天河弁財天★中央構造線

2016-04-28 | おでかけ・近畿





伊那市の分杭峠はゼロ磁場スポットとして有名です。
まだ行ったことありませんから、実際その場に立ったらどんな感じなんでしょう、と思っていました。

日曜日に「聖地・天川へ」というツアーに参加し、最後に訪れたのが天河弁財天社の正式参拝でした。
そのバス車中、到着する前にツアー講師の南先生がゼロ磁場をご案内しますと言われました。






鳥居くぐって、手水舎で口と手を清めてから太鼓橋を渡ります。
その橋の上がゼロ磁場で、SN極の磁極が反転する境目だと。

実際、その上に立ったときの感覚は、心臓がバクバク鼓動を早める感じでした。

今になって、ゼロ磁場を調べてわかったことに、あの地で方位磁石を見ればよかったと残念に思います。
スマホにはコンパス付いてるものね。
写真撮ってる場合じゃぁなかったわ。




ゼロ磁場というのは、N極とS極の正反対の磁気が打ち消しあっている場所のこと。
磁力の高低の変動が大きく、全体的に磁気が低い状態、ゼロに近い状態に保たれている場所を指します。

そのため、ゼロ磁場地点では、方位磁石の針は方角を示さず、針は回転し始めたり、振動し始めるのだそうです。
方位磁石はもちろん、GPS も動かないのでカーナビも狂うらしい。

体内の水分子に磁気が作用すると、細胞は活性化します。
直流と交流の電磁波が入り混じった空間においては水分子の働きは活発化するので、免疫力が上がったり、細胞が若返ったり、身体の健康などに影響を及ぼしていることが分かってるんだって。


ゼロ磁場とは何か」より一部引用させてもらいます。
詳しくは→こちらで

伊那市分杭峠は、世界最大の巨大断層地帯「中央構造線」の真上にあります。
ゆえにゼロ磁場は、この断層地帯の上にはたくさんあり、古代より聖地と呼ばれる場所でもあります。

・諏訪大社:国内にある最も古い神社の一つとして有名
・豊川稲荷:日本三大稲荷の一つ
・伊勢神宮:全国約8万社の神社を包括する、神社本庁の本宗
・天河大弁財天社:日本三大弁財天の一つ
・高野山:弘法大師空海が修行の場として開いた聖地、金剛峰寺
・石鎚山:山岳信仰(修験道)の山として知られる日本七霊山の一つ
・幣立神宮:高天原神話発祥の神宮といわれており、火の玉に乗って降臨されたという神漏岐命(かむろぎのみこと)・神漏美命(かむろみのみこと)などが祀られる


電気通信大学・佐々木先生の著書『「見えないもの」を科学する』(サンマーク出版)より

"ゼロ磁場は私たちが住む世界と、より高次元な世界との接点であり、そのような場所にはある種のエネルギーが生じている"という仮説。
そのエネルギーこそ、ゼロ磁場を訪れる人を癒し、活力を与え、不思議な能力を目覚めさせる源泉であると主張される。


天川の歴史がよくわかるブログは
修験道の聖地・龍泉寺から天川弁財天神社、丹生川上神社下社を訪ねて


守口市保存樹木 オオムラサキツツジ@妙楽寺

2016-04-28 | 四季折々・色とりどり


このシーズン、毎年つつじ見酒にお招きいただいてます。
今年もご厚意に感謝して紹介させていただきます。







和菓子はムラサキツツジを模して注文されたのでしょう。





お皿は平安焼トウアンさんのもの



本堂の欄間絵にもツツジが描かれてますが、あのムラサキはどう頑張っても出なかったそうです。




ふつうヒラドツツジの寿命は150年ぐらいだそうです。
ところが妙楽寺さんの大ツツジは、
なんと倍以上の 360年ぐらい!

