原子力安全神話無誤謬性に見る危機管理欠如と響き合わせた日本民族優越意識

2011-04-08 10:17:17 | Weblog



 6日の衆院経済産業委員会で次のような遣り取りがあったと、《電源喪失、認識の甘さ陳謝 保安院・安全委トップら》asahi.com/2011年4月7日0時25) が伝えている

 内容は東京電力福島第一原子力発電所で深刻なトラブルを招いた、非常用を含めた電源喪失事故を「想定外」としていた過去の認識について陳謝したというものである。

 要するに電源喪失のケースは原子力発電所に於ける危機管理には入れていなかった。要するに電源喪失という最悪の事態は想定していなかった。「想定外」としていた。

 危機管理とはすべての作業経路に亘って、あるいはすべての装置に関してありとあらゆる最悪の事故発生・最悪の事態発生を想定して、想定した事故・事態の解決に向けたその対処方法を秩序づけて講じておくことを言うはずだ。

 だが、想定していなかったから、対処方法の構築場面にまで至っていなかった。危機管理上の項目外としていた。このことは昨年5月の衆院経済産業委員会での原子力安全・保安院の寺坂信昭院長の答弁が示していた。

 寺坂信昭院長「(電源喪失は)あり得ないだろうというぐらいまでの安全設計はしている」

 一見、機器に対して絶対信頼を置いているように見えるが、それ以上に絶対的な安全設計を可能とした自分達の頭脳に対する絶対的信頼を示す発言であろう。

 ここには自分たちに対する優越意識がある。優越意識は常に無誤謬性と響き合わせていて、問題は個人的なものか、日本人全体性に置いている優越性かである・

 寺坂信昭院長のこの過去の答弁に向けた吉井英勝衆院議員(共産)の追及に対する寺坂信昭院長以下の関係者の答弁。

 寺坂信昭院長「当時の認識について甘さがあったことは深く反省をしている」

 班目春樹・原子力安全委員長(これまでの法廷証言などで電源喪失の可能性を否定してきている)「事故を深く反省し、二度とこのようなことが起こらないようにしたい」

 鈴木篤之前原子力安全委員長(現・日本原子力研究開発機構理事長)(電源喪失の可能性に関して同様の見解を述べてきた)「国民の皆様に大変申し訳ないと思っている。痛恨の極み。(電源喪失の事態に備えてこなかったことは)正しくなかった」

 例え「あり得ないだろうというぐらいまでの安全設計はしてい」たとしても、万が一を想定して対応策を講じておくのが危機管理でありながら、安全設計意識に胡坐をかき、それ以上に自分達の頭脳に信頼を置き、いわば無誤謬だとする優越意識に侵されて危機管理を怠った。

 この吉井共産党衆院議員の追及と各答弁を《発事故集中審議 吉井議員質問 保安院長「認識甘く深く反省」 経産相「(「想定外」は)使うべきでない」》「しんぶん赤旗」/2011年4月7日(木))が伝えている。(一部抜粋引用)

 〈吉井氏は昨年5月26日の同委員会で、地震や津波による「電源喪失」が招く炉心溶融の危険性を指摘。これに対し経済産業省原子力安全・保安院の寺坂信昭院長は「論理的には考えうる」と述べ、現実には起こらないと答弁していました。〉と「電源喪失」を現実世界の出来事としては想定外としていた経緯を説明した上で――

 吉井議員「“理論的な話”ではなく、現実のものとなったのではないか」
 寺坂院長「現実に、指摘のような事態が発生した。当時の認識に甘さがあったことは深く反省している」

 2006年3月1日の衆院予算委員会で〈吉井氏に、外部電源やディーゼル発電機、蓄電池など多重、多様な電源設備があり、他の原発からの電力“融通”も可能だから「大丈夫だ」と〉その危機管理意識を披露していた鈴木篤之現・日本原子力研究開発機構理事長に対する質疑と答弁。

 吉井「設計上“大丈夫”だという話だったが、全ての電源が喪失したのではないか」

 鈴木理事長「国民に大変な心配、心労、迷惑をかけていることを大変申し訳ないと思っており、痛恨の極みだ」

 吉井議員は今回の事故について菅首相や清水正孝東電社長が「想定外」としていることを取上げ、日本の原子力安全基盤機構(JNES)の研究報告が、〈全電源喪失で0・6時間後に核燃料が落下、1・8時間後に圧力容器が破損、16・5時間後には格納容器が過温で破損すると警告>していると指摘した上で、

 吉井「全電源喪失を考えて、いかなる場合にも今回のような事態を起こさせないというのが、原子力安全行政であり、原子力安全委員会の使命ではないか」

 班目原子力安全委員長「おっしゃる通りだ。今回の事故を深く反省し、二度とこのようなことが起きないよう指導してまいりたい」

 海江田経産相「想定を超えるものが現実の問題として起こったわけだから、(想定外というのは)使うべきではない」

 「あり得ないだろうというぐらいまでの安全設計はしている」としていたのである。いわば危機管理項目の中に想定していなかったことなのだから、「想定を超えるものが現実の問題として起こった」とは言えない。想定していたが、それを超える事態が生じた場合のみ「想定を超えるものが現実の問題として起こった」と言えるはずである。

