安倍晋三が9条改正を言い出したのは砂川判決が集団的自衛権行使容認の根拠足り得ないことに気づいたからか

2016-03-04 11:56:44 | 政治

 3月2日(2016年)の参議院予算委員会で小川敏夫民主党参議院議員が集団的自衛権について安倍晋三に問い質した。

 小川敏夫「総理、集団的自衛権は憲法違反ではないでしょうか」

 安倍晋三「集団的自衛権についてはですね、既に閣議決定をしているところでございますが、ま、いわば(昭和)47年(政府)見解に於いて必要な自衛措置として我々は認めることができるという、その中に於いて当時の環境、我々の保障環境の中に於いては集団的自衛権の行使は認められないという結論を導き出しているわけでございますが、しかしその中に於いて3要件に当てはまる中に於いての限定的な集団的自衛権の行使については認めると(平成26年(2014年)7月1日に)閣議決定し、我々は政府としてそう考えているところでございます」

 この答弁にこのブログのテーマを置いているから、この発言だけで記事を書くには十分だが、小川敏夫が引き続いてちょっと面白い、だが、政府追及の材料としては殆ど役に立たない質問をしているから、ついてに文字に起こしてみた。

 但し小川敏夫のこの面白い質問が安倍晋三とほぼ同じ中谷元の答弁を引き出した点は役に立っている。

 小川敏夫「総理、自由民主党のホームページを見ましたなら、(自民党の)憲法改正草案の『Q&A』というものが載っています、今も。そこでですね、(パネルを出し)赤で線を引いたところなんですが、『現在、政府は、集団的自衛権について「保持していても行使できない」という解釈をとっています」と、こういうふうに書いてあったんですね。

 つまり集団的自衛権の行使は憲法違反だと自民党が広く言っているのと総理の説明が食い違うんじゃないですか」

 中谷防衛相「自民党の『憲法改正案Q&A 」に載っておりますが、これは平成24年当時にですね、自民党が改正草案を発表した際に同時に『Q&A』を作成しまして、掲載されているものであります。

 この『Q&A』というのは当時の憲法についての考え方に於きまして、この根拠になるのが昭和47年の政府見解と昭和56年に出された政府見解によるものでございまして、当時はこの考え方でございましたが、一昨年閣議決定をした際にですね、この見解につきましては縷々説明致しているように3要件のもとにですね、憲法上容認できるということにしたわけでございます」

 安倍晋三「これは防衛大臣が答弁させて頂いたようにこれは当時総裁だった谷垣総裁のもとで新しい憲法について、これは草案を作成したものであります。当時の事務局長が中谷防衛大臣だったわけでございます。

 当時作成した『Q&A』によればですね、当時の解釈に於いて政府が一貫して答弁していたわけでございますが、47年見解から導き出される結論として集団的自衛権の行使はできないという解釈でございましたが、その後一昨年(平成26年・2014年)の閣議決定に於いて政府の解釈は変わったところでございます」

 小川敏夫「これは平成25年(2013年)10月の増補版というふうにホームページに載っていますが、ですから、平成25年10月にこのように整えて載ってるんでは?」

 安倍晋三「これはですね、古いものをそのまま載せているんだろうと。私も今党務を行っていませんので、つまびらかではございませんが、いずれにしましても今申し上げたように政府の見解としては勿論合憲であると、いわば諸条件の根拠としてですね、まさに昨年議論をし、そして閣議決定しているところでございます」

 小川敏夫「じゃ、党は憲法違反と言っているものを政府は合憲だと解釈して、立法してしまったということになるんですね」

 安倍晋三「たまたま載っている、『Q&A』に載っているのに過ぎないわけでございまして、それはホームページの担当者にですね、新たな『Q&A』をですね、『Q&A』がそのまま載っていたというだけの話だろうと、このように思います」

 小川敏夫「まあ、結局無理な憲法違反の解釈をしたから、こういう矛盾を露呈したんだと思いますがね、総理はこの検討会の最高顧問でいらっしゃいますよ。やはり総理は全く知らない、無関係ということではないと思いますよ」

 安倍晋三「新しい憲法草案をつくった時にはですね、勿論顧問として関わっております。『Q&A』等については事務方が作っていくわけでありますし、且つまたそのとき載ったものがずっと載っていたかどうかについては事務的な話でございまして、党全体の能力ということではなくて、事務処理能力等について少し課題があったのかなあという感じは致しますが、それはですね、削除すればいいので、何もですね、我が党がですね、違憲であると考えているんであればですね、平和安全法制を作ることはあり得ないわけであります」

