3/28参院予算委民進党結党後質問トップバッター安井美沙子は才媛なのか、間抜けか皆さんの判断を乞う

2016-03-29 10:29:34 | 政治
 

 安井美沙子のプロフィールを「Wikipedia」で見てみた。

 先ず50歳。〈日本の政治家、コンサルタント。「政策プロデューサー」の肩書を持つ。地域活性学会、行政経営フォーラム所属。民主党所属の参議院議員(1期)。青山会(旧樽床伸二グループ)に参加していた。〉

 〈東京都出身。東洋英和女学院中学部・高等部を経て、上智大学法学部を中退後、渡米しニューヨーク大学ジャーナリズム学部に編入し卒業。同大卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社し、コンサルタントとして企業の経営戦略などを手掛ける。ミスミ(現ミスミグループ本社)勤務の後、1996年にコンサルタントとして独立。以後、岩手県「食と農の研究会」委員、大阪市役所市政改革本部調査員、橋下徹知事時代に大阪府特別参与等を歴任。〉等々。

 安井美沙子は会派名は元のまま(民主党・新緑風会)だがと断った上で、「民進党の安井美沙子です」と言って、民進党のトップバッターとして質問を始めた。

 安井美沙子「民進党は『自由・共生・未来への責任』を結党理念としております。『共生に触れても』、(脳科学者の)茂木(健一郎)さんは『共生の精神がなければ日本の経済成長はない。共生ということが実は最大の経済成長の政策だ』ともおっしゃいました。

 安倍政権の1億総活躍も方向性は同じだと思うのですけど、民進党結成及び茂木さんのメッセージについての感想、総理おっしゃってください」

 なぜここで一発かまさなかったのだろう。

 「安倍政権の1億総活躍も一見同じ方向性に見えますが、格差の中の共生、いわば格差を認めさせた共生の強制であって、民進党が目指すより平等を基本構造とした共生とは似ても似つかぬものです」と。

 安井美沙子は安倍政権にエールを送って、新党へのエールを求めたに過ぎない。

 安倍晋三「今の、新たに民進党としてスタートされました。祝意を申し上げたいと思います。民主主義に於いてはですね、政党間が切磋琢磨して政策を鍛え合い、そしてそのことによって国民の負託に応えていくことが求められているんだろうと思います。

 我々もですね、民進党に負けないようにしっかりと、えー、胸を引き締めて頑張っていきたいと、こう考えております。

 そしてまた、共生ということにつきましてはですね、共に支え合って、そして同じ空間、同じ環境をですね、共に生きながら、共に支え合い、そして活躍していくことが求められているんだろうと思うところでございまして、私たちが進めている経済政策に於きましても、すべての方々が力を発揮していく社会を作るということにつきましては同じ方向性ではないかと、このように考えております」」

 言葉に詰まって、「えー」と考えて、「気持を引き締めて」と言うところを「胸を引き締めて」となったようだ。

 但し、こういった答弁がどれ程に意味があり、どれ程に役に立つというのだろうか。民進党の共生理念と安倍晋三の1億総活躍社会を含めた経済政策は同じ方向性だエールを送られた。

 安倍晋三の共生は、本人は触れたくないから、触れようとはしないだろうが、格差の中の共生を実態としている。だが、民主党とは同じだと認知した。有り難いことではないか。

 安井美沙子はどうも政策を対峙させていることを忘れているようだ。

 安井美沙子「総理からお祝いのお言葉を頂きまして有り難うございます。そして共生社会についても建設的なご意見を頂きまして本当に有り難うございます」

 政権交代を目指す以上、本来なら他党からは嫌悪・忌避される新党結成でなければ結成の意味はない。だが、安倍晋三は余裕のある態度でエールを送った。民進党を警戒する程の相手とは見ていない証拠である。

 安井美沙子はそのことに気づかずに安倍晋三のエールに素直に感謝した。この他愛(たわい)のなさは何を物語るのだろうか。

 安井美沙子「ところで共生や1億総活躍からはかなりかけ離れた自民党議員の言動が目立ちます。先ず巫女のくせに発言。『自民党のことは余り好きではない』と言われ、『巫女のくせに何だと思った、私の世話を焼いた巫女さんが二十歳(はたち)くらいだった、投票は初めてと言うことだから、一つ口説いてやろうと思った』

 これ、何でしょうか。政治家の公での発言としては看過できません。女性としても聞き捨てならない発言です。神社関係者にも大変失礼だと思いますが、総理は御党(おんとう)の議員に対して何か注意やご指導されたのでしょうか」

 安井美沙子は大西英男のこの発言が何を意味するのか理解していないようだ。巫女のどの党を支持するか否かの思想・信条の自由を認めず、相手を若い女と見て侮ったからだろう、肉体関係を結んで相手の思想・信条を自身の思想・信条に取り替えようと、少なくとも意志した点で基本的人権の侵害に触れるだけではなく、国会議員という立場上、余りにも卑しく、深く品性に関わる問題でもあるはずである。

