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初代 若乃花

2010年09月12日 | 昭和30年代の出来事&思い出

 初代若乃花の花田勝治さんが亡くなりました。昭和30年代前半、栃錦と共に「栃若時代」を築き、戦後復興期の日本におおきな活力を与えました。  昭和35年春場所には、栃錦との千秋楽全勝対決を制し、初の全勝優勝を飾りました。 当時、小学校5年生であった私は、第1回卒業生である栃錦を応援しましたが、勝敗の結果はともかく、すばらしい相撲内容であったことを覚えています。  体重の増加に伴い、決まり手に「寄りきり」が多くなった栃錦に対して、若乃花は全盛期でも100キロそこそこの体重でしたが、「二枚腰」と呼ばれた下半身の粘り強さ、鍛え上げられた体からくり出される豪快な「呼び戻し」(別名、仏壇返し)など、相撲ファンを魅了するに十分な横綱でした。  しかし、若い頃には成績の悪かった場所後に、景気付けに兄弟子(元大関・琴ヶ浜だと思いますが)と蕎麦を食べに行こうとし、夜逃げと勘違いした力道山に連れ戻され、その後大いに鍛えられたそうです。  また、長男をちゃんこ鍋による大やけどで亡くし、間もなく始まった1956年秋場所では、子供の名前を刻印した数珠をかけて場所入りし12連勝し「土俵の鬼」と呼ばれました。しかし、扁桃腺炎による高熱のため13日目を休場し不戦敗・14日目も休場しました。千秋楽には出場の意欲を見せ、栃錦との対戦が組まれていましたが、病状の悪化により休場し不戦敗、12勝2敗(共に不戦敗)1休場の成績となり横綱昇進を逃しています。  大関昇進後の成績 1956年 (初)13-2  (春)12-3  (夏)12-3(優勝)  (秋)12-2-1 1957年 (初)11-4  (春)10-5  (夏)11-4  (秋)11-4  (九州)12-3      1958年 (初)13-2(優勝)  (春)12-3  (夏)11-4  (名古屋)13-2(優勝)  (秋)14-1(優勝)  (九州)12-2-1 1959年 (初)14-1(優勝)  (春)12-3  (夏)14-1(優勝)  (名古屋)11-4  (秋)14-1(優勝)  (九州)11-4 1960年 (初)0-3-12  (春)15-0(優勝)  (夏)13-2  (名古屋)13-2(優勝)  (秋)13-2(優勝)  (九州)5-4-6 1961年 (初)12-3  (春)休場  (夏)10-5  (名古屋)3-4-8  (秋)10-5  (九州)11-4 1962年 (初)11-4  (春)0-2-13  (夏)引退

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