安倍晋三の安保法案反対デモを「国民の一つの声」と相対化のマジックにかけて過小評価する十八番の詭弁

2015-09-22 09:18:17 | Weblog


 安倍晋三が9月20日日本テレビの番組に出演したときの発言を「asahi.com」記事が伝えている。

 安倍晋三「(安保法案反対の国会周辺デモについて)表現の自由、言論の自由をさまざまな形で国民は行使できる。我々も行政府の立場として、さまざまな声があるということは、さまざまな方法で知ることができる。当然、国民の一つの声だと思う。

 (祖父の岸信介元首相が日米安保条約を改定したときの反対デモと今回を比べて)あのときは『総理大臣の身辺の安全を完全に守ることは難しい』とまで(岸元首相)本人は言われていた。今回そういうような状況にはまったくなっていないから、私は平常心で成立を待っていた」――

 「国民の一つの声」と言っていることは、安倍晋三が安保法案反対の声を多くある声の内の一つと価値づけていることを意味する。多分、安倍晋三は腹の中では「一つに過ぎない」と軽んじていたのかもしれないが、多くの中の一つとする相対化によって特殊な事例を一般的な事例に貶めたのである。

 一般的に「相対化」とは「他の同類と比べて位置づけることで、それが唯一絶対ではないと一般化すること」などを言うが、安倍晋三の場合は単に特殊な事例を一般的な事例とするだけではなく、他の同類を並べた中に置いて、一般性や時代性を纏わせて見えにくくしたり、対比的に大したことはないと価値を低めたりすることに用いている。

 例えば自身の殺人行為を似たような殺人、あるいはより残虐な殺人を持ち出して比較化させ、殺人を犯すのは自分一人だけではないと一般化させようとしたり、あるいは時代がさせたと、時代性のせいにしたりして、自らの殺人の罪をまだ軽いものだと思わせようとする殺人者が用いるのと同じ相対化を安倍晋三は得意としていて、十八番にさえしている。

 さらりと言って、特殊な事例を一般的な事例に変身させるその見事な手際は相対化のマジックとさえ言うことができるが、自身に不都合なことはそのような相対化のマジックによって隠したり、存在しないものとしてしまうのは詭弁そのものである。

 今回の安保法案反対のデモによって表されていた国民の声は一部の声ではなく、安保法案に関わる世論調査に現れていた国民の声のそのままの反映でもあり、両者は相互反映の関係にあったのだから、単なる「国民の一つの声」ではなく、「国民の決して小さくはない大きな声」としなければ正確な表現とは言えないはずだが、お得意の十八番が出たのだろう、多くある内の「国民の一つの声」だと相対化のマジックにかけて大したことではない一般的な事例に見せかけた。

 抗議デモが「国民の決して小さくはない大きな声」であることは安保法成立後の9月19、20両日の「毎日新聞」の世論調査を見てみれば一目瞭然である。

 「成立を評価するか」    

 「評価しない」57%
 「評価する」33%

 「強行採決について」

 「問題だ」65%
 「問題ではない」24%

 「憲法違反か」

 「違憲だと思う」60%
 「思わない」24%

 「国民への説明」

 「不十分だ」78%
 「十分だ」13%

 等々となっている。

 もう一つ、同じく9月19日、20日の両日行った「朝日新聞」の世論調査を見てみる。

 「安保関連法に賛成か反対か」

 「賛成」30%
 「反対」51%

 「強行採決について」

 「よかった」16%
 「よくなかった」67%

 「国会の議論は尽くされたか」

 「尽くされた」12%
 「尽くされていない」75%

 「国民の理解を得る努力について」

 「十分にしてきた」16%
 「十分にしてこなかった」74%

 「抑止力は高まるか」

 「高まる」32%
 「高まらない」43%

 「他の国の戦争に巻き込まれる可能性」

 「高まる」64%
 「高まらない」21%

 「憲法違反か否か」

 「違反している」51%
 「違反していない」22%

 等々となっている。

 抗議デモは世論調査に現れている安保法に批判的な国民の声を代表し、代弁もしていた。あるいは世論調査に批判的な回答を寄せた国民は抗議デモに「もっと、もっと抗議の声を上げてくれ」と声援を送っていたはずだ。

