枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

我は想う

2022年12月21日 | Weblog
 今朝、PCが寒さに凍っていた。と思うのは、作動態勢に幾ら待っても入らずマウスが暴走。で・あっという間の為五郎、何故か日付だけが消失したもの。👀が点になるわ、元には戻らずで止む無くの更新となる。次元を超えた?記事・文章でなく良かったと、独り言をつぶやく。末尾に昨日のだと注釈を要れた。

 寒さにPCは弱いのだろうか、そこんところが謎だ。低気圧の配置状況の変化が見られず、寒気団は動きそうにない。電気代の節約に、ストーブを点け明日のチキンを焼いている。足湯に来るとの連絡があり、一足早いがピザと例年の照り焼きにした。今年は、林檎が沢山なのもあり難く摺って入れての試作品よ。

 庭の徘徊に外に出たのはいいが、早々と切り上げた。コートを着ていても寒さがじんわりで、根性もない為中に入った。それにしても、枇杷葉の健気さ辛抱強さはどうだろう。葉を青々と繁らせていて、花芽を咲かせている姿は与えて貰えることの感無量。自然からの贈物の尊さ、あり難さには素直に祈るだけ。

 最近とても不可思議なことにも遭遇、心に想い浮かべたことが現実になって吃驚している。エンジェルナンバーの続出もだが、大当りを引き当てる。自らの想いに応えての自然からの贈物は、此処に異なるもの。他人には視えなくとも形も心も感じての事象であり、最高の戴き物とうれしさが高鳴っていくわ。

 ブロ友さんの写真に、心に浮かんだ言葉を連ねてのことがある。星の瞳・早乙女葛等、趣くままに綴っているが、それは植物への素直な想いであってご本人さまにではない。彩に魅せられることも、構図に感嘆することも多い。共鳴・驚嘆して、其処に籠められての魂が視えるからだ。植物からの想いも届いて。
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寒波となりに

2022年12月21日 | Weblog
 此処数日の気温の低さに怯みながら、家事は火の車にならぬように采配が必要なのも遣り繰りと励む。朝は梅☆にして、昼食は白菜や葱・玉葱を葫ソース味にした。白菜も一部は塩漬けに回し、赤穂の甘塩をかけている。糠床を作るのに容器に悩んでいたが、元祖タッパーウェアですることに落着き安堵する。

 当時には・今もだが高くて少ししか持ち合わせていないが、勿体なくて捨てられず仕舞い込む。ある物を有効利用しないのもと、最初のは下敷きを外して使用中でもある。今回、糠の分量が多くて冷蔵庫での管理が怪しい。それならと新規の糠床作りになり、枇杷葉茶葉を容れたら無臭になり吃驚してしまう。

 あ・nasuさんは枇杷葉茶の飲用後ですが、わたくしは煎じる前のを投入。枇杷葉茶も花芽茶・昨年のとはいえなくですが、今朝のを容れましたです。遅まきながらの糠床も、身体へのエネルギーは半端なくでして援けて貰う日々です。枇杷葉茶は我が家のでも、此処までのアイデア・活用方法に感謝の至りで。

 年末年始に向けての買い物は、店が遠い上に燃料費もと用事を溜めてなのも出不精に拍車がかかる。すばるのトイレ砂と、寅醤油は必要だが他は生協での配達に依頼。Aさん地へのお水を分けて貰うのも、次回は朔日用で纏めての心心算なの。お米は選挙時に応援に行った方が無償で下さり、お礼に枇杷苗持参。

 枇杷葉が取り持つ縁での有難さ、命を与えて貰えることへの感謝と祈りが殊の外うれしい。ブロ友さんからの林檎も、来春まではありそう。何かと重宝しての使途に、工夫次第とも知ったものですわ。山芋に摺って混ぜたら、味が格段に上昇。お正月の鮨も、酢飯さえあればネタ尽くしでうれしい想いに感謝。

 今朝の時点で、不具合生じて昨日の日付消失。12月20日のです。
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冬眠しよう・・・

