安倍晋三が9月24日の自民党両院議員総会での自民党総裁に再任後の記者会見で「1億総活躍社会」を打ち出した。
安倍晋三「ニッポン1億総活躍プラン
目指すは『1億総活躍』社会であります。
少子高齢化に歯止めをかけ、50年後も、人口1億人を維持する。その国家としての意志を明確にしたいと思います。
同時に、何よりも大切なことは、一人ひとりの日本人、誰もが、家庭で、職場で、地域で、もっと活躍できる社会を創る。そうすれば、より豊かで、活力あふれる日本をつくることができるはずです。
いわば『ニッポン「一億総活躍」プラン』を作り、2020年に向けて、その実現に全力を尽くす決意です。
そのために、新しい『三本の矢』を放ちます。
第一の矢、『希望を生み出す強い経済』。
第二の矢、『夢をつむぐ子育て支援』。
第三の矢、『安心につながる社会保障』。
希望と、夢と、安心のための、「新・三本の矢」であります。
アベノミクスによる成長のエンジンを更にふかし、その果実を、国民一人ひとりの安心、将来の夢や希望に、大胆に投資していく考えであります」・・・・・
安倍晋三のこの記者会見の発言を受けて、2日程前のブログに次のように書いた。
〈「1億総活躍社会」とは、断るまでもなく、日本人全員が一人の洩れもなく活躍できる社会の実現の公約である。まさか現在1億2千万余の人口の内、1億人のみが活躍できる社会を作り、あとの2千万余の日本人は切り捨てるという意味での「1億総活躍社会」ではないはずだ。
一人の洩れもなく活躍できる「1億総活躍社会」の実現と言うことなら、自殺者をゼロとしなければならない。日本の統計上の自殺者数は1998年以降14年連続して3万人を超えていたが、2012年は2万7858人、1,997年以来、15年振りに3万人を下回っている。
これをゼロに持っていく。ゼロに持っていけば、2009年から2014年までの全国の小・中・高生の自殺者数は「学校問題」等の悩みを原因として小学生55人、中学生501人、高校生1376人の計1932人となっているが、この1932人もゼロにすることができる。
1932人のうち、イジメが原因の自殺は26人。イジメを原因とした自殺を確実にゼロにするためにはイジメそのものをゼロにしなければならない。たまたまのイジメが自殺を招かない保証はないからだ。
イジメ自殺で社会を騒がすこともなくなる。
「1億総活躍社会」とは、「自殺ゼロ社会」ということにもなる。日本人全員が健康で生き生きと活躍できる社会である。
失業しても、次の就職先が即座に見つかるようにしなければ、しかも前の会社よりも待遇が良くなければ、「1億総活躍社会」とは言えない。女性が妊娠出産して育児休暇を安倍晋三が掲げた3年を目一杯取ったとしても、勤めていた会社に前の地位のまま戻れないような事態が1件でも発生したなら、「1億総活躍社会」はたちまちハッタリと化す。
女性の誰もに対しても以前のキャリアを捨てて、パート勤めをせざるを得ない意に染まない状況を招くことがあったなら、「1億総活躍社会」は破綻する。
正規社員と非正規社員の平均年収格差約300万円が導き出すことになる一方が年に何回も海外旅行に出掛け、もう片方が国内旅行もままならない消費活動の格差と、他の消費活動にも影響している格差を限りなくゼロに持っていかなければ、「1億総活躍社会」とはならない。
と言うことは、非正規社員をなくす以外に消費活動に関わる「1億総活躍社会」は実現しないということではないか。
少なくとも年間所得200万円以下の世帯をゼロにしなければ、「1億総活躍社会」とは言えないはずだ。
安倍晋三はまた、第三の矢の「安心につながる社会保障」の分野では「介護離職ゼロ」を掲げた。これは「1億総活躍社会」実現の一環でもあるはずだ。介護のために仕事を放棄することによって仕事に於ける本来の活躍の場と活躍の機会を失うことは本人を「活躍社会」から仲間外れにすることを意味することになって、「1億総活躍社会」実現の趣旨に反することになる。〉などと書いた。