 小川敏夫は海外派兵へと質問を変えた。

 安倍晋三は最後の答弁で「事務的な話」、あるいは「事務処理能力に課題があった」こととしているが、元を正すと、党の情報管理能力の問題である。事務処理能力はこの後についてくる。大本の一つの決まり事を変えることで影響を受ける下層に位置するすべての決まり事を変えて上下全体の決まり事の整合性を整え、矛盾のないように処理するのが情報管理であって、その管理は大本の決まり事を決める中枢部が握っていなければならない。その指示がなければ、末端までの事務処理はついてこない。

 一つの法律のある個所の条文を変えることで影響を受ける他の法律の関係する条文をすべて変えていかなければならないことと同じで、その責任は最初の法律を変える部署が担う。それが党の執行部ということであれば、安倍晋三が否定しようとも、「党全体の能力」に関係してくる。

 憲法草案と「Q&A」の矛盾についての安倍晋三の認識は、その程度の頭だからだろう、ズレている。

 安倍晋三は昭和47年の政府見解を、中谷防衛相は昭和47年の政府見解と昭和56年の政府見解を挙げて、現憲法下では個別的自衛権しか認められないとされていたが、2014年7月1日の閣議決定で集団的自衛権の行使を認めるに至ったとしている。

 では両方を見てみる。

 〈1972年(昭和47)の自衛権に関する政府見解(全文)

 国際法上、国家は、いわゆる集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにかかわらず、実力をもって阻止することが正当化されるという地位を有しているものとされており、国際連合憲章第51条、日本国との平和条約第5条(サンフランシスコ平和条約)、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約前文並びに日本国とソビエト社会主義共和国連邦との共同宣言3第2段の規定は、この国際法の原則を宣明したものと思われる。そして、わが国が国際法上右の集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然といわなければならない。

 ところで、政府は、従来から一貫して、わが国は国際法上いわゆる集団的自衛権を有しているとしても、国権の発動としてこれを行使することは、憲法の容認する自衛の措置の限界をこえるものであって許されないとの立場にたっているが、これは次のような考え方に基づくものである。

 憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において「全世界の国民が……平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、また、第13条において「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、……国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることからも、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。

 しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止(や)むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。〉――

 〈わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって〉と、個別的自衛権は認めているが、〈他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。〉と現憲法のもとでの集団的自衛権を容認していない。

 〈1981年(昭和56)の自衛権に関する政府見解(抜粋)
 
 「憲法第九条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであつて、憲法上許されないと考えている。〉

 これは稲葉誠一日本社会党衆議院議員の質問主意書に対する閣議決定された答弁書の内容である。

  昭和47年の政府見解と昭和56年の政府見解では個別的自衛権しか認めないとしていたが、平成26年(2014年)7月1日の閣議決定で集団的自衛権を認めるに至った。

 その根拠は「安全保障環境の根本的な変容」となっている。そして、〈現在の安全保障環境に照らして慎重に検討した結果、我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った〉として、日本と密接な関係にある他国が攻撃されたとき共同して防衛に当たる集団的自衛権を容認している。

 但し「安全保障環境の根本的な変容」は主観的受け止めに過ぎない。このことは個別的自衛権のみで十分だと主張する政治勢力もあれば、自衛隊は違憲であると主張する政治勢力も存在することが証明している。

 そこで安倍政権は1959年(昭和34年)12月16日の砂川事件最高裁判決を持ち出して、集団的自衛権は合憲だとの判決を下しているとして、そのことを根拠に憲法解釈による集団的自衛権行使容認を含む新安保法制を立法化させた。

 このことは安倍晋三も2015年6月26日の「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する衆議院特別委員」での答弁で触れている。

 勿論、初めてではない。他の日の答弁でも触れている。

 安倍晋三「平和安全法制について、憲法との関係では、昭和47年の政府見解で示した憲法解釈の基本的論理は変わっていないわけであります。これは、砂川事件に関する最高裁判決の考え方と軌を一にするものであります。

 そこで、砂川判決とは何かということであります。この砂川判決とは、『我が国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとり得ることは国家固有の権能の行使として当然のことと言わなければならない』、つまり、明確に、必要な自衛の措置、自衛権について、これは合憲であるということを認めた、いわば憲法の番人としての最高裁の判断であります。