尋常ではありえない年数を生き延びてます。

たっぷりの水を必要とするツツジはよく浄水場とかに植わってます。

妙楽寺つつじは水も手間もいっぱい貰えたのでしょう。
そして今はその蓄えたエネルギーを
見るもの皆に放射してくれています。


薬草の里大宇陀・大願寺の薬草精進料理

2016-04-27 | おでかけ・近畿


何年も前からこのお食事いただきたいと思ってました。
今回のツアーに組み込まれていたので、これも決め手となりました。


森野薬草園の見学を終えて、5分ほど歩きました。
地図で青い星印、道の駅の背後の山中腹にあります。
















吉野葛のさしみ、コンニャクより上品な感じ、かな。


飛龍頭、ひろうすのあんかけ。
上に飾られた、ひょうたん型の大根には三つ葉で結ばれ、細工が細かい。


山菜のてんぷら、ユキノシタとかドクダミとか初体験。


黒米の黒さにびっくり。


ドクダミのシャーベットは少しドクダミ匂う。

どれもこれも少しづつですが、全部で


おなかいっぱいになり大満足。


宇陀の花カザグルマと、スズラン

2016-04-26 | おでかけ・近畿

マンホールの蓋に描かれたカザグルマは宇陀の花。



カザグルマ自生地北限ということで天然記念物に指定されたのは昭和23年。
でも今はもっと北で自生確認されてるようです。

同じ年にスズランも自生地南限として指定されてます。
両方あるってある意味スゴイとこですね。



森野旧薬園は元々が吉野葛の製造が始まりです。
採集した葛を晒すプールを高い所から



遠景に山々が見え気持ちよかったのに撮影失念、画像もらってきました。




ガイドしてくださったおじさん


45名の団体にガイド一人は無理ね。
小山で足場も悪いしで聴き漏らしいっぱい。
薬草興味ある方は少人数でゆっくり回りたい所です。




カザグルマとテッセンとクレマチス
とても興味深いブログ見つけました。

カザグルマ(風車)と呼んだ日本人、テッセン(鉄線)と呼んだ中国人

一部引用させてもらいます。
「中国ではクレマチスの仲間のことを総称して鉄線(てっせん)と呼びますが、これは日本人が感じる音感はどうあれクレマチスのツルをサビた鉄の線(針金)にたとえたもので、役に立つもの以外にはあまり興味を示さない実利主義的というか、つまらない趣きのない呼び方だとぼくは思っています。
 それに対して、古代の日本人たちが命名した風車(かざぐるま)という名前は、静かな空気の中では凛と咲いている美しい形を表現しているとともに、風が吹いたらクルクル廻りだすような大きな躍動感を感じさせる趣きにあふれた素晴らしい名前だな~と率直に感じています。」

詳しくは→こちら





ちょっと関係ないけど、昨日決定したTOKYO 2020のエンブレム
ネットでは批判みます。


確かに、涼しげというよりは、暗い、と私も思う。

決定したいきさつとか興味深いことかかれてます。
こちら



青海波と富士の合体、青でもキレイで、私もこれがいいな。



森野薬園の新緑

2016-04-25 | おでかけ・近畿


森野吉野葛本舗の始まりは450年前。
1616年吉野郡下市から現在の地大宇陀に移転。
徳川吉宗の時代に国内産漢方薬の普及という国策に後押しされました。
江戸の小石川より古いそうです。

