必殺シリーズの顔とも言える中村主水ですが、初登場は必殺シリーズ第二弾『必殺仕置人』(昭和48年4月から10月)でした。主役が、山崎努が演じた「念仏の鉄」であった為、中村主水が登場しない回もあったようです。
仕置人仲間としては、棺桶の錠(沖雅也)、鉄砲玉のおきん(野川由美子)、おひろめの半次(津坂匡章=現在は秋野太作)がいました。
シリーズ第十五弾で『必殺仕事人』が登場し、家や職場ではダメ人間だが、裏では凄腕の殺し屋という二面性がサラリーマン世代に支持され、この仕事人以降爆発的なブームを呼びました。
必殺シリーズで、中村主水が登場するのは以下の作品になります。
(必殺シリーズ)
第四弾 暗闇仕留人 (昭和49年6月から12月)
第六弾 必殺仕置屋家業(昭和50年1月から 6月)
第七弾 必殺仕業人 (昭和51年1月から 7月)
第十弾 新必殺仕置き人(昭和52年1月から11月)
第十二弾 必殺商売人 (昭和53年2月から 8月)
第十五弾 必殺仕事人 (昭和54年5月から56年 1月)
第十七弾 新必殺仕事人 (昭和56年5月から57年 6月)
第十九弾 必殺仕事人Ⅲ (昭和57年10月から58年 7月)
第二十一弾 必殺仕事人Ⅳ (昭和58年10月から59年 8月)
第二十三弾 必殺仕事人Ⅴ (昭和60年1月から 7月)
第二十五弾 必殺仕事人Ⅴ(激闘編)(昭和60年11月から61年 7月)
第二十七弾 必殺仕事人Ⅴ(旋風編)(昭和61年11月から62年 3月)
第二十八弾 必殺仕事人Ⅴ(風雲竜虎編)(昭和62年3月から 7月)
第三十弾 必殺仕事人 激突!(平成3年10月から 平成4年3月)
弘田三枝子さんの名前を聞くと、田辺製薬のアスパラドリンクのCMを思い出します。(2007年に三菱ウェルファーマトと合併し、現在は田辺三菱製薬) 「アスパラで生き抜こう」(やり抜こう) 弘田三枝子 昭和38年 弘田三枝子さんが大人になる前の「元気ハツラツ」な頃のCMでした。
「カステラ一番 電話は二番 三時のおやつは文明堂」 仔グマのカンカン踊り 文明堂 昭和37年なのでモノクロのCMでした。
「何はなくとも江戸むらさき」 三木のり平 桃屋 昭和33年 映画「社長シリーズ」では、9月16日に亡くなった小林桂樹さんと共演していました。(社長は森繁久弥さんでした)
「ナンデアル、アイデアル」 植木 等 アイデアル社 昭和38年 ポッチを押すと傘が開くというのは、当時では画期的なシステムだったのでしょう。
「俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー」(てなもんや三度傘) 藤田まこと 前田製菓 昭和37年 あんかけの時次郎と斬られ役によるコントの中で、鐘の音と共にお堂から時次郎が現れ、「ええ、あっしゃあ泉州は信太の生まれ、あんかけの時次郎。義理には強いが人情にゃ弱い、男の中の男一匹…」と口上を述べていると、毎回様々な扮装をした斬られ役と一悶着した所で、時次郎が「俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー」と見得を切っていました。
マーブル、マーブル、マーブル、マーブル マーブルチョコレート 上原ゆかり 明治製菓 昭和37年 昭和31年生まれで、昭和60年頃まで芸能活動を続けていましたが、現在は引退しています。国民的アイドルのはしりかも知れません。
競馬が始まりますので、今日はここまでにします。
初代若乃花の花田勝治さんが亡くなりました。昭和30年代前半、栃錦と共に「栃若時代」を築き、戦後復興期の日本におおきな活力を与えました。 昭和35年春場所には、栃錦との千秋楽全勝対決を制し、初の全勝優勝を飾りました。 当時、小学校5年生であった私は、第1回卒業生である栃錦を応援しましたが、勝敗の結果はともかく、すばらしい相撲内容であったことを覚えています。 体重の増加に伴い、決まり手に「寄りきり」が多くなった栃錦に対して、若乃花は全盛期でも100キロそこそこの体重でしたが、「二枚腰」と呼ばれた下半身の粘り強さ、鍛え上げられた体からくり出される豪快な「呼び戻し」(別名、仏壇返し)など、相撲ファンを魅了するに十分な横綱でした。 しかし、若い頃には成績の悪かった場所後に、景気付けに兄弟子(元大関・琴ヶ浜だと思いますが)と蕎麦を食べに行こうとし、夜逃げと勘違いした力道山に連れ戻され、その後大いに鍛えられたそうです。 また、長男をちゃんこ鍋による大やけどで亡くし、間もなく始まった1956年秋場所では、子供の名前を刻印した数珠をかけて場所入りし12連勝し「土俵の鬼」と呼ばれました。しかし、扁桃腺炎による高熱のため13日目を休場し不戦敗・14日目も休場しました。千秋楽には出場の意欲を見せ、栃錦との対戦が組まれていましたが、病状の悪化により休場し不戦敗、12勝2敗(共に不戦敗)1休場の成績となり横綱昇進を逃しています。 大関昇進後の成績 1956年 (初)13-2 (春)12-3 (夏)12-3(優勝) (秋)12-2-1 1957年 (初)11-4 (春)10-5 (夏)11-4 (秋)11-4 (九州)12-3 1958年 (初)13-2(優勝) (春)12-3 (夏)11-4 (名古屋)13-2(優勝) (秋)14-1(優勝) (九州)12-2-1 1959年 (初)14-1(優勝) (春)12-3 (夏)14-1(優勝) (名古屋)11-4 (秋)14-1(優勝) (九州)11-4 1960年 (初)0-3-12 (春)15-0(優勝) (夏)13-2 (名古屋)13-2(優勝) (秋)13-2(優勝) (九州)5-4-6 1961年 (初)12-3 (春)休場 (夏)10-5 (名古屋)3-4-8 (秋)10-5 (九州)11-4 1962年 (初)11-4 (春)0-2-13 (夏)引退