 そして、その中における必要な自衛の措置とは何か。これはまさに、その時々の世界の情勢、安全保障環境を十分に分析しながら、国民を守るために何が必要最小限度の中に入るのか、何が必要なのかということを我々は常に考え続けなければならないわけであります。そして、その中におきまして、昭和47年におきましてはあの政府の解釈があったわけでございます。

 今回、集団的自衛権を限定容認はいたしましたが、それはまさに砂川判決の言う自衛の措置に限られるわけであります。国民の命と平和な暮らしを守ることが目的であり、専ら他国の防衛を目的とするものではないわけでありまして、それは新たに決めた新三要件を読めば直ちにわかることであります」

 ここでは「憲法の番人としての最高裁の判断」だから、絶対だとしている。

 だが、安倍晋三が言っている砂川事件最高裁判決、「我が国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとり得ることは国家固有の権能の行使として当然のことと言わなければならない」には続きがある。

 「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければな らない。すなわち、われら日本国民は、憲法9条2項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによって生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによって補ない、もってわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。

 そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではな く、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであって、憲法9条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。

 そこで、右のような憲法9条の趣旨に即して同条2項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となってこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条1項において永久に放棄することを定めたいわゆる 侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。従って同条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである」云々――

 砂川事件は1957年に基地反対派の学生が基地拡張に抗議して米軍立川基地内に突入、日米安全保障条約に基づく刑事特別法違反で逮捕され、裁判沙汰となって、そこを出発点として日本政府が日本への米軍の駐留を認めているのは9条で武力の不行使、戦力の不保持、交戦権の否認を規定している日本国憲法に違反しているのではないか、それとも合憲かを争うことになった裁判であるから、そのことを前提としてその判決の解釈に当たらなければならない。

 上記判決を要約すると、「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のこと」ではあるが、「憲法9条2項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによって生ずるわが国の防衛力の不足は」「わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではな」く、「外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである」として、米軍の日本駐留という形でアメリカに「安全保障を求めることを」禁じているわけではなく、何ら日本国憲法に違反しないと判決し、駐留米軍を以って「国家固有の権能の行使として当然」取り得る「自衛のための措置」と位置づけたのである。

 つまり自衛の措置を米軍に肩代わりさせたことになる。

 決して自衛隊自身の自衛権の行使を合憲と判断したわけではない。その証拠に「同条項(9条2項)がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指」すとして、自衛隊を「「同条項(9条2項)がその保持を禁止した戦力」に逆に位置づけている。

 いわば自衛権の行使を禁じられた自衛隊という論理を取っている。あるいは日本が「その主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力」は違憲だとの論理を展開している。

 自衛隊が戦力を保持した軍隊として存在しながら、日本がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力ではあってはならないとされたなら無意味な存在でしかないが、最高裁判決は自衛隊がそのような存在であることは9条2項に違反するとした。

 つまり自衛隊違憲の判断を下した。

 そして今回の参議院予算委員会で民主党小川敏夫議員の「集団的自衛権は憲法違反ではないでしょうか」との質問に安倍晋三も中谷元も政府見解を根拠とするばかりで、これまで根拠として挙げてきた砂川最高裁判決には一言も触れなかった。

 新安保法制後、憲法学者が砂川最高裁判決は集団的自衛権行使の根拠足り得ないと声を上げ続けた。2015年6月下旬、「朝日新聞」が209人の憲法学者等にアンケートを取ったところ、122人が回答、「違憲」104人、「合憲」2人の結果を伝えている。  

 安倍政権が合憲の根拠としている砂川事件最高裁判決の根拠の妥当性についても尋ねている。

 「この判決は集団的自衛権行使を認めていない」95人
 「認めている」1人
 「判決は判断していない等その他」24人
 無回答2人

 憲法学者でなくても、普通に読めば集団的自衛権を認めた判決だとすることはシロをクロだと言いくるめるようなものである。

 安倍晋三も中谷元も今回砂川事件最高裁判決を根拠に挙げなかったのはその判決が合憲だと判断していないことに気づいたからではないだろうか。

 だから、憲法9条を改正して何が何でも合憲だとする必要に迫られた。

 と言うことは、これまで砂川事件最高裁判決を持ち出して、「合憲だ、合憲だ」と散々国民を騙してきたことになる。

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