護憲+グループ・ごまめのブログ

護憲+・現憲法を守るグループの一人して、今後の社会の状況を戦時を経験した一人として社会を見つめていきたいと思います。

敗戦記念日の追憶・1

2009年08月15日 16時02分08秒 | 朝日新聞切抜とテレビの切とりと庶民の疑問
09年8月15日 土曜日 敗戦記念日の追憶・1

64年前、朝鮮の京城師範学校の講堂に全校生徒が座らされ、意味不明な玉音放送を聞かされ、日本が負けたという実感のわかないまま戦争は終わったのかという思い。
実際,敗戦を感じたのは夜になって、灯火管制のないこととアメリカ軍が進駐してからと思う。

それと、一億玉砕を叩き込まれている時代、「もう戦争で死ななくても良いのだと」兄弟に戦死者をかえている親友の言葉が厭に胸の奥に突き刺さった。

今日は、終戦に絡む新聞の見出しの切り抜きと、先日NHKの海軍400時間の証言のなかから、NHKには申し訳ないが映像を切り抜いてみた。昔の白黒の不鮮明な映像でアメリカ軍から提供の映像が多いと思うが、如何に戦争が悲惨なものかを知るために悲惨な部分を多く切り取ってある。
そのため、表にはだしていないので表題をクリックして御覧下さい。

先ず、新聞の表題の切り抜き。

                    

「忘れたころまた戦争が起こる」「悲惨さを知らない人がまたはじめる」
全くお説の通りだ。
再軍備説や核抑止力、海外派兵を唱える方々は、ご自分の子供たちを率先して自衛隊に入隊させたのだろうか、おそらく否でしょう。
海軍400時間の証言にもあるが、軍の中枢のエリートたちはあの戦争で第一線で戦死した人はゼロに近いと思う。
再軍備説や核抑止力、海外派兵を唱える方々で我が子を危険な任務に付かせるか己が率先して実行する人だと真実みを感じるが、己や己の家族が安全なところにいて、海外派兵は通用しない。

           

本当だ、あの当時は、死ぬことが当たり前のような教育を受けていた。

             

あの戦争は、軍人ばかりでなく多くの民間人が犠牲になっている。それていて復員軍人には過大な援助は惜しまないが民間の犠牲者には慰めも援護もない。
靖国もあの当時戦争が原因で亡くなった人々を全員祭るのであれば靖国も認めてもよいが、特定な者だけを祀る靖国は容認しがたい。

皇居22ヶ所に開戦前に防空壕完成(ここをクリック)
これを見て感じることは、庶民の命の主さは軽石ほどにも成らない。だから、軍令部は特攻作戦を立案できたのだ。




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