菅首相の陸前高田市視察/映像情報時代にふさわしい視察方式なのか

2011-04-03 10:37:21 | Weblog



 昨4月2日(2011年)、菅首相が上空からではない、直接足を踏み入れる形で初めて被災地入りした。NHKのニュースで見ていたが、相変わらず両手をやや開き加減に拳を握り、胸を張って軍人風な、自分を偉そうに見せる歩き方をしていた。ポーズでわざわざ自分を偉そうに見せなければならないということは実質はその反対であることの無意識的な要請によるものであろう。

 次ぎの記事から菅首相の被災地視察の発言等を窺ってみる。《「想像超えた実感」「復興しよう」被災地訪問の菅首相》asahi.com/2011年4月3日0時25分)

 記事に付いている2枚の写真のうちの上に掲げた1枚は被災地でマイクロバスの窓から外の様子を見る菅首相を写したもので、カメラを意識してのことだろうと思うが、殊更に口をぎゅっと結んだ真剣な表情を見せている。かなり意識を口許に集中しなければできない口の結び方で、意識を集中した分、真剣な表情をつくるための演技だと簡単に見て取ることができる、何となく安っぽい顔づくりとなっている。

 記事の写真には「無断転載・複製を禁じます」書いてあるから、無断転載しておくが、カメラに向いている顔の方向と対象物を把える目の向きがずれているということも、それが意識的演技であることの証明となっている。器用と言えば器用と言える顔の演技だが、真剣さを演技で見せなければならないということもやはり内心に抱える真剣さの不在を補う演技による真剣さの演出なのだろう。きっと政治史に残る貴重な写真となるに違いない。

 視察スケジュールは岩手県陸前高田市のみで、自衛隊ヘリで到着後、迎えのマイクロバスで市街地を視察。瓦礫の山と化した被災地を目の当たりにしての感想。

 菅首相「現地を見て、想像を超えた実感が伝わってきた。津波の力はこんなにすごいのか」

 何となくわざとらしく聞こえるが、記事は〈自らに言い聞かせるように周囲に漏らしていたという。〉と書いている。

 自らに言い聞かせた言葉だろうがなかろうが、これで菅首相が現地を見なければ「想像を超えた実感」を感じ取れないお粗末な感受性の持主だと分かる。一般的な感受性からしたら、これでもかこれでもかとテレビ局などが流していた映像等で、こんなにも恐ろしいのか、こんなにも凄い力を持っているのかと津波の何もかもを呑み尽くしていく、「想像を超えた」無差別的な凄さ・恐ろしさを感じ取り、被害後の現地を訪れる機会があったなら、その被害状況を自らの目で直接見て改めて津波の「想像を超えた」凄さ・恐ろしさを再認識するプロセスを踏むものだが、菅首相はテレビでニュースを見ていたのかどうか、前段の感受性の手続きを欠いている。

 2004年のスマトラ沖地震でも津波が逃げ惑う住民を次々と襲っていく「想像を超えた」シーンを映像で盛んに流した。その津波はタイ、インド、スリランカ、その他の国々を襲っている。「Wikipedia」によると、インドネシアの死者は131029人、スリランカ35322人、インド12407人。

 一国の指導者なら、何もかもを呑み尽くしていく今回の大津波を受けてスマトラ沖地震の津波を思い起こし、その「想像を超えた」恐ろしさ・凄さ、無慈悲さを再認識していただろうし、菅首相が陸前高田市を視察する時点で今回の津波で既に死者は1万人を超えていたのだから、津波が持つ人間の「想像を超えた」恐ろしさ・凄さを前以て再認識していた上での視察でなければならなかった。

 だが、菅首相の「現地を見て、想像を超えた実感が伝わってきた。津波の力はこんなにすごいのか」の言葉には単純ストレートな驚きの表現を窺うことはできるが、これさえも演技に見えてしまうが、前以て再認識していた上での再々認識の深みがない。

 一国の指導者の感受性は単純ストレートのみであってはならないはずだ。

 菅首相は陸前高田市のシンボルとなっている景勝地、白砂青松の浜、「高田松原」を訪れている。テレビの映像では殆んどの松が地面から1メートル前後のところで斜めに裂け折れ、浜の砂地は乾いた土で一面白っぽい色で覆われて(テレビではそのように見えた。)、荒涼とした風景をつくっていた。

 記事は約7万本の松の大半が津波に流されたと書いている。

 〈首相は視察中、目の前に1本だけ残された松の木を見つけ、笑顔を見せながら「復興しようよ」。同行した戸羽太市長ら地元関係者にそう声をかけた。〉――

 復興は当たり前のことである。次の場面として待ち構えている。要は住民の生活を経済的にも精神的にも安定させる状態での復興であろう。このような条件を待ち構えている次なる復興の場面にはめ込む具体化に対する覚悟が「復興しようよ」の一言から見えないのは色眼鏡をかけているからだろうか。