2022年12月19日 | Weblog
 寒波が思いの外早目の訪れに、エアコンを点けたが動きたくない心境である。此処はもお冬眠体制に突入が好いかと、ところが意外と予定も詰る有様。寒い場所の枇杷苗を上げる約束なので持って行き、郵便局から旧暦カレンダーを申し込む。苗は房州枇杷で丸い形が特徴、発芽して既に10年以上は経過の樹。

 枇杷葉は、屋敷の周りに何本も植えており野鳥が啄んでの自然発芽も多い。昨年には10本近くを贈ったが、寒さでどうしているのやら。品種は結実しないと不明だが、霜や雪が苦手て弱いのもあり発育不良を思う。まあ・何も言って来ない処を心配も杞憂で、必要なら連絡してとも。なので苗は沢山あるのよ。

 長崎茂木は葉は小さ目だが、田中は苗から大きいのが特徴で目立っている。昨日の時点では、花芽を送らせて貰い東北なので20日辺りになりそうです。庭に出て雪花の舞う中、寒さを堪えての姿に思わず有難うと声かける。急激な寒波襲来に花木は寄添い、こちらは室内での温かさに贅沢でもあるねと顧える。

 白菜の大玉の葉を、外していき煮物や炒め物にしたり漬物にも。塩は適当に振るが、赤穂の甘塩なので旨いのがあり難い。レタスも冷たいのではと、スープに和布と入れた。この時期に、鮨が食べたいのは気分だが材料を買えば握れる。米は冷めても美味しいのがあり、好みで調整できるのもうれしいものね。

 寒さ対策には夏になると入り、夏の準備には冬からだ。従って冷たいのや出来合いのコンビニ品は控え、新発売にも心は動かない。その場凌ぎを繰り返していると、必ず症状が現れて来るし自覚がないから慌てるのだ。還暦を基準にして食生活を見直し、決めたら順守しなければ痩せないし病も増え医者通い。
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急激な冷え込みに雪・・・

2022年12月18日 | Weblog
 昨日は雨から霙に夜半には雪になったのか、外には薄っすらと雪化粧。気温も4℃となり、冬眠状態に陥る寸前でエアコン作動した。設定温度は19℃にして、後は衣類で凌ぐ。すばるが寒いと訴えていたが、何も言わずなのは温かくなった証。飼い主の我慢に付き合ってのことだが、毛皮は役に立たないのか…?

 プラ塵を出しにだけ行くが、コートが無いと外に出られませんです。花芽の枝を採って箱に詰めながら、健気に咲く枇杷葉に感謝。寒さの中に毅然として、北風小僧・寒太郎を歓迎するかの揺れは自然のあり難さよ。庭の枇杷葉を見ながら、援けて貰えることへの至福の想いが交差する。白龍が降りて来たかな。

 庭の様子もクリスマスローズ中心になり、葉の中に蕾が覗いている。玄関のは白なので咲いていて、清々しい。梔子は色づき、南天は紅白が沢山の実をつけているし蔦は吊り下げ絡まる。木通は蔓を枯らすのを取り、春の芽吹きを待つ。魔女の箒は霜にやられて、葉先を外す。薔薇は室内に取り込みのが咲いて。

 ベゴニアは段ボールで囲い、中に取り込んだのもあるが寒さに耐えている。早くに挿し芽したのは、葉の色つやも好いのがうれしい。風呂場のシャコバサボテン、1つの蕾が安らぎを。ランタナも備前焼の壺に挿し置いたら、根が充満状態。シクラメンは台所の出窓で沢山の蕾を見せ、観葉植物も増える一方に。

 一日がこれ程のあり難さに満ち、心を解き放っての日々への感謝と祈り。これ以上のことには思い至らず、生かされていることへの想いだけだ。神さまが(宇宙であり森羅万象)与えて下さる何ものにも代え難い命を、誰かが必要とするならともに。自らを愛せることに気づかせてくれた、多くの方に感謝とも。
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観葉植物の危機

