安倍晋三の防衛大訓示、自衛隊の任務は「国民のリスクを下げるため」の一面性に指揮官としての危惧を覚える

2016-03-25 06:56:49 | 政治

 3日連続で3月21日の安倍晋三の「防衛大卒業式訓示」を取り上げてることになる。 

 安倍晋三「私たちが、望むと望まざるとに関わらず、国際情勢は絶えず変化し、日本を取り巻く安全保障環境は厳しさを増している。この冷厳な『現実』から、私たちは目を背けることはできません。

 しかし、いかなる状況にあっても、国民の命と平和な暮らしは、断固として守り抜く。これは、私たち政府にとって最も重い責任であります。

 その責任を全うし、子や孫の世代に、平和な日本を引き渡すため、強固な基盤を築く。そのことを考え抜いた末の結論が、『平和安全法制』であります。

 『事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託にこたえる』

 この宣誓の重さを、私は、最高指揮官として、常に、心に刻んでいます。

 自衛隊員に与えられる任務は、これまで同様、危険の伴うものです。しかし、全ては、国民のリスクを下げるため。その任務は、誠に崇高なものであります。そして諸君は、この困難な任務に就く道へと、自らの意思で、進んでくれました。

 諸君は、私の誇りであり、日本の誇りであります」――

 確かに軍隊の存在は、それが独裁者が支配する軍隊でない限り、国家の平和の維持を目的とする。だからと言って、無傷のまま常にその目的に添うとは限らない。

 自衛隊はこれまで訓練以外に軍事的活動を行ってこなかった。今後「平和安全法制」に基づいて事実上の軍事的活動を行うことになれば、「国民のリスクを下げるため」を目的としていたとしても、「国民のリスク」を上げるケースも生じる両面性を抱えることになる。

 軍隊が常に「国民のリスクを下げる」一方のみの一面的存在であるなら、この世界に戦争は存在しなかったことになるし、今後とも存在しないことになる。第1次世界大戦でも、第2次世界大戦でも、例え勝者の側につくことになったとしても、自国民の中から多大な犠牲を払うことになるリスクの両面性を見ることになった。

 特にテロが世界的に横行する現代、軍隊が自国民のリスクを上げる結果を招く、その両面性を多く見ている。

 日本の戦前を例に取るなら、日中戦争を含めた太平洋戦争では兵士のみならず銃後の国民のリスクまで上げる一面性のみが突出した戦争遂行となった。

 現在の自衛隊がそうならない保証はない。

 アメリカは外国の地で行った湾岸戦争やイラク戦争、アフガン戦争によって自国内へのイスラム過激派テロを招いて多くの犠牲者を出し、結果としてアメリカ国民のリスクを上げることになり、現在もそのリスクに日々備えていなければならない両面性の渦中にある。

 その最近の例では昨年2015年12月2日の米カリフォルニア州サンバーナディーノの福祉施設での銃乱射事件を挙げることができる。表面的には礼儀正しい夫婦であったそうだが、「イスラム国」に忠誠を誓っていて、その思想を実行に移し、14人を死亡させ、17人を負傷させている。

 世界一立派な軍隊が「国民のリスクを下げる」価値を付与されていながら、その一面性に安住できずに、いつ、どこで、テロと遭遇しないとも限らない、リスクの両面性の中での生活を強いられることになる。

 国家を名乗ったテロ過激集団の「イスラム国」を叩くために有志連合を組んで空爆に加わっているフランスもベルギーも、そのような自国軍の軍事活動によって自国内にそれぞれテロを招き、国民のリスクを上げる両面性に見舞われている。

 フランスは2015年11月13日(日本時間14日)のパリ同時多発テロによって今後のテロへの備えをしなければならないリスクを抱えると同時に外国からの観光客が激減、一大産業である観光産業が打撃を受けていることも、経済的な意味合いではあっても、フランス国民にとっては生活を脅かしかねない一つのリスクであろう。

 自衛隊が「平和安全法制」に基づいて安倍晋三の「誇りであり、日本の誇り」として軍隊へと成長していき、それに伴って「国民のリスクを下げる」役割を果たしたとしても、その一面性のみで無事完了すると考えるのは自衛隊の軍隊としての存在を安請け合いすることでしない。

 日本が防衛費を増加させて最新鋭の兵器へと転換を計れば、中国もそれ以上に軍事費を増加して対抗していくこともリスクの両面性を物語る一つの有力な証明となる。

 軍隊の存在は、それが安倍晋三の「誇りであり、日本の誇り」であったとしても、「国民のリスクを下げるため」の一面性のみならず、国民のリスクを上げる事態を招くこともある両面性を持った両刃の剣であることを常に認識していなければならない。

 だが、安倍晋三はオメデタイ単細胞の持ち主だからだろう、自衛隊員の任務、その軍隊としての存在を「全ては、国民のリスクを下げるため」だと、一面的価値しか与えていない。

 ときにはマイナスの価値をも抱え得ることになる両面性に備える視点も危機管理も欠いている

 もしも自衛隊の最高指揮官である安倍晋三が「国民のリスクを下げるため」との一面的価値観のみを大義名分とする偏った考えで、両面性を危機管理としなければならないにも関わらず、危機管理せずに自衛隊の軍事活動を推し進めていった場合、果たして妥当な指揮権の発動を見ることができるだろうか。

 その点に安倍晋三が自衛隊の最高指揮官であることの危惧を覚えないわけにはいかない。

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