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秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

春のお出かけ②いまざとライナー

2022-03-16 | おでかけ・近畿
3年前に社会実験が始まったBRT(Bus Rapid Transit)いまざとライナー
そのうち乗ってみようと思ってたのに、コロナパンデミック❗️
延び延びになってたのがやっと実現です。





長居公園から乗車して、難読地名の杭全(くまた)まで利用。

JR長居から長居公園内にある自然史博物館へ行くまでに、
地下鉄長居公園いまざとライナーバス停で


30分ごとの運行時間確認。

この時は時刻表上のバス停見ず、
普通の路線バスとバス停一緒だと思い込んでた。




長居公園の地図左下オレンジ色マークした「地下鉄長居」
見学終えて向かったのは黄色マーカーの「長居東」バス停。
バス停着いてすぐに、いまざとライナーバス通り過ぎた。
時間は認識して気にしてたけど…。

改めてサイト確認したら

「停留所を絞って速達運行」というBRTの一定の利便性が実証されれば、大阪市内の他の鉄道空白地帯でもBRT、あるいは既存系統の急行運転の導入に繋がるかもしれません。


抜かりなく時刻表確認したのに、肝心の場所確認怠ってた。
次のバス停までかなり距離あるのわかり戻ることにした。
30分遅れて次のバス11:21に乗車。



降車バス停「杭全」を見逃さないように留意して


11:40無事下車。








地下鉄今里筋線の延伸が計画されていたエリアです。
工事費高騰で代役が務まるかどうかを検証するための社会実験。
沿線の移動需要を掘り起こす目標もあったそう。
この地域縁のないうちらも乗ってみようと思ったけど、一般的にどうなんだろう。
2019年4月から始まった実験は、ほとんどコロナ自粛期間でしたもんね。


杭全で降りて、JRおおさか東線乗り継ぎ次の目的地へ

つづく





びっくり!植物ワールド@大阪市立自然史博物館

2022-03-14 | おでかけ・近畿
長居公園にある自然史博物館、以前から行ってみたいと思ってました。
特別展『植物』チラシに惹かれて出向くことに。


入場者は老若男女多岐にわたり、
家族連れ、若者グループ、うちらのようなシニア連れで賑わってました。


入ってすぐ目に留まったのは


世界最太の幹「トゥーレの樹」
メキシコラクウショ(ヒノキ科)推定樹齢2000〜3000年

展示は写真だけですが、床に


でっかいなぁ〜

地表面根元周り 57,9m
地面から1,2m幹周り 36,2m

生で見てみたいけどメキシコのトゥーレは無理やね。
日本最大なら鹿児島県蒲生八幡宮の大楠24,2m 
いつか行けるかな。





世界最古の植物化石、世界初公開!
「クックソニア・バランディ」
チェコ国立博物館蔵



熱心にみてる少年グループ、
保護者見当たらず4人で来てる様子。
漏れ聞こえる会話も賢そう。
休みの日にココ来るぐらいやからね。

植物より彼らの行動生態気になる…


『光合成ファクトリー』
参加型インスタレーション展示だそうです。
光エネルギーを生み出すしくみをゲームで


めっちゃ盛り上がってます。もちろん大声出さず。
少年たちは楽しみながら身につけていくのでしょう。

老眼シニアはちっちゃな字読みづらいし、全般に内容レベル高くスルー気味。


最長寿命の葉 キソウテンガイ
最大直径の花 ラフレシア
食虫植物あれこれなど「咲くやこの花館」で見ました。
おばちゃんには植物生の方が印象残ります。

もうこれぐらいにしとこか、と常設展へ
特別展1500円で常設展も入ることができます。
ちなみに小中学生500円、高校生800円。





建物前にクジラの標本が見事でした。
1月に下関水族館ロビー展示でも見たから気になる。


中に入ると、自然史博物館蔵がたくさんあるようで隙間なくぎっしり展示。
専門家じゃないから、昭和的展示はもうお腹いっぱいって感じ。
半分でも収納してって無理か。
展示物は目に訴える空間も大事にして欲しいかな。


もらったリーフレットにはQRコード


アクセスしたら植物情報や動画等みれるようです。
昨日の今日でまだ見てないけど。

特別展『植物』は4/3まで開催されてます。

うちらのレベル低すぎて、1500円の元は取れなかった。


次に向かったのは、つづく


春のお出かけ①特別展『植物』

2022-03-13 | おでかけ・近畿


満開の桜?


