もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

表現の不自由展・その後

2021年07月18日 | 社会・政治問題

 未だに「表現の不自由展」が開催されている。

 表現の不自由展は、2019年の《国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の企画展として開催されたが、抗議が殺到しわずか3日間で展示が中止となり、以後も河村名古屋市長の公費支出拒否や大村愛知県知事のリコール騒ぎにまで発展した曰くを持っている。
 東京展は会場が見つからずに中止となったが、大阪展は当初予定の会場を変更することで現在開催中であるらしい。会場は大阪府立労働センター「エル・おおさか」で、地裁・高裁・最高裁ともに実行員会側の主張を認めたために開催に漕ぎつけ得たものであるが、当然のことながら依然として街宣車による反対活動や脅迫メールが続いているらしい。
 実行委員会の趣意書に依れば、展示物の多くは過去に美術館等の『検閲』によって展示を断られた物としているが、報道された範囲で見る限り、所謂「芸術性」については美術館に展示できるレベルではないように思える。アートにメッセージ性を加味することは特に現代アートでは一般的で、それらが「見た人の心を荒げる・かき回す主張」であっても否定すべきではないと思うが、一定以上の表現力を満たしていることが前提であり、悪戯書き程度のオマージュや大量生産した少女像が要求されるレベルでないことは一目瞭然に思える。実行委員会が展示を断ったのは、検閲ではなく「質・出来」であり、そのことで表現の自由が侵されたとするのは筋違いである。ちなみに自分の油絵では、美術館はおろか個人経営の画廊に持ち込んでも一笑されるのがオチで、表現の自由が侵されたと大上段に訴えれば、村八分の憂き目に遭うだろう。
 さらには、展示物の質・出来とともに、主張・表現がヘイトや侮辱に当たるという判断もあるのかも知れない。

 表現の不自由展実行委員会が、美術館等から展示を断られたことを「検閲」としていることにも疑問を感じる。
 憲法第21条2項には「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」と定められているが、最高裁判例では「行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的とし、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを特質として備えるもの」と規定しており、公立美術館の学芸員や館長の判断まで検閲(行政権による)と呼ぶのだろうか。近年ではTwitterやGoogleの自主規制も検閲と呼ばれるが、一昔前までは「エロ・グロ・ナンセンス」として仲間内で自主規制・淘汰され、公には一顧だにされなかった範疇の作品すらも美術品に昇格したものであろうか。
 何がどうであれ、「表現の不自由展」は開催される・させるべきでないと考える。


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