菅首相と岡田幹事長の統一選惨敗責任回避は菅執行部のDNAと文化なのか

2011-04-11 09:08:52 | Weblog

 

 今回の統一地方選で仮免許与党民主党が結構毛だらけ、ネコ灰だらけの大惨敗を喫した。NHK記事から敗北を伝える記事題名だけを挙げて見る。いずれも4月11日付。

 対決型の3知事選 民主が全敗

 統一地方選前半戦 民主が大敗

 道府県議選 民主が選挙前下回る

 民主 道府県議会で第1党なし――

 この惨敗に選挙責任者岡田民主党幹事長はいたく責任を感じているはずだ。

 岡田幹事長「有権者の判断を真摯(しんし)に受け止め、党勢を立て直すために努力しなければならない。ただ地方の選挙なので、政権への批判だとは受け止めていない」NHK

 例え地方の選挙だとしても、中央の政権担当能力、政権運営状況を反映し、その影響を受ける。当初、首相のあまりの不人気、あまりの支持率低迷を嫌って、地方民主党議員は菅隠しを願い、菅隠しの行動に出た。初期の菅顔なし統一選ポスターはそのような地方の状況を受けた措置だったはずだ。あとから党首の顔がないポスター、首相の顔のないポスターではダメだと、顔刷りポスターを配布することになったが、どれ程の人数が菅顔入りポスターを張っただろうか。

 内閣支持率低迷も菅顔隠しポスターも、配布された顔入りポスターを張らないことも国民にとっての菅首相の不在を象徴している。中央と地方の菅不在の相互反映としてあった顔なし統一選ポスターであり、顔入りポスターのお蔵入りだったはずだ。

 この場合の不在とはそこにいないということではなく、存在感を示し得ていない状況を言うはずである。いないも同然だということであろう。

 当然、菅仮免許首相には政治的に存在感を示すことができていない責任が付き纏うことになる。

 菅首相が就任半年を、「これまでは仮免許だった」と言ったこと自体が、自らの存在感を自ら否定する言葉だった。

 岡田幹事長「震災で政府・与党はそちらに重点を置かざるを得なかった。選挙運動も自制したものとなり、知名度に劣る新人には厳しかった」YOMIURI ONLINE

 これも薄汚いこじつけ、牽強付会に過ぎない。

 震災前からの春の統一選民主党敗北は予想されていた。このことを以って菅内閣4月危機説が囁かれていた。予算関連法案が通るか通らないかで3月危機説、統一選敗北で4月危機説・・・。

 震災によって政治休戦状態となり、却って菅首相を命拾いさせた面がある。

 それぞれの危機は菅首相自らが招いた。その指導力欠如、判断能力欠如、統治能力欠如、政権運営能力欠如、与党としての主体性の欠如、発言のブレ等々が招いた。

 その反映として表に現れた成果が今回の統一選敗北である。

 菅首相の政治能力がつくり出した統一選敗北であり、また菅首相が民主党統一地方選挙対策本部の本部長を務めていた以上、さらに岡田幹事長が選対本部長代行を務めて実質的に選挙を指揮していた以上、政治的存在性欠如の責任と共に党組織拡大の面でも菅首相ばかりか、岡田幹事長にしても責任を取らなければならないはずだ。

 しかし菅首相は昨年の参院選大敗北で一度責任を何ら取っていなかった。今回も取らなかったとしたら、責任回避は菅内閣のDNAとしてあるものであり、文化として生きづいている責任構造なのだろう。




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