2月29日衆院予算委 安倍晋三の夫婦別姓家族解体論に関わる対岡田答弁は自民党を旧弊な政党としている

2016-03-02 09:37:00 | Weblog

 2月29日(2016年)の衆院予算委員会で民主党岡田克也代表が夫婦別姓と子育て支援に関する安倍晋三の過去の発言をパネル(左傾画像)に書き連ねて取り上げ、その内容の不適切さを追及した。

 ここでは夫婦別姓に関してのみ、それなりの自己解釈を施したいと思う。

 岡田克也「総理が野党時代に行った発言を紹介したいと思います。夫婦別姓の問題ですね。総理は『夫婦別姓は家族の解体を意味します。家族の解体が最終目標であって家族から解放されなければ、人間として自由になれないという左翼的かつ共産主義のドグマ(教義)』です。

 まあ、そういうふうに答弁されていますね。これ、どういう意味ですか。お答え頂けますか」

 安倍晋三「あの突然の質問でございますので、後ほど確認させて頂きます」

 岡田克也「これ、昔の発言じゃないんですよね。野党時代の発言ですから。これ、『WiLL』という雑誌の平成22年(2010年)7月、この時の対談ですね。自民党の議員が何人か対談をしております。

 これ総理の発言なんですよ。こういう考え方で夫婦別姓というものを考えていればですね、我々は選択的夫婦別姓、法案も国会に出していますが、まあ、そういうことについて頭から、イデオロギー的にダメだということですか」

 安倍晋三「まあ、そういうものはですね、全部がどういう発言をしているのか、対談ですから。それを踏まえてですね、私は俄(にわか)にはお答えのしようがないわけでありますが、私は家族の価値を重視する保守党としての自民党の考え方を恐らく述べたものであろうと、こう考えるわけでございます。

 いずれにしましても、夫婦別姓に対するですね、夫婦別姓に対する考え方については政府としての長である内閣総理大臣として既に答弁しているとおりであります」

 岡田克也「ご自分で発言なさったことですから、覚えていないということはあり得ないというふうに思うわけですね。いずれにしても、ここに総理の基本的な考え方というのが出てきているんじゃないかと思うんですよ。

 この間最高裁が憲法違反ではないという判決を下しました。あとは法律の問題だと。国会で議論する話だとそういうことであります。ですから、我々は選択的夫婦別姓を、別に夫婦別姓を強制するんじゃなくて、そういうことも可能ですよという法案を国会に提出しているわけであります。

 最高裁の判決の中で憲法違反でないという判決に反対した裁判官、何人かいらっしゃいます。女性の裁判官3人全員が憲法違反だという意見を述べられました。ここで(安倍晋三が)こういう論理を述べておられたというと、多くの場合には夫の姓になってしまうと。現実、96%が夫の姓になるんですね、結婚した場合に。

 で、『妻となった者のみが個人の尊厳の基礎である個人識別機能を損ねられ、また自己喪失感といった負担を負うこととなり、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚した制度とは言えない』(反対意見)

 だから、憲法違反だと言っているんです。

 私は憲法違反だという立場に立つ者では必ずしもないんですが、最高裁が判断されたわけですから、尊重しますが、ここ(判決)の論理というのはやはり立法的にしっかりと対応すべきだということになるんじゃないですか。男女平等の本質に反するような、同姓を尊重するような、そういう仕組はやっぱおかしんじゃないないでしょうか。

 先進国の中で結婚したら同じ姓にしなければならない、いけないと強制している国はありませんよね。日本だけですよ。なぜ、ここのこうしているのか、私には分からないですが、如何ですか」

 安倍晋三「諸外国では中国や韓国はそうでありますが、それぞれ別姓であったわけございます。(ここからテーブルに視線を落として原稿を読む)夫婦の氏(うじ)の問題はですね、単に婚姻時の氏の選択にとどまらず、夫婦の間に産まれてくる子の有無の問題も含めてですね、我が国家族のあり方に深く関わる問題であろうと考えています。

