安倍晋三の安保関連法案に対する戦争法案のレッテル貼り、徴兵制に道を開くのレッテル貼りには根拠がある

2015-09-27 11:25:33 | 政治


 安倍晋三が189回通常国会会期末に当たり首相官邸で記者会見した。そこで今国会で成立した安保法制が戦争法案だとか徴兵制を招くといった批判はレッテル貼りに過ぎないとの趣旨の抗議の意思を示している。 

 安倍晋三「私も含めて、日本人の誰一人として戦争など望んでいない。当然のことであります。世界に誇る民主主義国家の模範であるこの日本において、戦争法案といったレッテル貼りを行うことは、根拠のない不安をあおろうとするものであり、全く無責任である。そのことを改めて申し上げたいと思います。

 もし、戦争法案であるならば、世界中から反対の声が寄せられることでありましょう。しかし、この法制については、世界のたくさんの国々から支持する声が寄せられています。先の大戦で戦場となったフィリピンを始め、東南アジアの国々、かつて戦火を交えたアメリカや欧州の国々からも強い支持をいただいています。これは、今回の法制が決して戦争法案などではなく、戦争を抑止する法案であり、世界の平和と安全に貢献する法案であることの証であると考えています」

 そして記者との質疑でも、同じ趣旨のことを発言している。

 安倍晋三「他方で、戦争法案とか徴兵制になる、こうした無責任なレッテル貼りが行われたことは大変残念に思います。国民の命を守り、そして幸せな暮らしを守る、平和な暮らしを守っていくための法制であり、安全保障の議論というものはしっかりと国際情勢を分析しながら、どのように国民を守っていくかという冷静な議論をしていくべきであろう。我々国会議員は、そういう中において単なるレッテル貼り、無責任な議論は厳に控えなければならない。こう思っております。そういう無責任な議論があったことは大変残念なことでありました。

 実際に、もし戦争法案ということであれば、これは世界中から非難が寄せられているはずであります。非難轟々だったのではないでしょうか。それは全く違いました。多くの国々から支持や理解の表明があったわけであります。圧倒的な支持を受けていると言ってもいいと思います。その点からしても、戦争法案という批判がただのレッテル貼りにすぎないということの証ではないか。こう考えています」

 戦争法案といったレッテル貼り、いつかは徴兵制を招くのではないのか、戦前のような徴兵制を復活させるのではないのかと言ったレッテル貼りは果たして「無責任な議論」なのだろうか。

 その前に「この法制については、世界のたくさんの国々から支持する声が寄せられています」と言って安倍晋三安保法制の正当性を訴えているが、中国やロシア、北朝鮮と軍事的に、あるいは政治外交上対立する関係にある国々は日本と同盟関係にある米国の軍隊、あるいは安全保障協力関係にあるオーストラリアやインド等の軍隊への日本の軍事的貢献は、米国やオーストラリア、インドのみならず、それぞれの国々の軍事的に、あるいは政治外交上の利害と一致すると考えるから、支持して当然である。

 但し米国をはじめとするこれらの外国の利害と新安保法制が憲法に違反しているかどうかとは別の問題である。

 各国に支持されているからといって、憲法に違反しているなら、安保法制の正当性を失う。支持=正当性とはならない。本人たちは合憲と考えているが、反対派の多くは違憲と考えているのだから、各国の支持を持ち出されても、見当違いにしか見えない。

 安倍晋三は正当性を訴えるなら、各国の支持ではなく、日本国憲法には違反していないことの説明を国民の多くに理解・納得させる形で尽くし終えて初めて、自らが成立させた安保法制の正当性を訴える資格が出てくるのだが、頭が悪いから、単に利害関係からの各国の支持を持ち出して、「こうした点について、国民の皆様の理解が更に得られるよう、政府としてこれからも丁寧に説明する努力を続けていきたいと考えております」と、見当違いな説明に走ろうとしている。

 この見当違いな説明は記者質疑でも見せている。

 阿比留産経新聞記者「今回成立しました安全保障関連法をめぐっては、憲法学者らから違憲との指摘が相次いだこともあって、マスメディアを含めて国論が二分しました。そして、成立後の各種世論調査でも、国民の半数以上が国会での審議はまだ十分ではないという回答をしていることが挙げられます。これをどう見ていらっしゃいますか」