撮影されてたオッチャンに尋ねました。
河津桜だそうです。
今の時期よく耳にしますが、これだったのかと。

本日の目的は

長居公園の

大阪市立自然史博物館

看板に入口は2Fと書かれてるのに


ここも見過ごして


本来の入口から入り、
特別展は2Fですと言われ、右往左往。

朝8:40頃家出て、やっと入場できたのは10時過ぎてた。
家に帰ったのが15:30頃。

博物館の後は大阪東部の探索
今日使った交通費1370円だった。



けっこう歩いて疲れました。
展示の感想とか、
他どこ行ったかとか後日。







大阪中之島美術館の展示ロビーから

2022-02-18 | おでかけ・近畿

中之島に架かる阪神高速道が見えます。

屋内に目をやれば
2階から4階までの長〜いエスカレーター


フロアマップで確認すると

3Fが表示にないですね。
収蔵品保管階でしょうか。
耐震構造はさておき、津波対策で高いとこ収蔵?


外が見える開口部は5階にも同じ位置にあり、
ベンチにはコレクション画集が置いてあった。

パラパラ見て撮影不可で印象残ったものを


高村光雲の木彫「砥草刈」
上の日本画雪猿は作品名作家名写ってなかった。

サラエボ五輪ポスターもオシャレ〜



5階展示室の撮影可作品で、
作品名に目がテンなったのは
オミクロン ですって⁉️





中之島美術館のコレクションは6000点を超え、今回の展示は代表作400点だそう。
見学に1時間半超えたら、頭も足も限界で疲れた。
もう帰ろう〜

13:48



1983年大阪の実業家山本發次郎の旧蔵品寄贈されたのが始まり。
大阪市政100周年記念事業基本構想へと。

1990年近代美術館建設準備室が設置
2013年中之島に新しい美術館を建設を決定
2017年公募型設計競技(設計コンペ)で遠藤克彦建築研究所案が選ばれる
2022年2月2日オープン

時々発信されるニュースで知る程度だった。
40年近くも携わってこられた方々の努力の賜物ですね。
電車一本で行ける美術館です。
足腰さらに弱り頭劣化しても観に行きたいです。



大阪中之島美術館、コレでおしまい。

初見学記録は以下順でご覧いただけます。





ジャイアント トらやん@大阪中之島美術館

2022-02-17 | おでかけ・近畿
 

ジャイアント・トらやん
屋外にあったSHIP’S CAT 同様ヤノベケンジ作品です。
4階の階段横にいました。



展覧会場入ってすぐにお目当ての
カメラマークのある作品は撮影可。


99のものがたり
3番目の作品
佐伯祐三 郵便配達夫




入場券のQRコードで解説ページが開きます。
非公開となってるのでリンクは貼らずに、スクショだけ。





お家帰ってゆっくり読めます。


カメラアイコン見ると皆さん反応し、もちろん私も。




《白孔雀》 

鮮やかに生い茂る緑の葉に咲き誇る青い花、そして大きく羽を広げた白孔雀。当館所蔵の日本画のなかでも屈指の荘厳さを誇る1点です。富山県出身の石崎光瑤は、山岳家としても著名な画家です。1916年にインドを訪れ、ヒマラヤを登攀(とうはん)するとともに、古跡を訪ねて多くのスケッチを残しました。帰国後、原色鮮やかな熱帯の花鳥をテーマに《熱国妍春》(京都国立近代美術館蔵)や《燦雨》(福光美術館蔵)を発表し、注目を集めます。《白孔雀》はこれらに続いて再びインドを題材に描いた作品で、パターン化された葉や曲線の多用はアール・ヌーヴォーの影響を感じさせる一方、伝統的な花鳥画や琳派の表現なども取り入れ、それらを見事に調和させています。ちなみに巨木はチナール(スズカケノキ)で、青い花は蘭や菖蒲ともいわれてきましたが、画家自身が現地で撮影も行ったアヤメ科のイチハツ(鳶尾)という花だそう。