2022年12月17日 | Weblog
 観葉植物は殆どが室内で放置し、シクラメンの鉢も夏場は水遣りなしで秋口からにしている。毎年のことで、葉や蕾が見える。今年は案外に暖かかったのを好いことに、暖房も入れないでいたが流石にエアコンを作動。指先が冷たく凍みるのだから、観葉植物には酷であろうし雨の影響で気温も低いのであるよ。

 昨夜は湯たんぽも要れたが、足が冷たいのではなくすばるに要求されて。今は、マッサージチェアの羽毛布団に潜って居る。天気が良ければ人間は我慢できるものを、震えているのが分かると心が動く。湯たんぽのお湯は洗濯や洗顔に使え、無駄にすることはないのが有難い。自然からの恩恵にも様々な日多し。

 先日出掛けた時に、乾電池を購入して手元の灯に使っている。電気代の節約も、使用量は少ないのを昨年の倍以上とはねぇ。オール電化には家屋の機能上無理なのでしていないが、平屋なのは有難い。年齢を重ねると階段の上がり降りが、不便極まる。エアコンは、全室解放してだが、19℃で温かさが保て感謝。

 玄関に置いているクリスマスローズは、既に5輪程が開花している。桃色の濃いのや薄いのも、蕾が見えて来ている。日陰でも育ち、大きくなっては有難くうれしいもの。庭の方には、重くて動かせない鉢や地植えが増えて声掛けを忘れない。枇杷葉の花芽が満開で、それも塊りが大きくて枝垂れて咲いている。

 枇杷葉の花芽が結実して、初夏に実を結ぶには蜜蜂や蝶が媒体しないと無理だろう。寒い地方で花芽が付いても、其処だけに真綿や寒冷紗を掛けてでないと。過保護にするのではなく、寒さに弱い意味がある。発育も生育もするのだが、先ずもって結実は難しいと思えます。結実しても、寒さに枯れるでしょう。
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良弁忌・霜月・下弦・小潮

2022年12月16日 | Weblog
 今日も天気につき、気温は低めだがエアコン点けずで。一昨日からのふたご座流星群は、玄関を出れば遭遇し一人舞台に満足している。寒いのは冬であるからで、大気が澄んでくるのもうれしいもの。オリオンの輝き、プレアデス・ヒアデス星団の眩しさにアンドロメダ座とカシオペア座も加わる賑やかさ。

 オリオン座の三つ星の下には、際立つM42。この時期から2月までは観られるとあって愉しみも増える。M1のかに星雲は生まれ星座なのも、重装備で眺める。夏の宙よりも、冬の寒さに観あげていられる星に感無量。そういう時には寒さも平気になり、玄関を出入りなのも有難いとあきることも厭わずなの。

 枇杷葉の花芽茶とエキス作りをしながら、着払いで送った先を案じる。何年分もを無償で差し上げたのが、伝わらない気持が堪らない。何時も集金に来る電気屋さんに訊ねてみたが、其処までの思いにはなかった答えだ。枇杷葉茶もエキスと無料なのを、使い放題であったことに今更ながら言葉を失う心境。

 我が家のが小さな木だった時には、お隣の県まで取りに行かせて貰いそれなりのお礼も。数年経ち繁り来て採取可能になるが、お茶葉にするまでを考えてはいない者も。自然からの恩恵であるので、分けて下さいにはどうぞと差し上げてる。其処に心が伝わってでないと真逆に転じて、事故や癒えることも否。

 宮城谷昌光氏の馬上の星の中に、他人の言葉を借りて生きている限り、本当のおのれには出遭えない。東方の乱の章だが、此処での文章に涙が溢れた。言葉に魂が籠められ宿る神聖さ、そのことに気づかされた。宇宙に祈れば声が聴こえ、謎も解明した。nasuさんが写真入りで懇切丁寧な説明、ご参考までに。
https://blog.goo.ne.jp/nasu_star/e/481baf7e42af525b81a65a0fa97b02ba
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霜月・三隣亡・小潮

