女性が2人以上産み、産めない女性は施設に寄付が社会的義務化した場合、どういった社会・国家となるのか

2016-03-13 10:28:50 | 教育

 大阪市鶴見区の市立茨田北(まったきた)中学校長寺井寿男(61)が2月29日(2016年)の全校集会で「子どもは2人以上産むべし」、「産めない女性は施設などに寄付すべし」といった趣旨の発言をしたとマスコミが伝えている。

 寄付する施設とは児童養護施設を指すのだろう。「asahi.com」記事、《「キャリア積む以上の価値」 「子は2人以上」発言要旨》(2016年3月12日16時14分)から、その発言を見てみる。   

 寺井寿男校長「全校揃った最後の集会になります。

 今から日本の将来にとって、とても大事な話をします。特に女子の人は、まず顔を上げて良く聴いてください。女性にとって最も大切なことは、こどもを2人以上生むことです。これは仕事でキャリアを積むこと以上に価値があります。

 なぜなら、こどもが生まれなくなると、日本の国がなくなってしまうからです。しかも、女性しか、こどもを産むことができません。男性には不可能なことです。

 女性が、こどもを2人以上産み、育て上げると、無料で国立大学の望む学部を能力に応じて入学し、卒業できる権利を与えたら良い」と言った人がいますが、私も賛成です。子育てのあと、大学で学び医師や弁護士、学校の先生、看護師などの専門職に就けば良いのです。子育ては、それほど価値のあることなのです。

 もし、体の具合で、こどもに恵まれない人、結婚しない人も、親に恵まれないこどもを里親になって育てることはできます。

 次に男子の人も特に良く聴いてください。子育ては、必ず夫婦で助け合いながらするものです。女性だけの仕事ではありません。

 人として育ててもらった以上、何らかの形で子育てをすることが、親に対する恩返しです。

 子育てをしたら、それで終わりではありません。その後、勉強をいつでも再開できるよう、中学生の間にしっかり勉強しておくことです。少子化を防ぐことは、日本の未来を左右します。

 やっぱり結論は、『今しっかり勉強しなさい』ということになります。以上です」

 「女性にとって最も大切なことは、こどもを2人以上生むこと」で、このことは「仕事でキャリアを積むこと以上に価値」がある。この男が言いたいことの中心を成す考えと言うことなのだろう。

 以上の発言はあくまでも要旨である。同じ発言を取り上げた別の「asahi.com」記事は、少子高齢化や不安定な年金制度などの課題を指摘した上で、〈「男女が協力して子どもを育てるのが社会への恩返し。子どもが産めず、育てられない女性はその分施設などに寄付すればいい」と主張した。〉と、その発言を伝えている。

 このような考え方が社会的に一般的常識化した場合、国家や社会からどういった影響を受け、どういった社会の姿・国家の姿を取ることになるのだろうか。

 この答を出すのは誰にでも容易に予測がつくはずだ。そのような国家・社会の将来像を私なりに書いてみたいと思う。

 なぜ容易に予測がつくかと言うと、日本人は別の役割を強制される一時期を戦前既に経験してきたからだ。兵士に向かない身体性(例えば虚弱体質や身体障害)・精神性(例えば精神障害)を持った男子はお国のために役立たない存在として国賊、非国民と非難され、排斥を受けた。

 戦前の日本は男子の価値基準を兵隊さんとなってお国のために役立つことができるかどうかに置いていた。

 今回、この校長は戦後の日本に於いて女子の価値基準を2人以上の子どもを産んでお国のために役立つかどうか(「こどもが生まれなくなると、日本の国がなくなってしまう」)に置いたことになる。

 結果、2人以上の子どもを産む役割を担うことが女子にとっての国家的・社会的な最大価値とされることになる。

 女子の側からすると、と言っても、出産の前提となる妊娠には男子も関わることになるから、国民の側からすると、女子が2人以上産むこと、男子にとって女子に2回以上は妊娠させることを国家に対する最優先の義務としなければ、後ろめたさを抱えることになる。

 当然、2人以上産むことができた女子は、あるいは女子を2回以上妊娠させ、妊娠を回数通りに出産に結びつけることができた男子はお国のために役立つ役割を担ったとされて最大の価値ある女性・男性の伴侶として国家的栄誉・社会的栄誉を受けることになる。

 少なくとも国家的意識・社会的意識はそのような方向を志向するることになる。意識が国家的・社会的に大勢を占めた時、意識のレベルにとどまらずに何らかの実際の姿を取らない保証はない。戦前、お国のために戦争を勇ましく戦い、敵兵を多く殺した兵士は勇士として讃えられ、勲章を授与され、徴兵検査に不合格の男子は兵士としてお国の役立たないと言う理由で無視したり、イジメたり、嫌がらせをしたり、排除したりしたように一定の形を取った。

 10人も産めば、国家的栄誉の対象とされ、表彰を受けることになる。そのとき安倍晋三が総理大臣を務めていたなら、そのような女性を前に、「ヒョーショージョー」と大声を張り上げて、その女性の栄誉を讃え、無視できない額の金一封を与えることになるだろう。

