立憲民主党・国民民主党と連合間の衆院選に向けた政策協定締結が報じられた。
協定は3者間ではなく、連合とそれぞれの党が協定する様式となっており、このことは立民が躍起・前のめりとなっている共産党との選挙協力が投影した結果とされている。
協定は5項目であるが、「左右の全体主義を排し、健全な民主主義の再興を力強く推進する」という項目の解釈が注目されている。国民民主党の玉木代表は「共産主義や共産党を意味する」とし、立憲民主党の枝野代表は「具体的な特定は無い」としている。連合の神津会長はといえば「どちらもおかしなことを言っているとは思わない」と述べており、有体に云えば「両党や傘下産別が都合のいいように解釈すれば良い」というものであるように思える。政権・政策の「キモ」を曖昧にすることは公党としてあってはならないことであり、今回の政策協定は「白猫(共産)であっても黒猫(非共産)であっても構わない。良い猫はネズミを捕る猫(自公体制打倒)だ」とする鄧小平理論の実践であり、羊頭選挙で政権を得た後にファシストの正体を剥き出しにしたヒットラーすら彷彿させるものに思える。
しかしながら、枝野代表が政権獲得の確かな手応えを持っているらしいことは、結党以来の一丁目一番地としていた「2030年代には原発0」を封印し、「我々が政権をとれば、原発をやめることについて明確に始めるが原発ゼロのゴールは100年単位」として、2,018年に提出した「原発ゼロ基本法案(全原発の即時停止、5年以内に廃炉)」も立法しないとまで明言した。このことは原発の停止と廃炉が電力大手の経営悪化・倒産・送電インフラの壊滅を招きかねないもので、送電網に依存している情報インフラの機能不全に繋がる危険性を持っていること、並びに、世界的潮流であるカーボンニュートラル実現のための原発役割を漸くに認識したものであろうか。
絵空事から現実路線への枝野氏の君子豹変は歓迎すべきものであるが、豹変しないであろうことも窺える。それは、2019年に「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」と政策合意していることである。合意には、憲法改正阻止、北朝鮮との国交正常化、日米地位協定改定、安保関連法制の破棄、防衛予算の削減・振替、などが盛り込まれており、現在の安全保障体制・外交方針の全否定・大転換に繋がるもので、ここまでくると、枝野氏の「大きな政府構想」とは「大きな中国政府の下で」と読み替えなければならないようにも感じられる。
政索合意の一項に「医療資源の偏り、不安定雇用などのあらゆる歪みを改め、包摂社会を構築する」とある。「包摂」という言葉を知らなかったので調べると「論理学で、ある概念が、より一般的な概念につつみこまれること。特殊が普遍に従属する関係。例えば、動物という概念は生物という概念に包摂される。」と解説されていた。この解釈に立てば、現在の歪みが包み込まれるべき対象(更に大きな概念)が必要と思えるのだが、何に・どのように包み込まれるのかは書かれていない。大きな概念は「共産主義」だろうか、「新自由主義」だろうか、「主体思想」だろうか、はたまた共産党綱領のように「読む人が読めば分かる(読み解ける)」式の左傾用語なのだろうか。平易な解説・教示を得たいものである。
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