展示室出たとこにポスター


佐伯祐三展
大阪市立美術館で観ましたね。


つづく



初めて行った大阪中之島美術館

2022-02-16 | おでかけ・近畿
昨日の続きです。
卓上に積み上げた印刷物整理し
「アートなさんぽ」見つけてブログ書きました。
近いうちにとは思ってたけど、入館は事前予約なので。


今日行こう!
急に思い立ち公式サイトにアクセス。
日時指定で当日は無理だったので電話してみました。
システム上翌日からしか予約できなくて、当日券で入れますとのこと。

「アートなさんぽ」で写真集めるなら、
ダイビル本館はお昼休みしか撮影できないと教えてくださった。

急いで早昼食べて、11:53発の電車に乗る。
京阪中之島線一本で行けるという地の利。
各停20分で330円。


12:15渡辺橋駅構内で
このポスターでサイト繋ぐと



2を選び撮影するをタップするも、2/3同様撮影出来なかった。

諦めて中之島遊歩道歩いて美術館向かう。

12:23 到着、入口は2階です


階段上がると、


黒い直方体(ブラックキューブ)
前の広場にドギモ抜くオブジェに人群がってます。
SHIP’S CAT(Muse)という作品だそう。
昨日帰りに電車の中からその画像発信しました。
真っ先にセレクトした画像で印象深いものでした。


2階通路から撮影したのが


2001年宇宙の旅(1968)にでてくる「モノリス」のようなブラックキューブ。
最近流行りのガラス張り美術館は反射公害が問題視されてます。
黒壁面は光を吸収するし、中之島のビル街で周辺環境と馴染む。



自販機で12:00-13:00切符買って入場。
大人1500円は安い❣️

近くで待ってる人達は、事前予約で13時以降を指定されたのでしょう。

2階の入口から、4階の展覧会場までエスカレーターで


開館記念「超コレクション展99のものがたり」
に続きます。

参考サイト


堂島薬師堂の節分お水汲み祭り

2022-02-03 | おでかけ・近畿
急に思いついて行ってきました、北新地へ。



コロナ禍で規模をちっちゃくして開催されてました。
綺麗どころ、北新地クィーンお二人。
鬼さんも二人、いや二匹?




15時からの薬師寺僧侶の声明は迫力ありました。
「ほうらい」の掛け声3度で参列者皆頭下げてご挨拶。
薬師如来がご本尊ゆえか、厄除け呪文なのか、初めて聞いた経文でした。
迫力あって祓われた気分。

このあと竹筒護符にご香水賜る行列できてました。
それを横目に早々に退散。

足痛くてわずか1時間の滞在。

ふるまい酒、ぜんざいも待ってれなくて、
堂島•北新地の鬼追いも見れなかった。

堂島薬師堂がどんなだったかは、また明日。
去年暮れに記事にして、
こんな急にその日が巡ってきたことに我ながら驚いてます。




上天気なので 大宮えびすへ

2022-01-10 | おでかけ・近畿

寅絵馬飾りたかったので今年も破魔矢。

今以上にコロナに怯えてた昨年、近くの大宮戎へ初参拝しました。


結局は店閉めることに…
福授かり、ご加護あったからこそ、ソフトランディングできたんでしょね。

8月末閉店して9月には福笹返しに行きました。

破魔矢は家に飾ってたので、
今日はいいお天気で自転車で向かいました。

来年は福扇か熊手にしよう。

大宮神社では授かった福笹などを拝殿に置いて




これがなんか有難いんですよね〜



拝殿右手にもちの大木茂ってて、「いぼ大神」
みなさんお参りした後に幹肌さすります。



幹にあたる木漏れ日の光が顔のよう、
幹右手にも建物とかが仮面被った顔面に見える。
このせいではないけど、
帰りは千林商店街で道迷って往生しました。



大宮神社は1185年源義経が創建。
ちょうど昨晩から始まったNHK大河ドラマの時代ですね。

昨年も記した神社由緒を再掲します。



『摂津国風土記』に比売許曽の神が比売島に来たとある。西淀川区姫島に鎮座する姫島神社を比売許曽神社とする説があるが、ここは近世まで海中であった。 摂津国風土記にいう難波の日女島(比売島、姫島)は旭区森小路付近と考えるのが妥当。 ここに鎮座するのが当社である。当地は旧名を南島と云われ、島であり人々も住み耕作もされ、北側には淀川から流れこむ瀬で船泊りもできたようだ。 比売許曽の神の比売島であるとの証は勿論ないのだが、往古からの聖地であったかも知れない。