 そのような相互関係にあった。当然、「国民の一つの声」などといった一般的な姿を纏わせてもいいはずはなく、一般的とは区別して際立った現象としてみるべき「国民の決して小さくはない大きな声」であった。

 以前ブログに書いたことだが、安倍晋三の他の同類を並べた中に置いて、一般性や時代性を纏わせて見えにくくたり、対比的に大したことはないと価値を低めたり、特殊な事例を一般的な事例とするこれまで使ってきた相対化のマジックを見てみる。

 2014年4月23日夕刻、オバマ米国大統領が訪日、翌4月25日午前中離陸し、次の訪問国韓国に向かった。同日午後、パク・クネ韓国大統領と首脳会談を行い、会談後共同記者会見に臨んでいる。

 先ずパク・クネ大統領が安倍晋三が従軍慰安婦の問題について政府の謝罪と反省を示した河野官房長官談話を見直す考えはないと表明したことに触れて次のように発言した。 

 パク大統領「安倍総理大臣が約束したことに関して誠意ある行動が重要だ。今後、日本が大きな力を傾けてくれればと思う」

 オバマ大統領「(慰安婦の問題は)甚だしい人権侵害で衝撃的なものだ。安倍総理大臣も日本国民も、過去は誠実、公正に認識されなければならないことは分かっていると思う。

 日韓両国はアメリカの重要な同盟国だ。過去のわだかまりを解決すると同時に未来に目を向けてほしいというのが私の願いだ」(NHK NEWS WEB)――

 このオバマ大統領の発言に対して安倍晋三は4月27日午後、視察先の岩手県岩泉町で記者の質問に答えている。

 安倍晋三「筆舌に尽くし難い思いをされた慰安婦の方々のことを思うと、本当に胸が痛む思いだ。20世紀は女性を始め、多くの人権が侵害をされた世紀だった。

 21世紀はそうしたことが起こらない世紀にするために日本としても大きな貢献をしていきたい。今後とも国際社会に対して、日本の考え方、日本の方針について説明していきたい」(NHK NEWS WEB)――

 要するに日本軍が暴力的に拉致して軍慰安所へ強制的に監禁、強制売春を強いた従軍慰安婦という特殊な事例としてあった人権侵害を20世紀にあった様々な女性に対する人権侵害の中に紛れ込ませて一般的な事例とする相対化のマジックをやってのけて、日本の過去の歴史、あるいは日本軍の罪薄めを謀った。

 次のこともブログに取り上げているが、8月14日(2015日)発表の「安倍晋三戦後70年談話」でも詭弁でしかない見事なまでの相対化のマジックを披露している。

 安倍晋三「100年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、19世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

 世界を巻き込んだ第1次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、1千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

 当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたり得なかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした『新しい国際秩序』への『挑戦者』となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

 そして70年前。日本は、敗戦しました」――

 ここで言っていることは日本の戦争が侵略と植民化を目的としていたがゆえに「村山談話」が日本個別の特殊な事例とし、そうすべき歴史の事実を安倍晋三にとっては不都合な事実であるゆえに言葉による相対化のマジックを使って20世紀という時代が生んだ産物だと時代性を纏わせて一般的な事例に変えているのであって、そうすることで日本の戦争から侵略と植民地の影を取り去っているのである。

 かくかように自身に不都合な事実を安倍晋三は相対化のマジックを用いて自分の目の前から取り払い、好都合な事実だけを自身の事実とすることをお得意中の十八番としていて、そのための詭弁にこの上なく長けている。

 どうして国民を見る目が育つだろうか。その程度の一国のリーダーだと心得なければならない。

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