広島県府中町立中学3年男子生徒自殺に見る中1時の万引き非行歴の余りにも不寛容な効力期間

2016-03-09 10:06:39 | 教育

 昨年2015年12月8日、広島県府中町の町立中学校3年15歳男子生徒が自宅で自殺し、3月8日に公表されたが、自殺の原因を各マスコミから要約すると、高校への進路指導に関して生徒自身には関係のない誤った情報に基づく誤った取扱いを受けた可能性を伝えている。

 主に「NHK NEWS WEB」記事、《中3男子生徒が自殺 誤った非行歴で「推薦出せない」》(2016年3月9日 0時07分)からと、他の記事を少し混じえて、報道されている内容を見てみる。   

 公表は今年に入ってからだが、自殺の3日後の3月11日に文科省には報告していたという。

 生徒は高校進学を目指していた。第1志望は公立高校。第2志望は校長推薦が必要となる私立高校だったそうだ。

 12月自殺の前月11月から自殺当日まで4回に亘って担任による進路指導が行われた。4回の進路指導の都度、担任は中学1年のときの万引きの非行歴が記してあった「生徒指導用の会議資料」を根拠に第2志望校への推薦は出せないと伝えた。

 上記記事が、〈教育委員会が調査したところ、この前月の11月から自殺当日まで5回にわたって行われた進路指導の際、万引きの非行歴があったとする誤った資料に基づいて、学校が生徒に志望校への推薦は出せないと繰り返し伝えていたことが分かりました。〉と、「繰り返し伝えていた」という表現を使っているから、進路指導の4回共に万引きの非行歴を理由として生徒に対して推薦は出せないと告げていたことになる。

 今回の自殺を考えるとき、この事実がカギを握ることになる。

 上記記述は進路指導が「自殺当日まで5回にわたって行われた」としているが、最後の5回目は両親と生徒を混じえた三者懇談であったが、生徒は出席していない。生徒自身に対する進路指導は4回となる。

 担任は生徒に対して12月8日の三者懇談では万引きの非行歴とそれを理由として推薦は出せないことを両親に告げると前以て伝えていたという。

 そして12月8日の三者懇談の日、予定の時間になっても生徒は現れず連絡も取れなかったため、担任と両親のみで始めた。担任は生徒に前以て告げていたように生徒が1年生のときに万引きした事実があるため志望校に推薦できないと伝えた。

 父親がその日の夕方帰宅して、生徒が倒れているのを発見、病院に救急搬送したが、救命に至らなかった。

 ところが府中町教育委員会の調査で生徒指導用の会議資料への中学1年の時の万引き非行歴の記載は間違いであったことが分かった。生徒指導に資するための会議だったのだろう、複数の生徒の非行歴が記されていたが、会議の途中で出席した教諭から自殺することになる生徒は「実際は万引きをしていない」という指摘があり、万引きの事実がないことを出席した教諭の間で確認し合ったが、資料は修正されず、誤った記載で残されたという。

 いわば生徒の知らないところで一旦は万引きの非行歴を負ったが、教師たちには冤罪であることが判明したにも関わらず、同じく生徒の知らないところでその冤罪を冤罪のまま背負い続けて、それが元で推薦を出して貰えず、自殺を選んだということになる。

 だから、マスコミは誤った非行歴に基づいた進路指導が自殺につながった原因の可能性があると報道することになった。

 果たしてそれだけだろうか。

 では、各関係者の発言を見てみる。

 高杉良知府中町教育長「学校の情報管理に問題があり、生徒の尊い命が失われてしまったことについて大変申し訳なく思っています。今後、第三者による調査を行って情報管理の在り方を見直し、このような事案が二度と起きないよう再発防止に努めます」

 文部科学省「誤った非行歴に基づいた指導によって子ども1人を自殺に追い込んでしまったのであれば大変遺憾で、あってはならないことだ。なぜそのようなことが起きたのか、徹底的に調査してもらいたい」

 情報管理の拙劣さが中学生1人の命とその人生を奪ってしまった。

 だが、原因はそのことだけではないはずだ。それが本人の知らない冤罪ではあったとしても、担任は中学1年のときしたとされていた万引きの非行歴に中学3年になっても犯罪行為であることの効力を持たせていただけではなく、高校生の年齢になってまでもその効力を維持させる意思を働かせていたことになって、そのことが自殺を選択したより大きな原因となっていたはずだ。

 この意思によって推薦は出さないと決められた。但しこの意思は担任から発したものではなく、学校の意思として存在していたことが3月8日午後10時半頃から学校の記者会見での校長の発言で分かった。

 このことを3月9日朝7時からのNHKニュースで知った。《中3男子生徒自殺 誤り判明後もデータ未修正で残る》NHK NEWS WEB/2016年3月9日 5時27分)から見てみる。   

 中学校校長「生徒みずからが命を絶つようなことが起こったことについて、生徒を預かる学校の責任者として深くおわび申し上げます。

 (公表の3カ月遅れについて)亡くなった翌朝に遺族から『みずからの命を絶った事実を知らせると同級生の動揺が大きく進路にも影響があるかもしれないので進路が一段落するまで急性心不全で亡くなったことにしてほしい』と希望が寄せられた。公立高校の入学試験が終わったので公表した。