吉野葛や薬草はじめ、カタクリの花の群生も有名ですが今春は終わってました。

まずは目に青葉、新緑美しい木々のご紹介。








何と立派なモミジ、大きな枝ぶり支える幹もスゴイ。





後ろの山が旧薬園で約250種は植わってるようです。

ほのかにピンク色の木がハナノキ、一番最初にあげた画像です。



すでに終わりかけで色は薄くなっててもっと赤いらしい。
少し前ならカタクリとこのハナノキ満開見れたようで残念。

雌木の古木として希少で天然記念物に指定されてます。




1729年幕府から拝領のサンシュユ



こちらも同じく、吉宗から下付けされた薬草





天台ウヤクは入口前に立つ昭和天皇ご視察記念碑後ろにも植わってました。


宇太水分神社の蟇股

2016-04-24 | おでかけ・近畿


2月に恵方の神々にご挨拶いくツアー参加して気に入ったので、また行ってきました。

今日は「山に神々が宿る天川、天河弁財天社では正式参拝」というタイトル。

スマホで撮影した画像は108枚ありました。
一番最初に選んだものは
やっぱり不思議な光が写り込んだものにしました。








特別拝観で瑞垣内に入れてもらいました。




この夫婦杉は立派でパワーあるそうですが、私はわからんかった。








白鷺に乗った神様がこの地に降りられ宝珠の雨が降ったという古文書に基づくらしい。

天水分神を祀る第一殿の蟇股は青龍、
第二殿は速秋津彦命、第三殿は国水分神。
何でか宝珠の蟇股見当たらない。





急いでお茶のペットボトル空っぽにしてお水も賜った。




★4/26
雷音寺さんのコメントで思い出したので追記します。



手水舎のお水出るところが蛙でした。
水神さんのお使いだと書かれてます。
ちょっとわかりにくい画像ですが、45名の団体が次々順番ですのでゆっくり撮影してる時間ありませんでした。


「天国がつるぎきたえし金の井」ってここなのかと思ってました。
調べたらわかりました!
水茎麗しい草書体の字が読み取れなくて・・・ ><

我が国最初の刀剣師といわれる方が、天国さん
宇太水分神社から少し離れた稲戸の住人だったようです。
数々の名刀や神鏡を鍛えるのに、居住地近くの井戸の湧き水だけでなく、こちら神社の霊水を使われたという意味でないかと思います。



同行者に画像送ってもらいました。
国宝であるお社の右隣、春日神社と後ろの新緑が美しい。


想像していたよりうんとすばらしい神社でした。



降る雨は百穀を潤し 葦が芽を吹き始める頃

2016-04-22 | 24節気72候




今日は雨が上がりました。
店の前でアオスジアゲハがひらひら。
写真撮っていいよとすぐ目の前にとまってくれた。
去年青虫くんからサナギまで飼育観察してました。
→2015-06-03 完全変態の昆虫は さなぎになって

最終段階の羽化は娘がちゃんと見届けました。



一年はあっという間ですね。
季節はめぐり、今年も24節気の穀雨
72侯の葭始生(あしはじめてしょうず)


今年もギズモのライオンカットへ、
備忘録として今年も記録残します。



4/20午前中にさつき学園訪問後昼前に連れて行きました。
夕方の麻酔がまだ完全に覚めやらぬ状態のギズモです。
涙流してたようで目の周り濡れてたのを拭きました。

相変わらずもぐちゃんは4/20午後から今朝まで飲まず食わず。
いつまでたってもこの状態のギズモが怖いようで怯えて隠れてて、抱っこして連れて来てもすぐ逃げるのです。


去年の記録です↓ (今年はブログの開設から 4,016日)
ブログ開設から3649日、あれから10年
今一番気を揉んでいることはギズモの散髪いつ行くかということです。この画像はブログ開設した2005年4月24日より数日後に投稿した記事「ネコがライオンになった?」で使った画像です...




守口市立初の小中一貫校 さつき学園

2016-04-21 | 世情雑感


昨日用事があって初訪問。
開校したての校内を案内してもらえました。




まずは屋上から。
屋上菜園の準備中です。
遠くにアベノハルカス見えてます。
下の階では防音壁なくてもっと見えました。
屋上にはプールあるから防音対策いるんですね。





中庭を囲んだ五階建て、階段4つあって色分けされてる。









もう一つは緑色だそうだ。

一番上のレンガ色系赤のシンボルが鳥というはどうかな~
私なら鳥が青、としたら鮎はどの色がいいんだろう。
シンボルの選定、協議して決めてたとしたらゴメン。





グランドができるまで年内は体育室が使われる。
もう一箇所大体育室もありました。



多目的室


図書室


パソコン室はタブレット型ノートで、
さらにiPad があって、鍵かかった保管庫に収納されてる。


理科室は、前期1-6年と後期7-9年用の二つある。



図工室の机は画板のように角度が変えれる。


音楽室


今の教室ってすごいね





ゴミ箱も分別収集仕様






廊下の柱は杉板貼りで、上の石膏レリーフはさつき、らしい。
大きな石版をわざわざこのサイズに切断して作成されたと伺いました。
卒業記念の集団製作とかなら、切ったら意味ないし、
もしこのために石版レリーフ作ったのだとしたら切断する意味わからん。


