アスリート 未来にむかって走る

「日常のすべてが被写体だ。必要なことは好奇心と想像力」をテーマに綴っていきます。

行動すれば縁が生まれる(^_^.)

2014年04月14日 | 自転車

昨日は晴れのような曇りの一日。雨は降りそうもないので自転車でタマサイを川崎方面に下って帰ってきました。

川崎駅近くになるとサイクリングロードが途切れます。


古紙回収の会社があってその右脇を通り抜けようとしたとき、


なにやら古い民家がちらほら・・・・

トタンの色もかなりいい感じで、道はあるので思い切って入ってみました。



住んでいる方がおられるようです。






通り抜けて河原側から見た風景。

そして、


川沿いの高床式の家には十字架がありました。

教会かな・・・・・と近づいてみると、


「日本キリスト教団 川崎戸手教会」でした。

日本キリスト教団といえば小田原教会で「あごら」に参加しているので親近感があります。

それにしても地震が来たら危なそうな教会で、写真撮影をしていたら、


日曜の礼拝が終わったばかりで、多くの方が出てこられました。私は自転車姿で怪しい身なりをしていましたが、こちらから声をかけると「お入りになりませんか?」と言われたりしたので「サイクリングの途中なので・・・・」とお断りしました。

立ち話で小田原教会の島耕一牧師の話をすると「あら、私、島さんを知ってますよ」という女性が現れたりで、不思議なご縁がここでつながったりして、行動するとこのようなことがあるのだなと感慨深いですね。

元をたどればリレー・フォー・ライフに参加したことで仲間が出来、その仲間のご縁でつながりがふくらんで今の自分があるのです。

しかしこの川崎戸手教会、ここにあるのは何か理由があるはずと、帰宅してから調べました

 

「船越通信」というブログによれば、

川崎戸手教会は、多摩川の河川敷にある主に在日の方々が住んでいた集落の中にあります。ただその集落は、民主党が政権をとったとき、事業仕訳がありましたが、その事業仕訳で切り捨てられたスーパー堤防建設との関係で、住民の立ち退きが進められたところですが、現在も立ち退かないで、そこに生活しておられる方がいらっしゃいます。川崎戸手教会は、その河川敷に立ち退かないでいる人がいる限り、教会もその場所に留まり続ける道を決断して、現在も以前と同じように河川
敷の一番川沿いの一角に建っています。

多摩川の堤防の内側に河川敷がありますので、その場所に行くには、堤防に並行している道路から、堤防をくの字型に越える大型車両が通れるくらいの道幅の道路があり、そこから河川敷に入ります。河川敷の入り口近辺には古紙業の会社があり、その会社の敷地の真ん中を通って行くと、すぐ左側に川崎戸手教会があります。その建物は在日の方が住んでいた家ですが、川崎戸手教会を設立しました関田寛雄牧師が譲り受けて、最初はヨルダン寮として数名の学生を住まわせていたようです。

関田寛雄牧師は、最初川崎桜本教会に関わり、その後川崎戸手教会を設立しました。最初は多摩川の堤防の外側にある場所に桜本から生活拠点を移し、そこで教会活動もしていましたが、ある時期からヨルダン寮を教会の場所にして、現在に至っています。

と、ありました。複雑で深い事情があるようです。



すぐ近くに古い団地がありましたが、その話は次回で・・・・・


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2 コメント

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Unknown (Take)
2014-04-14 10:17:29
日本キリスト教団では、牧師が新しい教会に着任しそこで牧会活動をする時は就任式を行います。
島牧師の就任式は、ご本人の希望もあり戸手教会の孫牧師にお願いしたような関係です(ちなみに農伝の先輩後輩の間柄です)
孫先生とは僕個人も長野で会いました山牧師時代から親しくさせて頂いております。
中にお入りにならなかったのは残念なことです。この教会は一部川の上に立っており、次の機会があったなら一度お邪魔されたらと思います。
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>Takeさん (ヒデ)
2014-04-15 23:39:27
なるほどそのような関係性があったのですね。中に入りたかったのですが礼拝直後でしたし気後れしました。川が増水したときはどうなんだろうと心配になるくらいの場所でした。
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