聖書から人生を考えよう

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聖書から「人生」について真剣に考えてみませんか?

★罪は二度さばかれることはない

2005-03-18 | 「キリストの愛」



  私がまだ若い頃のことですが、東北地方に住んでいるある一人のクリスチャンから大変興味深い話を聞いたことがあります。この話は明治5年12月に実際にあった出来事なのです。それは、「日本死刑史」という本に記録されていることですが、絞首刑史としては非常に珍しい稀有な事件が起こったのです。その年の夏、石鉄県(現在の愛媛県)の群や村で、騒擾事件が起こった時のことですが、租税課出張所に放火した犯人○○○○が逮捕され、裁判の結果死刑を宣告されました。そして、同年の11月28日に死刑が執行されました。間違いなく、死刑は執行されたのです。 

 親族の者から「死体引き取り」の願書が出ていたので、死体を下げ渡し、遺族がその死体が入った棺をかついで帰る途中、四里半(18㎞位?)ばかり来たところで、なんと、死体が少し脈を打ち始めたのです。みなが非常に驚いて見ている中に、その死刑囚は完全に蘇生したのです。その報告を聞いて驚いた県聴こう課は、急いで確かめに行くと、間違いなく生き返っているではありませんか‥‥‥!!。これは、驚天動地の出来事であったことはだれも否定できません。

 そこで、県では、どう始末したらよいか困り果て、進退伺いを提出したのです。ところが、この伺いに対し、明治6年9月18日、「スデニ絞罪処刑後、蘇生ス。マタ、論ズベキナシ。直チニ本籍ニ編入スベシ。」という指令が発せられたのでした。絞首刑は既に執行されたのであるから、法的処置はすべて終わっている。また再び死刑を執行する論拠もない。直ちに、本籍に入れて、平常人の生活に戻ってよいというわけである。これは、日本で、実際にあった過去の事件です。

 私はこの話を聞いた時、即座に、私たち罪人の身代わりとなって十字架で死なれたイエス・キリストのことが脳裏をかすめたのであります。私たち人間は例外なく、聖にして義なる神の前にはみな罪人であります。そして、聖書に、「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている。」(ヘブル人への手紙9:27)と明確に語っているように、だれ一人、自分は神にさばかれるような罪は犯していないと言うことのできるような人はいないのです。他人からは善人と思われているような人も、聖なる神の前では「私には罪はない。私は正しい」と、胸を張って言うことができる人はだれもいないのです。聖書は次のように厳粛に告げています。

●「義人はいない。ひとりもいない。 悟りのある人はいない。神を求める人はいない。 すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。‥‥‥すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず‥‥ 」(ローマ人への手紙3:10~23)。

●「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(ローマ人への手紙6:23)。

●「神は、罪を知らない方(キリスト)を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。 」(コリント人への第二の手紙5:21)。

●「さて、十二時から、全地が暗くなって、三時まで続いた。 三時ごろ、イエスは大声で、『エリ、エリ、レマ、サバクタニ。』と叫ばれた。これは、『わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。』という意味である。 」(マタイの福音書27:45~46)。


 イエス・キリストが十字架にはりつけにされて処刑された場面で、午後三時頃に、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」と、絶叫されたことはよく知られていることですが、これまでの約二千年の間、この御言葉ほど、多くの方々に誤解されて来たみことばはないと思われます。このイエス・キリストの叫びは、実に、私たち罪人の身代わりになって、神にさばかれ、捨てられた叫びなのです。ですから、イエス・キリストを自分の個人的な救い主として信じ受け入れるならば、もう、決して死後において、その罪のさばきを受けることがないという事実を強調したいのです。

●「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。 」(ローマ人への手紙8:1)。 

 冒頭に記した実話は、キリストの十字架の真理の一面を示すために挙げたのであって、十字架のすべてを語るものではありません。「一度、さばかれた罪は二度と決してさばかれることはない。」という真理を強調するために例話として引用したものです。この点を、どうか誤解なさらないでいただきたいと思います。
 
 あなたの罪のさばきは、キリストが代わりに受けてくださったので、もし、あなたが神の御子イエス・キリストを、あなたの個人的な救い主として信じられるならば、もう死後においては永遠に二度とさばかれることはあり得ないないということをお知らせしたかったのです。これは何と尊い救いではないでしょうか。しかし、もし、神がご自身の御子を十字架につけてまであなたに、このようなすばらしい救いを提供しておられるのに、それを拒まれるならば、あなたの死後には永遠の滅び以外にはないということも事実なのです。どうか、この聖書の福音の真理を深くお考えになっていただきたいのです。そして、どうか、永遠の神の裁きから救われて天国に入る方となっていただきたいのです。