寝屋川中央小教師刺殺事件が、世間を騒がせています。犯人の少年は、「いじめられていたのに放置されていたので、恨みに思ってやった」などと供述しているそうです。
事の真偽は、これから明らかになっていくと思いますが、確かに、学校がいじめに対して取っている姿勢は、明らかに間違っていると思います。
何が間違っているのか?
それは、悪質な集団いじめが止められない場合、
「いじめられる子が転校する」
という慣例があるからです。
僕の知るある少女も、どうしてもいじめが止まず、最後には行き先を隠して転校してしまいました。
確かに、これでいじめはストップしますが、これって根本的に間違ってないですか?
僕が校長だったら、いじめに参加した生徒全員を、即刻停学にします。
そのために、授業が潰れて学力が下がっても、関係ありません。
悪質なら、転校や退学を促します。場合によっては、刑事事件として告発することも検討します。
僕自身が、何年も教育現場で働いてきて、集団いじめと対決し続けた結果の結論です。
場合によっては、クラスの半分以上が、停学です。とても授業になりません。
もし、これを実行したら、教育委員会もPTAもマスコミも大騒ぎでしょう。それでいいんです。
「1人の生徒がいじめられるのは、それだけ重大な問題」だからです。違いますか?
あなたの子どもが、学校で毎日みんなからいじめられ、地獄のような日々を送っている。それは、全国で大騒ぎするような、大変な大事件です。違いますか?
いじめを止めさせる。こんなことは、学力向上以前の問題です。
生徒の偏差値が全員100であろうと、IQが300であろうと、いじめ、つまり犯罪(暴行、脅迫、強盗、名誉毀損、器物破損などの行為が、いじめでは日常茶飯事)を黙認するような場所であるならば、その時点で、学校は、教育の場ではありえません。弱肉強食の無法地帯です。
もし、学校が教育の場であるならば、何にもまして、
「罪のない被害者が、学校で平穏に勉強する権利」
を、守らなければならないはずなのです。
そのために、加害者の権利が制限されるのは、法治社会において、やむを得ないことです。
誰でも分かる理屈です。
そんな、最低限のことさえ、守られていない。だから、僕は、学校が無法地帯だと断言するのです。
教育とは、まず、大人が善悪の規範をしっかり示すことから始まります。
ガキどもの、ふざけ半分のいじめも止められず、被害者を転校させてお茶を濁すような大人たちに、どうして教育を語る資格があるでしょう。
本質的には、いじめっ子が悪いのではないのです。いじめがどれだけ悪いことか、いじめられる側がどれだけ苦しんでいるのか、理解させられない教師が、親が、大人が、全面的に悪いのです。
ほとんどの場合、いじめっ子は、ふざけ半分です。だからこそ、大人たちは、彼らに「法的な意味で」厳罰を科さなければならない。数百円の万引きを警察に届けるのと、同じです。早い時期に、社会の厳しさを学ばせないと、手遅れになってしまいます。
僕は、間違っているでしょうか?
実際にいじめに遭ったことのある方、コメントをお願いします。
※現実的な対処法としては、いじめっ子の保護者に対する「損害賠償請求」が考えられます。
僕も経験しましたが、警察は、校内暴力では、まず動いてくれません。
いじめの記録や証拠をできるだけ取っておいて、訴えるぞと脅かします。
それでも非を認めない親は、少数でしょう。
いじめを止めさせる効果は高いと思われます。
僕が親だったら、それ以前に、いじめグループを全員凹×∞にしそうですけど。
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事の真偽は、これから明らかになっていくと思いますが、確かに、学校がいじめに対して取っている姿勢は、明らかに間違っていると思います。
何が間違っているのか?
それは、悪質な集団いじめが止められない場合、
「いじめられる子が転校する」
という慣例があるからです。
僕の知るある少女も、どうしてもいじめが止まず、最後には行き先を隠して転校してしまいました。
確かに、これでいじめはストップしますが、これって根本的に間違ってないですか?
僕が校長だったら、いじめに参加した生徒全員を、即刻停学にします。
そのために、授業が潰れて学力が下がっても、関係ありません。
悪質なら、転校や退学を促します。場合によっては、刑事事件として告発することも検討します。
僕自身が、何年も教育現場で働いてきて、集団いじめと対決し続けた結果の結論です。
場合によっては、クラスの半分以上が、停学です。とても授業になりません。
もし、これを実行したら、教育委員会もPTAもマスコミも大騒ぎでしょう。それでいいんです。
「1人の生徒がいじめられるのは、それだけ重大な問題」だからです。違いますか?
あなたの子どもが、学校で毎日みんなからいじめられ、地獄のような日々を送っている。それは、全国で大騒ぎするような、大変な大事件です。違いますか?