2022年12月15日 | Weblog
 今朝は用事が溜まっていたので、郵便局から電気屋とコープに行きすばるの餌を買って燃料補給に周る。所要時間は2時間、帰宅途上を図書館も寄り午後も過ぎていた。その後、枇杷葉の生葉を送る手配をして連絡してのブログ更新となる。出不精の為、其々の要所での買い物は必要最低限としているが支払わぬ訳にも。

 滅多に出かけないからか、疲労困憊でPCに向かうが腰に当てた枇杷葉が心地良い。身体への冷えは厳禁なので、おかしいと感じたら焼酎に漬けてある生葉を使う。勤務時には毎日だったが、無理をしなくなり痛みはない。今日は風が冷たくあり、割合と吹くので用心に当てて備えあれば憂いなしと心得ての手当ですわ。

 ここ数日、心に気がかりな言葉がある。一対に幸せでないとや素敵な記事でなかったり、そういった日々でなければ駄目なのか?自己判断だと思うが、辛いも哀しいも、他人と比べるからであって起きるのではとも。現状への思いやりや言葉掛けも安易なことは云えずだし、答えは何処にもないものと考えるがどうか。

 以下、他者のブログを誹謗中傷は全くない。文章の流れで、これは嘘だなと思えたり感じることも多い。それが本人の特色であり、個性でもあるので気に障れば行かなけばいい。況してや宗教色での戒めや悟りには、イエスなのも違和感が強い。それらは押し付けで有、半ば信仰心が無ければ人間でないとの説教にも。

 小さな親切・大きなお世話で、信じる根源は他人其々に異なるもの。自らへの気づきや悟りなら良いが、他者にこうしなさい・幸せになりますには辟易する。お釈迦さまであろうと神さまであっても、宇宙が元で森羅万象に還る。心は自由であり、様々な事象が起きるからこそ生きても逝けるの。あるが儘為すが儘。
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暴風雨・中潮・ふたご座流星群

2022年12月14日 | Weblog
 この処、夕方になれば天気不穏で雲が広がる。今朝は一天俄かにかき曇り、あっと思う間に強風と雨になる。昨日の時点で、お好み焼きを作って持って行く約束がどうするか。ところが出かける時間になれば風はあるが、晴れて来た。電話連絡していた方に手渡したら、ジョワ…飲まんけど。Aさん地で水も分けて貰う。

 帰宅して、自分の分・お好み焼きを作り戴く。今回は、もやしと青梗菜です。小麦粉は無農薬のが未だ沢山あり、消費に励んでおります。長芋と卵での繋ぎで、水を容れないので甘くて美味しいのですよ。自分ちでだけでは、お弁当の配達をしていた方にも試食してと。1食¥300も工夫次第だが、肉はありませんのよ。

 ポストに新聞を取りに行けば、ガス代の請求書。使っているので金額的には納得だが、諸物価の値上がりに頭が痛くなる。これでエアコン作動になったら、目の玉が飛び出して行方不明となり捜査不能の可能性。枇杷葉茶のお陰で、未だ湯たんぽを入れずの就寝は有難い。布団に潜るとひんやり感がなく、足元温かで。

 自然を畏怖して信じてなら、与えて貰える歓びに感謝であり祈れば伝わるのだ。枇杷葉の力を過信せず、心で受け留めての暮らしには天が味方してくれる。誰が信じなくても、自らに聴こえる声は紛れもない。言葉には魂が籠り、同時に魔力を持つのであやふやなことは云えない。生きて逝けるエネルギーに転じ纏う。

 見かけや見てくれだけが良くても、心の通じない者は大勢います。身体が不自由であるからではなく、命に感謝すれば生かされましょう。さっちゃんのまほうの手を思い出します。ねむの木学園を設立されるのに奔走された、宮城まり子さんを想います。不自由さであるのは、自らに考えよと謂われているとも痴れず。
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超常現象に・・・

