昨4月9日朝、日テレで「ウェークアップ!ぷらす」を視た。福島原発事故のコーナーでの遣り取りの場面は原子力行政がかなりいい加減な体制、無責任体制となっていることを浮き彫りにした。出演者の見解にもよるのだろうが、その無責任体制について考えてみることにした。
番組では「原子力」と名のつく三つの組織を挙げていた。原子力委員会、原子力安全委員会、経産相所管の原子力安全・保安院。
先ず原子力委員会――
1956年設置
首相が任命した専門家5人で構成
原子力利用の研究、開発などの政策を審議し、利用を推進する内閣府の委員会
秋庭悦子原子力委員会委員(泣きながら)「安全確保を前提にとは言え、原子力を推進してきた者として、大変申し訳なく思っています」
次に原子力安全委員会――
内閣府の委員会
首相が任命した専門家5人で構成
1974年に起きた原子力船「むつ」の放射能漏れ事故をキッカケに組織されたもので、国民の不信感が高まり、安全・規制を目的に原子力委員会から切り離して設置、安全・規制を責務とする規制派と言われている。
その“安全の番人”が姿を見せたのは事故発生から12日後。その委員長の記者会見。
斑目春樹原子力安全委員会委員長「基本的には助言組織でございますので――」
斑目春樹原子力安全委員会委員長「枝野官房長官、勿論、菅総理もそうですが、の記者会見の、内容というものの、に対する助言ということで、黒衣役に徹してございました――」
助言組織ではあるが、黒衣役だと。
この場合の「黒衣役」とは陰で支える存在という意味で使っているはずだ。いわば表に出ない存在だと自分たちを位置づけている。しかも首相や官房長官が原子力に関して国民向けメッセージを発する際、間違いがないように、あるいは分かり易く説明できるように陰から助言することを主たる役目だと言っている。
暗に原子力発電所等の事故には直接関係しないと言っているのだろう。
原子力安全・保安院――
原子力施設の建設や運転などの認可権を持つ
現場の運転指導や安全規制なども行う・・・
参考のためにインターネットからそれぞれの役割の説明を拾ってみた。
《我が国の原子力行政体制》
我が国の原子力の研究、開発及び利用は、昭和31年以来、原子力基本法に基づき、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に自主的に推進されてきている。原子力委員会及び原子力安全委員会はこのことを担保するために設けられた機関で、現在は内閣府に置かれている。
原子力委員会は、原子力の研究、開発及び利用に関する政策に関すること等について企画し、審議し、及び決定することを担当している。
原子力安全委員会は、原子力の研究、開発及び利用に関する政策のうち、安全の確保のための規制に関すること等について企画し、審議し、及び決定することを担当している。
経済産業省は、資源エネルギー庁においてプルサーマルの実施や高レベル放射性廃棄物の処分等、原子力発電や核燃料サイクル産業に関する政策を担当する一方、原子力安全・保安院において発電用原子炉、核燃料サイクル施設、電気事業者等による放射性廃棄物の処分事業等に関する安全規制等を担当している。
「原子力安全委員会は、原子力の研究、開発及び利用に関する政策のうち、安全の確保のための規制に関すること等について企画し、審議し、及び決定することを担当している」と書いてある。いわば安全確保策の構築を役割としている。原子力の安全を担保する役割と言い換えることもできる。
それを助言組織だ、政府高官の記者会見の助言のための黒衣役だと自分たちを位置づける。ここまで責任逃れに走る。
松原順子元原子力安全委員会委員長代理「今のシステムじゃあ、あんなことしかできないって言う。一次情報を握るのは現場でしょ。現場から保安院にいくわけでしょ。今度は保安院から、安全委員会にいくのに、また一つ、あの、情報が伝達する時間がね、あの、かかりますよね。
そういう二つの施設があるために時間がかかるから、一本化した方がいいと思います」
現場から保安院、保安院から原子力安全委員会というルートを取らずに、現場から保安院と同時に原子力安全委員会に対しても情報伝達する組織構成とすれば、一本化しなくても済むはずだ。ブレーキ役の原子力安全委員会と現場の運転指導や安全規制を行うものの、原子力施設の建設や運転などの認可権を持つ、いわばアクセル役をも担う原子力安全・保安院とを一本化するわけにはいかないのではないだろうか。
