ノブトの平凡日記

備忘録として気が向いたとき更新しています。

カラーTVより白黒TV、それよりラジオと今日の花

2006年08月26日 | 報道・社会の出来事ほか
 昼間は夏真っ最中と言ってよいほど暑いです。奈良・田原本は今日も晴れています。皆さんお変わりありませんか。
 少し涼しくなった朝に喜びを感じながらラジオのスイッチを入れたところ、『それいけズッコケ三人組』をはじめとする「ズッコケ三人組」シリーズの作者である那須正幹さんがラジオ出演されていました。途中から聴いたので抜けているところもあるかも分かりませんが、お話の趣旨は、『読書やラジオなど耳から入る情報は、人それぞれ異なるイメージを抱くが、それを映像化してしまうと見た映像に固定されてしまう。今までの作品の中には映画化したのがあり、しなければよかったと思う』ということでありました。
 更に、落語についても、『手の仕草や表情が目に入るのでイメージが固定されてしまう。寄席で楽しむよりラジオ放送で楽しむのが好き』とも話されていました。 私も全く同感で子供の時に、NHKラジオ放送劇「鐘の鳴る丘」や「オラー三太だ」の番組を、家事手伝いをしながら耳をそばだてて聴いた思い出が甦ってきますが、自分でイメージを創りあげ、この歳になっても持ち続けているのを再認識しました。 後で「鐘の鳴る丘」だったと思いますが映画化されたのを見て、自分の抱いていたイメージと、かけ離れていたのに落胆したことを思い出します。

 白黒テレビで見ていた番組を後になってカラーテレビで見ると、イメージが崩れたというブロガーさんも居られるのではないでしょうか。「百聞は一見にしかず」という諺もありますが、イメージという「心の膨らみ」も大切にして、心豊かに日常の生活を送って行かなければ、と思った「ノブト」でした。

  那須正幹さんの自己紹介のページを添付しておきます。興味をお持ちの方はご覧下さい。
http://www.poplar.co.jp/zukkoke/nasu-sensei/nashu-message.html

  さて、今日の誕生日の花はヒユ科の【けいとう】で、花言葉は「永遠の愛・おしゃれ」とのことです。歌人 鳥海晶子さんは、
       台風が過ぎて三日目
             倒されしケイトウむくっと立つ気配なり
と、詠まれています。鳥海さんのコメントは画像上で流します。

<
旅先で台風に遭いました。

ケイトウの列が

台風になぎ倒されて三日目、

まるで動き出したように

立ち直るのです。

ケイトウのたくましさに

圧倒される思いでした。

         鳥海昭子




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4 コメント

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それと似ているかも? (tsuneko)
2006-08-26 20:19:52
「アルプスの少女ハイジ」はもうすっかり「あのアニメの子」ってイメージが固定されてしまいました。

アルムおんじはもっと「いかつい顔」をイメージしていたので、あの人のお顔は優しすぎると思いました。

アルプスの山々はとてもきれいで、好きですが。
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落語 (kunta-shellby)
2006-08-26 21:52:36
私は落語を車の運転中のCDで聴きます。これがなかなかはまるのです。落語などはそもそも「観る」ものではなく「聴く」ものですから、咄家さんの言葉の魔術にスーッと入り込む事が出来ます。きっとラジオも同じ役割を果たしてくれるのでしょうね。



映像は便利で一目瞭然ですが、確かに心の中でイメージする事はとても大切な事だと思います。
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tsunekoさん、コメントありがとうございます (ノブト)
2006-08-27 09:09:55
 自分の生い立ち・能力・性格・経験等などから、人それぞれ抱くイメージは同じではありませんね。それが大切なことと「ノブト」は思っています。

 数学の答えの様に1つでない事を、お互いが自覚しお互いに尊重しあえる社会でなければと思いますね。

 得てして日本人(私は)、一つの型に押し込めたい気持になりがちです。島国の中の更に島国(四国)で育った為でしょうか。他の人と一緒でなければ不安となる、群れ鳥の様で反省しています。(笑)
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kunta-shellbyさん、コメントありがとうございます (ノブト)
2006-08-27 09:26:58
 ザコバ師匠だったような記憶なのですが(違ってたらご免なさい)ある時、「寄席に来た客の中に、腕組みをして目をつむり、聴いているのか眠っているのか分からんのがいる。なら、寄席まで来んだらいいのに」と笑っていたことがありました。

 その時私も師匠の考えに同感でしたが、今の「ノブト」は心から反省しているのです。

 そのお客さんは会場の雰囲気を楽しみながら落語を聴き、自分なりのイメージを膨らませていた「通の客」だったのでしょうね。
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