『社記』によれば、大宮神社の創建は、今から約八百年昔、文治元年二月、源義経が平氏追討の為下向の際この地に一泊し、その時に宇佐八幡の神の霊夢をみ、目覚めてみれば一樹の梅の古木に霊鏡が掛けられていました。 義経は吾に神助ありと勇気百倍、その鏡を奉じて平家を討ち滅ばし、後鳥羽上皇に奏上して神社建立をお願いして許され、この地に社を建てて大宮八幡宮と称した。と記されている。 
http://kamnavi.jp/en/settu/oomiya.htm










陶荒田神社で幸先詣

2021-12-29 | おでかけ・近畿
昨日はランチ前に陶荒田(すえあらた)神社へ参拝しました。
ランチ場所ラグーの大阪狭山市西山台と
神社鎮座地の堺市中区上之がすぐ近かったから。


屋根が付いて珍しいですよね。

境内入口に社標と二の鳥居ありました。
駐車場へはその前で道曲がり、西の鳥居から入りました。
ランチ予約してたので余裕なく撮影できなかった。



屋根下蛙股?の彫物も立派でした。


拝殿の向こうの本殿は見えません。
ご祭神は、高魂命、剣根命、八重事代主命、菅原道真公。


帰る時、道路先の一の鳥居を車中から
昔は境内もっと広かったんですね。

今は陶器大宮の戎さまとして有名らしいです。


とても清々しい神社でした。

お掃除は行き届いていて、
この時も境内で2人の高齢男性が手入れされてました。




市杵島姫を祀る弁財天社は

池の真ん中の祠でこんな立派なの初めて見ました。
ガラス戸で覆われています。
お正月前の掃除もあってかガラスもピカピカ。


この陶荒田神社は小高い丘の上にありました。
古代、須恵器の生産で有名な陶邑、
このあたりには陶器千塚と呼ばれる小古墳が散在してたようです。


昨年暮れに幸先詣した鈴の宮蜂田神社、土塔とまぁまぁ近い。

その記事最後に記したこと
「別の古墳群陶器千塚があり、お墓の形も作り方も異なる。
お墓ごと焼く、何とも大胆な葬送方式だと。
埋葬施設自体を木で枠組みを作って、粘土をはって窯のようにして作る
その中に入れた遺体を、直接じゃなくて埋葬施設自体に火をかけて焼く。
これは火化(かか・ひか)といい、火葬とは違う概念です。
またなぜか焼かないままのときもあるらしい。
前方後円墳作った民族と違うのでしょうか。
興味は尽きません。」


崇神天皇が、大神神社を祭司させた太田田根子の出身地が
この茅渟県の陶邑とされています。




当社のあたりは「太田内」「太田の杜」と呼ばれるそうです。
毎年10月の例大祭には大神神社より代表が参列されると、
由緒書に記されてました。




この陶荒田神社でものすごく興味深いことありました。
太田社と、玉の緒社
ホントはそれから書きたかったけど、
まず位置関係とかざっとあらまし情報を先にレポートしました。

つづく




8年10ヶ月ぶりにラグーへ

2021-12-29 | おでかけ・近畿
ここ数年、年末に妹と会ってランチしてます。
超久しぶりで洋食のラグーへ。


昨日のランチコースはハンバーグで妹の奢り(๑˃̵ᴗ˂̵)