 選択的夫婦別姓制度については国民の間で様々な意見があるのも事実であります。例えば直近の世論調査を例に取ってみますと、反対が36.4%、容認が35.5%、通称のみ容認が24.5%といった結果になっているというところでございます。

 そのため最高裁判決の指摘や国民的議論の方向を踏まえながら慎重に対応していく必要があると考えております」

 岡田克也「これ日本の伝統だという人もいますが、(現民法施行の)明治31年からですね、法制的には。それまでは一部の人を除いて、日本人は氏がなかったわけでしょう。いずれにしても、総理がこういう固定観念を持っていると、選択的夫婦別姓という話は全く進まないですね。

 これはしっかり考えを改めて頂きたいというふうに指摘したいと思います」

 安倍晋三の過去の子育て支援についての発言に移る。

 パネルで取り上げた安倍晋三の発言が夫婦別姓に対する安倍晋三のホンネである。にも関わらず、岡田克也は「総理がこういう固定観念を持っていると、選択的夫婦別姓という話は全く進まないですね」などと悠長なことを言っている。

 ホンネである以上、夫婦別姓容認に対する抵抗勢力に位置しているのだから、進むはずはない。最高裁が憲法違反と判決しない限り、表立ってはそうしないが、裏側では容認されないように徹底的に画策すると見なければならない。

 安倍晋三の『WiLL』という雑誌で対談した時の発言を見てみる。

 「夫婦別姓は家族の解体を意味します。家族の解体が最終目標であって家族から解放されなければ、人間として自由になれないという左翼的かつ共産主義のドグマ(教義)だ」と発言した。

 「家族からの解放」とは家長が絶対的な支配権を持って他の家族を支配・束縛して、そのゆえに個々の家族の自律的行動や人間としての自然な感情を抑圧する全体主義(個人の全ては全体に従属すべきとする思想)的生活空間、あるいは全体主義的閉鎖性から自らを解放するという意味であって、解放によって個人として自由に行動することが可能となる。

 そしてそういったプロセスが社会的趨勢となったとき、初めてそれまでの伝統的な家族の解体現象が起きる。何も夫婦別姓が家族の解体を意味するわけではない。

 なぜなら、夫婦話し合って決めるべき問題だからだ。勿論、中には結婚してある一定の持間を経てからいきなり妻の方から、「夫婦別姓にしたい」と申し出て、夫との話し合いがこじれて離婚するという例はなきにしもあらずだろうが、結婚してから、性格の不一致を妻から宣告されて離婚するのと、理由は違っても、あくまでも個々の家族の解体であって、社会的大勢としての家族の解体を意味するわけではない。

 離婚によって妻にしろ、夫にしろ、それまでの家族から解放されて、人間としての自由を獲得できるというのなら、自己確立を果たすプロセスと把えるべきだろう。

 戦前は天皇の日本国家に於ける絶対的支配権と各家長の各家庭に於ける絶対的支配権は相互対応し合っていたのであって、戦後の民主主義の移入によって個人の解放が始まって現在に至っている。

 いわば日本人一人ひとりが旧来の家族のあり方から解放されてきて、現在の家族のあり方があるのであって、何も「左翼的かつ共産主義のドグマ(教義)」でも何でもない。そう解釈すること自体、安倍晋三が古い伝統に囚われた無知・狭隘な精神の持ち主であるが故に家族の変遷を自覚できないだけの話である。

 問題は自身の言葉を「私は家族の価値を重視する保守党としての自民党の考え方を恐らく述べたものであろうと、こう考えるわけでございます」と言っていることである。これは自民党の考え方だと。

 もしこれが事実なら、戦後ほぼ一貫して政権を担い、3年の野党経験後再び政権を担った自民党は戦前のような家長に絶対的な支配権を持たせた家族のあり方への回帰を願っているわけではないだろうが、少なくとも夫婦別姓でなくても、家族からの解放も、さらには人間として自由に行動することも、そういったことは左翼的かつ共産主義のドグマ(教義)だからと許さない家族のあり方をこそ最大の家族の価値としている、そういった旧弊な政党だということになる。
 
 安倍晋三はその親分ということになる。

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