菅首相のぶら下がり拒絶症と自己顕示欲の相反する状況が示すもの

2011-04-06 09:46:12 | Weblog



 菅首相が最近ぶら下がり拒絶症にすっかり陥っている。《枝野官房長官の会見全文〈5日午後〉》asahi.com/2011年4月5日20時34分)

 【首相のぶらさがり】

 記者「総理のぶら下がりについて。長官はやらない理由について、平時よりも判断することが多いとしているが、総理は昨日も20時前に公邸に戻っている。理由としてそぐわないのではないか。政府が国家的な危機を唱える一方で、トップが国民に説明しない理由はどういうことなのか」

 枝野官房長官「国民に可能な限り、直接総理から発信すべきことは発信することが必要であるということは、総理室のほうにも私からも申しあげている。なお、官邸におるか、公邸におるかで、ある種の部分の仕事は官邸でないとできない、事務方の相談など、その他については官邸でやることが合理的であると思うし、私もそうしているが、じゃあ公邸に帰ったから仕事してないかといえば、必ずしもそうではないことは皆さんも承知かと思う」

 枝野は詭弁家らしく相変わらず詭弁の才能を発揮している。記者は確かに首相が公邸に早い時間に戻っていたのだから、記者会見に応じる時間があったのではないかと言っているが、主眼はあくまでも国民への説明を要求しているのである。

 対して枝野は発信の必要性を私からも申し上げていると言ったのみで、国民への説明を避けている理由には直接答えずに、公邸でも仕事をしているを理由に、それを以て記者会見に応じない答とする誤魔化しを働いている。

 ぶら下がりはさして時間を必要とするわけではあるまい。これでは説明責任を避けている理由に関していつまでも答を見い出せないことになる。

 菅首相は自己顕示欲の強い政治家の内に入る。この自己顕示欲は2010年6月に総理大臣に就任したとき象徴的な発揮を示した。「自分は普通のサラリーマンの息子だ」とそこに他者とは違う自己の優越性を置いて、盛んに宣伝した。

 このことは従来の総理大臣が金持の息子であったり、議員二世であったりの一種のエリートであり、議員になるにも総理になるにも有利な出自にあったことと比較して不利な出自を乗り超えたことの自己顕示であったはずだ。

 首相になった政治家としては今までに例がないこととして自身を市民運動家出身だ、元市民派だと自己を特殊化することにも現れている自己顕示でもあるはずだ。

 既に何度かブログに書いてきたことだが、重要なことは過去ではなく、総理大臣として現在から将来に向けて何を成していくかの成果であって、そこに自己顕示の対象を置くべきを単に過去の経歴に置いている。

 その経歴が何か成果を挙げたとしても、市民運動家としての成果であって、そのことが総理大臣としての成果の保証となるわけでなく、お互いに異なる状況下の成果となるはずだ。

 市民運動家の成果と総理大臣の成果を一致させることができるなら、市民運動家は総理大臣になる理由を失う。

 立場も違う、置かれている状況も違う、行うべき任務も使命も違うのだから当然ではあるが、総理大臣の成果によって計られるべき評価を懸命に過去から持ち出し、他との違いを言う。その違いを自己の優越性の根拠とし、自己顕示の材料とする。

 如何に合理的判断能力を欠いているかの証拠となり得る典型的な例であって、この欠点は一国のリーダとして致命的だが、本人にとっては知らぬが仏の柳に風で、優秀な総理大臣だと勘違いしている。

 福島原発事故発生後、笹森清内閣特別顧問と会談して、「僕はものすごく原子力(分野)は強いんだ」と発言したことも自分を自慢する自己顕示に入る。

 「僕はものすごく原子力(分野)は強いんだ」と誇っているその優秀な知識が事故の収束に役立つなら自己顕示から外れて、それ相応の才能の自己提示ともなり得るが、震災以後原子力の専門家である大学教授等を次々と6人も内閣官房参与に任命したのは「僕はものすごく原子力(分野)は強いんだ」の自己顕示を裏切る他者依存であろう。