店名も存在すらも忘れてたラグー



今冬は私だけではなく妹も腰痛で支障出てる。
オミクロンもあるし年末休業入ったレストランも多い。
会うのやめとこかってなるほど。

昨朝突然このレストランの存在思い出した。
何度かブログに記録したのは覚えてた。
ブログ内検索で調べたら、

2011年8月15日

店名すら忘れてたのですが、
この2011年盆に行った記憶残ってたので日にちで探せました。

やっとラグーと分かったので、それで調べるとあと2つヒット。

2010年8月17日

どうやら2010年が初だったようで、
2013年2月7日の記録がたぶん最後。

なんと8年10ヶ月も記憶の海に沈んでました。
さすがブログ備忘録、役に立つわ〜

今まで食べた鶏肉の中で一番美味しいと記録してるぐらい。
テイクアウトにチキンソテー頼んだ。




備中高原鶏と書かれてた。
11月のミステリーツアーで宿泊したリゾートホテルのあった地だわ。


昨日のランチの前菜にも
スモークチキンで出ました。

野菜にこだわってた店のサラダは


少し食べ始めてから思い出して撮影。
こんな盛り付けもありですね。

なんでか帰る時、
シェフ店主の男性が奥から出てきてお見送り。
階段降り終わるまでポーチで見守ってくれたのが不思議。
ご馳走さま、美味しかったですしか言わなかった。
けど
彼方も思い出されたのかしら?


なんでも記録残しておいたら思い出す日もあるでしょう。


帰ってからのメッセージで










石上神宮で新しい「玉のを」

2021-12-18 | おでかけ・近畿
天気予報では日本海側は雪、
奈良はどうかなと心配でした。
朝窓開けたら青空でそこまで寒くない。

決行!




石上神宮には10時前に到着し参拝後に撮影。
さすがに気温低くて、境内彷徨く鶏の数も少なかった。

あちこち身体不調の折、患部にあてておすがりしてる御守り「玉のを」

喘息の時は胸なので肌着下に挟む。
昨年2月に夜中トイレに落としてしまった。
もちろん直ぐ拾い上げ水で清めました。

その後すぐに手首骨折。
お札や御守り落ちた時はちょっと怖いですね。
昨年お札新しくする際に御守り袋も買い替えました。
だってトイレにポチャン、いくら洗ったといえどもね。

今年は半月板損傷で膝サポーターに挟んでました。
お盆に歩けなくなった時は藁にもすがる思いでしたから。

やっとここまで快復したんだもの、
年内にお礼参り行ってお札新しくしたかった。





石上神宮から天理ダム経由して、
次向かったとこは笠山荒神。

ナビが示した道は去年と違って走り易く、10:20到着。



朝の最低気温2度。
山道凍てついてたら危険なので案じるも大丈夫だった。

さすがに奥深い山中、
社殿横の手水使う龍の口から落ちる水はよだれの如く凍ってました。


笠そばで新蕎麦食べて、


併設の高原野菜直売所で

いっぱい買えて満足です。


荒神槙と千両を瓶に挿したら


メルちゃん匂い嗅いだだけ
セーフ❣️




メタセコイヤの紅葉

2021-11-23 | おでかけ・近畿
21(日)の紅葉は色づき始め

高島市マキノ高原のメタセコイヤ並木は
2kmに500本は植ってるそうです。



雨が上がったら急激に気温下がってます。
次の週末には観光パンフのような色に染まるでしょう。






2014年春、奥琵琶湖の桜見物ウォーク参加しました。
その時にメタセコイヤ並木寄りました。

4月でまだ新緑出てなかった。


奥琵琶湖まで来るのに今回もやっぱり3時間ほどかかりました。
琵琶湖をぐるっと巡る紅葉狩りのバスツアーです。
梅田から新大阪へ回る予定のバスが、梅田だけで1台、
なんと新大阪発がバス2台となる大賑わい。
みなさんコロナ自粛明けで何処か行きたかったんでしょう。



松茸と近江牛すき焼き。
お土産もついてるコースでした。

関ヶ原の昼食場所では、観光バスいっぱい。
運転手さんに尋ねたら、このコースに各地から10台ぐらい来てたようです。

10月下旬に申し込んだ時は紅葉具合もわからないし、当日の天気も。
日曜日は曇りでもってくれてよかったです。


往路途中、道の駅「妹子の郷」で



珍しいので無断で記念撮影




友はロータスやって、私は知らんけど。


最後にメタセコイヤのうんちく調べた過去ログ貼っときます。





うらをみせ おもてをみせて ちるもみじ★近江孤篷庵

2021-11-23 | おでかけ・近畿
日曜日の紅葉狩りでもう一箇所紅葉の名所、近江孤篷庵。
長浜から車で20分程の山裾にある臨済宗大徳寺派小堀遠州候菩提寺です。