 安倍晋三「平和安全法制は、国民の命と平和な暮らしを守るために必要不可欠なものであります。安全保障環境が厳しさを増す中、法案の成立によって、子供たちに平和な日本、安定した、繁栄した日本を引き渡していくことができると確信をしています。

 国会審議では、野党の皆さんからも複数の対案が提出をされまして、深い議論ができたと考えています。真摯な協議の結果、民主的統制を強化することで合意に至り、野党3党の賛成も得ることができた。より幅広い合意を形成することができたと考えています。それは、この法案の成立に当たって大きな意義があったのではないでしょうか。200時間を超える充実した審議の中で、野党の皆さんにも我々の問題意識を共有していただいた結果ではないかと、こう思います」

 そして上記取り上げたように「戦争法案とか徴兵制になる、こうした無責任なレッテル貼りが行われた」と批判したうえで次のように発言を続けている。

 安倍晋三「実際に、もし戦争法案ということであれば、これは世界中から非難が寄せられているはずであります。非難轟々だったのではないでしょうか。それは全く違いました。多くの国々から支持や理解の表明があったわけであります。圧倒的な支持を受けていると言ってもいいと思います。その点からしても、戦争法案という批判がただのレッテル貼りにすぎないということの証ではないか。こう考えています。

 今後とも私自身、そしてまた、関係閣僚始め、あらゆるレベルで国民の皆様の御理解を得るべく努力を重ねていきたい。そして、根拠のないこうしたレッテルを剥がしていきたい。こう考えています。

 かつての安保条約改定時もそうでした。また、PKO法制定の時もそうでありましたが、時を経る中において、その実態について国民の理解が広がっていったという事実もあります。そういう意味におきましては、今後、時を経る中において今回の法制の実際の意義、意味については十分に国民的な理解は広がっていく。このように確信をしております」――

 「法案の成立によって、子供たちに平和な日本、安定した、繁栄した日本を引き渡していくことができると確信している」としていることと、各国の支持・不支持のレベルで正当性を訴えているが、前者・後者共に各国軍隊への軍事的貢献が絶対保証する事柄と断言することはできない。

 例え前者の「確信」を保証できたとしても、憲法に違反してもいいという理由となならない。違反してもいいという理由としたなら、憲法はいつ、どんなときでも国家権力に恣意的に解釈され、権力遂行の道具に貶めることになる。

 当然、日本国憲法には違反していないという説明の方法を採るべきだが、安倍晋三に関しては決してそうはならない。正当理由とはならない理由を挙げて、正当性を訴える見当違いを犯しているに過ぎない。

 安倍晋三は戦争法案はレッテル貼りだと言い、徴兵制を招くの批判にしてもレッテル貼りだと言う。

 先ず安倍晋三は安全保障環境が厳しさを増したことを理由に「もはや一国のみで自国の安全を守ることはできない」と集団的自衛権を含めた相互的な軍事的貢献の必要性からの安保法制としているが、日本周辺の安全保障環境の変化は中国の軍事力の増強、北朝鮮のミサイル開発・核開発、更には新冷戦時代と言われる米ロ対立が不測の事態を招いて軍事的衝突をした場合の同盟国としての日本が巻き込まれる可能性としての危険な状況を挙げることができる。

 中国は果たして日本に戦争を仕掛けるだろうか。中国にしても経済のグローバル化に身動きが取れない程にカッチリと組み込まれている。日本に戦争を仕掛け、日本の軍事同盟国である世界一の軍事大国アメリカの軍事的参入を招いた場合の経済的停滞、その経済的損失は量り知れない規模にのぼることになるだろう。

 だが、中国は領有権を主張してやまない尖閣諸島を一つ取っても、それに対して何一つ軍事的行動を起こすことができないでいる。行動を起こすことができない裏返し行動が尖閣諸島周辺の排他的経済水域での中国公船の航行であり、日本領海内での中国公船の侵入といったデモンストレーションであろう。

 中国はそういったデモンストレーションでしか尖閣諸島の領有権を主張できない。

 北朝鮮の軍事的危険性に関して言うと、北朝鮮の金正恩体制がクーデターか経済的破綻で崩壊の危機に立たされた場合、統制が取れなくなって暴発する形で日本を核攻撃することも予想されるが、攻撃を受けたとしてもあくまでも自国の攻撃への反撃という形を取り、個別的自衛権の範囲内の軍事行動となるから、新しい安保関連法が成立しようと成立しなかろうと関係ないことになる。

