聖書から人生を考えよう

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お互いに、たった一度だけの人生です。
聖書から「人生」について真剣に考えてみませんか?

★神が見ています!!

2005-03-10 | 「神の存在について」




 大変興味深い話を聞いたことがあります。かつて、ある所に、善悪を弁えない一人の不心得な男がいました。ある日、小学生であった自分の子供を連れて、他人の畑にこっそりと入って行きました。そして、その男は「これから俺は野菜を盗むから、お前はここに立って番をしていろ!そして誰か見ている者があったらすぐ知らせるのだ!分かったな!」と、自分の子供に厳しく命じました。  

 ところが、この少年は日頃、神の存在とキリストについて教える集会の日曜学校に行っていて、真の神様について聞いていましたので、お父さんの言いつけがとても悲しくもあり、また、恐ろしくてたまらなかったのです。それでも、父親の言いつけなので、しばらく我慢して、その場に立っていましたが、とうとう我慢できなくなって、大声を張り上げて次のように言いました。「お父さ~ん、見ている人がいます!」その男は驚きあわてて、「なんだと、本当か、だれが見ているんだ!」と聞き返しました。すると、その少年は、大声で「神様が見ておられます!!」と答えたのです。お父さんは自分の子供に何も答えることが出来なかったそうです。 

 この少年は、本当に賢い少年だと思います。「誰か見ている者があったらすぐ知らせるのだ。」と、お父さんに命じられたので、忠実にお父さんの言われるとおりに命令を実践したのです。そして、「神様が見ておられます!」と、大声で叫んだのです。それにしても、この少年は本当に賢い少年でした。子供の時から聖書の話を聞き、神様の存在を教えられると、人は確かに賢くなります。「みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。」(詩篇119:130)とある通りですね。新約聖書に登場するテモテという人物も幼少の頃から母親に神様のお話を聞き、聖書に親しんでいたので、とても知恵のある人でした。

 神は全知全能のお方であり、また、どこにでもおられる偏在のお方であります。神に見えないものは一つもありません。これは、人間の理解力を超えている事実であります。旧約聖書に登場するあの有名なモーセという人物(ユダヤ人)は、神の摂理の中にあって、エジプトの王宮で育てられたのですが、彼が40歳になった時、自分の同胞であるひとりのヘブル人がエジプト人に打たれているのを見て、血が騒ぎ、「あたりを見回し、ほかにだれもいないのを見届けると、」(出エジプト1:12)彼は、そのエジプト人を打ち殺し、その死体を砂の中に埋めてしまいました。しかし、あたりを見回し、人がいないのを確認したはずなのにその罪を隠すことはできませんでした。そうです。神がすべてを見ておられたのです。

 また、旧約聖書に出て来る当時のイスラエルの王ダビデは、王国も安泰で、気が緩んでいたのでしょう、ある日の夕暮れ時、ダビデは昼寝の床から起き上がり、王宮の屋上を歩いていると、ひとりの非常に美しい女を見て、使いの者をやり、その女を召し入れて、姦淫の罪を犯してしまいました。そして、ダビデはその女がみごもったことが分かると、今度は、その悪行がばれないように画策して、その女の夫を戦場の最前線に出させて死ぬように仕組み、その忠実な部下の兵士ウリヤを殺してしまったのです。彼の妻は、夫ウリヤが戦死したことを聞いて、非常に悲しんだのは、当然です。ダビデは完全犯罪を企てましたが、後に、神は預言者ナタンの口を通して「あなたがその男です!」と直言させ、彼の二つの罪はすべて暴かれ、白日のもとに晒されたのであります。

●「主の御目はどこにでもあり、悪人と善人とを見張っている。 」(箴言15:3)。

●「造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。 」(ヘブル人への手紙4:13)。

●「主は天から目を注ぎ、人の子らを残らずご覧になる。 御住まいの所から地に住むすべての者に目を注がれる。 主は、彼らの心をそれぞれみな造り、彼らのわざのすべてを読み取る方。 」(詩篇33:13~15)。

●「わたしは近くにいれば、神なのか。遠くにいれば、神ではないのか。 人が隠れた所に身を隠したら、わたしは彼を見ることができないのか。天にも地にも、わたしは満ちているではないか。」(エレミヤ23:23,24)。

●「たとい、私が『おお、やみよ。私をおおえ。私の回りの光よ。夜となれ。』と言っても、あなた(神)にとっては、やみも暗くなく、夜は昼のようです。暗やみも光と同じことです。」(詩篇139:12)。

●「神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。 」(伝道者の書12:14)。
 

 あなたは、いかがでしょうか?今までの人生を振り返ってみて、すべてをご存じの神の前に良心が責められるようなことがありませんでしょうか。どうか、あなたも自らの人生を顧みて、神の前にご自分の罪を悔い改め、神が備えられたイエス・キリストの十字架による救いの道を拒むことのありませんように。十字架に架かられ、三日目によみがえられた キリストを信じる者は、すべての罪が赦され、神のさばきから救われるのです。これが、キリストの福音です。
 
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