憲法の国家権力の恣意的権力行使を制約する役割を否定することになる政府の憲法解釈優先思想

2015-09-20 07:16:59 | 政治



      「生活の党と山本太郎となかまたち」

     《9月15日小沢代表・山本代表記者会見要旨党HP掲載ご案内》

     【質疑要旨】
     ○安保法案反対の国会デモについて
     ○安保法案成立の辺野古移設問題への影響について
     ○安倍首相の潘国連事務総長批判について
     ○岩手県議会における生活と民主による統一会派結成について

 9月19日未明、安保関連法案が参院本会議で可決・成立する前日の9月18日付「NHK NEWS WEB」記事が、集団的自衛権の行使を可能にする今回の法案が憲法に違反するという指摘があることと、政府が憲法解釈の変更を閣議決定で行ったことの是非について法案を違憲と主張する立場と合憲とする立場の憲法の専門家の発言を伝える形で取り上げている。 

 小林節慶応義塾大学名誉教授「政府は憲法が個別的自衛権も集団的自衛権も区別していないと言っているが、憲法9条には明確に、交戦権を与えない、海外派兵はするなと書かれている。憲法の枠組みがある以上、法治国家であれば、憲法を改正してからやらなければいけないことだ。

 (政府が憲法解釈の変更で集団的自衛権の行使を認めたことについて)仮に切迫した危機があったとしても、憲法を無視し、その枠組みを取り払えば、政治家はなにものにも拘束されなくなる。これは解釈の限度を超えており、憲法破壊であり憲法違反だ」――

 憲法には国家権力の恣意的な権力行使を制約する重要な役目を与えられているがゆえに国家権力は憲法を最も忠実に守らなければならない立場に立たされている。

 当然、今回可決・成立した安全保障関連法が合憲か違憲か、徹底的に突き詰めていかなければならない。記事は、〈憲法学者などが仮に安全保障関連法案が可決され、成立した場合は、「憲法9条に違反する」として、今後、国に対して集団で訴えを起こすことも検討してい〉ると、可決・成立する前日の時点の話として解説しているが、ごく自然な動きということになる。

 井上武史九州大学准教授「集団的自衛権は国際法で認められた権利で、禁止されていない限り行使できる。日本国憲法が集団的自衛権を禁止しているかというと、憲法にはひと言も書いていないので、集団的自衛権を認める法案が違憲だということは断定できない。

 (政府が憲法解釈の変更で集団的自衛権の行使を認めたことについて)政府がかつての解釈を変えることは法的に可能で、どう判断するかは政治の役割だ。審議が深まっていないのは事実かもしれないが、一定の時間がたてば採決するのが民主主義だ」――

 言っていることに無理がある。「日本国憲法が集団的自衛権を禁止しているかというと、憲法にはひと言も書いていない」と言っているが、認めるとも、「憲法にはひと言も書いていない」。つまり、合憲だということも「断定できない」

 書いてある、書いてないで合憲性は判断できないにも関わらず、書いてないことを以って、「違憲だということは断定できない」と主張している。

 「政府がかつての解釈を変えることは法的に可能で、どう判断するかは政治の役割だ」と、政府が憲法の解釈を変えることは政府の専権事項(思い通りに決断できる事柄)であるかのように主張していることに驚く。

 もしそれが許されるなら、憲法の判断よりも政府の憲法の判断に手を加えて変更させた解釈の方に優越的な力を与えることになって、憲法改正よりも憲法解釈変更を優先させる便宜が優ることになり、ときには憲法が負っている国家権力の恣意的な権力行使を制約する重要な役目を否定する危険性を抱えかねない。

 憲法のこの重要な役目までも憲法解釈で変更できることになるからである。

 何も井上九州大学准教授だけが憲法の判断よりも政府の判断を優先させようとする思想の持ち主ではない。

 憲法9条の解釈変更で集団的自衛権の行使を限定的に容認する法律の成立に成功したことで、「憲法9条の改正は必要がなくなった」との主張が公明党内や自民党内にに芽生えていると、「毎日jp」記事が伝えている。 

 尤も公明党は〈今回の法整備が許容範囲の限界で、さらなる行使容認のための憲法9条改正は認められないとの立場〉からの憲法9条改正不要論だと記事は解説している。

 但し自民党は改憲を党是としていながら、「安保関連法案の整備でそんなに急いで憲法を改正する必要はなくなった」とする中堅の声を伝えている。

 だが、憲法解釈変更で良しとして、最初の道筋としなければならない憲法改正を遠ざけることはやはり憲法そのものよりも憲法解釈変更を優先させる便宜を取ることになって、憲法解釈の変更自体が憲法が負っている国家権力の恣意的な権力行使を制約する重要な役目を外すことに手を貸さない保証はない。

 つまり、何でも憲法解釈の変更で片付けることに慣れると、国家権力の恣意的な権力行使を制約する規定まで憲法解釈の変更で緩めてしまうことにならないか、最悪有名無実化してしまうことにならないか、その危険性である。

 大体が議席の優越的な数を手に入れさえすれば、憲法解釈の変更は可能となる。議員だけが集まる国会の場で片付く問題だからである。
 
 だが、憲法改正は議員だけが集まる国会の場のみで決まるわけではなく、国民が関与できる場で国民の関与のもと、決まる。それゆえに改正した憲法にそれ相応の正当性を与え得る。

 このことを裏返すと、憲法解釈変更ではそれ相応の正当性を与え得ないと言うことになる。憲法解釈を優先させる思想を当り前とすることに憲法が負っている国家権力の恣意的な権力行使を制約する重要な役目を無化しかねない危険性をも考慮して、気をつけなければならない。

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