それにしても、
こんな立派な新校舎見せてもらうと、
地元の三郷と橋波、二つの小学校がなかなか統合進まず、古い校舎に耐震工事してるのがアホらしくなります。
ちゃっちゃと話し進めなアカンと思う。




日本一危ない国宝鑑賞@三徳山投入堂

2016-04-20 | 旅・中国&四国地方


4/16(土)午後2:15登山開始して下山まで約2時間。
二人以上で午後3時までに登山参拝事務所で手続きし、4:30までに戻らないといけません。
地車隊22名のうち、足腰自信あるか、好奇心旺盛なもの
わずかに7名が登山参拝してきました。


ずらずらっと画像貼り付けます。







靴底点検でダメと言われた人はわらじを購入します。






距離は700mぐらいと聞いたような、しかし最初から急坂が続きます。







お仕事柄高いとこ得意で、最初スニーカーでビニール袋手に持ってひょいひょい。


しかし途中で地下足袋に履き替えて、荷物は誰も取らへんやろうと置いていく。



やっと建物見えて着いたかと思ったら文殊堂だった。



文殊堂わきの鎖坂は一人づつ登ります。








尾根道も狭くて気が抜けません。

観音堂を過ぎて、やっと到着(^o^)/







こんな高いとこにどないして造ったんやろう
そりゃあ 投げ入れたから投入堂や (≧∇≦)



本堂の右上に見える建物はおそらく文殊堂?




ご利益あると思います。








レイラインと中央構造線と地震

2016-04-19 | 古代史のミステリー


今年1月17日に淡路島のイザナギ神宮で見た石板です。
記事にしそこなって保存してた画像です。

昨日、TMさんのブログ訪問したら



>2013年1月の「新聞記事」に九州の地震予測が掲載されていた・・・中略・・・
シロウト目で見ると、震源地が「中央構造線」に沿ってどんどん東上しているような気がする。
新聞によると、四百年前に中央構造線断層帯で地震が起きたらしい。規模は今回と同じくらいで、京都でも地震が発生した


確かに、慶長地震だったか伏見地震だったか、痕跡残ってます。


そこでさらに思い出したのが、次の画像

花岡山と阿蘇国造神社と京都御所を結ぶ熊本レイライン
(阿蘇国造神社は阿蘇神社の北5km外輪山の麓に鎮座するため北宮と称される)

吉田一氣さんのブログより過去に保存させてもらってました。
どの記事であったか不明です。



二つの地図を合体させてみると


九州の二つの原発(玄海、川内)と四国の伊方原発を結んだ三角形の真ん中が阿蘇です。

まだまだ川内原発止めないって勇気ありますね。



古代から、夏至や冬至のレイラインやら中央構造線やら知ってたというのがスゴイ。
空を見ては天体観測、土地はフィールド調査、それら収集した情報を蓄積して、祭祀してたんですね。




熊本のシンボルである熊本城や阿蘇神社がたいそうな被害が出たことはショックでした。
ニュース映像で被害状況や、避難されてる方々の様子を見てると、今の危機、そしてこの先の不安に胸が詰まります。

そしてその線上に住まっているものは、今回の熊本は他人事ではありません。


今一度、気象庁の地震情報眺めてみると

平成28年04月17日12時16分 気象庁発表
17日12時09分頃地震がありました。
震源地は伊予灘(北緯33.6度、東経132.1度)で、
震源の深さは約70km、地震の規模(マグニチュード)は3.8




伊方原発のすぐそばですね。

平成28年04月18日18時18分 気象庁発表
18日18時14分頃地震がありました。
震源地は奈良県(北緯34.4度、東経135.9度)で、
震源の深さは約10km、地震の規模(マグニチュード)は3.1


この地震は18日18時18分という情報発表日時が目に留まりました。

北緯34.4度、東経135.9度 


吉野郡吉野町津風呂湖付近でした。
なんか不思議な形の湖です。


結構この地はよく揺れているようです。
「北緯34.4度、東経135.9度」で検索したら過去の地震記録がいっぱいヒットしました。

津風呂湖は津風呂川を堰きとめて1962年に出来た灌漑用人造ダム(重力式コンクリートダム)。
複雑な形で周囲32㎞、ボート遊びやヘラブナ・ブラックバスのフィッシングもできる。