 このときアメリカが日本と共に軍事行動を起こすのはあくまでも日米安全保障条約に基づいた、アメリカ側の集団的自衛権行使に過ぎない。

 このことは中国の日本に対する戦争のケースについても言うことができる。

 北朝鮮がアメリカの艦船をミサイル等を使って攻撃した場合、日本が傍観することができないから、援護できる集団的自衛権は必要だとしているが、北朝鮮は自国内への反撃が予想されるアメリカ艦船への攻撃を強行するだろうか。

 アメリカ艦船への攻撃が自国内への反撃、特に軍事施設への反撃を誘発した場合、直ちに金正恩体制の崩壊に繋がらない保証はない。

 当然、反撃が予想される危険な賭けは犯さないだろう。その艦船に日本人が乗船していようといなかろうと条件は変わらない。

 但し単発的な事態に収めることができる、攻撃とは言えないアメリカ艦船に対する挑発行為は可能性としては否定できない。この場合にしても、集団的自衛権の範囲外となる。

 こうして見てくると、個別的自衛権に関わる日本と北朝鮮、あるいは中国との国対国の戦争は想定できても、集団的自衛権に関わる国対国の戦争は想定不可能に置かなければならない。北朝鮮、あるいは中国がアメリカを攻撃する場合、同時併行、あるいは先行する形でアメリカ軍の基地のある日本を攻撃するだろうから、日本に対する攻撃となって、反撃は個別的自衛権の性格を持つ。

 日本周辺以外に関しては戦争の性格が変わったことを考慮しなければならない。

 中東やアフリカの軍事紛争に関しては欧米各国は第2次大戦以後のアメリカがそうであるように一度も自国を戦場としていない。自国の軍隊を外国に派遣して戦争をする形、あるいは紛争処理のための軍事行動を取る形となっている。

 このような戦争、あるいは軍事行動に日本の自衛隊が後方支援という名目で参加する。安倍晋三及びその政権は後方支援を単に弾薬や燃料・食糧、さらに兵員等の補給に関わる輸送活動のみで、敵部隊から攻撃を受けた場合は活動を一時停止、あるいは撤退すると主張して、リスクを伴わない活動だとしているが、同盟関係にある、あるいは安全保障協力関係にある味方部隊が軍事行動を継続する目的に寄与する物資・兵員の補給は武力支援の意味を持つことになり、後方支援部隊が直接的に攻撃に加担しなくても、支援される側は補給された軍事物資で戦争、もしくは戦闘を継続させるのだから、武力行使一体化の側面を持つことになる。
 
 少なくとも敵部隊側は後方支援部隊が提供した武器、その他で相手勢力が戦争、あるいは戦闘を継続していることになって、否応もなしに武力行使一体化と見るはずだ。

 当然、日本も後方支援を行うことで戦闘、もしくは戦争している後方支援対象国に対して間接的に戦闘、もしくは戦争に参加していることになる。

 日本国憲法が国際紛争を解決する手段として国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使を永久に放棄し、国の交戦権は認めないと規定していることを破って、例え自国を戦場にする戦争をしなくても、外国の地で戦争、あるいは戦闘に間接的にであっても、参加していることになる以上 戦争法案だと断罪せざるを得ない。

 どこがレッテル貼りだと言うのだろうか。

 間接的な参加が予期しない不測の事態が生じて直接的な軍事行動に変じない保証はどこにもない。

 徴兵制に関しては、国家権力が〈「国を愛する心があれば、国の徴兵制に基づいた兵役を奴隷的拘束と受け止める日本人は存在するだろうか。そのような兵役を苦役と感じ取る日本人がいるだろうか。兵役を奴隷的拘束とし、苦役とする者は国を愛する心を持たない日本人だ」といった論理を巧妙に展開して、集団的自衛権行使憲法解釈容認は日本を取り巻く安全保障環境の急激な変化を口実としたが、愛国心を口実にして18条の解釈は変え得る。〉と、以前ブログに書いた。 

 改憲しない以上永久不変であるべき平和憲法の象徴たる憲法9条を解釈で変えて、その永久不変性を取り上げ、集団的自衛権の行使を可能にしたのである。であるなら、尚更に18条の永久不変性は保証の限りではないことになる。「徴兵制になる」と警告を発していることに関してどこがレッテル貼りだと批判することができるだろうか。

 批判できるのは頭の悪い安倍晋三だけである。

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