 海江田経産相は結果論からのみ危機管理上の想定問題を論じているに過ぎない。

 いずれにしても原子力関係の専門家がこぞって想定外として危機管理上の項目から外してきた。想定外のことが起こり得る可能性を想定して危機管理に当たるべきを最初から想定外としてきた。

 原子力安全・保安院が全電源喪失による炉心溶融の可能性を認めていたのは震発生から約1時間後の3月11日午後3時42分。原子炉格納容器からのベント(蒸気排出)などの緊急措置が行われたのは翌12日の午前10時以降。東電が最初の海水注入を実行したのはさらに10時間後の午後8時20分。

 吉井議員「なぜ早い時点で東電を指導しなかったのか。あるいは、東電が指示に従わなかったのか」

 海江田経産相「法律にもとづく命令というのは、日をまたいでのことだった」

 吉井議員「班目委員長と寺坂安全・保安院長は、危機感を持って臨んだのか」

 班目原子力安全委員長「どれぐらい緊急を要しているのか把握していなかった」

 これが危機管理意識の実態である。これは個人的なものではなくて、原子力安全委員会や保安院全体のものとしてある意識であろう。全体的に冒されていた危機管理意識の欠如だった。

 吉井議員「炉心溶融から危険な事態にすすみうることを認識して、はっきり東電に圧力容器の蒸気(を出して圧力)を下げろ、海水を含めて冷却水を入れろといわれたのか」

 枝野官房長官「電力が回復しない、ベントもなされない、水も入れない状況が一定時間続いて、急がないといけないということを午前1時半の段階で行った」

 吉井議員「東電がやらなかったら、やらせなきゃいけない。総理と原子力安全委員長が(視察で)4時間半空白をつくっただけじゃなく、12日の7時45分(原子力緊急事態宣言)から空白の10時間がある。これだけ深刻なものだということが明らかになっているのに、きちんと対応しなかった責任はきわめて大きなものがある」

 吉井議員「国も電力会社も原子力安全委員会もみんな『原発安全神話』を信仰し、“原発利益共同体”を築き、情報公開しないで、国民の安全より企業利益第一に走った。思い込みと秘密主義こそが重大な事態をもたらした要因だ」――

 原子炉内を冷却するために放水した海水を、その弊害を指摘して真水に切り替えるべく危機管理を発動したのは日本側でなく、米原子力規制委員会(NRC)だったと、《注入海水の塩害に懸念 米の報告書 福島第一原発》asahi.com/2011年4月7日15時2分)が書いている。

 記事は冒頭、〈新たな水素爆発を防ぐため、東京電力は福島第一原子力発電所1号機の原子炉格納容器に窒素を注入しているが、この措置は米原子力規制委員会(NRC)が報告書の中で必要性を強調していたものだ。〉と書いていて、海水を原子炉の核燃料の出す熱(崩壊熱)を冷やすのに使う弊害も指摘していたという。

 昨4月7日未明に1号機の水素ガス爆発防止のために原子炉格納容器内への窒素ガス注入を開始したことを指している。

 北沢俊美防衛相(25日の記者会見)「(海水から真水への)切り替えを早くすべきだと米側から強い要請があった」

 〈海水から真水への切り替えは、NRCの報告書がまとめられた時期に重なっており、背景にはこうした分析があったとみられる。〉――

 いわば、海水から真水への早急な切り替えも、水素がズ爆発防止の窒素注入も日本側は危機管理の行程表には入れていなかった。

 参考までに記事題名を挙げておくが、「YOMIURI ONLINE」記事―― 《窒素注入は米NRCの助言、水素爆発再発を警告》も同じ米NRCの報告書を取上げて、窒素注入がアメリカ側の危機管理だったことを伝えている。

 「(電源喪失は)あり得ないだろうというぐらいまでの安全設計はしている」と自分達の頭脳に対して無誤謬だとする絶対的信頼を置き、その優越性を誇っていながら、自らの危機管理能力では事故対応を持て余し、なす術もない姿を曝け出している。

 いわば根拠は何一つない、無誤謬性と響き合わせた自己優越性であり、自己優越性に覆われた「原子力安全神話」だった。そのような「原子力安全神話」が日本の原子力管理全体を覆っていた。

 このように個人性からではなく、全体性として陥っている資質であることからして、日本人が民族的病弊として抱えてきた、意識の根っこのところで日本人に間違いはないとする無誤謬性と響き合わせた日本民族優越意識からの危機管理欠如であろう。

 そうとでも解釈しないと、常識としなければならない危機管理の、個人の問題にとどまらない全体的な欠如が説明できないことになる。

 戦前の大日本帝国軍隊が、その他が侵されていた日本民族優越意識を戦後も引き継いで原子力界全体で伝統としていたと言うことだろう。

 勿論、原子力界のみでないかもしれない。

 参考までに。2007年3月25日記事――《臨界事故隠しを石原DNA論で読み解く - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》


コメント (1)
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