ここで中部大学教授で、原子力委員会、原子力安全委員会専門委員、“安全な原発”の推進派、今回の原発事故は認可した原子力安全・保安院に責任があると指摘しているとフリップに書いてある武田邦彦氏が登場。あくまでも個人的印象だが、何となく調子男に見える。
武田教授「これは原子力委員会と原子力安全委員会が推進と規制を担当する。これは各国、先進国そうです」
辛坊治郎司会者「アクセルとブレーキと言うことですね」
武田教授「そうです。ただ、長くなったので、1980年代から、私の感じではですね、機能を失うような状態でした」
内閣府原子力委員会と内閣府原子力安全委員会の各委員を務めていながら、1980年代から機能喪失の組織となっていたと言う。
辛坊治郎司会者「ブレーキが機能を失っていた」
武田教授「それはですね、大学の先生が委員長に座って、周りに委員がいる。それを官僚がガチッと囲んで身動きが取れない。
身動きが取れないときに、もしそれが機能するならですね、その泣き言言っていてはダメですね。保安院から物が来ない。私も原子力委員会、安全委員会やっているときに、誰も、全然出てこないですよ。
原発の事故はね、我々には新聞しか見れない状態だったんです。情報がブロックするから。この安全委員、(言い換えてだろう)保安院がブロックするから」
辛坊治郎司会者「原子力安全・保安院から情報が上がってこないということですか」
武田教授「そうそう。そういう状態なんで、しょうがないんですよなんて言っているから、ダメなんです」
情報が上がってこない、原発事故が起きても、その情報は新聞でしか知ることができない。情報を上げない原子力安全・保安院も問題だが、それでよしとしてきた原子力委員会も原子力安全委員会も問題となり、双方の委員を務めている武田教授も問題となるが、その点には触れていない。何となく調子男に見える所以である。
だとしても、色々な事実を見ることができるかもしれない。
辛坊治郎司会者「さっき安全委員会のコメントで他にもありましたね。会見で驚いたのは、『どんな形で処理できるか知識を持ち合わせていないので指導して欲しい』って言っている」
武田教授「そうですよ」
辛坊治郎司会者「メチャクチャですね、これ」
東電共々事故処理の知識・危機管理対応知識を満足に持ち合わせていないから、アメリカに頼ったりフランスに頼ったりしている。
武田教授「私がね、ずうっと10年間くらいやっているとき、一回も(情報が)来ませんでしたから。だからね、だけどもね、それは安全委員会の方に問題があるんですよ。やっぱり自分たちは国民を代表して原子力の安全を守るという強い意識を持ってステートメントを出したらいいんでね、それを、いいや、いいやってなっちゃったのはね、現実的には官僚にガチッと押さえられてね、動きが取れないんですよ。そういう状態だったから、実際には国民を守るシステムには実際にはなってなかった」
辛坊治郎司会者「(苦笑しながら)なかった」
武田教授「ハイ」
武田教授は官僚にガチッと押さえられれていた一人だった。
高橋千太郎京都大学大学院教授(放射線管理学)「そうですね。今武田先生おっしゃられた原子力委員会、推進、原子力安全委員会、推進で、実際の許認可権を持つのが、原子力安全・保安院と。まあ、体制がですね。平常時には、まあ、推進側?ある程度のその規制を作っていく、安全側。
それを実際に行政としてやるという、まあ、三者がうまく動いておりましたけれども、ま、今回のような緊急状態ではですね、まあ、その間のですね、情報の伝達が悪いと、いうことは露呈されてしまったと――」
武田教授が言う原子力安全・保安院から一度も情報が上がってこないが事実とすると、高橋京大教授の示唆している、平常時には情報伝達がうまくいっていたというのは矛盾することになる。
武田教授「私はね、日本の原発は全部悪いですね。それは、あの、昨日の余震でも分かったように、まあ、色々言い訳あるけれども今まで震度6、もしくは5クラスの地震が来たのは柏崎刈羽。
これは壊れましたね。それから福島原発。昨日の余震ですね。え、東通りなんて、震度5なんですから。それでね、電源を二つ失うなんていうことは何を意味していると言うと、日本の原発は国民から見て、安全かどうか見る組織だとか考え方を持っているところはないんですよ。
ですから、勝手にただ造っている。保安院がテレビで謝らないのは非常によく分からないね。保安院は今度事故が起こったって、自分たちが悪いんじゃないという自負なんですよ。
保安院というのは東電から出てくるものをただ法律に合っているかただ見るだけで、遠くから見て、津波が来たんじゃないんですかとか、ディーゼル発電機、ここにあったら、水かぶっちゃうんじゃないですかなんてことは一切言わないんですよ。