いじめを止めさせる。こんなことは、学力向上以前の問題です。
生徒の偏差値が全員100であろうと、IQが300であろうと、いじめ、つまり犯罪(暴行、脅迫、強盗、名誉毀損、器物破損などの行為が、いじめでは日常茶飯事)を黙認するような場所であるならば、その時点で、学校は、教育の場ではありえません。弱肉強食の無法地帯です。
もし、学校が教育の場であるならば、何にもまして、
「罪のない被害者が、学校で平穏に勉強する権利」
を、守らなければならないはずなのです。
そのために、加害者の権利が制限されるのは、法治社会において、やむを得ないことです。
誰でも分かる理屈です。
そんな、最低限のことさえ、守られていない。だから、僕は、学校が無法地帯だと断言するのです。
教育とは、まず、大人が善悪の規範をしっかり示すことから始まります。
ガキどもの、ふざけ半分のいじめも止められず、被害者を転校させてお茶を濁すような大人たちに、どうして教育を語る資格があるでしょう。
本質的には、いじめっ子が悪いのではないのです。いじめがどれだけ悪いことか、いじめられる側がどれだけ苦しんでいるのか、理解させられない教師が、親が、大人が、全面的に悪いのです。
ほとんどの場合、いじめっ子は、ふざけ半分です。だからこそ、大人たちは、彼らに「法的な意味で」厳罰を科さなければならない。数百円の万引きを警察に届けるのと、同じです。早い時期に、社会の厳しさを学ばせないと、手遅れになってしまいます。
僕は、間違っているでしょうか?
実際にいじめに遭ったことのある方、コメントをお願いします。
※現実的な対処法としては、いじめっ子の保護者に対する「損害賠償請求」が考えられます。
僕も経験しましたが、警察は、校内暴力では、まず動いてくれません。
いじめの記録や証拠をできるだけ取っておいて、訴えるぞと脅かします。
それでも非を認めない親は、少数でしょう。
いじめを止めさせる効果は高いと思われます。
僕が親だったら、それ以前に、いじめグループを全員凹×∞にしそうですけど。
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告訴の不法行為は器物損壊ですが、それまでに窃盗、脅迫等の違法行為がたくさんありました。
刑事告訴するのは簡単ですので、下記に要点を示します。
・被害を受ける度に警察に被害届を出しておく。
・写真や物的証拠を収集する。
・被害を受けた場合は、確かな事実を文書で整理しておく。
・学校は信用しない。
・学校からの情報は整理しておく。
・被害があれば、領収書や見積書をもらっておく。
・刑事告訴状は、警察で止まる場合が多いので、刑事告訴した後は、小さな被害でも届を出す。
・盗難の被害届は交番でも出せますので、数分でできる場合があります。
はじめて刑事告訴する場合は結構疲れますが、自分の子供の安全だけでなく、地域の子供の為になるので是非法的手続きをとってください。しばらくすると、相手から感謝されます。
尚、刑事告訴の後は民事になりますが、相手の財力を考慮してあげて下さい。
警察は、学校から要請されない限り、校内暴力に介入することはありません。被害者が直接告訴した場合にでも、です。そして実際には、学校が生徒を告発することは、ほとんどありません。内密に処理して、終わりです。
つまり、いじめは間違いなく犯罪ですが、法律は実質的に機能しておらず、警察は全く当てにならないわけです。だから、これは、学校だけの問題ではなく、ニッポン制度そのものの抱える欠陥なのです。
僕自身、集団いじめと対決することは、児童だけでなくその父兄も全て敵に廻しかねないことでしたので、クビも覚悟していました。結果として、いじめは止みましたが、クビをかけるくらい腹を据えてかからないと、絶対に止められませんよ。
いじめている側の父兄は、ほとんど、子どものいじめなんてたいしたことではないと考えているようです。だから、法的な措置をちらつかされると、「この程度のことで、大げさな!」と思うわけです。本来は、自分が土下座しなくてはいけない立場なんですけど。
いじめる方はふざけ半分でも、いじめられる側は、不登校になったり転校したりしているのですから、本当に地獄を見ているわけです。そこがみんな分からない。やはり、子どもだけでなく社会全体に、共感性が欠如しているのでしょう。
そういう中で我が子を守ろうとするには、親にもそれなりの覚悟が必要です。僕は古い人間かもしれませんが、やはり、親なら、命がけで子どもを守ってほしいと思います。
同感する部分はありますが
「僕が親だったら、それ以前に、いじめグループを全員凹×∞」の部分。
前半の告訴については、今まで一度事例を見てきましたが、結果は最悪でした。
結局、その家族は村八分され、転校を余儀なくされました。
地域性の問題もあるかもしれませんが...
いずれにしろ、イジメという問題が発生することが問題であって、発生する前になんとかしたいものです。