津風呂川は、古代の津振川(つぶりがわ)
壬申の乱で挙兵した大海人皇子たちが通った道も湖底に沈んでいます。

吉野は信仰の山でもあり、2004年には「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界文化遺産に登録されました。


犬挟峠と人形峠、それぞれの伝承

2016-04-18 | 旅・中国&四国地方


中国道から米子自動車道に入り、湯原ICで降りて、国道313号線経由。
やっと昼食場所となる道の駅「犬挟」に到着したのが12時半ごろ。

地図見てて「犬挟」をなんと読むんだろうとひとしきり話題になった。
看板のふりがな見てやっと判明。



その後も、車中で何度も、なんて読むのクイズで盛り上がった。


鳥取県の関金町にあるが、岡山県に近いので岡山県真庭市と共同で営業している日本でも珍しい経営形式の道の駅だそうだ。
関金わさびが、生粋の国産わさびとして有名らしく、生わさびも販売されてた。

地車隊の旅行では出発前に旅行費用を渡しているので、行き当たりばったりの店で一人千円札が配られ自由昼食となる。
足りない場合は自分で補充し、余ればおつりは好きに使ってもいい。

ココでは蕎麦とわさびやろうと、選んだ昼食は


とろろわさび丼とざるそば、大正解だった。
850円ぐらいで、おつりはもらった^^


犬挟峠は、標高313m
国道313号線が、鳥取県中部の倉吉市関金町から岡山県真庭市へ抜ける主要道路となっています。
その犬挟峠の国道沿いに平成10(1998)年8月8日
道の駅犬挟(いぬばさり)オープン。


なんかけったいな地名にはワケがある。
この犬挟の由来は何ですかと尋ねると、プリントした紙をくださった

1)鎌倉時代に後醍醐天皇が北条方に追われて通ったことで、蒜山地方ではこの峠を「院走り峠」と呼び、「いんばしり」が「いんばさり」となり「いぬばさり」となったという説
2)4世紀ごろ、古墳時代に日本武尊が西国平定のため国境の矢筈ヶ山(やはずがせん:標高1359m、大山の北東に位置する)から「この矢のとどく限りの敵すべて従え」と言って矢を討ったところ、これが峠にささったことから「矢ばささり」となり、これが変化して「犬挟」となったという説
3)犬でも狭い道だから「犬挟」となったという説
4)狭くて急な峠で犬すら逃げる「犬ば去り」から「犬挟」となったという説


この犬挟峠は、すでに奈良時代には、因幡国の智頭と播磨国の佐用を結ぶ志戸坂峠とともに、小鴨川上流から蒜山を越えて勝山に至る道として犬挟峠が拓かれていた
後に拓かれる他の陰陽連絡路と較べても道中が平坦で、峠の標高も低いことから盛んに利用されており、備中往来と呼ばれるようになった。

ということは、狭い急な坂道で犬挟、とか犬でも逃げるという由来はおかしいね。




小中学校の時代、たしか中国山地にウラン鉱の人形峠習ったなと地図を確認した。




江戸時代になると、現在の国道179号の原型となる津山往来が整備されるようになり、田代越、人形仙越、打札越の3ルートがあった。
1912年(明治45年)に山陰本線が全通すると、山陰と山陽の往来の手段は鉄道が主流になり、これらの峠越えルートは廃れてしまった。

ところが、太平洋戦争後の1954年(昭和29)天神川本流や三徳川の上流域でウラン鉱が見つかるようになり、1955年、県道倉吉津山線の頂上付近でウラン鉱の露頭が発見された。
鉱山は「人形峠ウラン鉱」と命名され、旧来の打札越はこれ以来「人形峠」と呼ばれるようになった。
1960年代から1970年代にはウラン濃縮原型プラントも建設され採掘から精錬までの技術研究を行ったが、現在は採掘は中止されている。
ここで初めて製造した塩化ウラニルは茨城県の東海村の施設へ運ばれた。