と言うことは、何を言ってるかって言うと、国民から見たら、これは危ないよという、ことはここにはないんですよね」
保安院の責任者が出てきて、記者会見で何ら説明していないことに関して――
武田教授「悪いとは思っていませんから、全然。事故が起こったって、自分たちは法律はちゃんと守って、監視はしてきたんだからいいんだろう、事故と監視とは違うんだと、監視しさえすれば、事故が起こったっていい。こういう概念が問題なんですね」
武田教授は盛んに原子力安全・保安院悪者説を振り回しているが、その妥当性である。原子力安全・保安院が原子力施設の建設や運転などの認可権を持つと同時に名称から言って、原子力の保安(安全を保つ)を役目としている以上、危機管理も役目としていたはずである。
それが東電に於ける危機管理共々機能しなかった。保安院が悪者ではないとは言えないことになる。
原子力安全・保安院が「これまでの対策は不十分だった」と不備を認め、非常用の発電機を始めとした安全対策を見直す必要があるという認識を示したと、《保安院 安全対策の不備認める》(NHK/2011年4月9日 16時30分)が伝えている。
武田教授が言っていた、7日の夜の震度5の余震で電源を失ったこと、外部電源の復旧後に非常用の発電機がすべて動かなくなったことに関することとして、9日の記者会見の発言を伝えている。
西山英彦原子力安全・保安院審議官「対策は不十分だった。多重防護があって絶対に大丈夫だと私も信じてやってきたが、今回の経験を踏まえて、これまでの規定にとらわれず安全対策の見直しを進める必要がある」
「絶対に大丈夫だ」とか「絶対安全だ」は往々にして事故が起きるまでのまじないに過ぎないという警戒心がないから、「絶対に大丈夫だと私も信じてやってきた」などと言える。いわば危機管理意識を欠いていた。
記事は原子力安全・保安院が東通り原発で非常用の発電機が一時、すべて動かなくなった事態を受けて原子炉の停止中は1台でよかった稼働できる発電機の数を運転中と同じ2台以上確保するよう電力各社に指示したと書いているが、福島原発事故を受け他あと、早々に他の原発に対して先付けとしていなければならなかった危機管理に反して後付けの措置でしかないことにも危機管理欠如が現れている。
「対策は不十分だった」の反省は早いとこ不備を認めておいた方が責任は軽くなるかもしれないといった計算が働いた発言かもしれない。
原子力安全・保安院の罪が重いとしても、原子力委員会、原子力安全委員会、原子力安全・保安院の三者は原子力行政を担っている以上、緊密に連携し合う関係になっていなければならなかった。
だが、そうはなっていなかったということは保安院だけではなく、他の二つの組織も割り当てられた役割を果たす組織として機能していなかったということであろう。
機能していなかったことの検証と総括が必要であるのに責任回避を先に持ってきている。
三者共組織として機能していなかったと言うことは機能させることができていなかった政治の責任も検証しなければならないことになる。原子力委員会と原子力安全委員会は内閣府に置かれた組織で5人の専門家は首相の任命であり、原子力安全・保安院は経産省の所管である。
原子力行政に関して政治が機能していなかった。当然、菅首相の責任は重い。武田教授が言っているように原子力委員会も原子力安全委員会も大学教授等の委員たちが「官僚がガチッと囲んで身動きが取れない」状況に事実あるとしたら、菅首相の政治主導まで怪しくなる。
民主党は「民主党政策集INDEX2009」で、「安全を最優先した原子力行政」と題して、〈過去の原子力発電所事故を重く受けとめ、原子力に対する国民の信頼回復に努めます。原子力関連事業の安全確保に最優先で取り組みます。万一に備えた防災体制と実効性のある安全検査体制の確立に向け、現行制度を抜本的に見直します。安全チェック機能の強化のため、国家行政組織法第3条による独立性の高い原子力安全規制委員会を創設するとともに、住民の安全確保に関して国が責任を持って取り組む体制を確立します。また、原子力発電所の経年劣化対策などのあり方について議論を深めます。〉と謳っている。
このことはテレビや新聞で言っている、原子力エネルギーを推進する経産省に安全・保安を役目とする原子力安全・保安院が所属していることの矛盾状況の見直しを言っているはずだ。
だが、手をつけるところまでいかなかった。このことも政治の責任であり、何よりも菅政府の責任であろう。
基本的には主として保安院から発した今回の福島原発事故ではなく、政治の機能不全から発した今回の福島原発事故と見るべきではないだろうか。