聖書から人生を考えよう

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聖書から「人生」について真剣に考えてみませんか?

★人生で最も大切なこと

2005-03-31 | 「キリストの復活」

      

  イエス・キリストは私たちの罪のために身代わりに十字架で死なれ、三日目に復活されましたが、昇天される前に、弟子たちに次のように世界宣教を命じられました。ですから、忠実なクリスチャンたちは、この約2,000年の間、多くの反対と迫害と困難の中で、その主のご命令に従って「福音」を宣べ伝えて来たのであります。日本でも戦時中は、その福音を宣べ伝えたために、数年間投獄された先輩のクリスチャンたちもおります。もう大分前に天に召された知人のクリスチャンですが、原爆が広島に落ちた時、広島の地下牢の中に入れられていたために助かったという不思議な経験をされた方もおられます。今のような生ぬるい時代に生きている私たちは、先人の労苦に心から敬意を表したいものです。

●「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。」(マルコ16:15,16)。

●「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」 (マタイの福音書28:18~20)。


 では、その「福音」とは何でしょうか。神のことばである聖書は次のように明確に記しています。これは、使徒パウロがコリントの教会(集会)に宛てて書かれた手紙の一部です。

●「兄弟たち。私は今、あなたが福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。 また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。 私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書(旧約聖書の預言)の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。 その後、キリストはヤコブに現われ、それから使徒たち全部に現われました。 」(コリント第一の手紙15:1~7)。
  
 紀元30年頃のあの日曜日未明に起こった事件、イエス・キリストが墓の中から復活したという出来事は、人類の歴史を全くひっくり返してしまいました。それは、今の今まで、失意のどん底にあった者に喜びを与え、力を与え、確信を与えたのです。このキリストの復活の喜びを告げる足は、全世界に向かって進んで行きました。そして、21世紀に生きる私たちにさえも、今伝えられているのです。

 しかし、キリストの復活はあまりにもあり得ない話で、当時のイエス様の弟子たちでさえ、イエス様から何度もご自身の復活について、直接聞いていたのに、最初は信じることが出来ませんでした。キリストに従う者たちや、彼を慕っていた人たちは、失意のどん底にありました。慕い従い、そして一生を託すお方としてのイエス様が、あの残忍なローマ法のもとに引っ張られて行き、無残にも極悪人の死刑台であった十字架刑で、死んでしまったのですから‥‥。悲しみと嘆き以外に何があるでしょうか。

 イエスの回りの女たちは、涙の中にも女らしい優しい愛情を込めて、キリストの死体を香で装おうと、あの日曜日の朝、墓に行ったのであります。しかし、墓は空(カラ)だったのです。そして、そこにいたみ使いが言いました。「驚いてはいけません。‥‥あの方はよみがえられました。ここにはおられません。」(マルコの福音書16:6)と。不思議な出来事です。でも、これは、事実でした。信じなければならない不思議な事実でした。その日、多くの弟子たちは墓から復活されたイエスにお目にかかったのです。幽霊ではありません。まさしく、両手、両足、そして脇腹に釘跡、槍で刺された傷跡のある主イエスを見たのであります。三日前、あの十字架で絶命され、墓に葬られたはずの主イエスが今、自分たちのテーブルで食事を共にしておられるではありませんか。彼らの心が歓喜に満たされたのは当然であります。
 
 このキリストの復活は、世界歴史の中で実を結んで行きました。幾度も、迫害に包まれたこともありました。しかし、それにもかかわらず、キリストが復活して生きておられることを伝える良き訪れ(福音)は、東に西にぐんぐん伸びて行きました。なぜなら、救い主イエス・キリストは確かに生きておられるからです。そして、罪に悩む者には赦しを、苦しむ者には慰めを与え、酔っ払いは真人間に変えられ、そして、多くの人々に真の希望と生きがいを与え続けているのであります。そして、クリスチャンの真の希望は、この地上にあるのではなく、この地上では旅人であり、寄留者に過ぎないのです。やがて、天から私たちを迎えに来てくださる主イエス・キリストを待望するところに真の喜びがあるのです。

●「わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたを迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」(ヨハネの福音書14:3)。