 他の記事によると、避難所となっている陸前高田市立米崎小学校を訪問、被災者を励まし、被災者の声を聞いたそうだが、約20分間の訪問だという。

 視察というものの、陸前高田市のみのこのような訪問で被災の実態に関わる情報をどれ程に収集できたというのだろうか。

 すべての被災地の余すところのない被災情報を把握し、統一的・体系的な全体像へとつくり替えて、そこから被災地と被災状況の全体を見渡した復興計画を立てるには陸前高田市のみの訪問では不十分な情報収集であるはずだ。

 勿論閣僚や関係官僚、各専門家が全体的な被災情報を既に把握していて、統一的、且つ体系的な復興計画の作成にかかっていると言うだろうが、リーダーが被災の全体像を情報として把握していなければ、言いなりになるか他人任せになるかして指導力は発揮できない。

 もし復興がそういった構造を取るとしたら、菅首相の視察は意味のないパフォーマンスだったことを暴露するのみとなる。事実そのとおりなのは先刻承知のことではある。

 被災地以外の地域に住む日本人の多くは主としてテレビの映像を通して各地の被災状況を目の当たりにした。津波の「想像を超えた」無差別的、且つ無慈悲な恐ろしさ・凄さにしても、かなり大型の漁船や多くの車はもとより、家まで押し流しがなら、刻々と街を飲みつくしていく映像シーンで実感すると共に、死者にしても阪神淡路大震災の6千人余の倍近くにも達し、行方不明者と合わせると2万8000人を超えている人数からも実感した。

 映像はテレビだけではなく、インターネットでも視聴できる時代となっているインターネットではスマトラ沖地震のときの津波を今でも視聴できる。映像から、どれ程に多くの情報、多くの事実を日々実感しているか、その量は測り知れない。

 だが、多くは与えられる映像情報を個々に受け止めるのみで、提供される情報量の膨大さと余りにも早い情報の変化についていくことが大変という理由もあるが、私もその一人で、統一的・体系的に整理して全体的に把握し、全体から個々の情報、個々の事実を全体との関連で把握し直し、俯瞰する情報解釈にまでなかなか進んでいかない状況にある。

 しかしこういった状況は個人には許されるとしても、国を治める政治家には許されないはずだ。

 折角の映像情報の時代であるのだから、被災の全体像を統一的・体系的な情報として短時間に把握し、その情報を参考材料として復興計画に実態的に指導力を発揮するためにも、一国のリーダーは一箇所や二箇所の視察による情報収集に代えて、映像情報を利用してすべての被災地の情報に触れる情報収集を行うべきではないだろうか。

 この方法は首相官邸に閉じ篭ることになって国民の目に触れることが目的のパフォーマンスに反することになるが、指導力を発揮する契機とはなるはずである。

 例えばテレビ局がこれまで流した映像を編集して全体的な情報に整理し直すのも一つの手であるし、新たに映像を作るとしても、自治体の各首長は勿論、すべての被災地の避難場所やその他で生活するより多くの被災者をキャプションで実名を記して登場させ、その声をビデオレターの形式で国民の声として伝えさせ、国民の側の情報とする。

 あるいは上記記事が陸前高田市のシンボルとなっていた白砂青松の景勝地「高田松原」の全滅を伝えていたが、津波被害に遭う前の「高田松原」や街の全景、港の様子等の映像を加えて比較対照させることによって、被害の全体像、被害のより詳しい実態をより正確に知る情報ともなり得る。

 時には首相官邸と現在の被災状況を映す被災地とを結ぶ同時中継を行い、テレビの中継のように中継地点の登場人物とスタジオのアナウンサーが話をするように首相と被災地の主張なり、一般的な被災者の声なりと直接的に双方向の情報交換を行うことも物資支援に向けた、あるいは復興過程に於ける有効な情報収集となるはずだ。

 この双方向の情報交換は被災して施設が損傷し、復旧に向けて努力している油槽所や港湾関係者等にまで広げて行うのも、効果的な情報収集となるはずだ。

 少なくとも節目節目に首相官邸で行う国民向けメッセージの一方通行で終わる情報伝達よりも役立つ双方向性の情報伝達と確実に言える。

 こういった映像情報を駆使した、形式を変えた“視察”こそがパフォーマンスとすることを回避させる手立てとなると同時に、これからの時代の国民の声をより緻密に聞くことになる情報収集となり、そのように収集した情報を統一的・体系的な全体像につくり替えることで国民の声をより広範囲に代弁できる政治手法の確立に向かうことになると思うが、どうだろうか。


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