3月14日(2016年)、民主党と維新の党の合流に伴う新党名が、「民進党」と決まった。民主党と維新の党がそれぞれ新党名を公募し、民主党は「立憲民主党」と決まり、維新の党は「民進党」と決めたが、世論調査で後者に決することになった。
民主党の党名公募で「民主党のまま」とする応募が最多だったというが、民主党側として最終的に「立憲民主党」と決めたのは「民主」の名前に拘る議員が党内に多く、その反映だということは誰の目にも明らかである。
だが、世論調査ではそれが覆った。
「民主党」という名前とは何だろう。名前を契機として党の体質や政策の傾向、主だった構成員を思い浮かべ、それらの情報が頭に入ってくる。あるいは否定的情報として時として国民を失望させた失政やスキャンダルを思い浮かべることもある。
いわば「民主党」という党名自体が民主党のアイデンティティとして機能していることになる。有権者の側からすると、民主党のアイデンティティを党名に見ることになる。
だからこそ、党名に拘ることになるのだろうが、実際には党名自体がアイデンティティを表現しているわけではない。簡便な方法として党名にアイデンティティを見ているに過ぎない。
アイデンティティを表現しているのは地方議員や党員、サポーターの影響をも含めた所属する国会議員たち全員による自分たちという全体性である。
その全体性が民主党という党名に集約される。
つまり党名よりも議員たちの全体性がより肝心要の問題だということである。世論調査の党支持率でも、議員と直接的な関係のない一般国民は、一般的には民主党という名前に支持を与えるのではなく、議員たちの全体性、その政策の全体性にであろう。
勿論、自分たちのその全体性が政策の傾向や党の体質として表されることになる。
要は全体性をどうかするという問題であるはずだ。どうかする契機として維新の党との合流を決めた。
だが、民主党の多くの国会議員は全体性をどうするのかということよりも、実際のアイデンティティを表現しているわけでもない党名に拘った。
党名を超えて、合流によって全体性をより良い方向に向けて国民の理解を得ようとする、最も肝心であるべき意欲に欠けていたということではないのか。
つまり党名に目を置いて、合流後の全体性、その行方に目を向けていなかった。民主党代表の岡田克也自体が党名に拘っていたというから、何となく情けない気がする。
全体性をどういう方向へ持っていくかは今後の課題である。官房長官の菅義偉が合流を批判している。
菅義偉「(政策不在を批判して)先ずどんな政策をやるのかをきちんとした形で議論し、それについて国民は関心を持つ。
(民主党の名が約20年で消えることについて)順番が逆なのかなと思う」(産経ニュース)
政策の一致があって合流、新党名と進むべき手続きが逆になっていると言っている。
あくまでも以後の全体性が課題となる。全体性をより良い方向に持って行き、如何に国民の支持を得ることができるのかの今後にかかっている。如何に全体性が新党のアイデンティティとして認められるかどうかにかかっている。
私自身も党名公募に応じた。「協和国民党」。日本国憲法の前文、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し」云々から、「協和」という言葉と国民主権から「国民」という言葉を取った。
勿論、ここでの「協和」という言葉は全世界向けの意味を含む。日本国内だけで収束する言葉ではない。
日本国憲法自体が立憲主義を構造としていて、その前文だから、党名の出自を日本国憲法、その立憲主義に置くことができ、言葉自体が持つ厳粛な響きに自分なりに気に入ったが、相手にされなかったようだ。
最後に日本の満州国建国時の理念「和(日)・韓・満・蒙・漢(支)」の「五族協和」の「協和」とは無関係なのは断るまでもない。大体が立憲主義に反した「協和」に過ぎない。