 自己顕示ばかりが強くて実際が伴わないことからの、それを埋め合わせる他者依存なのかもしれない。

 かくかように自己顕示が強いのだから、また前々から自分から自己発信力の不足を訴えていたことを併せ考えると、盛んにぶら下がりに応じて自己顕示をベースとした自己発信力の発揮に務め、自らの自己顕示欲を満足させてもよさそうなものだが、自己顕示と自己発信力発揮の折角のチャンスであるぶら下がりに拒絶症に遭っている。

 それもこれもこれまでの自身を優秀だとする自己顕示に反して周囲からそれ相応の評価を受けていないことからの本人の意に反する、大きすぎる落差が仕向けている拒絶症であるはずだ。

 万が一間違って評価を受けていたなら、記者会見に快く応じ、自ら率先して自己顕示に磨きをかけ、自己発信に務めていただろう。

 首相として成すべき事柄の成果が評価を表し、それを以って自己顕示の対象とすべきだということに気づかずに、既に過去の事象となった自身の社会的な出自や個人的な出自を自己顕示のネタとし、自ら評価する勘違いに侵され、現在も侵されている。

 かくまでも合理的判断力を欠いている。合理的判断力の欠如を資質としている場合、当然の結果として指導力、リーダーシップの欠如を資質とすることになる。的確に判断できない才能に指導力、リーダーシップは備わりようがないのはわざわざ断るまでもない。

 《被災地支援、走る経団連 震災3日後には6県と連絡態勢》asahi.com/2011年4月6日0時18分)

 日本経団連が東日本大震災の復旧支援に前向きな企業と被災地の橋渡し役として動いているという。

 企業も自治体も物資支援に早くから動いた。だが、道路、港湾、空港等の各施設の復旧を待たない、復旧と併行させたヘリコプター等の機動力を利用した臨機応変の危機対応という発想がなく、物資支援に混乱と遅滞を生じせしめた。

 市民運動家出身、元市民派を自己顕示の対象とするなら、被災した市民の不安・困窮を心痛めてよさそうなものだし、それが心底からの心痛なら、被災市民の不安と困窮を早い時期から少しでも取り除く何らかのアイデアを生みはずだが、実態はそうはなっていなかった。

 このことの何よりの証明が次ぎの言葉である。

 米倉弘昌会長「企業は支援の準備ができているが、政府に司令塔が欠けていて物資が届けられない」

 記事を紹介する。(4月)〈5日午後、都内のホールに大企業の社員ら250人が集まった。小中学生や幼児らに学用品を送る「うるうるパック」5千個の荷造りボランティアとして、経団連が参加を呼びかけた。会員企業が提供した文具類に、ボランティアの手書きのメッセージを同封した。8日に宮城県女川町の小中学校に届ける予定だ。

 経団連は震災発生3日後に対策本部を設置。東北6県の知事と直接連絡できる態勢を整えた。不足している物資を聞き取り、会員企業に協力を要請。八戸港にチャーター船を出して生活用品や家畜飼料を運んだり、秋田行きの定期航空便で乾電池や食用油を届けたりした。4日からは電子レンジや調理器具、避難所で使う仕切り板などを募集。トレーラーで岩手・宮城両県に送る計画だ。 〉――

 誰が司令塔なのかは菅首相は認識しているはずだ。自己顕示慾を満たすためには司令塔として機敏な頭脳的フットワークと指示で危機対応に動き、誇るべき成果を挙げることが条件となリ、自己顕示発揮の場として記者会見は有効な機会となり得る。

 だが、逆にぶら下がりから逃げる拒絶症を見せ、ぶら下がりを自己顕示欲発揮の機会とすることができていないということは、既にこのこと自体に答が出ている。

 我々国民は不幸にも情けないリーダーに遭遇したものである。今回の地震と津波の被災者にとって、二重の不幸となっていないだろうか。


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