和尚さんの説明聞きながら庭拝見。
遠州さんってレオナルドダヴィンチみたいに才能溢れる人だったそうです。


静かに はらはらと散るもみじ



裏を見せ 表を見せて 散るもみじ

散る紅葉 残る紅葉も 散る紅葉
桜に置き換えてみました(^^)


良寛さんはこうも言ってます。

災難にあう時節には災難にあうがよく候。
死ぬる時節には死ぬがよく候。
これは災難をのがるる妙法にて候。



本堂南側の枯山水、縁側の東側には




地形を活かした池泉回遊式庭園。

江戸後期に小堀家改易で寺は衰退、明治維新後無住で荒廃してたそう。
1965(昭和40)年再建されました。
全く知らないとこでした。


バス駐車場から山裾10分程上ります。





本堂でて、帰りに撮影

山門が額縁となり参道の紅葉が美しい。

駐車場近くに
素戔嗚神社の鳥居、銀杏の大木黄葉も見事でした。
行きはこの参道に沿った脇の道を上がりました
帰りは傍から神社に入りスサノオ神にご挨拶して参道で戻りました。



小堀遠州(こぼりえんしゅう)(1579-1647)
小室城主で、千利休、古田織部とともに日本三大茶人としても名高い。
遠州の菩提を弔うために、江戸前期に2代目城主宗慶が開山した。
京都大徳寺から僧円惠を招いて臨済宗大徳寺派の寺。
遠州が京都大徳寺に建立した孤篷庵にちなんで、近江孤篷庵と名づける。


頼久寺所蔵『小堀遠州像』



かいつまんで引用させてもらいます。
江戸初期の茶人,遠州流の祖,
また江戸幕府の奉行として建築,土木,造園を手がけた。

父の小堀正次は、浅井家滅亡後に羽柴秀吉の弟・羽柴秀長の家臣に。
子の小堀遠州(小堀政一)も秀吉の直参となった際、伏見城下で古田織部に茶の湯を学ぶ。
秀吉の死後は徳川家康に仕え、駿府城普請奉行(家康の隠居所としての駿府城改修責任者)となった翌年、慶長14年(1609年)、従五位下遠江守に叙任したことで、晩年に官名から小堀遠州と通称されるように。

築城の名手黒田如水、藤堂高虎、加藤清正は普請(土木工事)
小堀遠州は作事(建築工事)を得意とする築城の名人。

城郭の縄張りを決めたり、土塁や石垣を築いたりする城郭の基礎工事に対し、
天守や御殿などの建築工事なので作庭プロデュースにも関わる。

駿府城、名古屋城、夏の陣炎上後の徳川大阪城、伏見城、二条城、仙道御所、…
錚々たる名城が続きビックリです。


小堀遠州の作庭と伝わる庭園も驚きですよ。

代表作「二条城二の丸庭園」をはじめ、大河ドラマ・井伊直虎で有名になった「龍潭寺庭園」と共に「遠州三名園」と呼ばれる遠江の庭園。

数年前に龍潭寺行った折に庭見て遠州の名前も耳にしたかな(*´-`)
過去ログ探しましたが、2017年5月の旅では焼津と三保の松原しか記録残してなかった。
今回の弧篷庵でやっと小堀遠州が記憶に留まる、はず。