このブログには書かなかったが、新たに断ると、「活躍」という言葉は「目覚ましく活動すること」を言う。但し身体的のみではなく、精神的であることも条件とすることができる目覚ましい活動の機会を手にすることによって成り立たせることができる「活躍」ということであるはずだ。
そして「活躍社会」と言うからには、この「活躍」は社会的な活躍を意味することなる。いわば安倍晋三は日本国民全てに平等な「社会的活躍」を約束した。
平等でなければならないからといって、何もかも同じでなければならないということではない。最低限、初期的な所与条件が等しくなければならないはずだ。
但し社会的矛盾によって初期的な所与条件が異なった場合、平等な「社会的活躍」は平等であることが阻害される。と言うことは、「1億総活躍社会」とは初期的な所与条件に違いをもたらす社会の矛盾をゼロにするということであり、初期的な所与条件に関係することになる「矛盾ゼロ社会」をイコールしなければならないことになる。
これらの忠実な履行によって「1億総活躍社会」は実現する。
正規と非正規社員について書いたが、職業によって労働の対価としての報酬は異なる。また、同種の労働であっても、会社によって経営状態に違いがあるから、会社ごとの報酬は微妙に違いが出てくる。
だが、同じ会社の同じ職場で同じ労働を受け持ちながら、報酬に差があるということは初期的な所与条件に不平等が存在する矛盾そのもので、その報酬の差が趣味・娯楽、旅行・行楽までも含めた消費活動の豊かさと貧しさの差となって現れたなら、不平等な「1億総活躍社会」そのものとなる。
あるいは車椅子生活を余儀なくされている身体障害者が外に出て何らかの活動を望みながら、移動に関わる所与条件に健常者と格差があり、外出もままならないとなったなら、社会的矛盾を強いられていることになって、「矛盾ゼロ社会」とは言えなくなり、このような障害者は「1億総活躍社会」から外されることになる。
また、2012年の都道府県(従業地)別人口10 万人対医師数は京都府が296.7 人と最も多く、次いで徳島県296.3 人、東京都295.7 人で、埼玉県が148.2 人と最少、次いで茨城県167.0 人、千葉県172.7 人となっている格差は同じ日本人でありながら医療に関わる初期的な所与条件が地域によって格差を受け、医師が少ない地域の住民に対して程、時間的負担や心理的負担をかけている不便な点で目覚ましく活動する時間や精神面の活動性を奪うことになって、「1億総活躍社会」に反する矛盾を与えていることになる。
昨今産科医不足が言われているが、産科医不在の公立病院は今や珍しくなく、いくつかの町村の出産の拠点となっていた産婦人科から産科医がいなくなって、なお遠い産婦人医院か公立病院の産婦人科に身重の身体で自分で車を運転しながら、40分(田舎の道での40分だから、その距離は想像して余りある)もかけなければ診察できないといった状況に見舞われていて、いつの頃からなのか、病院出産を希望しながらも希望する地域に適当な出産施設がない、あるいは施設はあっても分娩予約が一杯でなかなか受け付けて貰えない妊婦の境遇を行き場を失った難民に擬(なぞら)えた「出産難民」という言葉も生まれているという。
このような産科医の地域偏在が影響を与えることになっている医療に関わる初期的な所与条件の格差は時間的負担や心理的負担をかけている不便な点で目覚ましく活動する時間や精神面の活動性を奪うことになる「1億総活躍社会」に反する矛盾と言うことだけではなく、次の出産に対する躊躇や諦めを与えた場合、「1億総活躍社会」実現の基本政策となる第一の矢である「希望を生み出す強い経済」をいくら実現させたとしても、第三の矢である「安心につながる社会保障」は矛盾状態にあることを示すことになるし、第二の矢である「夢をつむぐ子育て支援」にも反する。
安倍晋三は高らかに「1億総活躍社会」の実現を謳った以上、以上挙げてきた初期的な所与条件に関係する社会的な格差や矛盾だけではなく、その他の同種の社会的格差や矛盾を魔法の杖の一振りで一切この世から葬り去って、不可能を可能とするような「矛盾ゼロ社会」を作り上げてくれるに違いない。
安倍晋三は常々「国民の命と幸せな生活を守り抜いていく責任がある」と言っている。約束を違えるはずはない。