今日の朝の新聞に、山折哲雄さんが「武蔵ぎらい」というテーマのコメントを出されていた。
斎藤茂吉が昔、「武蔵が巌流島の戦いでわざと遅刻して、小次郎をいらいらさせる作戦に成功して勝利をものにした」と卑怯者呼ばわりしたというのが紹介されていた。実は僕も前からそれを感じていたので、同じように思っている人がいることを少しうれしく感じた。
勝負事は正々堂々と戦うのが前提だ。しかしスポーツの世界では決してそうではない。ロサンゼルス五輪で柔道無差別級で金メダルを獲った山下選手と決勝で戦ったエジプトのラシュワン選手が山下の痛めていた右足をせめずに戦った話が有名だが、スポーツの世界ではほとんどそういうことはない。
相手の弱点を攻め立てるのがセオリーだし、フェイントという技もある。
僕は高校までスポーツをしていて、大学は少し病気をして音楽を経験した。全くのアマチュアレベルの話だが、スポーツの世界の人間と音楽の世界の人間と比べた場合、音楽の人間の素直さが際立つように思う。
スポーツが戦いから出てきているのに比べて、音楽が融和から出てきているからなのかもしれない。
もちろん、生きていくには「戦い」も「融和」も必要になってくる。
山折さんは今、世間を騒がせている大相撲の話にふれられ、スポーツの世界の「卑怯」を許せない風潮が強まってきたと言われている。
そういう観点から言えば、僕はスポーツの成り立ちが言葉は適切でないかもしれないが「卑怯」であり、そこから切り離すことなど不可能に思うのだが・・・・
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