☆オヤジの晩ごはん ☆オヤジの館

昭和をこよなく愛する団塊オヤジです。
料理レシピ&趣味娯楽&日々のつぶやきetc!

宝くじ

2009年07月29日 | 日記・コラム
 35年程前になりますが、年末に宝くじを20枚購入して1等の組違いに当選したことがありました。

 発売の最終日であった為、売場には5、6名ほど並んでおり、その後に並ぼうとした時、親会社の部長と会ったので順番を譲りました。
 結果的には、順番を譲ったことにより1等の組違いに当選し、年明け早々に20万1千円(当時の末等は500円でした)を手にすることが出来ました。

 当時の1等の組違いは、現在のジャンボ宝くじと比べるとかなり高額でした。
賞金は、会社の同僚との飲み食いに2万円使い、残金は購入したばかりの中古車代に充てました。

 その後は、毎年ジャンボと名の付く宝くじだけは購入していますが、かすりもしません。
 (必ず、最終日に20枚購入することにしています)

 今年も最終日にサマージャンボ宝くじを20枚購入する予定ですが、今回は後ろの人に順番を譲ってみようかと思っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第18回東京オリンピックの思い出

2009年07月28日 | 昭和30年代の出来事&思い出

 昭和39年10月10日から10月23日まで、東京で第18回夏季オリンピックが開催されました。たしか、首都高と環七ができた年だったと思います。  獲得した金メダルは16個でした。  (体操・団体総合) 小野喬 ・遠藤 幸雄・鶴見 修治・山下治広・早田卓次・三栗 崇  (体操・個人総合) 遠藤幸雄  (体操・つり輪) 早田卓次  (体操・跳馬)  山下治広  (体操・平行棒) 遠藤幸雄  (レスリング・フリー・フライ級) 吉田義勝  (レスリング・フリー・バンタム級) 上武洋次郎  (レスリング・フリー・フェザー級) 渡辺長武  (レスリング・グレコ・フライ級) 花原 勉  (レスリング・グレコ・バンタム級) 市口政光  (柔道・軽量級) 中谷雄英  (柔道・中量級) 岡野 功  (柔道・重量級) 猪熊 功  (ボクシング・バンタム級) 桜井孝雄  (ウエイトリフティング・フェザー級) 三宅義信  (バレーボール・女子) 河西昌枝・宮本恵美子・谷田絹子・半田百合子・松村好 子・磯部サダ・松村勝美・篠崎洋子・佐々木節子・藤本佑子・近藤雅子・渋木綾 乃    私は高校1年生で、クラスで2名オリンピック観戦ができる抽選に当たり、当日友人と総武線に乗り代々木の会場へ向かいました。観戦できる競技はウエイトリフティング(重量上げ)でしたが、金メダル候補の三宅義信・ソ連のジャボチンスキーがいて、当時はなかなか人気のある競技でした。  会場に着いて席に座りました。席が上段のため、肉眼では選手の顔がはっきり見えませんでしたが、双眼鏡を持ってきていたので助かりました。  各国の選手が登場して試技を行いましたが、なかなか三宅義信が登場しません。 ジャボチンスキーもしかりです。  結局、その日の予選には二人とも出場の予定がなく、私も友人もオリンピックを観戦できたうれしさが半減した思い出があります。  しかし、オリンピック自体は記憶に残るとてもすばらしいものだったと思います。聖火最終ランナーである坂井義則さんの聖火の点火式、マラソンでヒートリーと最後まで接戦を演じた円谷幸吉、ウエイトリフティングの三宅義信、男女の体操、バレーボールの「東洋の魔女」、ボクシングの桜井孝雄、柔道の猪熊功・神永昭夫などがすばらしい成績を残すとともに、国民にも大きな感動を与えてくれましたと思います。  2016年のオリンピックが東京で開催されれば、私にとっては人生2度目のオリンピックを経験することになります。東京で開催されることを願っています。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニール・セダカ

2009年07月28日 | 昭和30年代の出来事&思い出

 小学校6年生当時、同級生に計理士事務所(現在の公認会計士事務所?)の息子がいて、彼の家に遊びに行った時、彼のお兄さんの部屋からニール・セダカの曲「恋の片道切符」が流れてきました。お兄さんが蓄音機(我が家にはそんな高価な代物はありませんでしたが)でレコードを聴いていたのでしょう。  曲が流れてきたのと同時に、同級生が「チューチュートレイン・・・・」と歌い出しびっくりした記憶があります。  その後何回か遊びに行き、ポール・アンカ、エルビス・プレスリー、コニー・フランシス、ブレンダ・リー、フォー・シーズンズ、デル・シャノン、ザ・プラターズなどの曲も聴きましたが、私はニール・セダカの曲が一番好きでした。  「恋の日記」(デビュー曲)、「おお!キャロル」(キャロルキングに送った曲)、「星へのきざはし」、「カレンダーガール」、「すてきな16才」、「小さい悪魔」、そして全米第1位に輝いた「悲しき慕情」(ドュルル ダンドュビ ドュダンダン カマカマ ダンドュビ ドュダンダン・・・このイントロ部分が大好きです)、また、コニーフランシスにも曲を提供し、ヒットさせています。  まさに、彼の第1期黄金時代でした。  次回は、低迷期から復活した彼の第2期黄金時代について書こうと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

散歩の途中で

2009年07月26日 | 日記・コラム

 大柏川です。 川沿いを歩きましたが、川の汚れのせいかどうかわかりませんが、すこし臭い匂いがしていました。

  



    

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

栃 錦

2009年07月26日 | 昭和30年代の出来事&思い出

 横綱栃錦は、私が通っていた小学校の第1回卒業生でした。

 小学生の頃、相撲が好きだった私は、横綱になる前の栃錦の得意技であった「出し投げ」を研究して自分の得意技にすることに成功した。
 それからの私は、出し投げを使って高い勝率を得ることが出来ました。

 栃錦のライバルといえば、同じく小兵の若乃花であり二人が横綱であった13場所中10場所でどちらかが優勝しています。

 私は小学校の大先輩である栃錦を応援しましたが、クラスには若乃花フアンも何人かいて、彼らとの対戦では「出し投げ」と「呼び戻し」の技の応酬となりました。

  栃錦は引退後は春日野親方となり、審判部長・事業部長などを経て昭和49年理事長になりました。

 理事長になってからは新両国国技館への移転という相撲協会にとっての大事業に際して、これを無借金での建設、椅子席観覧客の待遇改善、相撲茶屋制度の改革などを、二子山事業部長(若乃花)の助けを借りながら実現させました。

 平成元年11月、九州場所の開幕直前に脳梗塞で体調を崩し、福岡市の病院で停年を目前にして平成2年1月10日死去。64歳でした。

 新聞で亡くなったことを知った時、栃錦(本名:大塚清隆)の少年時代をよく知っていた祖母が、テレビの相撲中継を見ながら「栃錦はおしりにバンソウコウが貼ってある場所は調子がいいんだよ」とよく言っていたのを思い出しました。

 今も相撲は好きですが、早く日本人横綱が出現して欲しいという気持ちが日増しに強くなっていく今日この頃です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする