護憲+グループ・ごまめのブログ

護憲+・現憲法を守るグループの一人して、今後の社会の状況を戦時を経験した一人として社会を見つめていきたいと思います。

土曜日  憂楽嘲(ごまめの翁)ブログの目次

2009年08月15日 16時39分55秒 | 朝日新聞切抜とテレビの切とりと庶民の疑問
09年8月15日 土曜日  憂楽嘲(ごまめの翁)ブログの目次

1・敗戦記念日の追憶・1(ここからお入り下さい)

2・敗戦記念日の追憶・2 (ここからお入り下さい)

3・私の敗戦記念日の追憶(ここからお入り下さい)


私の敗戦記念日の追憶

2009年08月15日 16時34分17秒 | 朝日新聞切抜とテレビの切とりと庶民の疑問
09年8月15日 土曜日 私の敗戦記念日の追憶

私事だが、お盆休みに娘たちが孫連れて帰ってきた。
その時、珍しく弟が仏壇に手を合わせるために我が家にやってきたのだが、小学6年生と三年生の孫の顔を見ながら、
「俺、この歳に妹を連れて日本に帰ってきたのだな、当時は自分では一人前と思っていたのだが,この二人を見ていると葫蘆島まで歩いたり貨車に乗ったり、一文無しで、畑の手伝いをしたり、豚の世話をしたり.時には畑の野菜をドロボーしたり」

    

「阿吾地から葫蘆島まで何キロあるのだろうか」
と話していたが
孫が。
「おっちゃん畑泥ボーは犯罪だ」
で、今の子供には戦時中の話は通じないと笑っていた。


以前にもブログに書いたと思うが、この弟と妹何故だか仲が悪いのだ、その原因を二年ほど前に家内が妹との長電話で妹が、私にはいわないでとはなしていた。
「お兄ちゃんは、偉そうに一緒に連れて帰ってきたと言っているが、私を捨てて引き揚げ船に乗ろうとしていたんや」
と言っていたと家内が教えてくれた。私が口を出すと妹と家内の約束もあることと、却って不仲の溝が大きくなる感じがして、私が死んであの世で父母の前で仲直りをさそうと思っている。

因に弟と妹は引き揚げ船から下船しても当時の行政はほったらかしで、父母が元気な時に病気で倒れた開拓義勇軍の青年を看病した、その青年に声をかけられ仙台まで連れて行ってくれた。その方も5年ほど前になくなっている。
兎に角、その当時の二人の体は食べ物がない中東の子供たちと同じく、栄養失調で全身皮膚病だらけだったことだけは頭の中から離れない。

戦争に参加しない人間でも何らかの戦争の傷跡はあることを書いて、私の配線記念日を終わる。



敗戦記念日の追憶・2

2009年08月15日 16時12分08秒 | 朝日新聞切抜とテレビの切とりと庶民の疑問
09年8月15日 土曜日 敗戦記念日の追憶・2

NHKの海軍400時間の証言より。

恐らくアメリカ軍の映した映像だろう。負け戦では戦死者の撤収もままならず、アメリカ兵も死体でなく物としか見えないのだろう。


その1・(拡大はここをクリック)(ここをクリック)
その2・(ここをクリック)
イラクに派兵された軍人でも精神異常を訴える兵士もある。元復員軍人が「まともな精神状態では殺し合いはできない」と言っておられたのを思い出した。

海軍軍令部のメンバー(ここをクリック)
恐らく此のメンバーの中で実戦の体験をた軍令部軍人は皆無に近いだろう。

海軍の組織(ここをクリック)

神風の特別攻撃隊の実態。
空母に体当たり(ここをクリック)

海中に墜落(ここをクリック)

空中分解(ここをクリック)
神風特別攻撃隊の多くは、アメリカ軍の特攻隊を研究し尽くした邀撃で多くの若者は目的を果たせずして散っていったと聞き及んでいる。



恐らく神風特別攻撃隊第一号(ここをクリック)

出撃前(ここをクリック)
おそらく今の高校生から大学生位の若者。幼さが残っている此の若者たちのお陰で今日の日本があると思う。
何不自由のない生活に慣らされ、私たちの先輩の命を無惨に毟り取った国家の政策。
「忘れたころまた戦争が起こる」「悲惨さを知らない人がまたはじめる」
安全保障
国家を守るには、相手に攻められる口実を与えないこと。
世界に五本指に入るほど軍事にお金を使っている国では、周辺国家は要注意国家と見られるのは、日本の過去の歴史から見ると当たり前の話だろう。

特攻兵器に使われたその他の兵器(ここをクリック)
私の兄は64歳の若さで死んだが,予科連時代、ベニヤ製の震洋の練習に明け暮れたが故障ばかりだったと言っていた。






敗戦記念日の追憶・1

2009年08月15日 16時02分08秒 | 朝日新聞切抜とテレビの切とりと庶民の疑問
09年8月15日 土曜日 敗戦記念日の追憶・1

64年前、朝鮮の京城師範学校の講堂に全校生徒が座らされ、意味不明な玉音放送を聞かされ、日本が負けたという実感のわかないまま戦争は終わったのかという思い。
実際,敗戦を感じたのは夜になって、灯火管制のないこととアメリカ軍が進駐してからと思う。

それと、一億玉砕を叩き込まれている時代、「もう戦争で死ななくても良いのだと」兄弟に戦死者をかえている親友の言葉が厭に胸の奥に突き刺さった。

今日は、終戦に絡む新聞の見出しの切り抜きと、先日NHKの海軍400時間の証言のなかから、NHKには申し訳ないが映像を切り抜いてみた。昔の白黒の不鮮明な映像でアメリカ軍から提供の映像が多いと思うが、如何に戦争が悲惨なものかを知るために悲惨な部分を多く切り取ってある。
そのため、表にはだしていないので表題をクリックして御覧下さい。

先ず、新聞の表題の切り抜き。

                    

「忘れたころまた戦争が起こる」「悲惨さを知らない人がまたはじめる」
全くお説の通りだ。
再軍備説や核抑止力、海外派兵を唱える方々は、ご自分の子供たちを率先して自衛隊に入隊させたのだろうか、おそらく否でしょう。
海軍400時間の証言にもあるが、軍の中枢のエリートたちはあの戦争で第一線で戦死した人はゼロに近いと思う。
再軍備説や核抑止力、海外派兵を唱える方々で我が子を危険な任務に付かせるか己が率先して実行する人だと真実みを感じるが、己や己の家族が安全なところにいて、海外派兵は通用しない。

           

本当だ、あの当時は、死ぬことが当たり前のような教育を受けていた。

             

あの戦争は、軍人ばかりでなく多くの民間人が犠牲になっている。それていて復員軍人には過大な援助は惜しまないが民間の犠牲者には慰めも援護もない。
靖国もあの当時戦争が原因で亡くなった人々を全員祭るのであれば靖国も認めてもよいが、特定な者だけを祀る靖国は容認しがたい。

皇居22ヶ所に開戦前に防空壕完成(ここをクリック)
これを見て感じることは、庶民の命の主さは軽石ほどにも成らない。だから、軍令部は特攻作戦を立案できたのだ。