 当然、神社関係者とかの個別的なことではなく、男女区別なく、また老若区別なく人間の存在性全般に対する基本的人権の侵害に関係する不遜な挑戦と見なければならない。

 それを単に日常行為に於ける失礼だとか、失礼でないとかの問題に、あるいは看過できない程度の問題に貶めた。

 安倍晋三「私は神道政治連盟(国会)議員懇談会の会長をしております。この観点からもですね、日頃よく神主の方々にも、あるいは巫女さんたちともお話をさせて頂く機会があるわけでございますが、あー、永らく日本の伝統、そしてまたあるいは様々な事柄に対して常に手を合わせながら考えていく、祈っていくという謙虚な姿勢に我々は学ぶところが多いとこう思っている次第でございますが、常に敬意を表してきたところでございます。

 こういう誤解を受けるような発言をしたということは残念であろうと、残念であるわけでございますが、本人も訂正をした、訂正をし、謝罪したということを承知しております」

 前段の神道に関係した政治団体の会長をしていて、神社の神主が手を合わせる姿勢に学ぶとか学ばないとかは安倍晋三自身の問題で、中西英男の巫女発言に関係しない。

 関係もないことを長々と答弁して誤魔化すのは安倍晋三の得意技に過ぎない。

 また、後段の「こういう誤解を受けるような発言をしたということは残念であろうと」と言っている「残念であろうと」は中西英男の心情を思い遣った安倍晋三自身の主観である。いわば「残念」の主語を中西英男に置いている。

 意味は「中西英男は自身の発言が誤解を受けることになって残念に思っているだろう」となる。

 だが、途中でマズイと気づいたのだろう。そこで「(誤解を受けるような発言をしたということは)残念であるわけでございますが」と咄嗟に「残念」の主語を自身に置き換えた。

 但し「残念」の主語が誰であろうと、中西英男の「巫女発言」は誤解に過ぎないとしている点に変わりはない。つまりマスコミが伝えている発言と異なる発言をしたのだが、マスコミが間違った報道をしたために誤解を受けることになったという安倍晋三の趣旨となる。

 誤解であるなら、訂正も謝罪も必要ないことになるが、大西英男は訂正と謝罪のコメントを出した。

 この矛盾はどう説明するのだろうか。

 矛盾を解くとしたら、マスコミ報道が事実であり、その事実に応えた中西英男の訂正と謝罪のコメントだとしなければならない。前者を虚偽とすると、後者は成り立たなくなる。

 中西英男の巫女発言は既に触れたように巫女の思想・信条の自由を認めない基本的人権の否定と、尚且つ肉体関係を結んで相手の思想・信条をどうこう少なくとも意志した人間の存在性全般に対する不遜な挑戦という国会議員の品性に関わる問題とするなら、「訂正をし、謝罪した」からと言って、許される問題ではない。

 謝って済むなら、警察は要らないと同じである。

 当然、安井美沙子はこの点を突かなければならない。

 安井美沙子「ハイ、また別の御党議員はJA関係者に対し暴力を振るったということが報道されて・・・(と、加工食品の原産地表示についてJA全農などからのヒアリング実施会合後、農業政策を巡ってJA関係者と口論になり、相手の腹部を拳で殴った山田俊男自民党参議院議員(69)の暴力事件を取り上げ)こちらの議員には総理は何らかの指導や注意をされたでしょうか」

 中西英男の巫女発言を日常行為に於ける失礼だとか、失礼でないとかの問題と見ていたからだろう、謝って済むなら、警察は要らないをあっさり通してしまった。

 安倍晋三「報道は承知しておりますが、事実関係は承知しておりませんので、コメントのしようがないということでございます」

 安井美沙子「ハイ、こうした事例が増えているような気がします。事実関係を確認された次第、必ずやご注意されて頂きたいと思います。

 こういったことは御党だけの問題にとどまらず、国民の政治不信・政治離れに繋がることでありますので、引き締めて頂きたいとおもいます」

 以上の質問は打ち切って、消費税増税を先送りするというマスコミ報道の真偽に質問を移すが、あっさりと否定される。

 山田俊男が農協関係者に暴力を振るったのは3月18日である。この参議院質疑は3月28日。10日も経過していながら、自民党総裁でもある安倍晋三は所属議員の暴力事件を報道で知りながら、その情報のみにとどめて、事実関係は調べもしなかったし、誰かに指示して調べさせることもしなかった。

 果たしてこの点を突かなくてよかったのだろうか。

 参議院で民進党結党後のトップバッターを務めながら、しかも渡米してニューヨーク大学ジャーナリズム学部に卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社、コンサルタントとして企業の経営戦略などを手掛ける才媛でありながら、その優れた能力を今回の質疑に発揮したと見ることができるのだろうか。

 それもとも能力への期待を裏切って、間抜けな質問に終止したと見るべきだろうか。

 皆さんの判断を乞うしかない。

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