 (なぜ資料に誤りがあったか)男子生徒が1年の時の生徒指導推進委員会の資料で触法行為をした生徒として名前があった。記録上のミスで、会議の席でミスであると確認したものの、サーバー上の電子データは未修正のまま残されてしまった。

 当時、生徒が万引きをしたと連絡を受けた教諭が資料を作成する生徒指導部の教諭に生徒の名前を口頭で連絡した。データの入力の過程で誤ったと思われる。あくまで会議で使うための資料だったので、その後、ほかのことに活用するということは考えず、データも直されなかった」

 だが、会議の資料はいつ、どのようなことを議論したのか記録として残すことを前提としているはずだ。

 もしその前提がなければ印刷した紙資料のみならず、会議終了後にパソコン内のデータ資料も消去されなければならない。だが、前提があったから、データ資料は残された。だが、データの間違いは修正しないままにしておいた。

 パソコン操作一つで情報が簡単に誰にでも入手可能な現代社会で、もう何年も前から、ちょっとした情報の間違いが人一人の人生を大きく狂わすこともある危険性が指摘されている。情報という概念についての意識が低かったのではないのか。

 中学校校長「(担任の生徒指導について)担任は去年11月から自殺した日の朝にかけて5回、男子生徒と面談した。担任は1回目の11月16日の面談で触法行為があったことの確認を取ろうとしたが、具体的な事実を確認せず、生徒本人の不明確な言葉で確認が取れたと思い込んでしまった。5回の面談を通しても担任は生徒が触法行為を否定したと感じなかったため、触法行為があったと確認が取れたとしていた」――

 担任は正直に話しているのだろうか。校長にしても学校の責任逃れの意識はなかっただろうか。担任が責任回避意識から正直に話さず、校長も学校の責任を軽くしようとする責任回避意識を働かせていたなら、その情報は限りなく事実から離れる。

 生徒にとっては見に覚えのない万引きである上に推薦がかかっている。人間の自然な姿として生徒がきっぱりと否定した態度を取ったと見るべきであろう。見に覚えのない万引きをしたのかしなかったのか、不明確な言葉で濁したとしたら、生徒の態度としてと言うだけではなく、人間の態度としても余りにも不自然である。

 もし実際に生徒が万引きをしていて、そのことを理由に推薦を出すことができないと担任から告げられたなら、「あれは中学1年のときです。二度と万引きをしていませんから、どうにかなりませんか」と懇願することは人間の自然として考え得る。

 それを、「生徒本人の不明確な言葉で確認が取れたと思い込んでしまった」とか、「担任は生徒が触法行為を否定したと感じなかったため、触法行為があったと確認が取れたとしていた」と、生徒の曖昧な態度を根拠とした“確認”としているのは余りにも不自然過ぎる。

 考えるに担任は頭から万引きをしたと固定観念に囚われて、生徒の否定を受付なかったとした方が人間の自然に適う。

 但し非行歴に関わる推薦の基準は担任の意思から発したのではなく、学校の意思から発していた。記事は解説体で校長の発言を伝えているが会話体に直した。

 中学校校長「生徒を高校に推薦する際の基準について、それまで3年生の1年間で非行歴がある場合は推薦の対象としないとしていたが、去年11月に1、2年生の時も含めて非行歴がある場合には推薦の対象にしないと改めた

 生徒の成長を認め、生徒の意欲を高めるという観点に欠けていた」――
 
 学校教育者でありながら、悲惨な出来事が起きてから気づく。前以て考えることができなかった。
 
 担任は自殺した生徒の人となりを普段見ていたはずだが、この規準に忠実に則って、中学1年のときの冤罪であったとは気づかずに万引きの非行歴を自殺した生徒に狂いなく当てはめようとした。

 このような規準を決めた学校も、その規準を適用していく側の担任も余りにも不寛容性に過ぎる。

 校長を始めとした学校は3年生の1年間だけではなく、1、2年生まで含めた3年間を通して一度でも非行歴がある生徒は推薦を出さないという規準が例えそれが1年のときの非行歴であっても、中学の3年間のみならず、高校生の年齢になるまで、その非行歴に対して犯罪行為であることの効力を持たせることになると認識しなかったのだろうか。

 勿論、更生しない人間もいるが、更生する人間も確実に存在する。この規準はその更生の可能性まで排除している。あるのは厳罰のみで、あるいは厳罰主義の考え方のみで、それぞれの人となりを見て残しておくべき情状酌量の余地も再チャレンジの余地も残していなかった。

 校長の言葉を借りると、学校教育者であるにも関わらず生徒の成長の余地も、意欲を高めさせる余地も残していなかった

 学校が新しい規準の性格に気づいていたなら、1年生のときの万引きが間違った情報であろうと正しい情報であろうと、生徒を自殺にまで追い込むことはなかったろう。

 この新しい規準こそが生徒を死に追いやった大本の原因であるはずだ。

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