 社会的・国家的に一定の基準を満たした女性やその夫を栄誉の対象とした場合、対象となる条件を満たさない国民は、少なくとも社会的・国家的意識のレベルで恥の対象とされる。

 既に触れたように意識は常に意識のレベルにとどまる保証はなく、1人産んだが、余病を併発して妊娠できない身体となった等の何らかの事情や障害があって2人目を産むことができなくなった女性、いわば結果として子どもを1人しか産むことができない女性や1人も産むことのできない女性、子どもを望まない女性は最初は意識の面で、次の段階として何らかの形を取って、戦前と同様の栄誉とは反対の恥の対象としての仕打ちを受けることもあり得る。

 その代償として校長は「体の具合で、こどもに恵まれない人、結婚しない人も、親に恵まれないこどもを里親になって育てることはできます」言って、里親となることを国家・社会の義務としたい意識を働かせている。

 その意識が社会的に受け入れられて大勢を占めた場合、それは意識の面から国家・社会の強制力として働いて、出産できない女性は率先して里親になることを選択する実際行動となって現れることになる。

 最終的には、戦前の日本で跳梁跋扈したように国家・社会の意志を優先させる力として動き出し、個人の自由を抑圧する、いや、個人の自由を抹殺する国家的・社会的拘束力としての力を発揮しない保証はない。

 いわば校長の主張は国家を優先させて個人の自由を否定する国家主義の形を採用している。安倍晋三同様、校長自身が国家主義者だということである。

 民主主義の時代の民主主義的社会の学校教育現場に民主主義とは相容れない国家主義者が存在する。何という危険な逆説なのだろうか。

 《結婚年齢(初婚年齢)出産年齢が遅くなる5つの理由》Conshare/2015年5月15日)なるサイトから女性の平均初婚年齢、その他を見てみる。  

 女性の平均初婚年齢は2012年29.2歳。
 
 第1子出生時の母親の平均出生時年齢30.3歳
 第2子は32.1歳
 第3子は33.3歳
 
 2012年「合計特殊出生率」1.41。つまり2人産む女性が圧倒的に少ない。

 晩婚化の理由を5つ挙げている。

 「独身の自由さや気楽さを失いたくないから」(女性約55%)
 「経済的に余裕がないから」(男性の方が高い)
 「結婚の必要性を感じていないから」
 「異性と知り合う(出会う)機会がないから」
 「 希望の条件を満たす相手にめぐり会わないから」

 そして出産条件として6つ挙げている。

 「働きながら子育てできる職場環境であること」(6割以上)
 「教育にお金があまりかからないこと」
 (自身の)「健康上の問題がないこと」
 「地域の保育サービスが整うこと」
 「雇用が安定すること」
 「配偶者の家事・育児への協力が得られること」

 女性に多い晩婚化の一因である「独身の自由さや気楽さを失いたくないから」は独身の状況にある初期的な段階で結婚した友達の家庭や同じく結婚した兄弟・親戚の家庭を見たり覗いたりして学習し、染みつかせていく精神性であろう。

 「何で子育てや育児にそんなに苦労しなければならないの」、「満足に保育所に預けることもできない」、「預ける保育所探しにも苦労しなければならない」、「旦那さんは子育ても家事も手伝わない、一人で何でそんなに苦労しなければならないの」等々の思いが学習させることになる「独身の自由さや気楽さ」であるはずである。

 もし他処の家庭を見て、子どもを産むのは何て素晴らしいことなのだろう、幼い命を母親として与(あずか)るのは何て素敵なことだろう、子育ても育児も家事も旦那さんが分担してくれて、睦まじい余裕の生活を送っていると、全てを肯定的に感じ取ることができたなら、「女性にとって最も大切なことは、こどもを2人以上生むこと」だと誰が強制しなくても、「仕事でキャリアを積むこと以上に価値がある」と勝手な価値づけをして個人の自由を束縛しなくても、自らの人生を肯定的に感じた方向に舵を切っていくものである。

 だが、それが叶わない日本の社会、日本の国となっている。給料は安い、保育所は見つからない、見つかったと思ったら、定員一杯だ、民間の無認可保育所に預けるとなったら、カネがかかり過ぎて、生活自体が苦しくなる。だったら、少ない給料でも、一人でいて、少ない給料のままに誰の束縛もされない勝手気ままな自由な生活が一番だということになる。

 要するに国家・社会が晩婚化の理由を一つ一つ消していき、出産条件を一つ一つ満たしていく、そういった社会をつくり上げることが最優先の先決問題であるはずである。

 だが、学校教育者で校長という最高位の位置に就きながら、そういった諸々を学習できずに国家・社会の強制力で義務化したい国家主義の意志を露骨に覗かせた。
 
 危険な思想の持ち主であると同時に、だからこそかも知れないが、学校教育者失格の愚かしい考えの持ち主と言わざるを得ない。

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