2022年12月13日 | Weblog
 昨夜だけではないが、ここ数日暗闇が明るく布団の中で感じる。天啓で晄になれと聴こえた時からだから、何日も経っている。暗闇が怖くて仕方なく、豆電球を点けて眠るのが常だった。闇の帳が降りたら、幽体離脱や次元を翔けてしまうので明るくないと休めない。その恐怖を感じる者でしか凡そ不明だろうが。

 それがある時を境に、呪縛から解き放たれ心が軽くなった。信頼と云うのか、神・森羅万象への通じで安寧に至る。赦されると知り、心が満たされても程なく判ったのも有難いこと。次元への誘いも、弥勒の場所へ逝けることも何等躊躇いはない。クロスファイア・シンクロニシティも、起きたことは必然的とも。

 わたくし自身が晄であり、求めに応じて与えらえることも可能だ。其処には必ず枇杷葉が仲介しているし、森羅万象の波動を渡せる。エンジェルナンバー然りで、例え見るだけなら誰にでもだが視えることとは異なる。感知して生かせなければ意味もなく、自然体で居られることは与えて貰える至福の歓びに至る。

 様々な事象に心が惑わされることもあるが、書籍が届いて読めば判る。祈りには、欲を出さねば糸口は見つかり先に進められるもの。これ程に有難く心が満たされていくのを、何故今まで拒んできていたのだろう。自分の物ではないのに、固執して放さず・渡さずと拘り続けていたのが虚しく想えてしまう愚かさ。

 天は我に諭し、気づかせての何と多くのことを知ろうとしなかった。わたくしにとっての神は宇宙で、森羅万象以外にはないとも。図書館で借りた書籍に、今知り得たかった言葉が集まっている。迷わず悩まずの気持ちであれば、自ずと諭される多くの事柄に真摯に謙虚でありたくと清貧の暮らしを続ける日毎で。
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新聞休刊日にも・・・

2022年12月12日 | Weblog
 今日は新聞が来ない、休刊日であるからだが毎日の愉しみが削がれる。活字中毒なので、もう一度読み返して更なる落ち込みにも。読者欄に眼がいき、外国の行事如何せんを投稿されてに頷く。サンタクロースも、イエスの生誕にも然程ではないが子どもにとっては重要一大事。我が家は煙突がなく不明と不能。

 DVDのクリスマスキャロルには、スクルージの生き方に共感を覚えたが所詮は物語。ナルニア国物語やポーラ・エクスプレスは聖書に起因する。十戒に砂漠の女王とソロモン王とシバの女王で、天地創造からの森羅万象の件が描かれる。サムソンとデリラや、トリスタンとイゾルデも時代を超えて愉しめる作品。

 人類は、地球の全てを手に入れようとするが失せてしまう。それに地球の資源は、誰かの物ではないのに見つけた者が権利を貪る。それは神の希だろうか?取り尽くすことを許すのだろうか…貧富の差ばかり大きくなる気が。コロナも、増え過ぎた人類への啓告から半数以上を試された。計画は暫し頓挫したか。

 スカーレットではないが、明日のことはあしたに聴こうで生きないと虚しさだけだ。コカ・コーラーは苦手ですので、スカッとはしない。天気晴朗・小春日和に、気温は低い布団干しと庭の徘徊。枇杷葉の花芽の香りに混じって、足元に銀木犀が数輪咲いていた。鉢の水遣りもしておこうと枇杷湯をバケツにて。
 
 ストーブも枇杷葉茶を煎じたら消し、衣類の調整で整える。焼き芋を序にしておき、お八つ時に戴こう。ブロ友さんが、蕎麦粉・ガレットの作り方を丁寧に書いて下さったので作ってみよう。小麦粉・蕎麦粉・糠と無農薬なので味が断然に違うのも、作る楽しみに結びつく。自分で栽培出来ず、有難さに感謝す。
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