紅葉で有名な湖東の永源寺

2021-11-22 | おでかけ・近畿
朝から雨足強く1日中荒れた天気予報です。
昨日は曇で暑くなく寒くなく、まずまずの紅葉狩り日和。

昨朝ブログ投稿して何処いったかというと


永源寺総門、16:07到着。
紅葉シーズンは開門してるんですね。
2012年8月竹生島行った帰り立ち寄るも16時過ぎて門閉まってた。

郵便切手で永源寺紅葉シートも発売されてたぐらい有名地。
いつか観たいと思ってました。











全盛見ごろでした。

芭蕉句碑ありました。

こんにゃくのさしみもすこし梅の花

芭蕉は春先に観梅してたんですね。
紅葉狩りならばんと詠んだんでしょう。


日が落ちてくるとライトアップ始まりました。



16:37
帰るときに総門を内側から。
これから入山する方もたくさんおられました。

もみじの本数も多かったけど観光客もすごい。
到着した時観光バス7台ぐらい停車してて自家用車も満員。
駐車場から総門まで10分近く歩くのがちょっとキツかった。
昨日の歩数12580は今年最大。
はぁ〜疲れた。
でもなんとか歩けて良かった。
今日は雨なのでゆっくり養生します。


昨日分からなかった樹木名



Googleレンズに聞いても不明。
ご存知の方おられましたら教えてください。


★追記
早速なっとうさんが教えてくださいました。
ありがとうございます。

カイノキで間違いなさそう。
葉っぱのつき方、黄葉の色目、僧堂門際に植わってる。
カイノキは孔子ゆかりで学問の木ですものね。

中国では殆んど全土に生育し 黄連木 黄連茶 その他の別名も多く 秋の黄葉が美しいという台湾では爛心木と呼ばれている
牧野富太郎博士はこれに孔子木と命名された
孔子と楷とは離すことができないものとなっている
わが国に渡来したのは大正四年、中国の孔子廟から初めて種子を持ち帰り林試験場で苗を植える
その苗木は孔子にゆかりのある場所にそれぞれ寄贈された
東京の湯島聖堂、岡山県の閑谷学校、栃木県の足利学校には、今なお林試の森公園に由来するカイノキが生育する

2012-4-20


渡辺綱と駒繋ぎ樟

2021-11-04 | おでかけ・近畿
大川にかかる歩行者専用の飛翔橋を見た後向かったのは、
善源寺楠公園の桜宮御旅所。






信号ある交差点の公園角に

駒繋楠石柱立ってました。
鳥居があって八幡宮のようで、お参りされてる方おられました。


祠後ろにでっかい楠見えました。
全景写すのにもっと引いて撮影したいけど、
車通るし、電動自転車で撮影ままならん。


角周ったらまた鳥居あって、
その上越しに枯れたような部分が見えました。

帰ってから検索したらよくわかる画像が




「鵺が眠るまち」ウォーキングツアー10/19に終了してました。
こういううのに参加するとガイドさんが説明してくださるのでよく分かりますね。







地図見てる時、善源寺という地名がなんか意味ありげに思えました。
調べましたら、

当地は旧善源寺村の産土神社が鎮座したところで、1909年(明治42年)に櫻宮に合祀され、現在は櫻宮のお旅所となっている。
この産土神社の境内に「渡辺綱駒つなぎの楠木」呼ばれる樹齢900年と推定される大樹があったが、残念なことに戦災に遭い、枯死してしまっている。
周辺はかつて 善源寺荘と呼ばれ、大江山の酒呑童子退治で有名な源頼光が支配する荘園であった。
楠木は平安時代の中頃、長徳年間(995~9年)源頼光が一族の武神「八幡大神」を祀り、この地に産土神社を社を創建する際に植えたといわれ、この荘園の管理をまかされていた頼光四天王の1人、渡辺綱が、産土神社に詣でるとき、いつも馬をこの楠木につないだため、この呼称がついたと伝えられている。
都島区のホームページでは、これらの伝承は、この地が鎌倉時代には摂津源氏の多田院領善源寺荘であったこと、楠木の約900年という樹齢の古さから、源頼光や渡辺綱に結び付けられたのではないかとしてる。





この画像は2012/1/2 で使ったものです。

なんでもすぐ忘れますが渡辺綱は記憶に留まってました。
当時こう書いてます。

>渡辺の津は、鬼退治で有名な渡辺綱(嵯峨源氏)を祖とする渡辺氏をはじめ、武士団の生まれた場所でもあり、彼らの瀬戸内水軍の拠点として束ねる場所でもあったのです。

詳しくは以下で

その前の年 20114/9