もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

オーム刑死者の遺骨の行方

2018年07月13日 | 社会・政治問題

 故麻原彰晃教祖を始めとするオーム刑死者の遺骨の引き取り先が混迷している。

 オーム真理教信者にとって麻原氏の遺骨は仏舎利(釈迦の遺骨)にも比肩するものと考えられ、その行き先が注目されている。麻原氏から遺骨の引き取り人として指定されたとされる四女(教団・教義から絶縁)は、海域を特定されない方法による洋上散骨を希望しており、経費や手段について国の支援を求めている。しかしながら、オーム真理教の教義を継承している後継団体との関係を持っている妻と4人の子供は連名で、麻原氏の収監中の状態から特定の遺骨引き取り人を指定することは考えられないとして、遺骨の引き取りを申し出ている。また、遺骨引き取り人として後継団体のアレフを指名した刑死者がいることも報じられている。いずれにしても、オーム事件の刑死者を殉教者とすることがあってはならないと思う。一方『第二の麻原彰晃はもう生まれない』とする島田裕巳氏の安直な意見が掲載されていた。島田氏はオーム真理教の伸張の根幹をなしていた「終末観」が現在では通用しないことを第一の理由に挙げていたが、宗教が伸張を画策する場合には市民の終末観と閉塞感を利用するのは常套的であり、その提示の方法と攻撃対象が異なるだけで有史以来度々繰り返されてきたと思う。日本でも一向宗一揆、日蓮宗の急伸、創価学会の勢力拡大など枚挙にいとまがない。IS(イスラム国)についてイスラム教国以外からも多くの参加者がいたことも同根とも捉えられると思う。秋葉原での車両暴走事故は閉塞感に打ちのめされた個人の犯行であるが、同様の閉塞感を持つ人に方向性を与え得る指導者が出現すれば、宗教色を帯びた無差別テロに変化することは充分に予測されると考えるので、第二の麻原彰晃を生む土壌は日本社会にも根強く残っていると思う。

 今回の刑死者の遺骨について紆余曲折を生じさせた直接の原因は、オーム事件後にオーム真理教に破防法を適用せずに解散を命じなかった国家公安委員会の怠慢であると思う。事件後30年を経過したために当時の公安委員の多くは既に鬼籍に入っていることと思うが、審理の過程を再検証すべき時期にあるのではないだろうか。

 


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