1973年オイルショック期にはウランの取引価格は高騰のピークを迎えたが、1979年にアメリカで起きたスリーマイル島原子力発電所事故を契機に、ウランの国際的な取引価格は下落しピーク時の半分に。
この結果、経済的には国内でウランを精製するよりも、海外から輸入するほうが安価で安定していることから、人形峠でのウラン鉱の採掘は中止されることになった。
2001年にはウラン濃縮原型プラントも閉鎖。
しかし、人形峠など各地のウラン探鉱活動で生じた微量の放射性を帯びた残土は約45万立方メートル、約100万トン。
残土処理ですったもんだしたが、2008年に処理施設が完成。
搬出された残土は日本原子力研究開発機構によってレンガに加工され、2010年12月13日までに約145万個が製造され、一般向けには「人形峠製レンガ」として販売している。
レンガの放射線量は安全としており、文部科学省の新庁舎のほか、現在までに各地で花壇や歩道の整備などに使われている。




この峠に人形峠の化け物退治の伝説が残されていました。

峠にはかつて、巨大な蜘蛛がいて峠を越えようとする旅人を捕食していた。
あるとき、これを退治しようとするものがおり、藁人形の囮を峠に設置すると、大蜘蛛が囮に襲いかかった。
その隙に大蜘蛛を弓矢で射殺し見事に退治することができた。
以来、この峠を「人形峠」と呼ぶようになった。


あれあれ?
1955年
>旧来の打札越はこれ以来「人形峠」と呼ばれるようになった。

その巨大な蜘蛛の化け物退治の時代はいつなんだろう??
もしかなり昔からあるのなら、それは3つのルートのうちの人形仙越のほうかも。


このほか、人形峠環境技術センターのホームページでは異説が2つあると書かれてありました。


阿蘇神社楼門 倒壊を知り愕然

2016-04-17 | 旅・中国&四国地方


昨日朝中国道を西へ走ってると雲の様子がいつもと違って見えました。



一定方向の筋のような雲が、勝央サービスエリアでは乱舞しながら一つの場所に収束して見えました。

午後2時過ぎにやっと三徳山に到着。
22名と幼児1名参加の地車隊ご一行さまは老若男女さまざまでした。

三徳山の投入堂参拝はたいそうきつい登山的参道とききます。
結局7名だけが登ることになり、とてもいい体験できました。
詳細レポートはまた後ほどに、

夕方宿に着いて宴席終えてから、
めねふねさんのコメントで阿蘇神社に大きな被害出てたことを知りました。

今晩帰宅して画像探してきました。




あまりにひどい倒壊ぶりに茫然自失、熊本城もさらに酷いことになっててショックです。

2011年秋 阿蘇を巡り、阿蘇神社参拝しました。
列島をはう龍神 阿蘇聖線




今日は朝方で雨が上がり、朝ごはん会場から虹が見えてました。
そのあとは想定外の上天気。
雲ひとつない青空だったのに、帰路近畿道で見た夕日と一筋の雲。


美しい夕焼けでしたが、なんとも不思議な形の雲。
まるでツチノコみたい。



阿蘇神社も熊本城もその地を護るため、率先して最前線で身を呈されたのかな。

明日から旅行記書かせてもらいます。


熊本城のしゃちほこ落ちて

2016-04-15 | 世情雑感


昨夜からの熊本地震、甚大な被害のようで、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く余震おさまり地震収束して欲しいです。
元の生活に復興されるまで大変なことと思いました。

今朝TV画面で見た熊本城です。
天守閣の屋根のしゃちほこなくなってました。

しゃちほこ って漢字で書くと 

魚偏に虎って書くのですね。

頭は竜のようで背上に鋭い刺を持つ想像上の海獣、水竜らしいです。
しゃちほこがいるところが水面だと考えると、
お城は水中=火事にならないという防火のおまじない。

 詳しくは→シャチホコの謎



上空からの動画ニュースでも見ました。
石垣の崩れなどリポートされてました。


熊本城へ行ったのは、2008年晩春。
その折に聞いた、加藤清正公が熊本城築城時にお手植えされた銀杏の木の言い伝えを思い出しました。

そのときの記録は→ 2008-05-28 400円